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海外研究員レポート

出稼ぎ労働者家庭の就学問題と政府の本音――市民と出稼ぎの間――

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049960

2009年12月

12月5~7日に開催された経済工作会議では、2010年の経済政策の6つの柱の1つとして、経済の構造調整を加速することを挙げた。そのための3つの具体策として、住民の消費拡大、新興産業の発展による産業調整と共に、都市化の推進が挙げられた。これは、農民工の都市戸籍取得を促す点で注目されている。会議では、積極的かつ着実に都市化を進めることが指示され、具体的には土地やインフラのコストが低い中小都市を対象に都市化を強化することとされた。

中国の都市化率は1949年の約10%から、現在では45%に上昇している。これは日本の高度経済成長期のただ中であった1960年代前半に匹敵する。ただし、中国の都市化が日本の当時と異なる点は、中国の都市化率が示す45%の「都市」人口には2億2542万人1といわれる農民工を含んでいることである。農民工とは、農家に生まれ農村戸籍を持つものの、非農業の就業に従事する者のことをいう。2億2542万人のうち、地元の郷鎮で非農業就業をする農民工が8501万人、残る1億4041万人が出身地の郷鎮を離れて外地で就業している。経済工作会議で言及された農民工の都市戸籍取得とは、出身地を離れて外地で就業し、しかし出先での戸籍の取得を制度的に阻まれている農民工に、中小都市に限っては戸籍取得を促進していこうとする政策である。

中国では、公共サービスの多くが戸籍を元に提供される。現在では、子女の就学、社会保険制度への参加、廉価住宅の取得の3つは依然として、戸籍取得者を対象にそれぞれの地方政府によって実施されている。なお、最近の話題としては北京市では新型インフルエンザのワクチン接種を11月16日から、全市民を対象に希望者に対し無償で実施した。なお、「市民」とは、北京市の戸籍を持つ全ての公民であり、北京に500万人以上いる外地戸籍者はその範疇にはない。このことは公平性を欠くとしてネット上で批判され、これに対し政府は、新型インフルエンザの拡大情勢とワクチンの備蓄状況によっては外地出身者にもワクチン接種を開放するつもりだとの声明を出している2

農民工の都市での就業は、1980年代の戸籍制度緩和以来、年々長期化している。戸籍のある出身地を離れ、就業先の都市や工業地域で長年就業しているにもかかわらず、現住地の戸籍を持たないために社会保障に加入できず、政府が提供する廉価住宅を購入することができない。また、子供の就学に大きな問題を抱えている。一般的には、農民工の多くが都市の社会保険には加入せず、雇用企業の宿舎か地元住民が貸し出す賃貸住宅に居住している。子供が生まれ、学齢に達すると(様々な困難を乗り越えて運良く)在住地の公立校へ行かせるか、それができない場合在住地の民営の学校へ行かせる、または故郷の親元や親戚の家に残して就学させるかという問題に直面する。

農民工が直面する制度的な障壁について、論理的には2つの解決策が存在する。1つは公共サービスの戸籍とのリンクを廃止する方向。つまり、日本のように、その都市の戸籍を持たなくても居住実態に基づいて、その都市で教育、社会保障などの公共サービスを受けられるようにするやり方である。もう1つは、戸籍制度自体を改革し、公共サービスは引き続き戸籍制度を下に提供する方法である。このうち、経済工作会議で提唱されたのは、後者の方法であり、それも中小都市に限定された改革、さらにいえば実際にそれぞれの都市が何を基準に、どのような条件の農民工に戸籍取得を認めていくかについては各都市の実情に合わせて、現実的な措置を採ることが求められることになるはずである。明らかなように、この方法では改革の恩恵を受ける農民工は大都市を除く中小都市の、さらに政府の提示する条件を満たすごく一部の農民工ということになる。

前述の戸籍制度を下に提供される公共サービスのうち、子供の就学問題は最も切迫した問題だと考えられている3。なぜなら、教育は農民工の第二世代の一生を大きく左右する事柄であり、下手をすれば貧困の再生産やさらには犯罪者の増加にもつながりかねない深刻な社会問題だからである。なお、都市滞在が長期化するにつれ、就業や生活環境の安定と関わらず、就業先で出産した子供が学齢に達する家庭は増え続けている。このため、出稼ぎ家庭の子供の就学問題への対処は1990年代から教育問題として顕在化していた。

中央政府による政策の上では、中国においても義務教育は公民が平等に受けるべきことが憲法で規定されている。しかし、農民工の労働移動の実態に対し、その子供の就学に関する政府の対応は大きく遅れをとっていた。1986年以降の20年余りの間に政府が示した対策は、空白から戸籍所在地責任へ、そして流入地責任へと変遷している。

第1の段階は1986年に公布された「義務教育法」で、学齢児童生徒の戸籍地政府が学校を設置し、近距離で就学できるようにする責任を指摘したものの、この法律中では戸籍地を離れた出稼ぎ家庭の子供の存在は考慮されていなかった。空白の時代である。

第2の段階は1992年に「義務教育法実施細則」が公布された際に、「学齢児童生徒のうち、非戸籍所在地で義務教育を受けるものは、戸籍所在地の県レベル教育主幹部門または郷鎮人民政府の批准を経て、居住地人民政府の関係規定に沿って借読 4を申請できる」として、初めて戸籍地を離れた学齢児童生徒の問題を認識している。ただし、その措置は不十分なもので、戸籍地を離れた学齢児童生徒に対し、煩雑な手続きを求めた上、これらの子供への義務教育実施主体を明示しなかった。

第3の段階は1998年の「流動児童生徒就学臨時規定」(流動児童少年就学暫行弁法)が出た時に始まる。この規定では、流動児童生徒の義務教育機会を提供するために、現居住地である流入地政府の責任を初めて言及した。さらに、流動児童少年の就学は流入地の全日制公立小中学校での借読を主とすることが強調された。この原則は後の「2つの中心」政策に引き継がれる。

流入地政府の責任をさらに明言したのは、2001年の国務院「基礎教育の改革と発展に関する決定」である。ここでは、「流動人口子女の義務教育問題の解決にあたり、流入地の区政府が中心的に管理すること、全日制の公立学校を中心に受け入れること」の「2つの中心」と呼ばれる原則が明示された。この方針は、のちの2003年「国務院の農村教育工作をさらに強化することに関する決定」、「都市に入って就業する出稼ぎ農民子女の義務教育工作をさらに徹底することに関する決定」にも受け継がれ、2003年決定では流入地政府の財政部門はこのための財政措置を行うことが指示された。この考えは2006年に新しく改定された「義務教育法」で、流入地政府が戸籍を持たない児童生徒にも平等な義務教育機会を提供することとして条文化された。これにより、流入地政府は戸籍を持たない児童生徒にも地元戸籍の子供と同様の教育を、同様の条件で提供する法律的な責任を負ったことになる。

しかし問題は、第1に中央政府は義務教育の実施責任を流入地政府に任せたものの、それにかかる教育経費の補填が行われていないこと。第2に、人口流入地の省内でも、各区の間での財政再分配が行われていないことだと思われる5。そのため、人口流入の多い地区の負担が大きくなっている。

農民工が多く流入する上海市では、1990年代半ばに農民工流出地の教員などが始めた民営の小中学校(「民工子弟学校」、「打工学校」等と呼ばれる)が現れた。現在では、出稼ぎ家庭の子供の教育問題に最もよく取り組んでいる地方自治体だと思われる。以下では、12月4日に広州で開催された「中国都市民工子女義務教育及び財政保障国際シンポジウム」における上海市教育委員会基礎教育処の焦氏の報告である。上海市教育委員会基礎教育処によれば、上海の農民工子女のうち、無償の義務教育を受けている児童生徒の比率は2009年に92.7%、そのうち公立校就学者が67%、民営の民工子弟学校への政府の学費補填による無料就学者が25%である。中央政府が指示する、「2つの中心」政策を上海市は順調に遂行していると見られる。

その上海市での問題点として、以下の4点がある。(1)人口の分布が不均衡なこと。都市郊外の農村との境界部は農民工、都市中心部から新しいマンションなどに入居して転入した人々、地元農民の3種類の人々が集中し、もともと地元住民の人数を下に設置された公立校では学齢児童生徒を収容しきれない。こうした人口集中地域への財政移転が必要だが、目下行われていない。(2)入学機会の不平等。目下の戸籍制度を基礎とする義務教育入学制度は、地元戸籍を持つ児童生徒には無試験無条件での入学が可能であるのに対し、非地元戸籍の児童生徒は都市によって異なる手続きと書類の提出を求められる。(3)民営学校における無償教育の実施が難しいこと。これについて、現在は区県レベル政府による財政移転が行われているが、中央・省レベル政府の財政再分配が求められる。(4)民営学校の質を如何に保障するかは依然難しい。

上海市は、財政が豊かな上に産業発展のために労働力を必要としている地域といえる。そのため、中央から付与された流入地政府としての義務教育責任の遂行の他に、出稼ぎ家庭の子供の義務教育就学環境を整えることに地域としての経済的、社会的インセンティブを持っているようである。しかし、それでも限られた教育資源を誰に分配するかをめぐり、当面は一定の参入障壁を設けざるを得ないという6。そこで、(1)法律を遵守し、差別のないように、(2)入学条件の簡便化、(3)公平性の確保という原則の下に2008年9月より入学条件について新しい試みをしている。農民工子女が公立校で義務教育を受けるためには、(1)親の農民身分の証明、(2)親の上海市居住証または就業証明のどちらかの提出を求め、他の煩雑な手続きを省略した。親の就業証明は入学の前月末までの2年以内に12カ月以上の総合保険7に保険金を納入した記録があることを根拠とする。この方法は戸籍を基礎とする入学制度の限界を克服し、居住証制度と総合保険制度を基礎に農民工子女の入学制度を制定するという新しい試みである。これは公立校への入学条件を簡素化し、制約を減らし、より多くの農民工子女が公立校へ入学できるようになっているという。この制度が推進できるのは、上海市の近年の外来人工居住証制度と総合保険制度が整備されたことにあるとのことである8

この報告に対し、会場の出席者、とりわけ広東省、広州市などの政府教育部門の担当者からは、上海ではそのような農民工家庭に有利な措置を採って、「窪地効果」が起きないかという懸念の声が上がった。「窪地効果」とは、他の地域の農民工子女の就学環境が整備されない中、上海が入学条件を緩和することで、子供の教育を目的に上海に殺到する農民工家庭が現れる現象を指している。それに対する報告者の回答は、農民工が上海に来るのは仕事を求めてであり、上海もまた彼らの労働力を必要としている。農民工は就業がなければ上海にいられないのであって、教育条件をよくしたことによる流入人口の急増という目立った現象は起きていないというものであった。

農民工が都市で直面する制度的制約の話しに立ち戻って考えてみると、上海市の試みは子供の就学問題について、戸籍とのリンクを廃止し、より多くの農民工子女に公立校への門戸を開くものである。上海市は超大型都市であり、今回の経済工作会議で提起された中小都市の範疇にない。上海のような大都市では、当面の間戸籍制度の大規模な改革が行われるとは考えられない中、すでに上海で生活している農民工子女の義務教育就学は切迫した問題であり、就学と戸籍とのリンクを外して実行しようとする上海市の試みは現実的なものと評価できる。ただし、そこには居住証または就業証明といった上海市への経済的貢献を確認する手続きが明らかに存在しており、教育機会の保障という側面からは十分な対応とはいえないのも事実である。

地方出身の一部の精鋭を完全な住民として受け入れるか。または全員に必要な公共サービスを提供していくか。前者は戸籍制度改革による農民工の都市戸籍取得を、後者は上海の公共サービス改革の事例を指す。当面はこの両方が並行して進むことになるだろうが、両者がカバーできない範囲は広く、引き続き多くの出稼ぎ家庭が公共サービスにアクセスできないことになることが懸念される。

以上


脚注

  1. 国家統計局ウェブサイト(http://www.stats.gov.cn/index.htm)。
  2. 「北京市将考慮推進在京外来人口接種甲型流感疫苗」、中華人民共和国中央人民政府ウェブページ(http://www.gov.cn/)。
  3. 「放寛戸籍制度、教育可否優先?」『新京報』2009年12月10日記事。
  4. 借読とは、本来義務教育を受けるはずの学校以外で就学すること。各地により、それぞれ煩雑な手続きと料金徴収が行われた。
  5. 葛新斌(2009)「“両個為主”政策中的政府投入責任探析」、『中国城市民工子女義務教育及財政保障国際研討会論文集』(2009年12月4日同シンポジウム配布資料)。
  6. 焦小峰(2009)「我国農民工子女義務教育面臨的問題及政策建議」、『中国城市民工子女義務教育及財政保障国際研討会論文集』(2009年12月4日同シンポジウム配布資料)。
  7. 総合保険とは、上海市が実施している農民工向けの社会保険制度。
  8. 焦小峰(2009)「我国農民工子女義務教育面臨的問題及政策建議」、『中国城市民工子女義務教育及財政保障国際研討会論文集』(2009年12月4日同シンポジウム配布資料)。