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海外研究員レポート

モーニングアフター・ピルのコマーシャル

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049964

2009年10月

インドには両極端がある、というのが常日頃感じることだが、セクシュアリティに関するイシューも例外ではない。『カーマスートラ』やカジュラーホーの寺院群の様に性を謳歌する文化的な遺物が存在する一方、学校での性教育導入など、公的な空間で性を扱うことには根強い抵抗がある。インドの一大娯楽である映画でも、最近はキスシーンのある映画もちらほら増えてきたが、まだそれが話題になる位の少なさである。他方、大都市の大学生辺りの振る舞いを見ていると、男女間(必ずしも恋人ではなく)でのスキンシップは普通に日本よりも濃いような気もする(そもそも家族間、同性間のスキンシップは日本よりもずっと多い)。そんな感想を持ちつつ生活しているデリーで、避妊関連商品のコマーシャルを見た時は少し驚いた。

日本では避妊関連商品のコマーシャルをテレビで見ることはなぜかないが、海外にはいろいろなテレビ広告があるらしい1 。インドに来て間もない頃、テレビで明るく「コンドーム、コンドーム」と連呼するコマーシャルがしばしば流れるので、家族計画やエイズなどの予防意識を広めるためなのだろうとあまり気にもせず眺めていた。日本でも流れたニュースによれば、携帯着信音を「コンドーム」とするキャンペーンのおかげで、コンドームの売り上げが大幅にのびたとか2。しかし家族計画と一見関係なさそうな、セクシーな若い男女が知り合いベッドインする時にはコンドームを(この宣伝には台詞がない)といったコマーシャルもある。

そんなある日、こんなコマーシャルを見た。インドの良き伝統を感じさせるミドルクラスの家庭の朝のテーブルで、にこやかな初老の両親とそわそわと落ち着かない娘。朝食もそこそこに家を飛び出た彼女は友達に抱きかかえられるようにしてタクシーの中で泣いている。タクシーが到着したのは(中絶を行う)目立たない町の小さな診療所の前。友人が声をかけても彼女は足がすくんで中に入ろうとしないというシーンを映した後、「72時間以内に一粒飲んだら望まない妊娠を阻止できる、さもなければ中絶という事態におちいる、中絶より妊娠を阻止するほうが良いでしょう?」とたたみかける緊急避妊薬(モーニングアフター・ピル)“i-pill”の宣伝が流れる3。同様な製品、その名も“unwanted-72”の宣伝は、若い夫婦の部屋、朝起きた妻が浮かない顔をして、「昨夜避妊しなかった。まだ今は妊娠したくない」と夫に訴える。その後このピルの宣伝をみた妻はすぐに購入、ピルを飲んだ後は一転晴れやかに「これで私達は心配から解放された(tension-free)」と語るというものだ。

こうした緊急避妊薬は2001年からインドで製造が始まり、以前は医者の処方を必要としていたのだが、望まない妊娠と危険な中絶手術を減らすことを目的に、2005年から処方箋なしに薬局のカウンターで買えるようになった。年に人工中絶が1100万件、2万人の女性が中絶手術で命を落とすという事態を考えれば、これは大きな朗報といえる4。とりわけ女性にとって、中絶という感情的にも肉体的にもより難しいプロセスに比べて、自分の身体をコントロールできる余地が広がることになった。

IndiaToday, Feb 23, 2009掲載広告 India Today, Feb 23, 2009掲載広告

ところが上記のコマーシャルに対する批判の声も少なくない。政策の変更は4年前だが、テレビの宣伝が増えたのは今年になってからのことらしい。最近になって、多くの批判が寄せられていることを背景に、政府の薬事管理局(Drug Controller General of India)は上記のコマーシャルを行っている製薬会社2社に対し当局の懸念を伝えたという。第1に緊急避妊薬は、通常の避妊薬ではないということを明確に伝えていないこと、第2にtension-freeというコマーシャルの表現は誤りであるとの理由を挙げている。婦人科医の専門的見地からは、この薬を月に何度も服用すると生理のサイクルが狂い、様々な異常が出てくる可能性もあるため、あくまで緊急的措置にとどめるよう勧告している。また72時間の猶予といっても、時間の経過とともに効果は低下するため、適切な知識がないまま使用することはやはり危険なのである。若い女性による緊急避妊薬の頻繁な服用は、急速に増えているとも伝えられる。

何よりも、このコマーシャルによって、安全でないセックスが、特に若者の間で増えることを憂慮する声は強い。あるサーベイによれば、全国10の大都市および小都市に住む若い未婚女性回答者2400人のうち、4人に1人に性交渉の経験があるが、最初のセックスで避妊したのは16%に過ぎず、また17%は好奇心からセックスの経験をもったという5。この統計の正確さについてはわからないが、仮に現実を反映するものとすると、避妊方法も含め、適切な性教育の必要性がなによりもまず求められるということは確かであろう。上記の調査では、41%の回答者が、セックスや避妊に関する情報源はメディアのみと答えている。またマハーラーシュトラ州に住む7570人の若者に対して行われた別の調査では、何らかの性教育を受けたと答えたのは男性の13%、女性の26%にとどまっており、最初のセックスでも女性が妊娠しうる事を知っていたのは5人中2人だけだった6。このサーベイでは、都市に比べて、性教育へのアクセスがより限られている農村部のほうが、男女とも婚前交渉の経験がある割合が高いと報告している7。回答者の9割からは、性の健康に関してより多くの情報を求める意見が出されており、しかも親や医師よりも教師からそうした情報を伝えてほしいと望む声が高かったという。

ところが学校における性教育への導入に対する抵抗は、今なお非常に強い。2005年中央政府の人的資源開発省の学校教育・識字局は、エイズ対策を主眼として、全国エイズ統制機構(NACO)、国連児童基金(UNICEF)、国連人口基金(UNFPA)等との連携に基づき、中等教育機関における9年生から12年生を対象とする思春期教育プログラム(AEP)の導入を決定した。各州はそれぞれの文化、社会経済的状況の必要性に応じて修正することが出来るとされている。実態としては、タミル・ナードゥ州のように1987年から保健教育プログラムと称して関連した教育が実践されており、教材のうち問題ありとみなされていた箇所を削除して2007年にAEPを開始した州もあれば、州政府がAEPを導入しようとしたところ性教育を禁止した州議会の反対により中止されたマハーラーシュトラ州のような例もある。グジャラート州、ラージャスターン州政府はAEPに反対の立場を表明し、またウッタル・プラデーシュ州では教材に問題ありとみなされてAEP実施が停止された8

しかし2007年に出された性教育導入に対する異議申し立てを受けて、2009年3月に公表された上院委員会(委員長はインド人民党のM. Venkaiah Naidu議員)の報告書は、「思春期教育プログラムとは、学生に性教育を施し乱交を奨励しようという本来の目的を巧妙に隠した婉曲語句に他ならない」という厳しい表現でAEPの教材を却下し、学校教育における性教育撤廃を提言した。報告書はさらに「インドの社会、文化的エートスには性教育の余地は一切ない。食欲、恐怖、強欲、性欲といった基本的人間の本能は教えられるものではない。むしろそれらをコントロールすることが教育の主題でなければならないのにかかわらず、現在の教育制度は本能を刺激することにつながっている。」と述べ、家族制度の維持を初めとする道徳価値に関する教育を強化するよう求めている。年齢に応じて必要な教育は、科学的保健教育、道徳、人格・能力形成教育、環境・社会的意識化教育のなかで施すべきというのが委員会のアプローチである9。この委員会報告に対しては強い反論も出されているが、最終的には中央政府の意思決定を待つことになる。「成人と同じくらい多様な子どものニーズが、文化の名の下で無視されることがないことを望む」というある記事の見解に私も同意する10

なお、先述した通り性教育が棚上げされたウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウの公園には、コンドームの自動販売機が設置されたそうだ11


脚注

  1. ウェブで探していたら、日本の大手メーカー、相模ゴム工業の0.02mmという世界最薄のコンドームのコンテンツサイトが2009年カンヌ国際広告賞の金賞に輝いたというニュースがあった。『Love Distance――僕らは、10億mm離れていた。――』と題する広告は遠距離恋愛する男女が東京と福岡から、12月24日に出会うまで10億mm(1000km)の距離を走りぬけ、二人の距離は0mmになるのだが、「それでも、愛に距離(0.02mm)を」と呼びかけるものだ。http://www.lovedistance.jp/で視聴可能。このCMは2008年12月31日にテレビでも放映されたらしい。
  2. http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2539229/3527540
  3. “i-pill”の宣伝は次のサイトで見ることができる。http://www.ipillcipla.com/resources.htm
  4. The Times of India, Sep. 9, 2005.
  5. The Hindustan Times, Aug. 2, 2009. ちなみに日本では2005年、18~19歳の未婚女性の31.8%、20~24歳の54.2%が性交渉の経験を持っていた。男性は各31.5%、57.5%(国立社会保障・人口問題研究所「結婚と出産に関する全国調査(独身者調査)」)。
  6. The Hindu, Mar. 1, 2009.
  7. 婚前交渉の経験がある若者の割合は、都市部が男性11%、女性2%なのに対して、農村部では男性21%、女性4%と2倍だった。
  8. Rajya Sabha Committee on Petitions, Hundred and Thirty-fifth Report on Petition praying for national debate and evolving consensus on the implementation of the policy for introduction of sex education in the Schools and holding back its introduction until then, 2009.
  9. Rajya Sabha Committee on Petitions, Hundred and Thirty-fifth Report on Petition praying for national debate and evolving consensus on the implementation of the policy for introduction of sex education in the Schools and holding back its introduction until then, 2009.
  10. T.K. Rajalakshmi, 'Shades of Saffron', Frontline, Vol.26, Issue 11, May 23-June 5, 2009.
  11. India Today, May 25, 2009