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海外研究員レポート

ミャンマー人移民労働者の権利回復なるか――サムットプラカーン労働裁判所判決の意義――

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049977

2008年10月

前回報告したラノンにおけるミャンマー人移民労働者窒息死事件にかんして、過去の凄惨な事件のひとつとして、2006年にサムットプラカーンでトローリー漁業に従事する労働者39人(うちミャンマー人30人)が死亡した事件に言及した。今回の報告では、当該事件にかんして、歴史的と報道された労働裁判所判決が下されたことについて報告する。

9月17日サムットサコーン労働裁判所は、トローリー船操業者は犠牲になった38人の移民労働者の遺族に対し 490万バーツ(およそ1,600万円相当)の賠償をするよう命じた。人権侵害に対する賠償を移民労働者の漁船乗組員が受ける最初のケースである。

本事件の事実関係は、人権委員会(NHRC:National Human Rights Commission)が生存者61人から聴取した証言によれば、以下の通りである。2003年にPraphasnaveeという家族経営会社の操業による6隻のトローリー船団が100人の船員を乗せてサムットプラカーン県のマハチャイ(Mahachai)からインドネシア領海域に漁に出た。100人の殆どはミャンマー人移民であり偽造したタイ人名の身分証明書を持たされていた。乗組員は 45日間のローテーションと聞かされていたが、現実は35カ月間一度も接岸上陸することなく、一日に3時間程度の睡眠で海上での長時間労働を強いられた。当初の2年間は毎月食料および水の供給が行われたがそれが途切れ、操業者がインドネシア領海における漁業ライセンスの更新手続に手間取っていた3カ月間、水や食料の補給もなく船上に放置された。その結果栄養失調から衰弱死者が続出した。遺体をタイへ持ち帰ることを危惧した船長の判断により、2体がインドネシア領海の島に埋められ、残りは鎖をつけて海に遺棄された。生存者たちがようやく2006年7月にマハチャイに戻ると労働対価として3,000バーツが支払われただけであった。生存者のひとりは「30年海に出て仕事をしてきたがこんなひどいことは前代未聞だ。」と証言した。

被害者たちは、雇用者たちに対して賃金の支払いを求め、さらに関係当局にトローリー船操業者に対し何らかの措置をとるよう要請したが、関係当局は動かなかった。2006年7月上旬被害者がサムットサコーンにある NGO である Labour Rights Promotion Network(LPN)に惨状を訴え、同 NPO がタイ弁護士会(The Lawyers Council of Thailand)に働きかけたことにより、同会が法的手続をとるべく動き出し、ようやく人権委員会による調査が開始された。本調査により、トローリー漁船における乗組員に対する人権侵 害が明らかになった。弁護士会の支援を受け、2007年3月26日17人のタイ人乗組員および45人のミャンマー人生存者および死亡者の遺族が15百万バーツの賠償を求めてトローリー船操業者らに対し提訴したのであった。

本件の訴えが行われた当初、金と権力によって腐敗した役人を後ろ盾にするトローラ ー操業者に対し、原告らの勝ち目はないと思われていた(10月3日日付バンコクポスト紙社説)。当局はタイ法は国際海域には適用されないとして海上での死亡事故を捜査 することを拒み、警察も雇用者による移民労働者の虚偽の登録について捜査することを 拒んだという。原告のうちタイ人は示談に応じ、操業者への訴えを取り下げた。弁護士 会、人権団体からの粘り強い支援によりミャンマー人原告らはこの判決を勝ち取ること ができた。原告側弁護人によれば、犠牲者の家族から必要な文書などを収集するのが困 難を極めたという。死亡したミャンマー人の幾人については身分を証明する文書がなく、補償を求める家族がその法的根拠を呈示できなかった。ようやく勝ち取った17日の判 決は、原告に対しひとりあたり5万から8万バーツの支払いを命じた。判決の賠償金額は十分とはいえないまでも、本判決は、労働者は、非合法であろうと、最低賃金を受け る権利があるということ、そして労働者の法的地位にかかわらず、雇用者は彼らを不当 に扱うことはできないということであると同社説で述べられている。

本判決が示すように労働者の権利は法制度上存在しても、現実は移民労働者が有すべき権利を行使するのは困難を極める。現行入管法では、就労期間が終了すれば直ちに移民労働者は送還される。これは、労働者を虐待した雇用者を不問に付したまま、労働搾取された移民労働者が法的にも金銭的にも救済を受ける機会を奪ってしまう。こういった現状の改善として、本事件を調査した人権委員会は、政府に対して次のような勧告を行っている。第1に、漁業に従事する外国人労働者に労働許可を与えること。労働許可がなければ、自らの地位を示す法的文書を有しないゆえに訴え出ることのできない移民労働者を雇用者は搾取し続ける。第2に、漁業において20人未満の労働者である場合 は本省令下の保護が適用されないという、1998年(仏暦2541年)労働省省令第10項を廃止すること。これは労働者保護の抜け穴となっており、政府はタイ領海内外の乗組員を保護する措置を講じるべきである。第3に、漁船操業者の登録制度を改善し、被雇用者にかんするデータベースを維持すること。第4に、政府は事業の性質に適合する法律や規則の改正をすること。たとえば、現行法では労働許可は最長1年間しか与えられないがその期間をより長くすること。漁船所有者は明確で正確な記録を保管しなければならによう規定すること。出入港する漁船にかんする明確な文書が保管されること。第5に、乗組員が就労による疾病、事故などの場合、乗組員およびその家族を保護する措置を講じること。家族が容易に法制度を利用できるよう措置を講じること。第6に、漁業にかんする労働から生じるトラブルを処理するために、政府関係機関、漁業労働者および民間セクター(漁船所有者など)の代表から成る特別委員会を設置すること。本委員会は、時間がかかるあまりかえって労働者の正義の実現を妨げているような訴訟となる 以前に、当事者間の交渉を促進し支援すること。第7に、政府は1977年(仏暦2522年) 移民法を移民労働者の保護について明確なガイドラインを示すよう改正すること。さらに「すべての移住労働者及びその家族構成員の権利保護にかんする国連条約(1990年)」 (以下「移住労働者の権利条約」)を批准するために必要な様々な措置を勧告している。本条約は、正規の在留資格をもたないなどの非正規移民労働者の権利保護、とりわけ搾取などの劣悪な状況からの保護を規定した条約である。資格外労働者の権利および合法化措置の検討、就労にかんする権利の保障、在留および送還、身体の拘束にかんする配慮、情報へのアクセスと提供義務、社会参加の促進、文化的独自性の尊重、移民労働者の権利の実質的保障などが規定されている。

人権委員会の勧告は法的拘束力をもたないため、勧告は勧告のままでとどまっている。漁業における労働者にかんする労働法関連省令については、本判決数日後にインタビュ ーした労働省労働保護・厚生局担当官によればすでに改正の作業を開始しているとのこ とである。具体的にどのような改正になりそれが労働者の権利向上に資することになる のか今後の検証が必要である。

さらにタイにおいては、労働者に対して労働者としての権利保護が与えられていないばかりか、移民の基本的人権の制限が地方自治レベルで課されている。本事件判決が出されたサムットサコーン、ラノン、プーケット、パンナおよびスラータニーでは、携帯電話およびモーターバイクの使用が禁止され、集会も禁止され文化的宗教的祭事さえもできない。先に引用したバンコクポスト同社説は、これらの規則や法律は、ミャンマーを邪悪なものとして描いてきたタイの行き過ぎた愛国主義的歴史認識の結果によるタイ社会のミャンマーに対する不信からきていると指摘する。この不信が、ミャンマーにおける貧困と圧政から逃れてきた少数民族を、ミャンマー軍政の圧政およびタイ人投資家による搾取の犠牲者ではなく、国家安全保障に対する脅威および潜在的犯罪者とみなしている。この差別が続く限り、タイにおける移民労働者に対する虐待や搾取は終わらないだろうと指摘している。

折しも10月20日にリリースされたばかりの IOM(International Organization for Migration:国際移住機関)による、東アジアおよび東南アジア16カ国における移民問題について書かれた報告書は、アジア各国政府は、移民を政治家にとって都合のいいスケープゴート(安全保障や犯罪など様々な問題の要因を移民に転嫁する)ではなく、アジア地域における必要な労働力であると認識すべきであると訴えている。同地域において少なくとも200万人のミャンマーからの非正規移民を抱えるタイ政府の責務は大きい。本報告に報告した労働裁判所判決がタイ政府の移民労働政策に一石を投じることになるのか、その後具体的にどのような政策、法改正が行われていくのか引き続き注視したい。しかし、10月初旬に起こった米国を発端とする金融危機は、タイ国内の産業に打撃を与えている。たとえば縫製業などが集積するターク県の工場では欧米の輸出先からの注文が途絶え、数千人規模の労働者がすでに解雇されているという。もちろんその中 に多くの外国人労働者が含まれている。経済の不況時においてまず解雇されるのは移民労働者である。現在タイ政府と反政府勢力の対立が混迷を極める非常に不安定な政治状況に加え、経済悪化の状況は、移民労働者の権利保護には逆風となっていくであろう。人権侵害を受けたミャンマー人移民労働者が権利回復を勝ち取った本判決であったが、敗訴した被告は控訴をしている。移民労働者の権利の実現はいまだ遠い。