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海外研究員レポート

最近の紛争情勢について(コロンボ)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049976

2008年12月

ここ数カ月の政府軍とLTTEの戦闘の焦点は、LTTEの拠点であるキリノッチである。2007年3月にLTTEから東部を奪還した政府は、北部ジャングルに位置しLTTE支配の拠点と目されるキリノッチに迫っている。

テレビのニュースは連日、キリノッチ周辺の町を政府軍が陥落したことを報道し、キリノッチを手中にすることが目前であることのように伝えている。11月下旬に、西部沿岸の最北端プーネリンを政府軍が15年ぶりに奪還した際は、テレビ特番が組まれ政府軍の勇姿が伝えられた。町はポスターで溢れた(写真)。現政権は、LTTEに対して話し合いによる解決の機会を提示しているが、LTTEが武器を放棄しない限り政府側も攻撃を辞めることはないとしている。キリノッチまで数キロの地点まで軍が到達している現在、政府軍が攻撃の手をゆるめることはなさそうだ。

写真1

世論も政府の方針を支持(注:出所:LMD Magazine 2008December、p35、市場調査会社、TNSランカの調査)している。政府が軍事的解決、すなわち軍事力によるLTTEの制圧を追求していることに75%が賛成している。10月28日にLTTEがコロンボ近郊にあるケラニティッサ発電所を空爆したことが、コロンボに住む人々にとっても記憶に新しい。追い詰められたLTTEが都市型テロを行う脅威があると十分理解しての上での回答と理解できる。そして57%が戦争は2009年末までには終結するだろうと期待している。戦後についても53%が平和が保たれると予測している。世論調査の結果で、何よりも政府を後押しするのは、91%の人々が「LTTEはタミル人の利益を代表していない」と考えているという事実である。現大統領もこの点を明確に打ち出している。つまりLTTEと一般のタミル人を峻別し、テロリストであるLTTEに対しては断固たる姿勢で臨み、一般のタミル人に対しては人道的・民主的に対処するというものである。具体的には、東部においてLTTEを制圧したすぐ後の2008年5月に14年ぶりに選挙(地方選挙)を行ったことを前面に出して、現政権が民族問題に対して民主的解決に取り組んでいることをアピールしている。

このように政府の方針は強固であり、世論の支持も得ている。一方、11月27日に行われたLTTE首領のプラバカランによる毎年恒例の演説でもこれまでの強気な発言は影を潜め、停戦と平和的解決を求めた。では、このまま政府軍が攻撃を続ければキリノッチ陥落すなわちLTTEの敗退は目前なのだろうか。政府にとっていくつか不安な要因がある。第一は天候である。現在までも決して進行は容易ではなかった。戦闘地帯では雨が降り、ぬかるむ中を進むしかなかった。テントを張ることもできない戦場で雨の中休息しなければならない兵士らの疲弊も激しかった。これからもしばらくは雨が続く季節である。

次に危惧されるのはインドの介入である。正確にはタミル・ナードゥ(TN)州における政治運動である。TN州主席大臣カルナニディ(DMK)およびヴァイコ(MDMK)らは、スリランカにおいてタミル人の同胞が、北部の戦闘の激化にしたがって非人道的な扱いを受けていると主張して、即時停戦を求めているのである。始まりは10月2日にインド共産党が、スリランカへの軍事支援反対を訴えて組織したハンガーストライキだった。これまでTN州では領海侵犯する双方漁師たちの扱いがしばしば問題になってはいたが、タミル人の人権問題についてはヴァイコなどが述べる程度であった。ところが、共産党のハンストにはヴァイコだけでなくカルナニディ州首相が率いるDMKが加わり全政党的な大規模な動きとなった。カルナニディは、5日シン首相に電報を発し、スリランカの軍事行動を直ちにやめさせるよう要求した。インド中央政府は即応しナラナヤン国家安全保障顧問が10月6日に在インド・大使次席を呼びつけ、インドの深い遺憾を通告した。外交上、異例の手続きであった。

確かに、北部の状況は厳しい。9月初めに政府は北部キリノッチで活動する国際機関やNGOに対して戦闘の激化を理由に撤退するよう求めた。これにより、いわゆるLTTE支配地域に居住するタミル人らは外部との接触の機会が全くなくなってしまった。北部では、空軍がしばしば爆撃を仕掛けており、民間人が犠牲になっており、国内難民も数十万人いるとされる。また、北部以外に居住するタミル人についても、政府は過去5年の間に新たに住民となった北部出身のタミル人に、再登録を求めた。この政策に関しては、北部から移住してきた一般のタミル人に対して政府の悪意を感じる。2007年にも政府は、300人のタミル人をコロンボから強制送還し、最高裁判所からも違憲判断がなされている。

インドからの要請にスリランカは、インドにおける国内政治(選挙がらみ)の状況を鑑みて、内政干渉であるなどと反発することなく静観していた。しかし、TN州における状況は全く収まらないどころか激化していった。10月14日には全政党集会が開催され、スリランカにおける停戦要求、スリランカ・タミル人国内難民への救援物資供給、インド人漁師らに対する攻撃の停止など6項目の要求が提示され、特に停戦に関しては、2週間以内の実現を求め、実現されない場合はDMK国会議員の辞任をちらつかせた。DMKは上院に16議席、下院に4議席をもち、連立政権の一端を担っている。これらの辞任をちらつかせて、中央政府にスリランカへの介入を迫ったのである。デモの規模も拡大し、映画俳優や芸術家らも動員されていた。スリランカ国内的には、予算審議などが始まり、無用な政府批判を沈静化したいこともあり、インド側の動きを無視できなくなってきた。

スリランカ側は、マヒンダ・ラージャパクセ大統領の弟で大統領顧問のバシル・ラージャパクセが10月末デリーを訪問、インド外相と会談し、スリランカ政府がタミル人の福祉にいかに配慮しているかを説明した。その際、インドはスリランカに1700トンの救援物資を送ることになった。しかし、TN州の勢いは止まらなかった。ムンバイのホテル襲撃事件直後にもカルナニディらはデリーを訪れ、シン首相と会談し、改めてスリランカにおける即時停戦にむけて介入するよう求めた。

インド中央政府の動きは、国内政治がらみの苦しい選択であったろう。なぜならばインドはインド平和維持軍(IPKF)のスリランカ派遣の失敗(1987~1990年)、ラディーブ元首相暗殺(1991年5月)以降、スリランカの民族問題に関しては一貫して距離を置く姿勢を保ってきたからである。

今回のインドの、介入に近い要請に関して、スリランカ側はヒステリックになることなく比較的冷静に対処した(軍上層部の発言がインドで物議を醸しはしたが)。TN側の動きがあくまで国内政治を反映したものであり、同胞タミル人保護という感情を利用した煽動であることは明らかである。インド中央政府もスリランカもそれを理解しつつやり過ごす方針だろう。

しかし、TN州の批判を意味のないものとして単に受け流すのはスリランカ政府にとって危険である。すでに述べたように、コロンボ在住の多くの人々は、LTTEと一般のタミル人の間には深い溝があると考えている。それは、一時期は正しかった。多くの一般タミル人は、LTTEの過酷な支配から逃れたがっていた。LTTEは支配地域において課税し、学生らを強制的に徴兵し続けていた。しかし、国際機関が撤退させられ、政府軍の空爆が繰り返される状況では、たとえ彼らがLTTEによって人間の盾として政府軍との緩衝材に使われていると自覚していたとしても、反政府感情が生まれることは想像に難くない。LTTEが弱体化し、それに対する政府軍の攻撃が強まるときこのような感情は繰り返し生じてきた。スリランカ政府としてはキリノッチに一気に攻め込みたいところではあろうが、今後の和平などを考慮しつつ、北部タミル人支援・保護を平行して行うべきだろう。