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海外研究員レポート

第二期アロヨ政権下の非常事態宣言――エドサ革命20周年の節目に――

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050057

2006年4月

経緯

フィリピンはこれまでに2種類のエドサ革命を経験している。一方は、フェルディナンド・マルコス元大統領による権威主義的政権を崩壊させた1986年2月の「エドサⅠ」のことを指し、他方は、2001年1月に違法賭博による政治献金疑惑に基づきジョセフ・エストラダ前大統領を退陣に導いた「エドサⅡ」のことをいう。メディアによる大統領の汚職報道が過熱するなか、国民がエドサ聖堂に集結し、国軍やカトリック教会指導部の支持のもと大統領を辞任に追い込むという一連の方法は、ピープル・パワーと呼ばれ、人々の記憶に今も深く刻み込まれている。

現職のアロヨ大統領は、エドサⅡの結果、憲法の規定に従い大統領に昇格した。通常の選挙を経ていないことに加え、所属政党も必ずしも一枚岩となってアロヨ大統領を支持していたわけではなかったため、第一期政権は、議会や国軍内部などにおける支持基盤の脆弱性が危ぶまれるなかでの発足となった。2004年5月、アロヨ大統領は、全国統一選挙で野党の対立候補を抑えて当選を果たす。これにより、名実ともに国民の承認を得、第二期政権を始動させたアロヨ大統領であったが、その後も、貧困層による抗議デモ、国軍の一部からの反発、長期化する共産系・イスラム系勢力による反政府活動などの問題が山積し、確固とした支持基盤を築くことは容易ではなかった。とくに、2005年7月に発覚した選挙結果の不正操作疑惑は、主要閣僚の一斉辞任や在任中2度目の大統領弾劾発議といった事態を招き、政局を揺るがした。これを機に大統領支持率は下落し、野党陣営、左派系市民団体、貧困層などからの退陣要求が高まるようになった。

クーデター疑惑浮上の背景

アロヨ大統領に対する反発は、2003年7月に起きた青年将兵によるホテル占拠事件に象徴されるように、とくに国軍内部において深刻であった。これは、待遇改善や国軍幹部の汚職撲滅を求めて、主に1995-1997、1999年の国軍士官学校卒業生らが中心となって決起、実行したものである。2005年12月、本件の指導グループのひとりであるニカノル・ファエルドン海軍大尉が脱走した。ファエルドンは、青年将兵組織YOUng(Young Officers Union New Generation)の支持を得て活動を再開し、メディアを通じて国民にアロヨ大統領の追放を呼びかけた。YOUngについては、以前よりフィリピン共産党(CPP)と協調関係を結んで政権転覆を企図しているとの情報が流布しており、2006年1月中旬、ラウル・ゴンサレス司法長官が、関連諜報報告書を入手したことを明らかにしていた。また、トリスタン・キソン国軍報道担当官も、青年将兵を中心とするグループが、政権転覆を目指して人材を集めていたことを確認する情報を得たとして、現政権に対する脅威が存在することを認めていた。

不穏な動きが表面化するなか、2月20日に、マラカニアン宮殿構内で爆発事件が起きた。幸い死傷者は出なかったものの、治安悪化を憂慮したアロヨ大統領は、エドゥアルド・エルミタ官房長官、アベリノ・クルス国防長官、ノルベルト・ゴンサレス大統領安全保障顧問、ヘネロソ・センガ国軍参謀総長、アルトゥロ・ロミバオ国家警察長官らを招集し、対策を協議した。その後、陸軍の事情聴取により、武装決起によるクーデター計画の存在が判明した。聴取の対象とされたのはいずれも尉官クラスの若手将校で、CPPの軍事部門にあたる新人民軍(NPA)との関係が疑われているローレンス・サンファン陸軍中尉と接触していた者たちであった。サンファンは、ホテル占拠事件で反乱罪に問われている被疑者のひとりで、1月中旬に陸軍司令部の拘留施設から脱走し、2月21日に再拘束されている。

2月24日早朝、ダニロ・リム陸軍准将とアリエル・ケルビン大佐兼海兵隊団長(南ラナオ州連隊長)が、クーデター計画に関与した疑いで拘束された。また、国家警察特殊部隊を率いるマルセリーノ・フランコ警視正も、部下のクーデター計画参加を許可したとして身柄を拘束された。リムは、国軍本部への出頭を命じられた際に、センガに対して現政権に反旗を翻すよう迫ったと報道されている。

非常事態宣言の発令

同日、アロヨ大統領は、国軍幹部によるクーデター計画が判明し、各地の国軍基地で同調する動きが見られるとして非常事態宣言を発令した。非常事態宣言とは、大統領に認められている緊急大権のひとつで、法的には国家の緊急事態に対応するための行政措置に該当する。本宣言下で、国軍や国家警察が令状のないまま関係者を逮捕、拘束できるのは、憲法第7条18項の「国軍の最高司令官である大統領は(中略)内乱の発生など公共の安全を確保する必要がある場合は、人身保護令状の特権を停止し、行政措置を施すことができる」という規定による。本宣言は、発令から48時間以内に上下両院の承認を得なければならないと定められており、最長60日間の継続が認められている。

本宣言に対しては、一部の法律家やメディアから、マルコス政権下の戒厳令と何ら変わらないとの批判が噴出した。しかし、アロヨ大統領は、国家に対する脅威を事前に阻止するためには必要な措置であると説明し、国民に理解を求めた。同時に、国軍と国家警察に対しては、法秩序の維持及び違法な暴力行為や反政府運動に繋がる行為の防止・鎮圧を命じ、大統領裁量権の範囲内で発令されるすべての法律、命令、規則の徹底遵守を言い渡した。

翌日には、エドサ革命20周年記念式典が予定されていた。しかし、式典が反政府集会に発展することをおそれた大統領府は、急遽公式行事を中止した。一方、野党陣営は、非常事態宣言に抵抗する形で記念集会を決行した。集会では、コラソン・アキノ元大統領がアロヨ大統領に向けた退陣要求演説を行った。アキノは自ら先頭に立って大統領の辞職を求めていく姿勢を示し、国民に協力を呼びかけた。主な参加者は、フロレンシオ・アバド前教育長官、コラソン・ソリマン前社会福祉開発長官、フランクリン・ドリロン上院議長、パンフィロ・ラクソン上院議員、テオフィスト・ギンゴナ元副大統領、マカティ・ビジネス・クラブ会長のリカルド・ロムロ氏、マカティ市長のジェジョマー・ビナイ氏などであった。アバドとソリマンは、エドサ聖堂での記念ミサに出席した後、左派系市民団体の記者会見にも参加している。ソリマンは、本会見で、非常事態宣言はアロヨ政権をさらに孤立させ、国軍の一部への依存を増大させるとの見方を示し、今後は現政権に加えて、国軍の動きも警戒する必要があることを指摘した。

強権的な議員逮捕と報道機関捜索

2月25日、国家警察は、政党リスト制選出のクリスピン・ベルトラン下院議員(アナックパウィス所属)を逮捕した。理由は、マルコス政権末期にあたる1985年10月の反政府運動扇動容疑であった。本件については、担当弁護士、議員、メディアなどが、すでに不起訴とされた事件による逮捕の不当性や、議会開会中の不逮捕特権を無視した違法逮捕にあたる可能性を指摘して、強く反発した。

また、報道機関の捜索も令状のないまま進められた。これは「政府は、国家非常事態に際し、公共の利益に資する場合は(中略)公共の利益に影響を及ぼす事業の運営を一時的に収容し、管理下に置くことができる」と定める憲法第12条17項を根拠とするものである。捜索対象とされたのは、エドサⅡ以降に創刊されたトリビューン紙であった。同紙は、ほぼ連日アロヨ大統領の選挙不正疑惑に関する記事を取り上げていたため、捜索終了後も捜査員による編集作業の監視が継続されるなど、厳しい取締りを受けた。比ジャーナリスト連盟は、「アロヨ大統領は、自らの汚職疑惑により生じた政治危機の責任をメディアに押しつけようとしている」と現政権の対応を非難し、政治的圧力に屈することなく報道の自由を堅守するよう関係機関に呼びかけた。

海兵隊司令部立て籠もり事件

強権的な行政措置の実施に批判が集中するなか、2月26日に、海兵隊の一部に不穏な動きが見られた。国軍上層部が、現政権に批判的な海兵隊司令官レナト・ミランダ少尉を解任したことを受けて、ケルビンが中隊約50名と共に海兵隊司令部に立て籠もったのである。ケルビンは、本行動はミランダを保護するための行動であるとの声明を発表し、国民に支援を求め、海兵隊司令部礼拝堂に集結するよう要請した。呼びかけに応えて集まったのは、アキノ、ギンゴナ、ラモン・マグサイサイ上院議員、左派系市民団体などであった。

司令部周辺は、完全武装の海兵隊員約150名に加えて、装甲兵員輸送車が出動するなど、市民や報道陣を交え一時騒然となった。しかし、午後10時前に、ミランダの辞職に関する公文書が公開されたのに伴い、キソンがケルビンの撤退受け入れを発表した後、事態は急速に収束に向かった。ケルビンが撤退要請を受け入れたのは、ミランダの後継として司令官代行に任命されたネルソン・アリャガ副司令官が、政治とは無関係に軍人として指揮命令系統に従って中立を守り、憲法を遵守するか否かを迫ったことによると報道されている。

2月27日、国家警察は、国軍幹部とCPPとの連携関係に関与した疑いで、左派系政党所属下院議員、陸軍尉官、CPP主要指導者など計15名を書類送検した。送検された下院議員は、前述のベルトランをはじめとするサトゥール・オカンポ、テオドロ・カシーニョ(以上、バヤン・ムナ所属)、リサ・マサ(ガブリエラ女性党)、マリエル・マリアノ(アナックパウィス所属)など、主に政党リスト制選出の議員であった。既に逮捕されたベルトラン以外は、本送検の 不当性を訴えてケソン市の議会に集合した。下院は、超党派の提案に応えて「予備尋問の開始または逮捕状の発給まで」という条件付で、同議員らを保護下に置く決議案を採択した。これにより、議員らは、その後長期に渡る議院内での籠城生活を余儀なくされることになる。

非常事態宣言の解除

海兵隊司令部立て籠もり事件の解決や関係者の書類送検後を受けて、街中では非常事態宣言の解除を求める声が目立ち始めた。こうした動きは、3月1日に、米国商工会議所が、人権を尊重した平和的解決を求めて宣言の解除をアロヨ大統領に要請したのに続いて、カトリック司教協議会も、本発令はアロヨ大統領の強権発動に該当するとして、早急な民主主義の回復を要求したことなどにあらわれている。大統領府は、解除の要件として、政権転覆を謀る勢力の動向、国軍・国家警察の現状、国内治安情勢などを勘案すべきであるとの方針を示していた。発令から8日目にあたる3月3日、アロヨ大統領は、これらの事項を検討した結果、政権に対する脅威が沈静化したと判断し、宣言を解除した。

解除の知らせを受けたフランクリン・ドリロン上院議長は、同日、上院に宣言発令下の人権侵害や報道機関抑圧に関する調査委員会を設置することを発表した。これは、今回の一連の行政措置は、大統領の越権行為に該当すると批判する議員が少なくなかったことによる。とくに、国防委員会委員長を務めるロドルフォ・ビアソン上院議員を含む野党議員は、憲法上保障されている基本的人権や知る権利が侵害されたとして強く反発していた。この点については、多数派院内総務のフランシス・パギリナン上院議員も、一連の措置の違憲性を検証する必要があるとして、野党主導の調査に協力する姿勢を示している。

下院では一足早い2月27日に、非常事態宣言の廃止、延長、期限決定などを協議する両院合同本会議の開会を求める決議案が提出されていた。本会議では「議会は、総議員の過半数の賛成をもって非常事態宣言を停止又は撤回することができ、大統領は本撤回を覆すことはできない」と定める憲法第7条18節に基づき、非常事態宣言の有効期間中に、議会が大統領権限に制限を設けることができるか否かが争点とされた。また、令状なしの報道機関捜索の根拠とされた憲法第12条17項は、主に経済や歴史的国家遺産の保護のために設けられた経済条項であることから、同条を政治目的のもと解釈、適用することの是非も、あわせて議論の対象とされた。

エストラダ前大統領の関与疑惑

クーデター計画の発覚は、国軍内部の亀裂を表面化させたのと同時に、CPPとの協力関係に基づき政権奪取を狙う勢力の存在を明らかにした。大統領府は、こうした動きの背後に、エストラダやアキノなど元大統領らの関与があると見て、今後の警戒を強めている。

実際に、宣言解除の直前には、エストラダが設立した私的基金が海兵隊や陸軍連隊の一部に資金を提供していたことが判明している。提供源となったカワル・ピリピノ基金は、イスラム解放戦線との戦闘で死傷した兵士らを支援するため、2000年に設立された組織である。国家捜査局の報告によると、2005年12月に、同基金からリムやケルビンの所属連隊、立て籠もり事件に関わった海兵隊の互助組織、ホテル占拠事件で主導的役割を担った青年将兵ら の家族に100万ペソから400万ペソの寄付金が支払われたことが判明した。エストラダの娘婿にあたるマニュエル・ロペス理事長は、これらはあくまで各団体の要請に基づき実施された寄付行為で事業の一環に過ぎないとしつつも事実を認めている。同局は、資金が提供された時期は一連のクーデター計画が動き始めた時期と一致するとして、使途の解明を急いでいる。

転換期を迎えるピープル・パワー

アロヨ大統領は、2001年5月に起きたエストラダ支持派による暴動事件の際にも「反乱状態宣言」を発令し、政権に批判的な野党議員の一斉逮捕に踏み切っている。また、国軍の一部によるクーデター未遂も、2003年7月のホテル占拠事件に続いて2度目となる。こうした先のエドサ革命に続くピープル・パワーによる政権交代の試みを、国民はどう受け止めているのだろうか。

民間世論調査機関パルス・アジアが2005年10月に実施した調査では1、回答者の58%が、アロヨ大統領の選挙不正疑惑が証明された暁にはピープル・パワーによる政権交代を支持すると答えており、このうち、22%に実際に抗議デモに参加する意思があることが判明した。一方、ピープル・パワーによる抗議行動を支持しないと答えた回答者は41%を占めた。不支持の主な理由としては、「日々の生活で精一杯でデモに参加する余裕がない」(25%)、「誰が大統領になろうと現状は変わらない」(24%)、「他の重要事項を優先すべきである」(23%)、「アロヨ大統領の後任決定が先決である」(12%)、「ピープル・パワー革命にはうんざりしている」(8%)などが挙げられた。

ピープル・パワーのような制度外の手続きによる政権交代を実現するには、野党、貧困層、市民団体といった現政権に批判的な陣営の一致に加えて、国軍や教会指導部の支持を取りつける必要がある。しかし、今回、アキノに代表される野党陣営は、大統領に辞任を要求するという点では一致していても、その後の後継者選びや政局運営の展望については足並みが揃っていなかった。また、各報道機関の政権に対する報道姿勢に若干の相違があったことも、抗議デモへの大量動員を阻む一因となったと思われる。一連の出来事を通して、政権交代を後押しする国軍や教会からの支持表明がなかったことは言うまでもない。

政権転覆の試みは非常事態宣言下の強行措置により未然に阻止された。しかし、野党、メディア、貧困層、国軍の一部などの間には、依然、現政権に対する不信や反発が残っている。現在、野党側では、憲法改正を通じて大統領制から議院内閣制へ制度を変更し、アロヨ大統領を実質的権限のない首相職に移行させることにより、早期退陣に追い込もうとする動きが見られる。これに対して、大統領府は、内務自治省を中心とした国民のイニシアティブによる改憲発議に向けた署名運動を背景に、行政主導による新憲法成立への道を模索している。政権を巡る攻防は形式を変えて継続する様相を見せており、アロヨ大統領は今後も厳しい政局運営を迫られていることに変わりはない。

脚注
  1. 調査期間は2005年10月15-27日。対象者は全国の有権者(18歳以上)1,200名。詳しくは、http://pluseasia.newsmaker.ph/を参照。