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エクアドル臨時総選挙――前代未聞の大統領候補暗殺が国を震撼させる

Ecuador’s Election: The unprecedented assassination of presidential candidate has shaken the country

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000015

木下 直俊
Naotoshi Kinoshita

2023年8月

(4,560字)

はじめに

2023年8月9日、臨時総選挙(8月20日投開票)が目前に迫るエクアドルで、大統領候補のフェルナンド・ビジャビセンシオ国会議員が暴漢に銃撃され命を落とした1。同氏は首都キト北部の私立セオドア・W・アンダーソン高校での政治集会を終え、車に乗り込むところを襲われた。凄惨な映像は瞬く間にSNSで拡散されエクアドル社会を震撼させた。

事件後、ギジェルモ・ラッソ大統領は「国家を脅迫しようとする者たちよ、我々は引き下がらない。民主主義は残忍な事件に屈することはない」と非難声明を発出し、臨時総選挙を予定どおり行う意向を示した。

近年、治安の悪化が著しく、2023年に入ってからは1月にサリナス市長候補のフリオ・ファラチオ、2月にプエルトロペス市長のオマル・メネンデス、さらに7月には国会議員候補のリデル・サンチェス、マンタ市長のアグスティン・イントリアゴと、政治家や政府高官の殺害が相次いだ。中南米のなかでは比較的治安が良く「平和の島」と呼ばれたかつてのエクアドルは今や見る影もない。本稿では、大統領候補暗殺というエクアドルにおける前代未聞の事件の背景と臨時総選挙に及ぼす影響を検討する。

国会で発言するビジャビセンシオ(2022年4月26日)

国会で発言するビジャビセンシオ(2022年4月26日)
臨時総選挙に至った経緯

2021年5月に就任したラッソ大統領は、政権発足当初の新型コロナ対策で政治手腕を発揮し好調な滑り出しを見せた。しかし、国会では与野党の対立が深まり2、政府が示した諸改革案(税制改正、労働改革、投資促進)はほぼすべて否決された。改革の行き詰まりに加え、景気減速、物価高騰、治安悪化により、大統領の支持率は就任時の74%から2022年6月には10%台へと低下し、政府に対する抗議活動が活発化した。ラッソ大統領は行き詰まった政治的局面を打開するため、今年2月に憲法改正の是非を問う国民投票を実施した。しかし、政府の提案はすべて否決され、ラッソ政権はレームダックの状況に陥った。

かねてより取り沙汰されてきた大統領による汚職疑惑も政権運営に影を落とした。今年1月には現地メディアが大統領義兄ダニロ・カレラの汚職疑惑を報じた。これを受けて、国会は真相究明汚職防止委員会を設置し、同委員会は汚職疑惑に関する公聴会や関係者に対する証人喚問を行い「弾劾裁判開始勧告報告書」を作成した。報告書ではラッソ大統領による隠蔽工作や捜査への介入が明らかにされた。国会は3月16日に報告書を賛成多数で承認し、野党から大統領弾劾決議案が提出された。

国会で弾劾成立の可能性が高まるなか、ラッソ大統領は5月17日に大統領令第741号に署名し国会解散権を行使した3。これにより弾劾手続きは停止され、臨時総選挙(大統領選挙・国会議員選挙)の実施が決定した。

臨時総選挙に向けた動き

全国選挙管理委員会(Consejo Nacional Electoral:CNE、以下「選管」)は5月24日に臨時総選挙を公示した(表1)。投開票は8月20日に行われ、大統領選挙で当選の要件を満たす候補者がいなければ4、10月15日に決選投票が実施される。新大統領就任式は11月25日に予定されており、任期はラッソ大統領が当初務めるはずであった2025年5月24日までである。

表1 主要な政治日程

表1 主要な政治日程

(出所)全国選挙管理委員会(CNE)

5月28日~6月13日に立候補の届出がなされ、正副大統領選挙には最終的に8組の立候補が認められた5(表2)。ラッソ大統領は出馬を断念し与党CREO(右派)も候補者を擁立しなかった。臨時総選挙の実施が突如決定されたことから、高い知名度や堅固な支持基盤を有する候補者が有利となった。選挙戦は事前の予想どおり、ラファエル・コレア元大統領(在任2007~17年)6が支援するルイサ・ゴンサレス候補が優勢に進めた。コレア元大統領は2025年の大統領選挙での返り咲きを狙っており、今回の選挙ではその足掛かりとして、知名度の低いゴンサレスを大統領候補、前回大統領選挙決選投票で敗れたアンドレス・アラウスを副大統領候補に担いだ。ゴンサレス候補はコレア体制の復活を望む低所得者層を中心に支持を集めた。コレア元大統領は在任中に社会政策を拡充し貧困削減や国民の生活水準の底上げを図ったことから、いまだに低所得者層を中心とする岩盤支持層(有権者の30%相当)を有する。しかし、コレア政権は石油・鉱山開発を推し進め、反発する先住民組織や市民団体など抵抗勢力を弾圧するといった強権的な面もあった。また、元大統領自身および政府高官の多くが汚職に関与していた。このためコレア体制に怖れや不信感を抱く有権者も少なくなく評価は分かれている。

投票意思に関する世論調査によると、ゴンサレス候補の支持率が最も高いものの当選要件の40%には届かず、決選投票にもつれこむ可能性が高まっていた。しかし、2位以下は接戦で、①フランス陸軍外国人部隊に従軍した経験をもつジャン・トピック、②ジャーナリスト出身で現職国会議員のフェルナンド・ビジャビセンシオ、③モレノ政権期に副大統領(在任2018~20年)を務めたオットー・ソネンオルスネル、④先住民組織元リーダーのヤク・ペレスなど有力候補がしのぎを削るなか7、ビジャビセンシオ候補の暗殺事件が発生した。

表2 大統領選挙の候補者

表2 大統領選挙の候補者

(注)各候補者の記載は順不同
(出所)現地報道をもとに筆者作成
急増する凶悪犯罪

エクアドルでは2019年以降、殺人など凶悪犯罪が急増している(図1)。10万人あたりの殺人件数は2022年に26.2件と過去最高を記録した(参考・日本は0.2件)。2023年は40件に達すると予測され、殺人発生率世界ワースト3入りがほぼ確実といわれている。

図1 殺人件数の推移

図1 殺人件数の推移

(出所)エクアドル内務省Dinased

地域別ではとくにグアヤキル(グアヤス県都)、エスメラルダス(エスメラルダス県都)、マンタ(マナビ県都)など太平洋沿岸都市部の治安悪化が顕著である。グアヤキルは国内最大の商都として栄える経済の中心地で、より良い生活の機会を求め、国内のみならず近隣諸国からも人口が流入してきた。しかし、人口増加に基礎インフラの整備が追い付かず、周辺にはスラムが形成され犯罪集団の巣窟と化した。現在、国内には十数の犯罪組織があり、組織同士の抗争や資金源確保のための一般犯罪が常態化している。

政府は2022年4月に、太平洋沿岸3県(グアヤス県、マナビ県、エスメラルダス県)に国家緊急事態宣言8を発令した。対象地域を同年10月に10県へと拡大、さらに大統領候補暗殺事件を受けて全土へと拡大した。このほか政府は22年6月に警察官・軍人・刑務官による治安維持のための武力行使を合法化する法律を施行した。しかし、効果は上がらず治安改善の兆しはみえない。

拡大する麻薬組織の勢力

エクアドルは、数十年にわたり武装ゲリラや民兵組織、麻薬カルテルによる暴力で荒廃していた隣国コロンビアに比べ、かつては平穏な安息の地だった。しかし、コレア政権下で米国政府のエクアドルに対する麻薬対策や協力が大幅に縮小され、エクアドルの領空・領海に侵入する不審な航空機や船舶に監視の目が行き届かなくなった。それによりコロンビア国境地帯からエクアドル海岸部、沖合にかけて麻薬輸送が事実上野放しとなった。

さらにコロンビア政府は2000年に「プラン・コロンビア(武力紛争終結・麻薬取引撲滅・経済社会開発促進のための包括的国家戦略)」を開始し米軍主導で大規模な掃討作戦を行った。2016年にゲリラ組織コロンビア革命軍(FARC)と和平協定を締結しFARCが武装解除したことで、エクアドルでの麻薬密売産業が一段と拡大した。

この結果、かつて麻薬密輸ルートの一経由地にすぎなかったエクアドルは、現在ではコロンビア、ペルー、ボリビアから原料を集めコカインに精製し、それらを麻薬消費国である欧米諸国へと出荷する世界最大規模の麻薬産業国へと変貌を遂げた。また、2000年からエクアドルは米ドルを法定通貨とするドル化政策をとっており、マネーロンダリング(資金洗浄)しやすい環境であることも麻薬組織にとって好都合で勢力拡大に拍車をかけた。刑務所や一部の地区に限られていた麻薬組織間の抗争はエスカレートし、今や一般市民の生活を脅かすようになっている9

大統領選挙の争点

凶悪事件の頻発を受け、今回の選挙では治安対策が主な争点となっている。表2で示すとおり、各候補者は公約で治安対策に重点を置いている。殺害されたビジャビセンシオ候補も麻薬組織の一掃と治安対策の強化を公約していた。同氏は主要紙『エル・ウニベルソ』の記者を長年務め、コレア政権期には政権幹部の汚職などを暴いてきた。コレア大統領に対する名誉棄損の罪で18カ月投獄されたほか、数度の暗殺未遂を経験しアマゾンのジャングルに身を潜めていたこともある。今回の選挙では、コレア体制に忌避感を抱く有権者を中心に支持を拡げていた。

ビジャビセンシオ暗殺事件後の8月13日に実施された大統領候補公式討論会では5つのテーマ(①治安対策──組織犯罪・暴力、②経済対策──雇用創出・経済発展、③社会政策──教育・医療・文化・福祉、④政治──民主主義・市民参画、⑤環境政策──持続可能な開発)が取り上げられたが、意義のある政策議論は行われなかった。

大統領選挙の結果

臨時総選挙当日、国内4390カ所に設けられた投票所には、警官5.1万人、兵士4.0万人が動員され厳戒な警備態勢が敷かれた。候補者には厳重な警護がつき防弾チョッキを着用して投票を行う候補者もいた。

選管が発表した速報結果(現地時間22日08時30分時点、開票率97.6%)によると、事前の予想どおり、当選に必要な票を獲得した候補はおらず(図2)、第1位のゴンサレス候補(得票率33.5%)と次点のダニエル・ノボア候補(得票率23.5%)との決選投票が10月15日に実施されることが確実となった。

図2 大統領選挙速報結果

図2 大統領選挙速報結果

(出所)全国選挙管理委員会(CNE)

ノボア候補が次点になったことは驚きをもって受け止められた。同候補はバナナ王として知られる南米有数の資産家ルイス・ノボアの孫で、大統領選に5回(1998、2002、06、09、13年)出馬したアルバロ・ノボアの子息である。ノボア候補は公約として国軍と警察を統合した諜報機関の設立や刑務所の新設、米国・EU・イスラエルの支援下での国境監視・港湾警備・幹線道路管理の強化、経済再建と雇用創出を通じた一般犯罪の抑制などを掲げている。

第3位にはビジャビセンシオ氏の代替候補として急遽出馬したジャーナリストのクリスティアン・スリタ候補が食い込んだ10。選挙活動期間は僅か1日であったが、ビジャビセンシオの名前および顔写真が記載された投票用紙がそのまま使われたこともあり同情票が集まった。

おわりに

岩盤支持層(有権者の30%相当)を持つコレア派のゴンサレス候補の優位は揺るがないとみられてきたが、ビジャビセンシオ候補暗殺事件が今回の選挙に与えた影響は小さくない。凶悪犯罪におののく日々を送る有権者は、犯罪組織に立ち向い平穏を取り戻すことのできる強い指導者を求めている。この点で、ゴンサレス候補よりも明確なビジョンを示すノボア候補に分があるように思える。もっとも、第3位以下の候補者がゴンサレス、ノボアいずれを支持するのか現時点では態度を明らかにしておらず、今後の動向次第で形勢が変わる可能性がある。有権者はいずれの候補者に国の未来を託すのか予断を許さない。

(2023年8月22日脱稿)

[付記]本稿では紙幅の関係で国会議員選挙は取り上げなかった。決選投票の結果とあわせて稿を改める。この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、所属機関および、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではない。
写真の出典
参考文献
著者プロフィール

木下直俊(きのしたなおとし) 〔公財〕国際金融情報センター中南米部主任研究員、東海大学文学部非常勤講師。在エルサルバドル日本国大使館派遣員、在エクアドル日本国大使館専門調査員を経て2013年より現職。


  1. この事件で国会議員候補や警官など9名が負傷したほか、主犯格の1名は射殺、容疑者6名が逮捕された。犯行の動機など詳細はいまだ不明、政府は事件翌日に米連邦捜査局(FBI)に協力を要請し捜査中である。事件1週間ほど前からビジャビセンシオ陣営には殺害予告など脅迫が数回あった。国内最大規模の麻薬犯罪組織「ロス・ロボス」や「ロス・チョネロス」の関与が囁かれている。
  2. 国会(一院制、定数137議席)では与党CREOを中心とする会派「全国合意ブロック(BAN)」の議席が28議席にとどまり、左派(①「希望のための連合(UNES)」、②「パチャクティ多民族運動(MUPP)」、③「左翼民主党(ID)」)が計86議席と主導権を握っていた。
  3. 憲法第148条には「国会が憲法上の権限から逸脱する機能を行使する場合、国会が不当に国家開発計画の実施をいく度も妨害する場合、国会が深刻な政治危機や内紛を引き起こす場合には、大統領は憲法裁判所の裁決のもと国会を解散させることができる」と規定されている。国会解散権はエクアドルでMuerte cruzada(刺違えを意味)と呼ばれており、現行憲法(2008年制定)で初めて規定され、その行使はエクアドル史上初。
  4. 大統領選挙は憲法第143条に基づき、①有効票の過半数を獲得する候補者、もしくは②得票率が40%を超えかつ次点候補の得票率と10%ポイント以上の差がある候補者がいれば当選が確定する。いなければ上位2者での決選投票が45日以内に実施される。
  5. 大統領選挙には副大統領候補とペアを組んで出馬しなければならず(憲法第143条)、今回の選挙から男女均等の原則が適用され、ペアは男女混合でなければならない。
  6. コレアは2007年1月から3期(新憲法下で2期)10年にわたる長期政権を築き、2017年に夫人の出身国ベルギーに移住した。しかし、2020年4月に収賄罪で懲役8年、政治参加禁止25年の有罪判決を受けた。コレアには逮捕状が出されたが、ベルギーとエクアドルのあいだには犯罪人引き渡し条約がなく、収監に至っていない。前回2021年の大統領選挙で出馬を試みたが、実刑判決を受けていること、エクアドルに居住していないこと、立候補の届け出を直接本人ができないことから断念した。
  7. 世論調査会社Cedatosの調査結果(8月9日発表)では、①ゴンサレス35.4%、②ビジャビセンシオ18.4%、③トピック18.0%、④ペレス11.9%、⑤ソネンオルスネル7.5%であった。一方、世論調査会社Comunicalizaの調査結果(8月9日発表)では、①ゴンサレス31.0%、②トピック15.7%、③ソネンオルスネル9.2%、④ビジャビセンシオ8.2%、⑤ペレス6.5%であった。
  8. 憲法第164条では、侵略、武力紛争、深刻な内乱、自然災害などの場合に大統領は国家緊急事態宣言を発令することが認められている。国家緊急事態宣言下で、当局は住居や通信の不可侵性、移動、結社、集会、情報の自由に対する権利を停止または制限することができる。
  9. 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が2023年3月に公表した『世界コカイン市場報告2023』によると、コカイン生産量は近年急増(2020年約2000トン、2014年比ほぼ倍増)している。新型コロナ・パンデミックに伴う外出制限、海外渡航の減少、ナイトクラブの閉鎖などにより、コカインの需要が大幅に減少し末端価格が急落したため、麻薬組織の収入が激減、組織間抗争激化の一因となった。
  10. 公職選挙法第112条では、「公職選挙の候補者が死亡した場合、または心身不能に陥った場合、その候補者を擁立した政党・政治運動は後任を擁立する権限を有する」と規定している。