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海外研究員レポート

米国の不法移民滞在合法化法案:移民の国のジレンマ

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050051

2006年5月

この3カ月、米国内で大きな政治問題になっているのが、現在連邦議会で審議中の不法移民滞在合法化・および取り締まり強化法案をめぐる議論である。4月10日には、「移民たちがかつてないほどの規模で結集している(ニューヨーク タイムズ)」と報じられるほどの示威行進が全米各地で繰り広げられ、メーデー の5月1日にも、再び全米規模の大きな運動となっている。

とりわけメーデーのデモは、過去2カ月間ラティーノ(あるいはヒスパニック:ラテンアメリカからの移民とその子孫)が中心になって繰り広げられてきた街頭運動と異なり、他のマイノリティーを含む、「公民権運動を思わせる広がりを持つ」ものとなったとニューヨークタイムズ紙は伝えている。移民の権利を守る立場から、またおそらくはラテンアメリカに信者が多いためもあろうが、米国のカトリック教会もこの運動を後押しする。ボストンの大司教は、ワシントン、D.C.など他の大都市のカトリック聖職者と共に、4月10日の集会の中心となっ た。5月1日には「移民のいない日(The Day without Immigrants)」を見せつけるため、ロスアンジェルスやニューヨークなどの大都市では、この日すべての移民労働者 が仕事を休むよう呼びかけられ、全員が怠業するという事態は実現しなかったものの、いくつかの事業所では実際にそのために休業せざるを得なくなったようで ある。

ボストンでも、ラティーノ系の生徒は学校を休み、市内の示威行進に参加したと伝えられた。ただしボストン・グローブ紙は、アジア系はこの動きに冷淡であると指摘している。「法案は重要だけど、学校や仕事を休むわけにはいかないでしょ」という声は、社会運動に対する考え方の文化的な相違を感じさせて面白い。

筆者が在籍するハーバード大学でも、ラティーノ系の学生たちが中心になって、両方の日に集会とデモが組織された。5月1日のデモについては、ちょうどその時間帯に、筆者が聴講しているラテンアメリカの比較政治の授業があったが、リ ベラルな(この場合は政治的に穏健・左派の意)担当教授は、大学に来て6年間で初めて授業を休講にし、学生たちがデモに参加できるよう計らったほどの盛り上がりぶりである。

筆者も大学のキャンパスの中心で開かれた集会をのぞきに行ったが、「不法滞在は犯罪ではない」「強制送還より教育を」「移民の問題は人権問題」「勤勉に働く権利を奪うな」「この国は我々みんなのもの」などと書かれたプラカードが並び、ブラジルやジャマイカ、キューバの国旗が、ハーバードの大学旗と並んではためいている。運動を支持する大学教授が壇上に上がり、「私はアイルランド系だが、祖母の代にこの国に来た。この国は建国以来移民によって支えられ、自由とより良い生活を求める人々に安息の地を提供してきたのだ」と演説して拍手を浴びていた。参加者が大学生というせいもあるだろうが、彼らの主張の骨子の一つが移民にも教育の機会を平等に与えるべき、という点であった。学生たちは米国国歌を斉唱してから、大学から徒歩で1時間くらいのところにあるボストン・コモンと呼ばれる米国独立運動の揺籃の地を目指して行進していった。集まった学生たちは200人足らずくらいであったろうか。この時期は大学の授業の最終週で、期末試験が近づいている微妙な時期であり、多くの学生は勉強を優先せざるを得なかったのではないかと想像する。

移民、あるいは国際的な労働移動の取り扱いをどうするか、という問題は、人々の往来が比較的容易になったこの30年くらいの間、先進国では共通の悩みである。外国人労働者受け入れでは数十年の経験を持つ欧州でも、今年4月にEUの枠組みの中でドイツ・フランスが、賃金の安い旧東欧諸国からの労働移動を制限する、と決定した。ただ米国が欧州と異なるのは、米国はそもそも建国期から移民が多数を占める国であり、ネイティブアメリカンと呼ばれる先住民の子孫を除けば、全員が過去100年か、せいぜい250年くらいの間によそから移ってきた移民の子孫だという事実である。自分たちも移民の子孫なのに(しかもその植民のやり方は、基本的に武力でもって先住民の土地を奪うという、はなはだ非人道的な方法で行われた)、最近移民してきた人を排除するのはおかしい、という論理が説得力を持つのだ。

米国への移民(不法を含め)の最大の供給国は、地続きの隣国メキシコである。今年のメキシコの大統領選の主要な争点の一つは失業問題である1が、コーポラ ティズム体制の解体と新自由主義的経済政策に伴い増加した失業者の再雇用先が、 メキシコ国内で十分に供給されない。他方米国では、とくに農業労働は、主としてメキシコからの移民に支えられている。カリフォルニア州の農業部門の労働人口の半数は、メキシコからの移民あるいはゲストワーカーと呼ばれる外国人(メキシコ人)労働者であると推定されている。

メキシコを含むラテンアメリカからの移民は、重労働・低賃金・医療保険などの社会保障の不足、などの劣悪な労働条件に耐え、節約しながら本国で待つ家族に送金する。筆者が赴任当初、家具を配達してもらったら、2度とも同じペルーからの移民の男性がトラックを運転してやってきた。筆者が付き合いなれたオープンで人懐こいキューバ人と異なり、ペルー出身の彼は無表情、無口で、1回目はスペイン語で話しかけてもろくに返事もしてくれない。2度目になってようやく少し打ち解けてくれたが、「どうして米国に来ることにしたの?この国が好きだから?」と聞いたら、むっとした顔で「好きか嫌いかなんて関係ないよ。必要だから来たんだ」と切り返された。「家族にお金を送っている?」「もちろん。毎月必ず送る。大変だけど」。

ラテンアメリカ諸国はチリなどの一部の国を除き、1980年代の債務危機とハイパーインフレーションを特徴とする低成長に引き続き、90 年代からの急激な新自由主義的経済政策への転換によって、かつては輸入代替工業化政策およびコーポラティズム体制に保護されていた多くの労働者や農民が、保護の少ない雇用や、インフォーマルセクターに吸収されていった。多くの国では新自由主義的経済政策の下で貧困層の割合が増加し、さらに植民地時代からの遺制で、貧困と先住民に代表される人種問題が複雑に関連する、という社会構造的な問題を抱えている(ジニ係数を見れば、世界で最も不平等度の高い国々の多くはブラジル、メキシコをはじめとしたラテンアメリカに集中する)。

そのため、米国までの旅費が払える程度の、貧困層の中でも比較的上位の階層の人々は、機会があれば北の豊かな米国に職を求めて移り住む。この押し出し要因と、米国人がやりたがらない3K仕事を担う労働力がほしい米国の経済界の利害が一致する。今回の法案はその経済界の意向を汲んだもので、在留許可なしに滞在を続ける不法移民の多くに合法的な労働許可を与えることを意図している (ただし大統領は、無制限に不法移民が流入することを防ぐため、メキシコとの国境警備を強化することも計画している)。マサチューセッツ州の上院議員は二 人とも民主党だが(一人は故ケネディ大統領の末弟エドワード・ケネディ氏、もう一人は前回の大統領候補だったジョン・ケリー氏である)、どちらもこの法案に賛成している。賛成するほうには二重に政治的な利益がある。一つは経済界が低賃金の移民の流入を歓迎していること、もう一つは移民の人権の保護を旗印に、選挙においてラティーノ系市民の票を獲得する必要がある、という利害である。

これに対し、反対派が挙げているのは、主として以下の4点に集約されるようだ。(1)不法でもしばらく滞在すれば合法に滞在できるようになると決まると、 ますます移民が増える、(2)同時多発テロ以降、安全保障上の理由で入国管理を 大幅に厳しくしたが、移民が増加すればこの効果が減殺される、(3)移民は社会の最底辺を形成する最貧困層であり、彼らに教育や医療などの社会政策を保障す るためには、大幅な社会コストの増加となり、結局は政府の財政負担が増大する、(4)そもそも選挙権がない不法滞在の移民が米国議会に圧力をかけて立法に影響を与えるのはおかしい。

反対派の根底には、米国の人種構成を変える勢いで増え続けるラティーノ系の人々に対する感情的な反発があるとも考えられる。米国の出生率は先進国の中で は非常に高い(合計特殊出生率は 2004年に2.05、ちなみに日本は2005年で1.29)が、出生率を押し上げているのは現在多数派のいわゆる白人ではなく、ラティーノとアフリカ系が中心である。これに移民が加わり、2060年にはラティーノ系市民が米国の人種構成上の多数派を占めると推計されている。

ハーバード大学の教授で、1993年にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿した 「文明の衝突(The Clash of Civilizations)」論文で一躍国際的に著名になったサミュエル・ハンティントン氏は、昨2005年にWho Are We?: Challenge to America's National Identity(われわれは誰なのか:アメリカの国家アイデンティティへの挑戦)というタイトルの本を著して物議をかもした。彼は移民の中でもとくにラテンアメリカからの移民が、他の地域からの移民と異なり、「アメリカの文化や言語」を尊重して順化しようとせず、彼ら自身の文化や言語を米国に持ち込み、プロテスタントを基盤とした英国風文化と英語でまとまっていたはずの米国社会を分裂させようとしている、と警鐘を鳴らしたのだ。

ハンティントンは、多様性を認めつつ国民国家としての統一性を保ち続ける可能性について悲観的であり、プロテスタンティズムの倫理と英国風文化、英語という統一された基盤を保たなければ国家として成り立たない、と考えているように思われる。彼は移民の教育水準によって英国風文化への順応度が決まり、教育水準が高い移民ほど英国風文化や英語などの共通基盤に進んで順化するとしている。そしてラテンアメリカ、とくにメキシコからの移民の教育水準が平均すると低いために順応度が低いとする。また 1960 年代半ばまでの移民を見ると、英語が話せない、あるいは英国風文化になじめなかった者は本国に帰っている。たと えば 20 世紀初頭のイタリアからの移民では、半数以上はイタリアへ戻っていた。この傾向は主としてラティーノ系移民によって覆されたという。

当然のことながらこの本はラティーノ系市民の大きな反発を買い、この本を通りで焼き捨てる示威行動が頻出した。が、沈黙している市民の中に、ひそかにハンティントンに拍手を送っている層もいるだろうことが想像される。当地でたとえば電話で公共サービスなどの問い合わせをすると、必ず「スペイン語を希望される方は何番を押してください」というアナウンスがスペイン語で流れる。地下鉄などの交通機関の広告にスペイン語が混じることは普通だし、テレビにもスペイン語放送チャンネルがごく普通に(ケーブルや衛星放送を契約しなくても)存在する。他の言語でここまでの浸透ぶりは見られないから、スペイン語が事実上米国の第二言語になりつつあることは事実である。人間は自分の生活圏になじみのないものが入り込んでくることをいつも歓迎できる強さがあるとは限らないので、ハンティントンの本は、米国社会が抱える矛盾を鋭く突いたともいえる。米国社会が今後多様性をどこまで許容できるのか。移民問題への答えが国民的合意の下に形成されるためには、この点に関して本音のレベルで国民の合意をどこまで取り付けられるかにかかっているといえよう。

しかし他方では、ラティーノ系はもはや、かつて言われていたような米国社会の最底辺にいる貧しい人々とは限らない。上院議員にもラティーノ系の姓を持つ議員が増えてきたし、現在の検事総長はメキシコ系である。大企業の取締役などの上層部にラティーノ系の姓を良く見かけるし、大学でも地域研究に関係ない医学部や経営大学院にラティーノ系の教授の名前はたくさんある。すでに頂点に 「アメリカン・ドリーム」を体現した人物を戴くラティーノ社会は、経済的にも多様化しており、米国社会への真の同化が進んでいるように見える。

同時に米国経済は建国以来、低賃金で重労働をいとわない移民が継続的に流入することで成り立ってきた社会でもある。米国産の野菜や果物は日本と比較すれば安いが、この低価格が国産の農産物で実現できるのは、移民や外国人労働者の低賃金・低社会保険支出から来る労働コストの低さのお蔭である。低賃金労働だけではない。大学の自然科学系の研究所は、中国やインドなどからやってきた外国人研究者であふれている。多くは、高学歴のエリート米国人があまり行きたがらない、教育投資費用が高い割に賃金が低い(費用対効果が低い)基礎研究の分野である。米国の科学技術の進歩も、多くの外国人によって支えられているのだ。経済的にも移民を大幅に制限することは事実上不可能である。

現在の法案の帰趨は、前述した賛成派と反対派の利害のバランスの落ち着いたところで決まると考えられるが、従来社会の片隅で、目立たぬように黙々と働いていた移民や不法滞在者が政治の表舞台に出てくるようになったところが新しい。国際的な労働力移動がグローバル化の波と共に今後ますます活発になっていくことが予想される現在、問題は今回では終わらず、今後も折に触れて噴出すると思われる。

脚注
  1. 今年4月27日にハーバード大学で開催された「メキシコ大統領選挙が明けて」と題されたパネルディスカッションでは、三主要政党(PRI, PAN, PRD)の選挙顧問が出席して各政党候補の主張を説明しておられたが、三者に共通して強調されていたのは失業対策で、企業への公的資金支援を掲げる PRI、外国投資や法制度の整備、治安回復によって新規雇用を創出することを主張するPAN、政府による社会的安全網の構築を強調するPRDの主張の違いが印象的だった。ただしメキシコは、ラテンアメリカ諸国の中では新自由主義的な経済政策や自由貿易政策が比較的成功した国とされている。