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盛大に催されたベトナム戦争終結50周年式典──トー・ラム書記長論文の注目点

A grand ceremony to mark 50 years since the end of the Vietnam War: Key points of General Secretary To Lam’s papers

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001416

今井 昭夫
Akio Imai

2025年6月

(4,266字)

去る4月30日、ベトナムではホーチミン市において、盛大にベトナム戦争終結50周年が祝賀された。今から50年前の1975年4月30日にベトナム共和国(南ベトナム)の首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落して約20年間続いたベトナム戦争(ベトナムでは「救国抗米戦争(1954―1975年)」と言われる)はベトナム民主共和国(北ベトナム)側が勝利を収め、ベトナムの南北分断状況に終止符が打たれた。翌1976年に正式に南北統一され、現在のベトナム社会主義共和国が成立した。それ以降、毎年、4月30日は「南部解放、国土統一の日」としてベトナムでは記念式典が開催されている。

今年の記念式典は50周年という区切りの年でもあり、例年以上に大規模に開催された。旧南ベトナム大統領官邸だった統一会堂の前の広場が式典会場となり、そこに到るレ・ズアン通りでは華やかなパレードがおこなわれた。ホーチミン市中心部は今までにない人数の見物客であふれ、街中が祝賀ムードに包まれた。

ベトナム戦争終結50周年を祝う立て看板(2025年4月、ホーチミン市)

ベトナム戦争終結50周年を祝う立て看板(2025年4月、ホーチミン市)
兵器の披露がなかった軍事パレード

今回のパレードには約1万3000人が参加した。2015年の40周年記念の時が約6000人といわれているので、その2倍以上である。人民武装勢力(軍隊と公安)からは38組がパレードに参加し(軍隊が25、公安が13)、12組の大衆団体も参加した。軍事パレードでは、南ベトナム民族解放戦線旗を掲げる「(南ベトナム)解放軍」の姿もあった。海外からは、中国、ラオス、カンボジアから総数300人以上の兵士も加わった。中国からは人民解放軍の儀仗隊が参加した。海外からの参加は初めてのようである。しかし中国と同様にベトナム戦争に多数の兵士や軍事顧問・技術者を北ベトナムに派遣していたロシア、それから北朝鮮は参加していなかった。また軍事パレードでは戦車やミサイルなどの兵器の披露は見られなかった。

大衆団体の代表として、退役軍人、元青年突撃隊隊員、農民、知識人、労働者、女性、青少年などの組と並んで、企業家や在外ベトナム人の組も含まれていたのが注目される。民間経済や民族和解・民族和合を重視している表れであろう。

記念式典ではトー・ラム書記長が開幕演説

記念式典には、友好国の賓客としてラオスのトーンルン・シスリット国家主席、カンボジアのフン・セン上院議長、キューバのサルバドール・バルデス・メサ副大統領、ベラルーシのイパタウ・ヴァジム下院副議長、そして中国からは裴金佳・退役軍人事務部部長が出席した。日本からは伊藤直樹駐ベトナム大使が出席した。またイタリア、アメリカ、フランス、日本、インドなどの各国共産党指導者も招待されていた。

「トランプ政権、米外交官に対しベトナム戦争式典欠席指示か」との報道が4月22日に米紙ニューヨーク・タイムズによって伝えられ、米越関係改善に取り組んできたアメリカの退役軍人などから落胆の声が上がった。しかし結局、在ホーチミン米総領事が出席していたといわれている。

ベトナム共産党のトー・ラム書記長は、式典に先立つ4月27日に論文「ベトナム国は一つ、ベトナム民族は一つ」(以下、「27日論文」とする)をベトナム各紙に発表した。さらに4月30日の式典においても開幕演説(以下、「30日論文」とする)をおこなっている。2015年の40周年記念式典の時は、当時のグエン・タン・ズン首相が式典で開幕演説(以下、「ズン論文」とする)をおこなった。今回の50周年式典で書記長が開幕演説をおこなったことは、党がこの記念日をより重視する姿勢を示しているといえる1

トー・ラム書記長の27日論文と30日論文の違いは、前者が新聞記事用論文で後者が演説用論文という点にあるが、後者は、ベトナム戦争の勝利の要因(5項目)や教訓(7項目)について列挙し、要因と教訓のいずれも共産党の指導が最も重要な点であると、より強調している。

トー・ラム論文でのアメリカの扱い

27日論文では、ベトナム戦争は植民地主義・帝国主義に対する民族解放運動であるとしているが、「アメリカ帝国主義」という言葉は使われておらず、「救国抗米戦争」という言葉も一度しか出てきていない。そして米越間の退役軍人の感動的な交流がされていることや米越関係が2023年に「包括的戦略パートナー」に格上げされたことに言及されている。

30日論文では「アメリカ帝国主義」が一度だけ使われている。しかし40周年のズン論文では「アメリカ帝国主義は露骨に新たな植民地体制を押し付け、南ベトナムを米軍基地にし、南部の革命を残酷に鎮圧し、北部で激しい破壊戦争を繰り広げた。彼らは数多くの残虐な犯罪を引き起こし、わが同胞とわが国に多大な苦痛と損失をもたらした」と厳しく断罪していたのに対し、トー・ラムの30日論文では「アメリカ帝国主義は最新の近代的な兵器を備えた大量の兵士を動員し、多くの危険な戦争戦略を展開し、北部に対して残虐な二度の破壊戦争を進め、国の南北両方の人民に多大な苦痛と損失をもたらした」とよりソフトな言い方になっている。

ズン論文で引用されているホー・チ・ミン主席の有名な言葉「アメリカを追い出し、傀儡を打倒する」はトー・ラム論文では用いられていない。ズン論文や27日論文では、ベトナム戦争中の北ベトナム支援者として「ソ連、中国と社会主義諸国」や「全世界の平和的・進歩的人民」が挙げられていたが、30日論文では後者についてわざわざ「アメリカの進歩的人民」を名指しで付け加え、アメリカへの歩み寄りをさらに進めている。

トー・ラム論文におけるベトナム共和国(南ベトナム)の扱い

トー・ラム書記長の27日論文にしても30日論文にしても、大きなテーマは民族和解・民族和合である。ベトナム戦争は、ベトナム人同士が戦ったという「内戦」性よりは、アメリカとの戦争であることが強調されてきた。「南部解放、国土統一記念日」に際しては、とりわけ国内のベトナム共和国側だった人々や在外ベトナム人との民族和解・民族和合が問題となる。

これまで長いことベトナム共和国とその軍隊は「傀儡政権、傀儡軍」と呼ばれ、正式な国家・国軍ではないという扱いを受けてきた。しかし2017年発行の史学院チャン・ドゥック・クオン編『ベトナム歴史 第12巻 1954年から1965年まで』( Trần Đức Cường (Chủ biên) 2017)では、「傀儡」を用いず、「サイゴン政権、サイゴン軍」などと称するようになった。このような変化の背景には、中国と係争中の南沙・西沙諸島の領有権問題が関わっていると思われる(ベトナム共和国が持っていた領有権を統一ベトナムが継承するとしているため)。とはいっても「傀儡」がまったく使われなくなったわけではない。2015年のズン論文では「傀儡政権」という言葉が使われていたが、今回のトー・ラムの27日論文でも30日論文では、もはや「傀儡」は使われていない。トー・ラム論文ではサイゴン政権に対するあからさまな批判は控えられている。

トー・ラム論文ではどんな「新しい時代」が目指されているのか

ズン論文もトー・ラム論文も、ベトナム戦争勝利による南部解放と国土統一の後、ドイモイでの成果を踏まえ、今後の「新しい時代」を展望するという構成は似通っている。ズン論文では3つの戦略的ブレイクスルー(経済再構築、成長モデル刷新、生産性・品質・競争力の向上)の推進が謳われ、ベトナムを近代工業国家にすることが目指されていた。トー・ラムの30日論文では、2045年までの先進国入りがあらためて目標に掲げられた。

27日論文は、自力自強経済、包括的で現代的な全人民国防・安全保障、簡素で効率的・効果的な行政システム、発展・団結・文化的・人道的な社会がこれまで以上に求められているとし、論文末尾では、目指すところは「国際社会において重要な地位と発言力を持つ、独立・自由・幸福・発展・文明的で繁栄したベトナム」であると述べている。30日論文も「富強・文明的・繁栄・成長する新時代で奇跡を成し遂げ、日増しに、より威厳をもち、より美しく、世界の強国と肩を並べる国を建設する」としている。一方、かつてのズン論文では「平和で、統一・独立し、民主的で繁栄したベトナム」の実現を目指し、「人権、公民権を保障し、人民の民主と自由を強力に推進する」と「民主」や「人権」が盛り込まれていたのに、トー・ラム論文ではそれらが抜け落ちているのが気にかかる。

おわりに

トー・ラム論文の注目すべき点として以下の点が挙げられる。①包括的戦略パートナーシップ格上げ後ということもあり、アメリカに対する姿勢はよりソフトになっている。しかしベトナム戦争当時のアメリカに対する「アメリカ帝国主義」視やベトナム戦争を「救国抗米戦争」とする見方は依然として残っている。これらは対米関係が良好であろうとも、なかなか消えないであろう。これはベトナム共産党の正統性に関わる問題だからである。しかし近年になって「救国抗米戦争」観の見直しがベトナム国外の学界で進んでいる。在米のベトナム系研究者などから、単なる「救国抗米戦争」ではない「内戦」性や中国やソ連の視点などを取り込んだ複眼的なベトナム戦争研究が出てきている(Lien-Hang T. Nguyen 2012)。②かつてのサイゴン政権やサイゴン軍に対して「傀儡」という言葉が使われなくなり、サイゴン政権への批判も控えめになったのは、民族和解・和合に向けての進歩だと評価できる。しかし在米のベトナム系コミュニティなどでは「解放日」を「国恨の日」「黒い四月(Black April)」と呼んだりして、いまだに「解放日」の記念行事に反発している人々も多い。戦後世代がベトナムの全人口の7割を超えており、そういった軋轢も時間と共に減少していく可能性もあるが、若者も参加するSNS上などで論争・対立が再生産されているという側面もある。昨年11月にハノイでオープンした軍事歴史博物館では、当初、ベトナム共和国旗が展示され話題を呼んだが、その旗に対する侮辱的なジェスチャーをする若者たちの写真がSNS上で多数拡散された2。③ベトナム戦争での大勝利とドイモイ約40年の成果の上に、現在、新しい歴史的起点に立っているとの歴史意識がトー・ラム論文には強く窺われる。このような意識をもってトー・ラム書記長は強力に行政改革などを進めているのであろうが、その目指すところには「民主」「人権」への言及は欠落している。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 坪井未来子氏撮影
参考文献
  • Lien-Hang T. Nguyen. 2012. Hanoi’s War: An International History of the War for Peace in Vietnam. Chapel Hill: University of North Carolina Press.
  • Trần Đức Cường (Chủ biên). 2017. Lịch Sử Việt Nam Tập 12: Từ Năm 1954 đến Năm 1965[ベトナム歴史 第12巻 1954年から1965年まで]. Hà Nội: Nhà Xuất Bản Khoa Học Xã Hội. Hà Nội.
著者プロフィール

今井昭夫(いまいあきお) 東京外国語大学名誉教授。ベトナム近現代史専攻。国際学修士。おもな著作に『ファン・ボイ・チャウ 民族独立を追い求めた開明的志士』山川出版社(2019年)、『記憶の地層を掘る アジアの植民地支配と戦争の語り方』(共編著)御茶の水書房(2010年)、『現代ベトナムを知るための60章』(共編著)明石書店(第2版、2012年)。訳書にファン・ダン・タイン&チュオン・ティ・ホア著『ベトナム立憲史』ビスタ ピー・エス(2022年)など。


  1. ちなみに30周年の時も当時のファン・ヴァン・カイ首相が開幕演説をしている。
  2. 2025年5月末時点では既にその旗の展示は撤去されている。同博物館ではベトナム共和国に対して「傀儡」という言葉を展示の説明に依然使用している。