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海外研究員レポート

泥沼化――タイ深南部問題

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050081

植竹 立人

2005年11月

昨年来続発しているタイ深南部におけるイスラム武装勢力による反乱行為が一向に治まらず、悪化の一途を辿っている。当該地はイスラム教を国教とするマレーシアに隣接していることから、タイ国内だけの問題に止まらず外交にまで影響を及ぼし始めている。

タイは仏教国として知られているが、極少数派ながらイスラム教徒も存在する。その大半はマレー系住民が多く住むタイ南部、特に深南部と呼ばれるパッタニー、ヤラー、ナラティワートの3県に集中している《表1》。この3県は「パタニ王国1」という半独立王朝であったが、中央政府の直接統治となった後も分離独立を求めるイスラム勢力による武装闘争が繰り返されてきた。2004年には深南部3県とソンクラー県において、イスラム武装勢力と政府の大規模な衝突が相次ぎ2、その解決は、津波、干ばつ、鳥インフルエンザなどの自然災害への対策と並んで政府の緊急課題のひとつとされている。2005年に入っても、中央集権的政策を掲げるタクシン政権への反発も相俟って事態は一向に好転の兆しは見えない《表2》。

当初タクシン首相は、南部問題はタイ国内の問題であることを強調し国際テロ組織の関与を否定しつつ、近い将来に解決可能とアピールしてきた。しかし 2005年2月、それまでの穏健・柔軟路線を転換。南部3県を3つのエリアに分類しイスラム過激派及びその周辺人物が大半を占める地域への経済制裁策を発表した《表3》。もっともこの案は「逆に海外のイスラム過激派組織から資金が集まりテロを助長する」と政府内や学界から反発を買い1カ月後に撤回される。と同時に、アナン元首相を委員長とする「国民和解委員会」が発足し、事態を収拾するための発展的な議論の場も作られた。また政府は、昨年初めから南部地域に敷かれていた戒厳令を解除する代わりに、非常事態宣言を受けた地域に首相の権限において、令状なしの逮捕・拘束、報道検閲などを許可する「緊急事態時の統治に関する勅令」を発布した。しかし、これも各方面から憲法違反や人権問題を憂慮する声や事態を益々悪化させるとの危惧が噴出した。元来、強硬路線派と捉えられているタクシン首相は、柔軟路線派との協調に苦慮を強いられることになる。一方、地元住民は「過激派に協力的だと疑われると治安当局に連行される。治安当局に協力的だと見られると過激派に襲われる。」と不安感を募らせる。タマラック国防相はひとつの打開策として、改悛して出頭した過激派には恩赦適用を検討すると述べた。1970年代には、共産主義に傾倒した学生が軍事独裁政権に弾圧されたが、投降者については罪を問わない とし一定の効果をあげたため今回も有効であると判断したようである。

このように一向に解決の兆しが見えない中、深南部問題は国際問題へと発展していく。8月29日、ナラティワート県スンガイパティにおいてイスラム教聖職者が銃殺される事件が発生した。これは治安当局による制裁ではないかと思い込み、大規模な衝突が発生することを恐れた地元住民131人がマレーシアに避難(不法入国)した。一方、マレーシア側は更なるタイ人の流入を懸念するとともに、タイ政府がイスラム教徒を迫害しているのではないか、と疑念を抱いた。両国の関係が微妙になりかねない矢先、タマラック国防相が、マハティール前マレーシア首相がタイ南部過激派に関与しているのではないかと爆弾発言。根拠を問われると「確証がある訳ではないが……」と暗に失言を認める。当然ながらマレーシア政府は不信感を顕わにし、タイが避難民131人の安全を保証するまで身柄の引渡しはしないと発表した。

写真:武装集団が寺内各所を破壊

"newsclip"より

この頃になると、タクシン首相の苛立ちも日増しに大きくなり「南部問題は私が全責任を負う。仮に事態が好転しなければ、3年後の総選挙でタイ愛国党に票を投じなくてもいい。」と 明言。また、マスメディアが連日深南部問題を大々的に取り上げることに業を煮やし「事件に 直接関わりのないバンコク都民や評論家は口を出して欲しくない。雑音が当局の職務遂行を妨げてもいる。」とも発言した。国内外からさ まざまな声を受けながらも、柔軟路線派との バランスを辛うじて保ってきた首相がついにブチ切れる残虐な事件が発生した。10月16日、パッタニー県にあるプロムプラシット寺を十数人の武装集団が襲撃、その犯行は凄惨を極めた。早朝の奇襲は本堂など4カ所同時 に行われ、70歳の住職が刺殺、15歳と17歳の見習い僧が射殺された。さらに仏像の頭部を切断するとともに寺内各所を破壊、最後に3人の遺体に火を放って逃走した(上写真)。タクシン首相は「我慢の限界を超えた。必ず報復する。」と憤激、18日には適用期限が迫っていた緊急勅令の延長を閣議決定した。

先にマレーシア側に集団越境したイスラム系住民131人の送還問題では、マレーシア政府との舌戦がエスカレート。両政府の公式声明をめぐり互いの不信感が増幅し、もはや修復が非常に困難な様相を呈している。まず、タイのカンタティ外相が交渉凍結を明らかにすると、マレーシア政府は改めてタイ国内での人権・安全の保証を要求。これに対してタイ政府は、マレーシアに国内問題をあれこれ言われる筋合いはなく、内政干渉だとして不快感を表した。続いて在マレーシアタイ大使館前で発生したタイ製品ボイコットのデモについて、タクシン首相が「イスラム過激派の宣伝工作」と非難したところサイドハミド・マレーシア外相が「タイのリーダーはもっと大人になるべき」と痛烈な言葉を浴びせる。対するタイの応酬は「大人になれ、とは何事だ。およそ外交上の公式発言で使われるべき言葉ではない。」と猛反発。12月中旬にはクアラルンプールで「第11回ASEAN サミット」及び東アジア共同体構想を目指す「第1回東アジアサミット」が開催される。両国の気まずい雰囲気は会議への影響が必至となろう。また、11月21日にはマハティール前マレーシア首相が訪タイし、互いに言葉の応酬をやめるべきだということで一致したようである。しかし、タクシン首相は会談内容については明らかにしていない。

このように、2年近くも続くタイ政府と分離独立を主張するイスラム過激派との衝突は一体いつ収束するのであろう。この間、ロンドン、バリ島、ニューデリー、アンマンなどの大都市、 観光都市で国際的な過激組織が関与していると思われるテロが相次ぎ、ニューヨークやシドニ ーもテロの標的として噂された。タイ国内で連日のように頻発するテロの首謀者が国際テロ組 織と結託し、大都市かつ世界有数の観光都市でもあるバンコクに飛び火する可能性は少なくな い。バンコクに在住する我々や出張・観光等で訪れる人も充分留意する必要がある。

《表1》タイのイスラム教徒

人口(万人) イスラム教徒(推定)
人口(万人) 割合
タイ全体 6,487 230 3.5%
南部6県 369 183 50%
①ヤラー 42 29 69%
②パッタニー 60 48 80%
③ナラティワート 66 54 82%
④ソンクラー 126 29 23%
⑤サトゥーン 25 17 68%
⑥パッタルン 50 6 11%

(参照資料)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(http://ja.wikipedia.org)

《表2》2005年の主なテロ事件

月日 場所 事件概要
2月17日 ナラティワート県スンガイコロク 自動車に搭載された爆弾が爆発。レストラン客など6人死亡、約40人重軽傷。
3月27日 ナラティワート県スンガイパディ 線路に爆弾を仕掛け、列車を脱線させると同時に駅近くでパトロール隊を襲撃。警官、鉄道職員22人負傷。
4月3日 ソンクラー県(同時多発) ハジャイ国際空港、ショッピング街、ホテルで立て続けに爆発。死者2人、米・仏・ブルネイ人など外国人を含む約70人重軽傷。(空港には帰省中のジェトロスタッフも居合わせたが無事。)
6月5日 ヤラー県ヤハ郡 送電用鉄塔、携帯電話用送受信機が爆破。翌6日には、切断された男性の頭部にメモが添えられ路上に放置。
6月24日 ナラティワート県チャルー郡 女性校長がオートバイの2人組に拳銃で射殺される。今年に入って殺害された教師は21人。
7月14日 ヤラー県ヤラー市 武装集団100人超が高圧送電所を爆破。広範囲で停電となった市街各所で爆発、放火、銃撃戦。2人死亡、約20人負傷。
8月初旬 新南部3県 「教えに反して金曜日に働くイスラム教徒に死を」という主旨のビラが撒かれ、休業する商店・屋台、運休するバスが続出。地元経済に大打撃。
8月30日 ナラティワート県スンガイパティ イスラム教聖職者が銃殺。治安当局の対応への不満、過激派に対する恐怖から地元住民131人がマレーシアに不法入国。
9月21日 ナラティワート県ラゲ 発砲事件調査のため訪れた海兵隊員2人を拉致、モスクで殺害。
9月30日 ナラティワート県ラゲ 中国人3人が武装集団に襲撃され2人が死亡。
9月30日 ヤラー県 地元教師を護衛していた警官6人が銃撃され1人死亡、5人負傷。
10月5日 ナラティワート県チョアイロン 検問中の治安部隊に向かって発砲。5人死亡、1人負傷。
10月16日 パッタニー県バンノーク 仏教寺院が武装集団約15名に襲撃され高齢僧1名刺殺、見習い僧2名銃殺。僧坊に放火、仏像を破壊して逃走。
11月2日 ナラティワート県 複数の変圧器、送電施設などを爆破。大規模停電。
11月7日 ヤラー県 県庁舎駐車場など18カ所で爆破・襲撃。犯人2人射殺、負傷者数名。

《表3》南部3県分類エリア

レッド・ゾーン イスラム過激派が多数潜伏。住民にその家族・親戚が多いため捜査に非協力的。(358村) ⇒【制裁案】地方開発予算の支給を停止
イエロー・ゾーン イスラム過激派及び支援者と無関係な住民が半々混在。(約200村)
グリーン・ゾーン イスラム過激派及び支援者がいない。(その他約1,000村)

《参考》日本国外務省安全情報

地図:日本国外務省安全情報

Copyrights: 2004 The Ministry of Foreign Affairs of Japan

参考資料


  • 週刊紙「バンコク週報」
  • 情報紙"newsclip"
  • 日刊紙"Bangkok Post"
脚注
  1. 14世紀から 19世紀にかけてスコータイ王国、アユタヤ王国の支配下にあったマレー人王朝。タイ語発音にできるだけ忠実に表記すると、タイ政府の発音は「パッタニー」、独立運動側の発音は「パタニ」となる。
  2. 2004年1年間の被害者は、治安当局、過激派及び一般市民合わせて死者、負傷者ともに500人を超え た(「2005アジア動向年報」288p参照)。