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香港立法会選挙――「愛国者」たちの「中国式」競争――
Hong Kong Legislative Council Elections: The “Chinese-Style” Competition by the “Patriots”
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002001560
2025年12月
(4,001字)
12月7日、香港では4年に一度の立法会(議会)選挙が行われる。立候補受付は11月6日に締め切られ、90議席を争う選挙戦が展開されている。
2020年の香港国家安全維持法(国安法)制定により、抗議活動や反政府的な言論は姿を消した。すでに前回2021年の選挙から、政権が事実上自由に候補者を排除できる制度が導入されており、もはや民主派が政権に挑戦する姿はない。すべて政府公認の「愛国者」候補のみで行われるこの選挙が、世界的ニュースとして大きく注目されることはないであろう。
しかし、そのような「中国式」選挙だからこそ、そのアレンジには、政権の意図が直接反映されている。選挙過程の観察を通じ、我々は北京の香港に対する見方、香港の政治・社会の現状、そして「中国式」政治体制の本質を垣間見ることができる。
選挙前の「落選」――候補者選抜
今回の選挙では、立候補受付開始直前の時期に劇的な展開があった。多くの現職議員が相次いで不出馬を表明したのである。
現在の制度では、立候補するためには、「選挙委員会」から親北京派政界人を含む一定数の推薦を得る必要がある。したがって、選挙に出るためには、まずは「祝福」と表現される北京の認可が必要である。今回の現職議員の不出馬は表面上本人の意思とされ、北京の香港関連部門である香港マカオ弁公室(港澳弁)は、いわゆる「祝福」など存在しないと、関与を否定している。しかし香港紙は、一部議員が北京に詣でて出馬を嘆願しているとか、北京に断念させられたといった情報を報じていた。議員たちは北京からの出馬不可の通知を恐れ、選挙前の互いの挨拶の言葉は「通知を受けたか?」であったという。通常の民主的選挙では有権者の投票によって行われる議員の新陳代謝は、「中国式」選挙においては、政府がお膳立てをするのである。
再選を断念したのはどういう者たちか。まず、「元民主派」である。かつて民主党に所属した狄志遠議員は「中間派」を自称し、政府と一定の距離を置いて活動した。狄志遠は出馬を模索したが、最終的に断念した。政権への「忠誠」が最重要条件とされる状況下で、元民主派が重用されることはない。次に、高齢の議員である。70歳以上の立法会議員は12人いたが、最終的に全員が不出馬となった。中国には最高指導部も68歳を定年とする不文律があり、香港立法会にも事実上定年が設けられたと見ることができる。さらに「トラブルメーカー」も、出馬断念に追い込まれた。立法会で李家超行政長官を批判し、逆に李家超から「黒暴(黒い暴力、2019年の抗議デモを政府が非難する際の用語)を連想させる言葉遣い」と非難された謝偉俊議員、米国に亡命し、香港政府から国安法違反とされ指名手配されている義父をもつ容海恩議員は、出馬を断念させられた。結果的に、定数の3割を超える35人の現職立法会議員が出馬せず、議会を去ることとなった。
「質の高い」・「安全」な競争
最終的に立候補できたのは161人であった。候補者は非常に美しく分布している。普通選挙枠(定数20)は、定数2議席の10選挙区で構成される。候補者合計51人は、1つの選挙区で6人が立候補した以外、残り9区はすべて5人ずつの出馬となっている。職能別選挙枠(定数30)においては、定数3の労働界に5候補者、定数1の社会福祉界に3候補者が立った以外は、残り26枠すべてで候補者2名が1議席を争う。選挙委員会選出枠(定数40)は、ちょうど25%多い50人の立候補であった。中国には、選挙前の調整によって候補者数を一定数に絞り込む「差額選挙」という方式があるが、そうした「中国式」の手法で、候補者の選出が行われた可能性が想像される。
90議席の立法会の全議席について定員を超える立候補があり、無投票当選者はゼロとなる。これを政府は「激しい競争」とアピールしているが、競争を演出するためか、定数1の職能別選挙各枠で、経済団体や政党など、同一の組織がわざわざ複数の候補を立てるという不思議な現象も起きている。勿論このようなケースでは、1人が本命で、もう1人は当て馬であろう。
ただし、今回の選挙について政府が強調するのは「激しい競争」だけでなく、「質の高い競争」である。「愛国者治港」を実現した今、習近平政権のキーワードである「質の高い発展」にふさわしい競争が求められる。港澳弁は候補者に対し「反中乱港分子のようなデマ、中傷などでコミュニティを分断してはならない」と呼びかけた。国安法以前の香港の選挙を、中国政府は「反中乱港勢力」が政府を妨害し、民主を歪めることを許した欠陥ある制度としている。それとは違う選挙活動が、候補者には求められるのである。
それでは、候補者はどう振る舞うべきなのか。11月11日から政府は「愛国者が心を一つに香港を統治する論壇」と題する討論会を始めたが、その口火を切った新界西南選挙区の討論会は、候補者が相互に質問をせず、司会者の問いに答え続ける静かなものとなった。聴衆は政府を通じて入場券が配付された親中派の団体や候補者の支援者であり、支援者が賑やかに声援を送った一方、不規則な発言や聴衆からの質問はなかった。しかしこれでは「競争」を欠く。報道によれば、政府は初日の様子を見て、すぐに候補者に相互に応酬するよう指示したという。翌日の討論会は冒頭司会者が「他の者と異なる観点を出すように」と促し、議論が活性化されたという。
選挙のもう一つのキーワードは「安全」である。立候補受付期間中、港澳弁や駐香港国家安全公署は、「反中乱港勢力」や外部勢力はまだあきらめていない、あらゆる勢力の選挙への干渉を許さないといった強硬姿勢の文章を発表した。
民主派がいた当時の立法会は、民主派が野党的役割を果たしたことは勿論、民主派に対抗する親政府派もしばしば政策批判を行い、行政を監視してきた。民主派が消えた現在の香港では、「行政主導」の原則が強調され、立法会は行政に協力し、献策することを求められるようになっている。つまり、立法会は中国の人民代表大会や、政治協商会議のように、常に香港政府を完全に支持することが期待されているのである。したがって、選挙イヤーの今年、候補者はかつてとは逆に、政府批判を特に控え、メディアで大きく報じられた失政についても口をつぐみ、できる限り目立たないようにする戦略を採った。
知名度を必要とする選挙ではあるが、スタンドプレーが過ぎる者は政治問題を起こしかねず、「安全」を最優先する中国政府に警戒されてしまう。選挙による「政治化」を回避することもまた重要な命題であった。選挙のたびに行われ、舌戦が展開されてきた、報道各社による候補者の討論番組はすべてキャンセルされ、開催の形式や質問内容などをすべて政府が管理できる、政府主催の討論会に一本化された。
投票への大動員
このような、候補者から選挙運動まで、すべて政府のお膳立てによる静かな選挙に、一般市民の関心を向けることは容易でない。しかし中国政府は、新しい「中国式」の選挙制度が市民に支持されていることを示して、欧米諸国からの民主化後退や人権弾圧への批判に反論したい。このため、投票率を上げることが香港政府の至上命題となっている。前回2021年選挙の投票率は史上最低の30.2%であった。これを超えられるかが焦点である。9月14日のマカオ立法会選挙で53.35%という投票率が記録されると、香港政府にとっても大きなプレッシャーとなった。
香港政府は手を尽くして選挙のムードを盛り上げ、投票率を上げようと躍起になっている。親中派の同郷会・コミュニティ組織などの動員はもちろん、香港政府は一般企業に対しても投票のための半日の有給休暇付与を促し、一部企業は応じる姿勢である。イベントも欠かせない。立候補受付開始日の10月24日には、香港政府は初めての「選挙起動式」を開催したほか、投票前日には大型芸能イベントで宣伝を行うという。
最大の動員対象は公務員である。李家超行政長官は公務員に公開書簡を送り、公務員は自ら選挙を支持せよ、投票は公民の責任であり、基本法の擁護と香港に対する忠誠の宣誓を体現する具体的方式、公務員の理念を体現する実際の行動であると述べた。公務員は選挙宣伝キャンペーンに家族ぐるみで動員されている。11月14日、選挙管理委員会は今回の選挙では10カ所の「公務員専用投票所」を設けると発表した。公務員労組の幹部は、これが投票に対する無形の圧力になると述べている。公務員が職務を離れて投票する場合、政府はタクシー代を支給するという。
強くて脆い「中国式」政治体制
このように、「中国式」の香港立法会選挙では、政権に対するリスクがすべて制度によって排除されている。それに加え、中国政府は陰に陽に影響力を行使し、誰が立候補し、どのような選挙戦を展開し、誰が当選するかをあらかた支配しながらも、表面上は「高度の自治」の下での「質の高い民主」を演出するという形で、選挙の過程もすべてプロデュースしている。投票日はまだ先だが、選出された議員たちが全員「愛国者」として、政権への忠誠を強く誓うことは100%確実である。
しかし、このような選挙で、政府が民意を知ることは可能か。国安法体制の下、香港では批判的なメディアが弾圧されたのみならず、政府に不都合な情報を出す科学的な民意調査も終了に追い込まれるなど、市民の真の対政府感情を知る指標はどんどんなくなっている。選挙期間中すら候補者の政府批判を抑え込んでおきながら、競争や投票率といった数字にこだわる政権の姿勢には、政権自身も民意を把握できていないことへの恐怖が反映されているのではないか。
矛盾に満ちた香港立法会選挙の過程からは、そうした「中国式」政治体制の強さと脆さを見て取ることができるのである。
写真の出典
- 筆者撮影
著者プロフィール
倉田徹(くらたとおる) 立教大学法学部教授。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。在香港日本国総領事館専門調査員、金沢大学国際学類准教授などを経て現職。専門は現代中国・香港政治。著書に『中国返還後の香港:「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会、2009年、サントリー学芸賞)、『香港政治危機:圧力と抵抗の2010年代』(東京大学出版会、2021年、大平正芳記念賞)。共著に『香港 中国と向き合う自由都市』(岩波新書、2015年)など。
