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海外研究員レポート

ローカル・コード

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050085

2005年10月

夜が明けきらないうちに、メードが庭の掃除を始める音で目が覚めるケソンの朝は早い。比較的気温が低いうちに済ませたい屋外での肉体労働から始まり、朝食の準備、後片付け、洗濯、掃除といった作業が続くと、お昼前には彼女達が鼻の下をうっすら汗ばませながら一日の家事の仕上げに励んでいるのがわかる。フィリピン人が昼食後に30分ほど昼寝をするのは、かつて統治下におかれたスペイン文化の影響が大きいためだ、と聞いていた。しかし、ここでの人々の生活を見ていると、その習慣は、単に朝早くから活動を開始するため必要に迫られて生じたものではないかと思われる。赴任当初、ホテルに滞在していた頃は大学の教授陣から6時台に携帯メールを受け取ることが多かった。その時は、皆おしなべて朝が早いな、と単純に感心していたのだが、ケソンで生活するようになってからは、ここでは日の出と共に起きて日の入りと共に眠る生活が実践されているのだ、と合点がいった。

決して安普請というわけではないが、筆者が滞在していた部屋は窓の閉まりがあまり良くなかった。日経新聞と紙テープで隙間を塞いで急場をしのいだが、それでも隙間風を完全に封じることはできず、一日中母屋や近所の人たちの気配や生活の音がよく通った。

興味深かったのは朝7時をまわると廃品回収業者、アイスクリーム売り、豆腐を甘くした餡蜜のようなお菓子を売る業者が営業を始めることである。「バ~キィーット!」という独特のこぶしを効かせた呼び声に誘われて、ある日試しに古新聞、アルミ缶、ペットボトルなどを廃品回収に出してみた。聞くと全部で7ペソになるという(日経新聞の紙質がいいのが評価されたらしい。アルミ缶は1つにつき25センタボスと予め決められていた)。しかし、「ソーリー、 マム、今の手持ちはこれだけです」と恐縮して手渡されたのは10ペソ硬貨であった。早朝か ら額に汗して働く彼から3ペソ(約7円弱)余分に頂戴するのは心苦しく、「手持ちがないのなら、お代はまた今度でいいですよ」と帰したら、次の日からかわるがわる複数の業者が「ジャルヨー(新聞)!ティーン(アルミ缶)!」と呼びかけながら門前に集まるようになり、大家の顰蹙をかった。筆者にとっては数円単位のお金でも、彼らにとっては生活がかかっている貴重な売り上げだということを実感した。その後は面倒な事態を避けるため、使用済みの品々はすべて母屋のメードに託し、お代はチップとしてとってもらうことにした。

ある日、トライシクルに乗って大学から帰ってきたら、3人いたメードのうち1人が入れ替わっていた。どうやら古参のひとりがクビになったらしい。実は、筆者が入居した当日に、引越しのごたごたに紛れて現金やプリンタ等がなくなるという事件があった。今後の生活に響くので返して欲しいと大家に掛け合ったら、それまでのニコニコ・ウェルカムムードから一転、「私たちは何も知らない。ここはフィリピンだ。現金や物がなくなったのは管理に不手際があったあなたの責任だ」と険悪なムードに変わった。多数いる母屋の家族に片言のタガログ語で太刀打ちできるはずもなく、そのまま泣き寝入りになるかと思われた矢先の解雇 であった。確かに、3人のうち1人だけ傍目から見ても明らかに新しくラグジュアリーなイヤリング、ネックレスをつけ、携帯ラジオをヘッドフォンで聴きながら洗濯物を干しているメードがいた。なんだか彼女だけ持っているものが派手だな、と思っていたところの出来事だったため、なるほど、と腑に落ちるものがあった。

私怨絡みの暴力、殺人事件が珍しくないフィリピンでは、メードやドライバーを辞めさせる際は、後腐れのないように退職金をたんまり弾むという不文律があるという。しかし、今回は現金がなくなったことが直接の理由だったため(他にも母屋では私が振りだした小切手がなくなるという事件が起き、それはそれで一騒動だった)、大家はそれほど退職金を払わず彼女を解雇したらしい。事を荒立てることを避ける国民性を反映してか、詳しい説明はなかった。しかし、彼女がいなくなるのと同時に、庭師に玄関前と車庫の電灯を新しいものに取り替えるよう指示が出され、一晩中外灯をつけっぱなしにするようになったこと等から、事の重大さは間接的に伝わってきた。近年高騰し続ける電気代節約のため、7時には消灯を始め、8時には寝静まる彼らの生活から考えると一晩中電気をつけるのは異例のことである。

庭のレイアウトも、外からの侵入者が簡単に出入りできないように変えられた。さっそく呼び寄せられた庭師は大きな石をごろごろと運びこみ、勝手口への通路を塞ぐ形で石を配置し、母屋からは死角となる外部者の進入ルートを閉鎖した。また、下宿用のドアと勝手口の間にもコンクリートで固めた重しをつけた植木が5、6個配置された。これにより筆者が毎朝洗濯物を干していたスペースが潰されてしまったのだが(ここでは人の手で洗濯しないと汚れは落ちないと信じられているため、洗濯機を所有する家は稀である)、彼らがあまりにも真剣なため、表立って抗議することははばかられる雰囲気であった。最初のうちはくるくると変わる庭のレイアウトを興味半分に観察していたが、普段は早々にベッドに入るメードが、夜中も庭や車庫の辺りを真剣にパトロールしている様子を見ているうちに、彼らの本気さが伝わってきてだんだん怖くなった。

ケソンでの生活には外国人である筆者には想像のつかない内規があり、ここで暮らすようになって長い母屋の家族でさえ恐れる目に見えない危険があることを実感する出来事であった。一見ゆったりとした時間の中で、マイペースに過ごしているように見える人々の生活が、目に見えない独特なルールに基づいて営まれている点は興味深い。

フィリピンは飛行機で僅か4時間前後と距離的には近い国である。しかし、この3カ月間、この国の人々は未だ前近代に近い感覚の下で生活しているのではないか、と思わされる出来事に遭遇することが多かった。貧富の差が激しく、2005年の今も前近代と近代が並存しているこの国を、超近代的な考え方に基づき理解しようとする試みは、予想以上に困難な作業であることを実感している。