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海外研究員レポート

頻発するガス爆発事故

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049948

2010年9月

はじめに

金融危機のインパクトが大きかったせいだろうか、2004年から 2008年にかけて世界中で原油価格が高騰したあの一件は、もうすっかり昔のことのような気がする。日本ではガソリン価格が大きく値上がりし、大騒ぎとなっていた。あれから2年の年月が流れたが、インドネシアではあの原油価格高騰の余波により、今年8月上旬までに45人も死亡している(2010年8月17日号『Tempo』)、と言ったら奇異に思われることだろう。

死亡者の直接の原因は、調理用プロパンガス(LPG)が漏れたことによるガス爆発・火災である。今年に入ってしばしば新聞紙上をにぎわし、テレビでは応急処置を受ける人々の姿が生々しく報道されるなど、センセーショナルに伝えられている。今年8月までの過去3年間の事件を調査した公共政策研究センター(Puskepsi)は、ガス漏れによる爆発事件は 2008年の61件、2009年の50件に対して、今年は8月までに106件と桁違いに多い(2010年8月10日付『The Jakarta Post』)。

今回は、原油価格高騰をきっかけとして実施された政策が、さまざまな要因の積み重なりにより、不幸にも多くの死傷者を出すに至った経緯を報告する。この報告をまとめるにあたって最も報告者の注意を引いたのは、国内価格差が事故の一因となっているという点である。

プロパンガスの普及

日本で生活用に一般に利用されているガスは、都市ガスとプロパンガスである。都市ガスとは、インドネシアやマレーシア、オーストラリアなどから輸入した液化天然ガス(LNG)を気化した天然ガスが主成分であるガスを指しており、一方、プロパンガスは、ブタン、プロパンを主な成分としたガスのことである。前者は空気より軽く、後者は逆に空気より重い。両方とも無臭であるため、ガス漏れに気づくよう、チオールやメルカプタン等といった臭いがまぜられている。

インドネシアにおいて、調理用として政府が普及につとめているのはプロパンガスである。既に触れたように、そのきっかけとなったのが先の国際的な原油価格の高騰であり、それ以前には灯油や薪が主に使われていた。

原油価格の高騰は産油国であるはずのインドネシア政府にとっても頭が痛い問題であった。すでにインドネシアは石油製品の純輸入国になっていたためである。その背景には投資不足による生産減や消費の増加がある。消費が伸びたのは、所得の上昇(中間層の増加)や、灯油やガソリンといった燃料の価格が補助金により低く抑えられていたためである。この補助金政策により、原油価格の高騰は財政を大きく圧迫することになった。

しかし、補助金削減、すなわち燃料価格の値上げは、インドネシア政府にとっては鬼門であった。通貨危機発生後の1998年5月、IMFとの合意に基づいて燃料価格ならびに電気・公共交通料金の引き上げ発表したところ、それを契機に大規模な暴動まで発生し、スハルト政権は退陣を余儀なくされた。その記憶はまだ生々しく残っており、歴代政権は燃料価格の大幅な引き上げ実施にはなかなか踏み切れなかった。

とはいえ、2000年には1バレル30ドル程度であった原油価格が、2005年には60ドル近辺に、そして2008年には140ドルを超えるに至り、ユドヨノ政権は2005年3月・10月、さらに選挙を翌年に控えた2008年5月の計3回に渡って燃料価格の値上げを断行し、その手腕を高く評価する声が特に海外からあがった。現在のインドネシア経済に対する高い評価は、政府の経済政策運営への高い信頼があるが、こうした国民にとって不人気な政策を実施した点への評価も含まれているだろう。

一方で政府は、灯油については補助金の削減に加えて、より補助金の負担が少ないプロパンガスへの利用を一般家庭に促すべく、転換政策にもとりかかった。市場価格は、それぞれ灯油は1リットル7,500ルピア、プロパンガスは1キログラム7,700ルピア前後であるが、同じ調理に必要な熱量は、プロパンガス0.5キログラムが灯油1リットル分に相当するとされる(2010年8月17日号『Tempo』)。つまり、市場価格で比較した場合には、プロパンガスでは同じ調理時間に対して半額程度のコストですむことになり、家計にとっても転換政策にはメリットのあることが分かる。

2008年7月には原油価格は1バレル140ドルにまで達したが、この最悪のケースでは、年間1000万キロリットルと言われる灯油の総消費量に対して、補助金60兆ルピアが必要となる計算であった。これは、灯油向け補助金だけで予算の6%相当を占めてしまうことを意味する。これをプロパンガスにシフトさせることにより、500万キログラムのプロパンガスの消費であれば、補助金は12兆ルピアにまで減少させられる、と政府は見込んでいた(2010年7月13日号『Tempo』)。

2007年、政府は3キロリットル入りガスボンベ、コンロ、そしてホースのパッケージを無料配布することにし、国営石油ガス会社プルタミナにこの転換事業を実施させ、2009年末時点で同社は4249万セットを配布し終えた(2009年12月23日付『The Jakarta Post』)。インドネシアの総世帯数は2010年で約5900万世帯とされる。1セットが1世帯に対応するとみるならば、2009年末にはすでに7割の世帯に調理用ガス器具一式がいきわたっていたことになる。バンテン、ジャカルタ、西ジャワ、ジョグジャカルタ、南スマトラの各州では完全に灯油からプロパンガスへの変換が完了しており、2010年半ばにはさらに940万世帯にパッケージを配布する予定であること、そしてこれまでの事業推進により、2010年だけで燃料補助金を10.4兆ルピアも節約できる、と誇らしげにプルタミナが語っていたのが昨年末のことであった。

ガス漏れ事故の原因

こうしてインドネシアでは広くプロパンガスが行き渡ったのであるが、先にみたように、今年に入って各地でガス漏れによる事故が多発しており、政府・プルタミナにも当然のごとく批判の矛先が向かっている。

なぜこのように事故が頻発しているのだろうか。政策の手順という大きな枠組みにそもそも問題があった可能性が指摘されているが、それとは別に、直接的な事故の原因としては、人々の知識不足、不良品の流通、国内価格差の存在が挙げられている。

まず、政策の手順についてであるが、プルタミナのカレン社長は、部品やガス供給の流通経路が確立するまではパイロット・プロジェクトにとどめ、それから全国展開すべきだったと述べている。ブラジルでは20年かけて徐々に転換していったとされるのに対し、インドネシアではわずか4年足らずで全国展開してしまった(2010年8月17日号『Tempo』)。この発言は、政策の実施・監督機関でしかないプルタミナに事故の最終的な責任はなく、実際に転換政策を立案した当時の政府に責任がある、ということを意図しているのかもしれない。この指摘に関しては、政策立案時の副大統領ユスフ・カラはTempo誌のインタビューに応えて、1年間の試行期間を経て全国展開をしたのであって、拙速な政策ではなかった、と反論している(2010年8月17日号『Tempo』)。ただし、その試行期間中に流通経路にまで考慮が及んでいたのかについては、言及がみられないため不明である。

次に、人々の知識不足についてであるが、それまでにガスを身近に利用したことがなかったため、ガス漏れの怖さを知らずに、不用意な行動をとっているケースが指摘される。例えば、ホースの穴もビニールテープで処置をすませて、そのまま利用しているケースもあると聞く。これに関連して、先のカレン社長が、社会学者を転換政策に加えるべきであった、と指摘している点は面白い。プロパンガスへの転換事業は、単なる調理器具の変化なのではなく、生活習慣(文化)を変化させることでもあるからだと言う。具体的には、換気するという習慣がないために、それがガス漏れ時の被害を大きくしている、ということを意識しての発言のようである。

第三に、不良品の存在がある。ガス爆発は、ボンベの不良によるのではなく、ホースとコンロ、調節装置などの間からのガス漏れが原因とされる。市場で販売されているホースなどを消費者保護庁が調べたところ、多くの欠陥商品が確認され(2010年7月7日付『The Jakarta Post』)、また、国家規格(SIN)ラベルの偽造もみつかっている(2010年7月6日付『The Jakarta Post』)。こうした不良品もガス爆発の一因となっている可能性が高い。

最後に、価格差であるが、プロパンガスにも補助金付きと正規料金との価格差が存在する。このことから容易に想像がつくように、その価格差を狙って利益を出そうとする(裁定取引)誘因が業者側に働く。

ガス漏れ事故に関する警察の発表によれば、興味深いことに補助金付き3キロ入りボンベよりも正規料金の12キロボンベがより頻繁に爆発事件を起こしている。警察が把握している今年7月までに発生した40件の爆発事故のうち、25件が12キロボンベ(を使用しているケース)によるもの、とのことであった。7月半ば時点で、プルタミナの販売するプロパンガスの価格は、12キロ入りボンベではキロ当たり5,850ルピア、3キロ入りボンベではキロ当たり4,250ルピアであった。そのため、補助金付きガスを正規料金で販売して利益を出そうとして、3キロボンベから12キロボンベに移し替える業者が多数存在すること、その際に12キロボンベの調節装置や弁が破損し、ガス漏れが起きる可能性があることが指摘されている(2010年7月13日付『The Jakarta Post』紙、2010年8月17 日号『Tempo』)。

価格差がある限り不正行為の誘因は存在し続けるため、今後はキロあたりの価格を一定にし、低所得者層にはガス・クーポンを配布するといった政策を導入することが必要であろう。クーポン案は実際に検討しているとの記事(2010年8月10日付『The Jakarta Post』)を目にしたが、これから政府はどうするのか、実際に12キロ入りボンベを使っている当事者として、大変気になるところである。

おわりに

事故を受けて200人を対象に4、5月に実施されたバリでの調査によれば、80%がプロパンの使用を中止し、灯油・薪を利用したコンロに戻しているとのことであるが(2010年7月5日付『The Jakarta Post』)、全国的に人々がどのような行動をとっているのかはよく分からない。

最近の原油価格(WTI原油先物価格)の動向をみると、1バレル80米ドル付近を推移している。これは名目水準では2006年の時点と同程度に原油価格は高まっていることになる(厳密には、近年のドル安ルピア高を考慮して比較しなければならないが)。過去のように補助金によって財政が圧迫されることは政府としても絶対に避けたいであろう。再び原油価格が上昇し始める前に、灯油をはじめとして、全般的に燃料補助金は少しずつ削減していき、最終的には燃料補助金制度そのものをなくさなければならない。そのためにも家庭用燃料のプロパンガスへの転換政策はもう後戻りできない政策である。

しかしここにきて心配なのが、政府が、本来ならば補助の対象外である12キロボンベの価格の引き上げすら控えていることである。今年6月の時点で、市場価格1キログラム 7,680ルピアに対し、12キロボンベ用のガスは同4,900ルピアで販売されていたため、結局は補助金付きのガスを販売しているのと変わらない(2010年6月8日付『The Jakarta Post』)。これでは何のためにプロパンガスへの転換政策を実施してきたのか分からない。できる限り早い段階で、補助対象外のボンベについては市場価格と一致させることが必要であろう。

報告者宅に設置されている12キロ入りガスボンベの写真。

報告者宅に設置されている12キロ入りガスボンベの写真。

今回のように事故が多発したことは極めて不幸なことであるが、これを教訓として、インドネシア政府には今後の政策立案・実施にぜひこの経験を生かしてもらうことを願ってやまない。そして、いまひとりひとりにできるのは、不正に注入されたガスボンベや市場に出回っている不良品が一日も早く地上から一掃されるよう、適切な政策が実施されることを強く要望しつつ、できる範囲で自衛策をとるぐらいだろう。早速、我が家でもガスボンベをチェックしてみたところ、ホースが老朽化して端が割れてきているのを発見。すぐに取り替えねばなるまい。

以上