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海外研究員レポート

『何を選択するのか』と韓国経済性格論争

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049901

2012年7月

はじめに

韓国では財閥の拡大に対する批判の声が高まり、年末の大統領選挙でも財閥政策が大きな争点のひとつとなりそうな雲行きである。そうしたなかで一冊のベストセラーが契機となって、「論争」とも称されるような活発な議論が巻き起こっている。本報告ではこの本の内容及びこれに対する批判を紹介するとともに、論争が意味するものは何かを考えてみたい。

『何を選択するのか』

『何を選択するのか-チャンハジュン・チョンスンイル・イジョンテの快刀乱麻韓国経済』(ブッキ、2012年)はタイトルにある3人による対談集である。このなかでチャンハジュン(張夏準、Ha-Joon Chang)はケンブリッジ大の教授で、『はしごを外せ-蹴落とされる発展途上国』『世界経済を破綻させる23の嘘』(いずれも邦訳題名)などの著作があり、グローバリズム及び新自由主義に対して厳しい批判の論陣を張っていることで世界的に知られる。保守-進歩というイデオロギーの指向性がはっきりしている韓国論壇にあって、本書の著者たちは明らかに進歩系に属している。しかし本書での批判の矛先は保守系論者や現在の保守系政権よりも、むしろ進歩系の主流派論客、及び進歩色が強かった金大中政権と廬武鉉政権に向けられている。

著者たちによれば、1997年の通貨危機後の財閥改革について、一部の進歩系経済学者が主導した改革は「株主民主主義」的発想に基づくものだった。しかし、実際におこなわれた政策は少数株主保護や経営の透明性の向上など、新自由主義の下で「株主資本主義」に利するものであった。その結果、韓国経済は一部の主要銀行が外資に買収されるとともに株式市場でも外国人投資家が跋扈するなど、国内金融・資本市場は世界金融資本の支配下におかれてしまった。企業が株主配当を重視した経営をおこなうようになった結果、GDPに占める固定資本形成の比率は下がり、2000年代以降、韓国の経済成長率は低下してしまった。

著者たちが理想としているのは北欧型の福祉国家である。しかし韓国は急速な経済成長を遂げたとはいえ、北欧その他先進国と比べると経済水準はまだ十分に高いとは言えない。韓国は更なる経済成長を目指す必要があるが、そのためにはバイオや航空宇宙、新素材など新産業への積極的な投資が不可欠である。投資の担い手となるのは豊富な資金と事業経験を持つ財閥のほかにはない。しかし先進国企業と互角に競争するためには財閥の力のみでは不十分であり、政府による積極的な産業政策が求められる。1960-70年代の朴正煕時代の開発モデルが現在も有効であると著者たちは主張する。

さらに著者たちが提唱するのが社会と財閥による「経営権と福祉の交換」である。進歩系主流派が主張するような財閥改革を徹底した場合、財閥は系列企業の多くを分離させるしかないが、その場合、これら分離された系列企業は金融資本主義の下では結局、外国資本に買収されるてしまうだろう。それならばむしろ財閥のオーナー家族に系列企業の経営権を防御する法的装置を認めて、その代わりに福祉国家を実現するために成長分野への設備投資及びR&D投資、これを通じた正規雇用の創出、福祉のための資本所得や累進的所得税などに財閥の積極的な協力を求めた方がよいと著者たちは論じている。

進歩系主流派からの反論

著者たちの主張に対して、キムギウォン、イビョンチョン、キムサンジョなど進歩系主流派の論者たちからは批判の声が上がっている。批判の第一のポイントは、新自由主義及びそれと財閥の関係に対する評価である。著者たちはグローバルな金融資本が韓国の金融・資本市場を支配し、ひいては韓国企業を掌握していると主張している。しかし進歩系主流派の論者たちは、1980年代末以降、ポスト開発体制に移行するなかで財閥こそが韓国内において新自由主義を推進してきた主体であって、それによって財閥は現在まで拡大を続けてきたとする。また、通貨危機以降の投資比率の低下については建設投資の下落によるところが大きく、また1990年代はむしろそれ以前に比べて過剰投資であったのであって、株主資本主義によって設備投資が低調になったとするは誤りであるとしている。

第二は政府の役割に対する過大な期待である。著者たちはさらなる経済成長のために政府による産業政策は必要であるとするが、進歩系主流派は産業政策の効果には懐疑的であり、むしろ朴正煕時代のような政府と財閥の癒着関係が復活することになると批判している。さらに自由化がかなり進展したとはいえ、「官治」という言葉に代表されるように韓国経済・社会には依然として官僚の影響力が残存しているとして、進歩系主流派はその影響力が再び強くなることを警戒している。

第三は財閥改革への曖昧かつ消極的な態度である。著者たちは「やみくもに財閥を叩けばよいのではなく利用せよ」として経営権の保護まで持ち出しながら、同時にオーナー家族内での経営継承を問題視している。しかしオーナー家族の経営権と家族内での継承問題は本来不可分のはずであり、具体的にどのように解決していくかについて著者たちは明確な答えを示していない。現在、進歩系主流派経済学者が最も問題視している財閥への経済力集中についても、著者たちは中小企業の保護・育成の必要性に触れるのみで十分な関心を払っていない。

こうしてみると著者たちと進歩系主流派の主張の違いは、市場に対する異なった見方を反映していることがわかる。著者たちはグローバリズムの中での市場の暴力を目の当たりにして市場の機能自体に懐疑的であり、政府が市場の問題に積極的に介入して所得の再分配や産業政策による成長促進などを図ることを求めている。これに対して進歩系主流派はむしろ政府介入や財閥への経済集中による市場の歪みを問題視し、その是正を通じて公正な市場秩序が創出されることを期待している。

両者の議論はインターネットサイト『プレシアン』などを通じて活発に繰り広げられ、一部では「韓国経済性格論争」とも称されている。これで想起されるのは1980年代に活発に議論された「韓国資本主義性格論争」である。このときは当時の韓国資本主義において対外従属=新植民地主義を問題視するか、政府-財閥の国家資本主義を問題視するかが大きな対立軸であった。今回の論争においても、国際金融資本の韓国への浸透と財閥中心の国内構造のどちらを問題視するかが争点になっており、その意味で20年以上前の議論の焼き直しとも言える。

財閥に対するアンビバレントな感情

しかし本書は進歩系内の狭い論争を超えて、広い読者を獲得している。その理由としては以下の二つの点が考えられる。第一は新自由主義に対する不安感の拡散である。海外投資家の資金引き上げによってIMFに緊急融資を要請するに至った1997年の通貨危機は国難として国民の心に深く刻まれている。通貨危機によって一層の対外自由化を迫られた韓国は、対外資金の流出入により脆弱になってしまった。その結果、2008年のリーマンショック時には通貨危機一歩手前まで追い込まれ、昨年夏のギリシャ危機の際にも通貨ウォンの大幅下落を経験することになった。その後も世界経済は不安定な状態が続いているなかで、いつまた経済危機が韓国に波及するかもしれないという不安感を多くの韓国国民は抱えている。

第二には、財閥に対する国民のアンビバレントな感情である。財閥のプレゼンスがあまりに大きくなり社会的格差も深刻さを増すなかで、財閥に対する批判の声は日増しに高まっている。しかし同時に、世界市場を席巻するサムスン電子や現代自動車に対して国民の多くが誇らしさを感じており、韓国経済がこれら輸出企業に支えられている現実も理解している。そうしたなかで本書が主張する、単に財閥を叩くのではなく利用しようという提案は多くの読者にとって受け入れやすい主張であったと考えられる。

財閥に対する関心が高まるなかで、財閥政策に関する論争は進歩系のなかだけでなく保守系のなかでも活発におこなわれるようになっている。年末の大統領選挙への立候補を目指す朴槿惠議員の側近及び与党議員のなかでも、自由な企業活動を最大限尊重する現政権の路線を維持するべきとする主張と、財閥の野放図な拡大を制限する措置を強化するべきとする主張が存在している。大統領選挙が近づくにつれて、財閥をめぐる議論はますます激しさを増しそうである。