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海外研究員レポート

米国の地域研究: 中国経済研究の立場から

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049851

2014年11月

1. はじめに1

時代とともに地域研究(area studies)も変化している。一つは冷戦終結以降のグローバル化の進展によって、複数の国を対象にした研究の必要性が高まっていることである。「新冷戦」という言葉も聞かれるようになったが、1990年代以降、国と国のあいだの貿易・投資を通じた経済上の相互依存関係は年々強くなっている。もう一つはディシプリン(専門領域)の影響の増大である。経済研究では1980年代ごろからすでに顕著になっている。もちろんいずれも変化が起きて久しいのだが、依然として現在進行形の流れのなかにある。

本レポートでは、ハーバード大学のアジア研究におけるアジア・センターの役割と、地域研究のなかの経済研究の現状を、上記の変化の具体例として取り上げながら、地域研究の今後の可能性について少し考えてみたい。なお、私は地域研究や経済学のなかでも中国経済を専門としていることから、本レポートの内容も、非常に限られた立場からのものであることをお含みおきいただければ幸いである。

2.ハーバード大学アジア・センター

米国におけるアジアへの関心は一貫して高くなっている。日本経済の長期低迷と中国経済の高成長によって、日本への関心が低下した一方で、中国への関心が高まっていることは多言を要しない。しかし、オバマ政権では、日米といった二国間に限定した課題設定から、東アジアの複数の国をまたぐマルチラテラルなそれへと、関心が変化したといわれる(渡部、2010)。つぎの大統領選を2年後にひかえ、対外政策が今後どう展開するのかを予測することは難しい。しかし、グローバル化のなかにあっては、特定の国への関心ばかりでなく、アジア全体への関心がどうなっているのかということにも注意しなければ、本当の動きを見誤る可能性があるようだ。

地域研究においても、グローバル化によって研究対象領域を拡大させることの重要性が増している。ハーバード大学でもさまざまな地域を対象とする研究者の交流を促進するため、1997年にハーバード大学アジア・センター(Harvard University Asia Center)(以下、アジア・センター)が設立された。対象地域には、東アジア、南アジア、オセアニアの一部が含まれており、特定の地域や国のプログラムもあるが、アジア全体に関わるものも多い。

ハーバード大学には中国を対象にした機関に限定しても、このアジア・センターのほか、フェアバンク中国研究センター(Fairbank Center for Chinese Studies)(以下、フェアバンク・センター)やハーバード・イェンチン研究所(Harvard-Yenching Institute)、ハーバード中国基金(Harvard China Fund)と複数存在している。そのため、私はハーバード大学のアジア研究者と交流したりアジア関連セミナーに出席するうちに、バーバード大学のアジア研究や中国研究の体制が複雑なものであるように感じられた。それでも後三者の機能は比較的はっきりしているため、イメージを持ちやすい。しかし、アジア・センターはすべてのアジア関連研究機関の活動とも結びついているため、外から見ているだけでは研究体制の実態がつかめなかった2。そこで、アジア・センターの創設に関わったエズラ・ボーゲル(Ezra Vogel)名誉教授(ハーバード大学)にインタビューの機会をいただき、ハーバード大学におけるアジア研究の歴史をはじめ、アジア・センターの設立目的等をうかがった(インタビューは2014年11月6日)。ボーゲル教授はアジア・センターの初代所長であるとともに、フェアバンク・センターの所長も二度(1973~1975年および1995~1999年)つとめる等、ハーバード大学のアジア研究の中心をなしてきた3。設立目的は以下の三つに大別することができるが、そこからハーバード大学における当時のアジア研究の課題を垣間見ることができる。

第一の目的は、アジアにおける比較研究や外交関係を研究するためであった。ハーバード大学には、中国・ベトナムを対象とする当時のフェアバンク・センターのほか、日本を対象とするライシャワー日本研究所(Reischauer Institute of Japanese Studies)、韓国を対象とする韓国研究所(Korea Institute)等があった。もともとはフェアバンク・センターがいずれの国も対象にしていたが、1973年に日本研究所(Japan Institute)が、1981年に韓国研究所が独立した4。この動きに対してジョン・フェアバンク(John Fairbank)教授は、知的活動のつながりが損なわれるという理由で、研究所の独立に難色を示したといわれている(Suleski, 2005)。しかし、それぞれの国の研究を促進し、また、そのための資金調達を容易にするため独立が優先された。その結果、各国の研究は進んだものの、時間の経過とともに比較研究をはじめ複数の国にまたがる研究が困難になるというデメリットが目立つようになった。そこで、ボーゲル教授が二度目の所長にあるとき、この状況を改善するためアジア・センターが設立された。

第二の目的は、ハーバード大学のアジア研究がアジア全体をカバーできるようにするため、同校がそれまでカバーしていなかった地域や国の研究をスタートさせることであった。具体的には、南アジアと東南アジアの研究をアジア・センターが強化することとなった(Suleski, 2005)。南アジア研究に関しては、2003年にSouth Asia Initiativeが発足した後、徐々に研究体制が強化され、2012年に南アジア研究所(South Asia Institute)として独立した5。現在は、アジア・センターの下で東南アジア研究の体制が強化されている。米国ではコーネル大学(Cornell University)等が東南アジア研究で多くの実績をすでに残している。ハーバード大学も教育・研究能力を向上させるため、現在、寄付集めに努力している。アジア・センターはこれまでカバーしていなかった地域の研究を確立していくための母体としての役割を担ってきた。

ただし、アジア・センター設立以前はフェアバンク・センターが、対象地域を拡大させるための母体として機能していたことを忘れるわけにはいかない。いつも中国研究がフェアバンク・センターの中心を占めていたが、当時は中国研究センターではなく、フェアバンク東アジア研究センターという名称であったことが示すとおり、ハーバード大学における日本研究や韓国研究はこのなかで発達した。そして、両国の経済的存在感が増し、寄付も増えたことで、個別の研究所として独立していった。南アジア研究もフェアバンク・センターで1980年代にはじまった中国・インド・セミナー(China-India Seminar)シリーズがその嚆矢となっている(Suleski, 2005)。インド経済の成長とともに、インドからの寄付金も集まるようになった。しかし、前述したとおり、対象国の研究にまい進する体制が選択された時点で、対象国以外の研究や複数の国に関わる研究についてはそれまでの機能が損なわれてしまったようである6。その結果、南アジア研究の体制が確立したのも、アジア・センターの設立後となった。したがって、ハーバード大学のアジア研究は、中国研究を中核とするフェアバンク・センターがアジア研究全体を調整していた時代から、1990年代末になると、アジア・センターがそれを調整する時代に変わったということができる。そして、2007年にはフェアバンク・センターはフェアバンク東アジア研究センターからフェアバンク中国研究センターへと名称を変えた。

アジア・センターが設立された第三の目的は、大学側が感じていた管理の煩雑さを解消するためであった。米国の大学では、自然・社会科学と人文学という全学問領域をカバーした学部(Faculty of Arts and Science)が各分野の教育・研究を担う体制になっていることが多い。ハーバード大学でもその下に、数多くの個別の学部・学科や研究所・センター等が存在する。そのため、中国・ベトナム、日本、韓国の研究所がそれぞれ存在することで、学部長による管理が煩雑になっていた。そこで、アジア関連機関の意思決定を調整するアジア・センターが設立された。アジア関連機関のメンバーがアジア・センター内のCouncil on Asian Studiesのメンバーにもなることで、関連機関間の連携を図ることが容易になった。アジア・センターが設立されることで、ハーバード大学のアジア研究は、新しい研究所を産む母体の機能を持ちながら、同時に多くの研究所が存在しても調整していくことができるような体制になった7

ハーバード大学ではこのように、アジア各国・地域の研究を個別に深化させながらも、全体の協力体制も築いてきた。同校では伝統的に中国研究や日本研究、韓国研究が盛んではあるが、今後はアジア全体の文脈から見た各国研究でも優れた研究成果がさらに出てくるようになるのではないだろうか。また、これらの研究所が入居しているCenter for Government and International Studiesの建物には、ロシア、中央アジア、中東、アフリカ、中南米等を対象とした研究所・センターも入居している。研究所・センターの運営体制はそれぞれ異なるが、グローバル化のさらなる進展のなかで、広範な地域を対象にした共同研究を行うことができる環境が整っている。特定の地域や国の研究に強みを持つだけでなく、その他の地域や国ともどれだけ連携できるか否かが、新しい研究成果を生み出す条件になっていくのかもしれない。

3. 地域研究のなかの経済研究

つぎは、地域研究のなかの経済研究の動向である。まず、米国において経済学を専門とする地域研究者は減少傾向にあることを確認しておきたい。表1は地域研究者のあいだで各ディシプリンの専門家が何割いるのかを世代ごとに示したものである(Adams, 2014)8。調査は米国の地域研究者と外国語研究者に対し、2014年1月~2月に行われた。調査結果は約3,500人からの回答に基づいている。表1にあるとおり、地域研究者のなかで経済学者が占める割合は、20~40代で40~60代よりは微増しているものの、全体としては減少傾向にある。また、20~40代の地域研究者なかで経済学者が占める割合は、政治学者や人類学者、地理学者、社会学者とくらべても小さい。経済学者の数よりも少なかった社会学者や地理学者の方が今では多くなっている。コミュニケーション学者の数も同程度の規模になっており、経済学者の相対的な減少も目立つ。ただし、政治学者や社会学者の割合も減少傾向にあるため、地域研究者として活躍する社会科学者全体として減少傾向にあるともいえる。社会科学全体で計量分析やモデル分析が増加傾向にあるなか、学際領域としての地域研究ではなく、各ディシプリンのコミュニティを選ぶ研究者が増えている。

表1 同世代のあいだでの各ディシプリンの割合(%)

60~80代 40~60代 20~40代
政治学 15.5 10.9 9.4
人類学 8.7 9.1 8.5
経済学 3.0 0.6 0.8
社会学 2.8 2.4 1.4
コミュニケーション学 0.0 0.6 0.8
地理学 0.4 0.9 1.6
Source : Adams (2014)

地域研究者のなかで経済学者が減少した理由は、終身在職権(テニュア)が取りにくいためである。大学では各ディシプリンの学部がテニュアのあるポストを持っているため、ディシプリン側の研究評価基準が大きな影響を持つ。したがって、大原(2006b)が指摘したとおり、学際的な地域研究ではキャリア形成が非常に困難になる9

ただし、地域研究者のなかの経済学者がもともと多くないことにも注意する必要である。表1のとおり、60~80代の地域研究者のうち、経済学者が占める割合は3.0%に過ぎなかった。政治学者で15.5%、人類学者で8.7%であったこととくらべると少ない。中国経済研究に限った話ではあるが、フェアバンク教授が研究センターを設立する際、アレクサンダー・エクスタイン(Alexander Eckstein)教授を外部から招聘したときも、また、1970年代半ばにドワイト・パーキンス(Dwight Perkins)教授が同センターの所長代理を務めていたころも、中国語を話せる経済学者は少なかったといわれる(Suleski, 2005)。このようにもともと経済学者は多くはなかったが、ディシプリンの影響もあってさらに減少しているというのが実情である。

そのため、中国経済研究の拠点としては、大学外のシンクタンクや国際機関の動向も追う必要がある(ボーゲル教授へのインタビュー、2014年11月6日;植木、2010;高橋ほか、2013)10。もちろん、シンクタンク等の研究は政策コミュニティの「需要」にテーマや資金規模が左右されるため、大学の研究とは目的や手法、継続性が大いに異なる。しかし、それ自体が米国の関心のバロメーターになり得る。また、米国の対中政策や対アジア政策を通じて、中国の制度変化に影響をあたえる可能性もあるため、研究動向を追う意味は大きい。中国研究に力を入れてきたのは、ワシントンD.C.のブルッキングス研究所(The Brookings Institution)やカーネギー国際平和基金(The Carnegie Endowment for International Peace)、ピーターソン国際経済研究所(The Peterson Institute for International Economics)等である。また、最近ではヘンリー・ポールソン(Henry Paulson)元財務長官がシカゴ大学(The University of Chicago)のなかにポールソン研究所(Paulson Institute)を設立し、中国研究に力を入れている。北京に中国オフィスも設けている。ポールソン氏はゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)社時代から中国事業の開拓等を通じて中国とのつながりが強かった。おもな研究テーマは気候変動および大気質、生態保護、投資、持続可能な都市化であり、いずれも中国にとって重要なトピックである(ボールソン研究所のウェブサイト[http://www.paulsoninstitute.org/]より、2014年11月9日閲覧)。

また、中国人研究者や中国系アメリカ人研究者の研究動向にも注意が必要である。中国から米国への留学生が急増したことで、米国で学位を取得し、米国の大学・研究機関に就職する研究者も多い。もちろん、中国人・中国系研究者だからといって中国研究を専門としているわけではないが、実証研究の際に中国のデータをあつかうことが多い。中国人・中国系研究者が増えることで、地域研究の拠点がない大学でも、各ディシプリンの学部に分散して専門家が在籍している可能性が高い。

4.今後の可能性

中国経済研究の立場から米国の地域研究を少しまとめてみた。しかし、中国研究が盛んな大学・シンクタンクは複数あるため、それらの研究者とも交流しながら米国における中国経済研究への理解をさらに深めていきたい。本レポートの最後に地域研究の可能性について少し考えてみたい。

まずは、日米間の地域研究の違いに基づいて、日米の地域研究者が交流を深めていくことができるだろう。私が東海岸にいるからというのもあるだろうが、米国の中国研究において経済研究、とくに企業・産業研究は少ない。日本でもディシプリンの影響が日増しに大きくなっているが、現状では日本の方が研究者の数が多い印象を受ける。また、テニュアをめぐる制度的要因から、米国において地域研究で活躍する経済学者が増加することは想像しにくい。日本の地域研究者がその不足を補うかたちで、米国の地域研究者と交流していく余地はあるのではないだろうか。もともと地域研究における経済研究が少ないため、学会のセッション等で適切な発表の場を見つけることは難しい。米国のアジア研究学会(Association for Asian Studies)でも経済学者の数は少ない。複数人でセッションを立てる等、何らかの工夫が必要になるだろう。

二つ目は、対象地域のあいだの違いに基づいて、ほかの地域の研究者と交流を深める必要もあるだろう。グローバル化の進展とともに、新興国発の多国籍企業(MNE)も多数誕生している。ある国の有力企業がほかの国に進出することを考えると、MNEの行動は当該国の制度や歴史、文化等の影響を多分に受けている可能性がある。また、有力MNEは国単位ではなく、中南米や中東、アフリカといった地域の単位でチャンピオンになった後にほかの地域に進出することも多い。そのため、地域レベルのMNEは、より広範な制度等の影響を受けている傾向がある。企業行動やその国際化を分析するためには、国や地域の特徴も理解しておく必要がある。これは一例にすぎないが、ほかの地域の研究者との共同研究は今後一層重要になってくるだろう。

最後に、地域研究とディシプリンのあいだに基づいた交流の重要性も考えてみたい。地域研究者がディシプリンの理論を分析フレームワークにする機会も多いが、ディシプリン側の研究が地域研究の成果を参照することも多い。たとえば、計量分析で占められるChina Economic Reviewの論文の筆者が、中国の制度とその変化を理解するために、地域研究誌China Quarterlyを引用することが多い(木村、2012)。しかし、両分野の研究者の交流がまだ十分ではないため、地域研究がディシプリンの発展に貢献できる可能性については追求の余地があるのではないだろうか。地域研究を通じた地域の固有性の発見が、既存理論に修正を迫ることで、普遍性や一般化を目指す理論研究そのものを豊かにしていく可能性はある。経済学ではモデル分析と実証分析がよい関係を保つことで、(異論もあるだろうが)より現実的な研究成果を生み出そうとするメカニズムを内部に持っている。ディシプリンと地域研究のあいだにもそのような関係を構築することはできないものだろうか? 地域研究は学際領域の研究であるため、一つのディシプリンが提供できない視点を補うことができる可能性が高い。もちろん「地域」だけが各ディシプリンをつなぐキーワードになるわけではない。しかし、多くの研究成果が場所の影響を受けているのだとすれば、それぞれの研究を相対化させ、より普遍性の高い理論を目指す上で、地域の固有性を明らかにしようとする地域研究はディシプリンとの補完性が高いはずである 11 。もちろん、対話の難しさを無視することはできない。研究方法を共有したり、相違点をあらかじめ理解しておかなければならないため、建設的な議論のためには準備が必要である。しかし、対話のベースさえ共有できれば、異質性が高いほど新しい発見が生まれる可能性は高いはずである。

資料収集に関する付録

私がボストンとその郊外で得た図書館・書店情報を以下に記す。本レポートの内容と直接には関係ないが、当地での研究活動の役に立つことができれば幸いである。

  • Boston Library Consortium: マサチューセッツ州、コネティカット州、ニューハンプシャー州の17の大学・研究機関の関係者であれば、図書館を相互に利用できる制度。ブランダイス大学やMIT、ボストン大学(Boston University)等が加入。青山学院大学や明治大学等で構成する山手線沿線私立大学図書館コンソーシアムに似た仕組み。ボストン公共図書館(Boston Public Library)やケンブリッジ公共図書館(Cambridge Public Library)といった優れた公共図書館もあるが、本コンソーシアムを利用すれば各大学の独自コレクションにもアクセスできるため、広範な分野の学術書を閲覧できるようになる。
  • Harvard College Library(HCL): ハーバード大学関係者ではなくても、条件を満たせばHCLの図書館を利用することが可能。HCLはハーバード大学全体の図書館システムの一部門で、複数の図書館で構成されている。中国研究であれば、ハーバード・イェンチン図書館と、Fung Libraryが有名。なお、ハーバード・ロー・スクール(Harvard Law School)やケネディ・スクール(Kennedy School of Government Library)等の図書館はHCLに含まれていないため利用できない(別途どのような条件を満たせば利用可能になるのかは未確認)。
  • 書店(おもに学術書): ハーバード・スクウェアのクープ(The Coop)やHarvard Book Store、ケンドールのクープやThe MIT Press Bookstore等が充実。クープは多くの大学書店と同様に、店舗運営がバーンズ・アンド・ノーブル・カレッジ(Barnes & Noble College)に委託されている。The MIT Press BookstoreはThe MIT Press以外が出版した本も書棚の半分ぐらいを占めており品揃えが良い。倉庫を開放しての在庫処分セールは非常ににぎわう(The Loading Dock Sale)。プルデンシャル・センターのバーンズ・アンド・ノーブルは、学術書こそ少ないものの、ボストン中心部でもっとも大きい書店 12 。ボーダーズ(Borders)が同規模の店舗をダウンタウンに出店していたが、2011年の倒産にともない閉店。ハーバード・スクウェアのOut of Town Newsは各種新聞・雑誌が非常に豊富で、場所柄、かためのオピニオン誌も充実しているニューススタンド。
  • 古書店(社会科学の取り扱いあり): ダウンタウンのBrattle Book ShopやCommonwealth Books(ダウンタウンに2店舗有する)、ハーバード・スクウェアのRaven Used Books、セントラル・スクウェアのRodney's Bookstore等が充実。
《参考文献》
  • 植木(川勝)千可子(2010)「対中政策、米中関係に関わるシンクタンク・研究所」、久保文明編『アメリカ政治を支えるもの:政治的インフラストラクチャーの研究』財団法人日本国際問題研究所。
  • 大原盛樹(2006a)「最近の米国における中国経済研究」、アジア経済研究所海外研究員レポート(2006年6月)。
  • 大原盛樹(2006b)「米国の学術界におけるキャリアパスと地域研究」、アジア経済研究所海外研究員レポート(2006年12月)。
  • 木村公一朗(2012)「コア・ジャーナルに見る中国経済研究」、『アジ研ワールド・トレンド』No. 198(2012年3月号):pp. 7–9。
  • 高橋五郎・鈴木規夫・李春利・唐燕霞・田中英式(2013)『日本の中国研究について: 米国の中国研究を参考に』独立行政法人科学技術振興機構中国総合研究センター。
  • 武内進一(2012)「地域研究とディシプリン:アフリカ研究の立場から」、『アジア経済』53(4):pp. 6–22。
  • 渡部恒雄(2010)「対日政策、日米関係に関わる財団・シンクタンク」、久保文明編『アメリカ政治を支えるもの:政治的インフラストラクチャーの研究』財団法人日本国際問題研究所。
  • Adams, Laura (2014) “The State of Area Studies: a survey of foreign language and area studies specialists in higher education,” downloaded at the website of the College of William & Mary (http://www.wm.edu/) on November 3, 2014.
  • Sachar, Abram (1995) Brandeis University: A Host at Last , Waltham: Brandeis University Press.
  • Suleski, Ronald (2005) The Fairbank Center for East Asian Research at Harvard University: a fifty year history, 1955-2005 , Cambridge (MA): The John K. Fairbank Center for East Asian Research, Harvard University.

脚注
  1. 本レポートの執筆にあたって、エズラ・ボーゲル名誉教授(ハーバード大学)およびゲーリー・ジェファーソン教授(ブランダイス大学)から米国における地域研究と中国経済研究の発展史をご教示いただいた。ここに記して深く感謝する。もちろん、すべての誤りは筆者に属する。
  2. 私は2014年8月下旬から1年間、ボストン郊外のブランダイス大学経済学部(Department of Economics, Brandeis University)で客員研究員をしている。戦後生まれの若い大学であるため、日本での知名度は高くないかもしれないが、米国内では高い教育・研究水準で有名である。フレデリック・ローレンス(Frederick Lawrence)学長がブランダイス大学の特徴を“global liberal arts university”と呼ぶように、同校は研究大学(research university)ではあるものの、教員との距離も近いためにリベラル・アーツ・カレッジ(liberal arts college)の雰囲気も備えている。出身者には政治哲学者のマイケル・ウォルツァー(Michael Walzer)教授(プリンストン高等研究所)やマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授(ハーバード大学)がいる。私が関心のある分野に限られるが、中国経済研究のゲーリー・ジェファーソン(Gary Jefferson)教授、国際経済学およびアジア経済研究のピーター・ペトリ(Peter Petri)教授、イノベーション研究のアダム・ジャッフェ(Adam Jaffe)教授が在籍している。専門職大学院のインターナショナル・ビジネス・スクール(Brandeis International Business School)やヘラー・スクール(Heller School for Social Policy and Management)は米国内でも評判が高い。ブランダイス大学の設立の経緯や発展の歴史については、Sachar (1995)に詳しい。
  3. ただし、フェアバンク・センターの名称はたびたび変わっている。1955~57年は中国経済・政治研究プログラム(Chinese Economic and Political Studies Program)、1957~61年は東アジア研究センター(Center for East Asian Studies)、1961~77年は日本語にすると同じになってしまうが英語ではEast Asian Research Center、1977~2007年はフェアバンク東アジア研究センター(Fairbank Center for East Asian Research)、2007年以降はフェアバンク中国研究センターである。
  4. 日本研究所は1985年、ライシャワー日本研究所に改称された。
  5. 一般的な日本語訳がないと思われる組織名等はそのまま表記した。
  6. ただし、日本研究所が独立する際、連携機能維持のため、Council on East Asian Studiesが設立されている。この機能と限界や、後述のCouncil on Asian Studiesとの異同も明らかにしなければならないが、それは今後の課題としたい。しかし、アジア・センター設立時、「同センターを単に『帰ってきた』Council on East Asian Studiesにすべきではないという合意があった」ことから(Suleski, 2005)、少なくともCouncil on East Asian Studiesにも何らかの課題があったようである。
  7. また、アジア・センターができたことで、アジア全体に関わる教育・研究のための寄付を募る際の協力体制も整備された(Suleski, 2005)。
  8. 表1では世代の境界が40代と60代で重なっている。この点をローラ・アダムズ(Laura Adams)博士(調査時の所属はハーバード大学)にうかがったところ、博士号取得年に基づいて世代を予想して分類したため、あえて世代の境界を重複させたとのことであった。したがって、何歳代なのかということを明確にできない問題があるが、全体としての傾向は把握できるのではないかと判断し、本レポートでも利用した。
  9. 研究者の採用プロセスなどについては大原(2006b)に詳しい。また、大原(2006a)は地域研究のなかの中国経済研究動向を詳しく解説している。
  10. 植木(2010)は対中政策を中心に、各シンクタンクの論調とその変化を明らかにしている。中国研究に力を入れているシンクタンクのリストを得たい場合は、植木(2010)を参照のこと。
  11. 地域研究の目指す方向が、地域の固有性を明らかにしようとする立場以外にも複数あることについては、武内(2012)を参照のこと。なお、武内(2012)は、地域研究コンソーシアムの発足や日本学術会議における地域研究委員会の新設等、近年の地域研究体制の発展にも言及しながら、日本の地域研究発展史も整理している。
  12. 日本では大型書店に行けばあらゆる分野の本を基本的に入手できるが、米国では書店ごとの使い分けが必要。ただし、学術書をあつかっている書店でも、テキストを除けば比較的発行部数の多い50ドル未満の本が多く、それ以上の価格帯の本はアマゾン(Amazon.com)等で購入する必要がある。日米の違いは、委託か買切かという販売制度の違いによる影響だろうか?