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海外研究員レポート

ルック・マレーシア:人と企業のグローバル化に学ぶ

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049870

2014年1月

1. ルック・イーストは遠く

勤勉さや政府と企業の協調を日本から学ぶべし、とマハティール首相(当時)が「ルック・イースト政策」を提唱したのは1981年のことであった。その後、マレーシア政府は日本に留学生を送って日本の勤労倫理や技術の習得に励むとともに、国民車プロトンに代表される重工業化プロジェクトを日本企業との合弁で開始した。

エズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の出版が1979年、1980年には自動車の国内生産が1000万台を突破して米国を逆転、1985年には世界半導体売上で日本企業がトップ10のうち半数を占めた。1988年の実質経済成長率はバブル景気で7.2%に達し、1989年の大納会で株価は38,957円44銭の史上最高値を記録した。1980年代は日本経済、日本企業の圧倒的な勢いが世界を驚かせた時代でもあった。

しかし、1990年初から株価は暴落、バブル経済は崩壊し、失われた10年はいつのまにか失われた20年に、日本経済の成長率は1〜2%が通常状態となって久しい。日本経済の低迷と共に、マハティール首相からは「日本、がんばれ」とエールを送られる状態が続いた。そんな中、マレーシア側も1997/98年のアジア通貨・金融危機の影響で経済成長が鈍化、2003年、マハティール首相が退任すると、日本側のマレーシアに対する関心も希薄になり、日馬関係は停滞期に突入した。

依然として日本の技術はマレーシアにとって有用で、2011年にはマレーシア日本国際工科院(MJIIT)1が開校2013年12月には両国首脳がルック・イースト政策2.0について合意するなど、政策の継続について、関係者の努力が続いている。一方で、マレーシアの一人当たり所得は2012年に1万ドルを超え、高所得国入りの時期も近づいている。日本経済の近年の低迷を考えると、もはや、マレーシアが日本から一方的に学ぶ時代は終わったように思われる。

それでは、日本はマレーシアから何を学ぶのか。最も重要なものを一つあげるとすれば、それは「グローバル化の流儀」であろう。マレーシアは多民族国家であり、マレー系、華人系、インド系の3つの主要民族が共存している。また、英国の旧植民地であるため広く英語が通じ、欧米人のビジネスマン、観光客が多い。一方で、イスラム教徒がマジョリティーを占めるため、同じくイスラム教徒が多い中東やアフリカからの訪問者も数多く見かける。マレーシアほど、あらゆる国籍の人が、自分が外国人であることをほとんど意識せずに暮らせる国は少ない。実際、マレーシアの長期滞在者用のビザ発給プログラムであるMalaysia My Second Home(MM2H)の2012年の国別発給数トップ5は、日本、中国、バングラデシュ、イラン、英国と、珍しいミックスになっている。

2. グローバル・マレーシア・シリーズ(Global Malaysia Series)

日本人は、マレーシアからグローバル化の流儀を学ぶべきである。ちょうどよいタイミングで、マレーシア政府はグローバル・マレーシア・シリーズ(GMS)と題した、マレーシア発のグローバル企業の経営者への連続インタビュー企画を実施した。これは、他のマレーシア企業がグローバル市場に進出するヒントを与えることを目的としたものであるが、日本人にとっても大いに示唆に富むものである。2013年3月15日から12月3日まで5回にわたって行われたインタビューはウェブサイトから自由に閲覧できる。2各回に登場した経営者(企業)は以下の通りである。

第1回: Tan Sri Dato' Lee Oi Hian(Kuala Lumpur Kepong)
クアラルンプール・クポン(Kuala Lumpur Kepong)はパームオイルやゴムのプランテーションを中心としたコングロマリットで、マレーシアとインドネシアを中心に事業展開している。パームオイル業界ではマレーシア企業はシンガポール・インドネシア企業とともに独占的地位を占めており、マレーシアの有力企業としてはFelda、Sime Dirby、IOI Corpなどがある。

第2回: Chen Tien Yue(Royal Selangor)、Rhoda Yap(BritishIndia)
ロイヤルスランゴール(Royal Selangor)はピューター製品で、ブリティッシュ・インディア(BritishIndia)はアパレルで海外展開しているマレーシア発祥のブランドである。海外展開しているマレーシア・ブランドとしてはバッグのBonia、靴のJimmy Chooなどがある。

第3回: Tan Sri Tony Fernandes(Air Asia)
エア・アジア(Air Asia)はアジアにおけるLCCの草分け的存在である。エアアジアは、タイ、インドネシア、フィリピン、インドに合弁会社を設立し、20カ国以上に路線を持っている。ちなみに、このインタビューで途中から登壇する、イドリス・ジャラ首相府相は長く国際石油企業シェル・グループで要職を務め、2005年から2009年までマレーシア航空のCEOとしてトニー・フェルナンデスと熾烈な競争関係にあった因縁がある。

第4回: Dato' Sri Nazir Razak(CIMB)
CIMBは、銀行を中心とした金融グループで、マレーシアの他、シンガポール、カンボジア、タイ、インドネシアで営業を行っている。マレーシアの銀行では、Malayan Bankingが同様にASEANで積極的な展開を行っている。ナジル・ラザク(Nazir Razak)はナジブ・ラザク現首相の実弟である。

第5回: Dato' Sri Jamaludin Ibrahim(Axiata)、Sigve Brekke(Telenor Asia)
アクシアタ(Axiata)はテレコム・マレーシアの国際部門で、インドネシア、スリランカ、バングラデシュ、カンボジア、インド、シンガポールでも携帯電話事業を運営している。テレノール・アジア(Telenor Asia)はノルウェーの企業で、マレーシア第3位の携帯電話会社、DiGi.comの親会社である。アジアでは、マレーシアの他、バングラデシュ、インド、パキスタン、タイに展開し、2013年7月にミャンマーでの携帯電話事業免許を取得して注目を集めた。

東南アジアの経済成長については、域外の多国籍企業に依存しており、最終的にはこうした依存が経済発展の上限を低くするとの考え方がある。実際に、自動車や電子・電機産業のような代表的輸出産業において、地場企業のプレゼンスは低い。しかし、製造業以外にも視点を広げるとき、東南アジアに有力な多国籍企業が存在しないというのは一面的な見方であることに気づく。一次産品関連やサービス業において、マレーシア発祥の多国籍企業が近年ASEAN地域を中心に積極的な展開を続けており、上記のインタビューはそうした業界の代表的企業をカバーしている。

3. マレーシアに学ぶグローバル化の流儀

GMSからは、グローバル化する世界で成功するエッセンスを学ぶことが出来る。個人としての好例は第3回のトニー・フェルナンデスであり、組織の例としては第5回のアクシアタとテレノール・アジアが参考になる。以下、この2回を中心に、ポイントを紹介する3

「深みに投げ込まれれば、泳ぐか、沈むかしかない」

GMS第3回に登場するトニー・フェルナンデスは1964年クアラルンプール生まれ。父親はゴア出身のインド国籍の医師、母親はマラッカ生まれ、ポルトガル系のルーツを持つマレーシア人で、タッパーウェアを売るビジネスを行っていた。トニーは5歳から12歳までクアラルンプール市内にある英国系学校Alice Smith Schoolに通い、12歳の時に英国の寄宿制学校Epsom Collegeへ留学する。その後、London School of Economicsで会計・財務の学位を取得、会計士としてバージン・グループで働き、1990年に帰国してワーナー・グループで音楽事業に関わり、2001年にエアアジアを起業した。トニー・フェルナンデスとエアアジアについては、2013年にNHKで放送されたアジア立志伝4でも取り上げられている。

インタビューに答えるトニーを見ると、すぐに、彼がなぜ国際的なビジネスで成功できたのかを理解することが出来る。トニーは考えをフランクに、ダイレクトに伝える。自信を持って明確に語り、人を笑わせる。こうした彼のキャラクターは、生来のものとも思われるが、インタビューを聞くと、それだけではないことが想像できる。

トニーは、12歳の時に単身イギリスの寄宿制学校に留学させられた際の経験について語る。寄宿制学校について、彼は「監獄のようだった」と述べている5。しかし、続いて「深みに投げ込まれることのメリットは、泳ぐか沈むかしかないことだ」「未知の状況に対して準備することはできない。単に、やるしかない」「海外に行くことのメリットは、身をもってダーウィニズムを学ぶこと。適者生存だ」と語っている。インド系マレーシア人少年がひとりで白人のティーンエイジャーの社会に突然放り込まれ、そこで生き抜いてきたことが、現在の彼の前向きなキャラクターを作り上げていると言える。

彼がインタビューの中で強調しているのは、挑戦することの重要さだ。「挑戦しなければ分からない」「マレーシア人は物事のネガティブな面を見て、100のやらない理由を探している」「常識への挑戦が重要。フライト中、『現在の高度は3万6000フィート、外気温はマイナス54度』という機内アナウンスを聞いた。操縦室のドアを叩いて『機外にでられないのに、何の意味がある?』と尋ねた」「率直さが非常に重要。会社に問題があれば、声を上げること。裏で愚痴を言っても進歩はない」

また、彼の挑戦には悲壮感がない。プレミアリーグの審判のスポンサーシップを巡って莫大な資金力を持つエミレーツ航空と競合したとき、彼はリーグの幹部の前で演説を打った。UAEとマレーシアについてのひどいジョークにはじまり6、彼はレッドカードにAirAsia.comとロゴ書き込むアイデアを披露する。「例えばルーニーが退場になったとき、レッドカードの写真は世界中に配信される」「さらに、裏面には次のメッセージを『あなたは出場停止になりました。エアアジアでよい休日を』」この演説が気に入られ、彼は3年間のスポンサー権を獲得した。

一方で、彼は非常に現実的だ。「自国市場で成功することが大前提。その上で、成功の法則を適用できそうなら外へ出て行くべき」「単に企業を拡大したわけではない。自分たちの原則は、供給者が少ない市場(under-served)に供給することだ」「(エアアジアの成功は夢か、計画か、と問われて)12年前には現在の成功を予測していなかった。単に、生き残って成長することだけを考えていた」「長すぎる計画を立ててはいけない。実行してみて、間違っていれば、躊躇なく変更することが大切」

トニー・フェルナンデスの個性は、マレーシア人の典型ではない。しかし、多くのマレーシア人が海外で教育を受ける中で、彼のようにグローバル化に対応した人材も数多く生まれてくる。GMSに登場する経営者の全員が、海外の大学・大学院の学位を持っており、2名を除いて全員が欧米系多国籍企業での職歴がある。こうした経営者にはナジル・ラザクに代表されるエリートも多いが、トニー・フェルナンデスはエリートには分類されないし、イドリス・ジャラ首相府相はサラワク州の少数民族クラビット族の出身である。 2010年の推計では、約30万人のマレーシア出身の高学歴者が海外で働いており、海外で教育を受けて多国籍企業で働く、ということは、マレーシア人にとって珍しい事ではない7。その最大の要因は、英語のリテラシーが高いことであり8、英連邦諸国間での専門職業資格の相互認証も海外での就職を容易にしている要因のひとつだろう。

「我が社を職歴(CV)のブランドにしたい」

アクシアタはテレコム・マレーシアのモバイル部門であり、マレーシアの政府系企業である。一方、テレノール・アジアはマレーシア第3位の通信会社Digi.comの最大株主で、ノルウェーの政府系企業である。GMS第5回では、この両社のトップである、ジャマルディン・イブラヒムとシグヴァ・ブレッキャ(Sigve Brekke)が質問に答えている。両社の考え方は非常に似ており、途中でジャマルディンが冗談で両社の合併を持ちかける場面がある。この両社からは、組織としてのグローバル化について、ヒントを得ることができる。

まず、他国へ投資する際の原則として、テレノール・アジアのブラッキャは1)長期的な視点でビジネスを行う事、2)合弁では経営権を握る事、3)顧客に寄り添う、4)社員が重要、を原則にすることを挙げている。特に途上国への投資では、ビジネスに波があるため、悪い時でも当初の目的を見失わずに経営を続ける事が重要であると述べている。また、その為には、経営権を握っていなければならない。さらに、顧客のニーズは国ごとに大きく異なるため、各国の経営陣に十分な裁量を与えなければならない。最後に、通信事業では製品は無形であり、企業文化が競争上の優位を形成する、としている。一方、アクシアタのジャマルディンは、1)合弁相手に良いパートナーを選ぶ、2)長期的な経営目標を共有する、3)正しい経営チームを形成する、と述べている。

両社ともインド市場に参入し、厳しい価格競争を勝ち抜いて現在に至っているが、ブレッキャは、インド市場はいまや「イノベーション・センター」になっている、と述べている。顧客単価が非常に低い市場で生き残る為には効率化が必要で、インドでのノウハウを他国に適用できる、とのこと。また、当初予測できなかったこととして、インドの人材を挙げている。インドには非常に優秀な人材が多く、グループへの人材供給拠点となっているという。この点は、アクシアタも同様である。

両社とも、人材育成には非常に力を入れている。ジャマルディンは、アクシアタを「職歴(CV)のブランド」にしたいと述べている。この発言は、長く「ジョブホッピング」に悩まされている日系企業からすれば驚くべき発言であろう。アクシアタでは2015年迄に100人の将来の幹部候補を育てるなどの人材育成の目標を持っているという。各国各部署での垂直的な昇進をやめ、水平、または「斜め」の人事異動を頻繁に行って経験をつませているという。各国のマネージメントチームについては、7:2:1のルールがあるという。当該国のローカル人材が7割、他国のアクシアタ・グループの人材が2割、のこり1割は、社外、世界から最適な人材をスカウトする。

一方、ノルウェー人のトップが多いのでは?と問われたブレッキャは、アジア6カ国のCEOの国籍は多様であると述べ、CEOにオフィスがなく、組織がフラットな点はスカンジナビアスタイルだが、内部昇進も多く、アジアスタイルとのハイブリッドだと述べている。また、人材を見るとき重要なのはスキルではなく「攻撃者の気質(attackers mind set)」であるとしている。この点は、GMS第3回のトニー・フェルナンデスも「社員の資質は、5-10分話せば分かる。知識ではなく、情熱(passion)が重要」と述べており、興味深い。知識は研修で身につくが、情熱はそうではない、というのである。

アクシアタ、テレノール・アジアの両社、さらにはGMS第3回のエアアジア、第4回のCIMBにも共通しているのは、各国会社の自律性を重視している点である。トニー・フェルナンデスは「33歳の優秀なCEOに任せているので、インドには行かない」「マレーシアのエアアジアはアイリーン(Aireen Omar)に任せたので、自分はジャカルタに移った。自分が近くにいると、彼女はいつまでも単なるメッセンジャーになる」と述べている。また、CIMBのナジル・ラザクは買収した各国企業のマネージメントについて、「マレーシア人経営者をパラシュートで各国に送り込むのは危険。各国で正しい人材を集めるのが重要」と述べている。

4.ルック・マレーシア

マハティール元首相が開始したルック・イースト政策から30年が経過し、両国の関係もすでにマレーシアが日本から一方的に学ぶというステージは通過している。日本とマレーシアはお互いに正反対ともいえるような特徴を持った国であり、相互に学ぶ点が数多くある。マレーシアが日本から労働倫理や技術を学ぶとすれば、日本は、今こそ、毎年たくさんの日本人学生をマレーシアに留学させ、グローバル化の流儀を学ぶべきである9。トニー・フェルナンデスは「マレーシアは多民族国家で、エアアジアにはあらゆる種類の人々がいる。インド、インドネシア、中国の中でも各地方にルーツがある社員が行くことで関係が深まる」と述べ、ナジルも「ASEAN内でマレーシア企業が成功しているのは、間違いなく多民族性のためだ。我々は、異なる文化・民族が共存する事に慣れているので非常にラッキーだ」と述べている。

グローバル化が進む21世紀を生きる上で日本人に決定的に欠けているのは、世界は多様であるという認識と、それを受け入れる寛容さである。英語を軸としながらも、多民族・多言語の環境に身を置くことで、日本では常識になりすぎて意識できなかった日本文化の独自性を自覚し、日本人の美点・欠点を再確認することができるだろう。マレーシアで学ぶことで、イスラムへの理解は深まるし、東アジアの3大国である中国、インド、インドネシアの文化や言語に一度に接することが出来る。また、そうした異なる文化や宗教を背景とした人々が、お互いを尊重しながら生活していること、一方で、深いところにある民族間の緊張への対応など、グローバル化した社会の中で生きる流儀を学ぶことができる。

もうひとつ、日本人は、マレーシアの「ティダ・アパ・アパ=問題ない」マインドの洗礼を受けるべきである。21世紀に入って日本はますます世知辛くなっている。コンプライアンスの名の下に、何が本質で、何が些末なことかを見失っている。日本では、大小問わず問題を起こさないことが極度に重視され、失敗を防ぐことに過剰とも言える努力が投入されている。一方、マレーシアにおいては、ティダ・アパ・アパ・マインドが深く浸透し、大抵のことは「問題ない」ことになる。しかし、実際、問題はある10。問題はあるが、些末な問題については、それを防ぐ努力よりも、起こってから対応する方が安上がりであることが実に多い。日本人のゼロ・ディフェクト思想と対極の思想に接することで、何が本質的な問題で、何が問題ではないのかを再考する良い機会になるだろう。

脚注


  1. http://mjiit.utm.my
  2. http://www.bfm.my/globalmalaysiaseries/index.html
  3. 本文中の各経営者の発言については、筆者による抄訳であり、正確な発言内容については、各インタビューを参照のこと。
  4. http://www.nhk.or.jp/asianleaders/2013a/20130704.html
  5. 一方で、トニー・フェルナンデスは2014年に開校するEpsom Collegeマレーシア校の理事長を務める。
  6. GMS第3回Part1、23分40秒頃から。ちなみに、fixing=八百長を仕切る、bookies=胴元。
  7. Malaysia Economic Monitor Apr, 2011, World Bankを参照
    http://documents.worldbank.org/curated/en/2011/04/14134061/malaysia-economic-monitor-brain-drain)。
  8. マレーシアの英語教育は、マレー語教育とどちらを重視するかという点で方針が二転三転してきた。1970年から順次教育言語が英語からマレー語に切り替えられたため、若い世代ほど英語力が低下しており、問題視されている。
  9. 日本がマレーシアに学ぶ"Look West"政策の必要性を、堀江正彦前駐マレーシア日本大使がNew Straits Timesに寄稿している
    http://www.nst.com.my/opinion/columnist/new-horizon-in-look-east-policy-1.220815)。
  10. 端的な例としては、道路信号のような重要な設備が頻繁に故障し、しばらく放置される。それでも、混乱と共に車は流れていく。