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ライブラリアン・コラム

アジア経済研究所図書館の手話資料

 

山下 惠理

2022年3月

British Sign Language on Elm St Graffiti Alley, Roath, Cardiff
手話を「記録する」ということ

1907年、米国ろう協会二代目会長に就任したジョージ・ヴェディッツは、着任早々『Preservation of Sign Language』(1913年)の撮影を開始した。シネマトグラフ(映画装置)の開発後わずか15年で、ろう者の監督によって手話の記録映画が撮られていたことになる。自分たちの言語について記録を残すことに関して、ろう者がこれほどまでに早い段階から意識的であった背景には、「口話主義」による手話弾圧の歴史がある。

1880年にイタリアで開かれたミラノ会議をきっかけに、ろう学校では手話を使うことが禁止され、口話のみによる教育が奨励されるようになった。以降、学校での手話使用は口話の習得を妨げるものとして、固く禁じられるようになった。自分たちの言語が消滅させられかねないという脅威を前に、現存する手話を記録し保存することは、当時の米国ろう者社会において喫緊の課題であっただろう。

ミラノ会議から150年が経過した現在に至ってなお、この問題は過ぎ去ったことではない。とりわけアジア経済研究所図書館(以下、当館)が資料の収集対象としている国・地域では、2010年代以降、ネパール、ベトナム、ミャンマ―など、ろうコミュニティに焦点を当てた詳細な研究が続々と発行されているものの、政策や実際の制度のレベルにおいては、いまだ言語としての手話の地位は十分に確立されているとは言い難い。

こうした背景を踏まえつつ、今回のコラムでは、当館所蔵の手話資料をリスト化しておきたい。現地で作られた手話の辞典や入門書の位置づけに触れつつ、「手話を記録し保存する」ために、どのように取り組みが進められているのか概観する。

「ろう文化」と各国の手話

ここまで、各国・地域の手話と述べてきたが、「手話は世界共通ではないのか」という素朴な疑問を受けることもある。もちろん、国・地域によって手話は違う。厳密にいえば、独自の文法体系を持つ手話言語は、音声言語とは全く異なる派生をたどっているため、必ずしも音声言語の地図と重なりを見せないし、「国」によって違うかどうか、という分類も正しくはない。

1960年代、ウィリアム・ストーキーが、手話に文法法則を発見して以降、さまざまな学問分野における議論を経由して、ろう者は障害者ではなく手話を母語とする少数民族である、とする「ろう文化」の考え方が広まった。こうした捉え方は、現在では国境を超えて世界中に広まるものとなっている。

当館所蔵の手話資料

当館のOPACで“Sign Language”と検索してみると、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ラオス、ナイジェリア、ニカラグア、タンザニア、ルワンダ、エチオピア等、さまざまな国で発行されている手話資料が見つかった。これらの資料は、いずれも森壮也氏をはじめアジア経済研究所の研究者が現地の調査を通して購入・収集したものである。それぞれの辞書や入門書には、導入部分に編纂の経緯や手話に関する基本事項が掲載されている。以下ではそれを参考にひきつつ、タイトルと特徴を紹介する。

東南アジア

東南アジアの手話辞典作成の背景には、「ろう文化」という言葉の生みの親でもあるジェームス・ウッドワードが、深くかかわっている。ウッドワードは、アジア太平洋諸国の多くの国で、質の高い手話の辞書や文法書が作成されていない現状を打開するため、「アジア 4カ国手話辞書の作成」プロジェクトを日本財団に提案した(高橋・金澤 2010)。当館所蔵のうち、ベトナム、フィリピン、ラオスの資料は、本プロジェクトによってまとめられたものである。

(1) ベトナム
“Ngôn ngữ kí hiệu TP. Hồ Chí Minh”(「ホーチミン手話辞典」)
ベトナムには「ハノイ」「ホーチミン」「ハイフォン」の三つの手話が存在する。本書では、なかでも最もよく使われているホーチミン手話を中心に基本的な語彙が紹介されている。解説はベトナム語のみ、辞典部分には、ベトナム語・英語が併記されている。

(2) フィリピン
① “An Introduction to Filipino sign language
② “Love signs : the sign language in English and Pilipino
フィリピンの手話は、2018年に公用語となっている。当館所蔵の2タイトルのうち①は、「アジア 4カ国手話辞書の作成」プロジェクトの一環として、現地のろう者や言語学者の協力のもとに作り上げられたものである。3冊構成で、英語、フィリピノ語併記。イントロダクションではフィリピン手話の歴史について述べられている。②は、1970年代に作成されたもので、アメリカ手話の影響が色濃く表れている。

(3) ラオス
”ປຶ້ມປະມວນຄຳສັບທ່າປະກອບ ພາສາມືລາວ” (「ラオス手話辞典」)
ラオスの手話はベトナムとタイとの歴史的なつながりが示唆されているが、研究は途上の段階である。本タイトルは、ラオス障害者協会(LDPA)の下部組織であるろう難聴部門(DHHU)が、オーストラリア政府の助成金を受けて作成したものである。ラーオ語、英語併記。1200語収録。指文字は、イギリス式(トップ画像)のように、手のひらの部位を指し示すことで文字に対応している。

② “Thumbs up : sign language for Laos” 
著者のマーティン・モモダは米国生まれで、日本、タイ、ラオスで言語の指導方法を開発した。本タイトルには、ラーオ語、英語のほか、日本語が併記されている。①よりも基本的な用語が教材の形でまとめられている。800語収録。

(4) マレーシア
Bahasa Isyarat Malaysia”  (「マレーシア手話」)
医療、イスラム教、スポーツ、および5つの大学教育分野(グラフィック・デザイン、土木工学、ホテル・ ケータリング、ファッション・デザイン、機械工学)の計8分野におけるマレーシア語手話辞典。日本外務省「平成26年度対マレーシア草の根・人間の安全保障無償資金協力」を得てまとめられたもの。

ラテンアメリカ

ラテンアメリカについては、近年ブラジルにおいてLibras(ブラジル手話)の研究体制が整えられ博士号取得者数の急増したことが話題に上がっている。残念ながら当館で所蔵している手話資料はニカラグアのみであった。

(1) ニカラグア
Diccionario de idioma de señas para niños”(「子供向け手話辞書」)
幼児向けの手話辞典。大きな絵と写真が入っており、果物や食べ物、動物など基本単語が多い幼児教育向けの内容となっている。序文によればイタリアの助成を受けてろう者協会が作成したもの。

アフリカ

1987年にフィンランドで開かれた第10回世界ろう者会議を通して、東アフリカ・南アフリカの国々のろう者に対する助成制度が決定し、エチオピア、ケニア、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエ、タンザニアの代表によって手話の使用が推奨されるようになった。

(1) ナイジェリア
The incorporation of Nigerian signs in deaf education in Nigeria : a pilot study” 
著者Paulina Ada Ajavonの博士論文の一部が辞書の形として発表されている。
27章立て500語収録。

(2) タンザニア
Kamusi ya Lugha ya Alama ya Tanzania” (「タンザニア手話事典」)
1994年の第1版に大幅に改定を加え、スワヒリ語の指文字も追加し倍以上単語を増やし、2500語を収録。

(3) ルワンダ
Inkoranyamagambo y'amarenga yo mu Rwanda”(「ルワンダ手話事典」)
2年かけて5つの地域で収集したデータを記載。序章では、ルワンダには地域に
よって多くの異なる手話があり、一部の代表的な手話を記載したものであるとされている。

(4) エチオピア
Ethiopian sign language dictionary
エチオピアでは1970年代に手話が開発された。2002年にフィンランドろう協会に協力を依頼してプロジェクトが発足。アムハラ語・英語併記。1300語収録。

人材育成としての手話辞書編纂

以上、当館所蔵の手話資料の一部を紹介してきた。十数冊に過ぎないものではあるがその貴重さは数には代えられない。同タイトルを公開貸出している図書館は、国内はおろか現地でも僅少である。

冒頭で紹介した映画『Preservation of Sign Language』(1913年)は、2010年に米国議会図書館の登録簿に選ばれ、「半永久的に保存する価値がある作品」と公的に認められた。現在はYoutubeでも公開されており、われわれは100年前に米国で使われていた手話に気軽にアクセスすることができる。

当館の手話資料は、現地のさまざまなろう団体が関与して作られたものであり、手話辞書の編纂および作成を通して、ろう者の人材育成の発展が目指されている。たとえ簡易な内容であったとしても、手話を記録し後世に残すという意味で重要な役割を担っている。

こうした資料紹介を通して、各国・地域が「ろう文化」を守ろうとする取り組みが、手話の認知の一助となれば幸いである。

写真の出典
  • Jeremy Segrott, British Sign Language on Elm St Graffiti Alley, Roath, Cardiff(CC BY 2.0
参考文献
  • 大杉豊 2004.「アジア太平洋地域での実用手話辞典製作プロジェクトについて」(特集: ベトナムのろう者と手話)『手話コミュニケーション研究』日本手話研究所、53、9月: 12-20.
  • 高橋恵里子・金澤貴之 2010.「アジアの途上国におけるろう者の人材育成とエンパワメントについての一考察――ジェームス・ウッドワードと日本財団による事業の経験から――」『群馬大学教育学部紀要. 人文・社会科学編』59 : 133-143.
著者プロフィール

山下惠理(やましたえり) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア。