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インド・ナガランド8時間体験記

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051720

2020年5月

(6,219字)

2019年11月27日の午後1時ごろ、筆者はインド北東部にあるナガランド州のディマプール空港に着陸した。オランダのアジア研究機構(IIAS)、アンベードカル大学(インド)およびナガランド州政府が共同で主宰する「相反する社会基盤(Ambivalent Infrastructures)」という国際会議に参加するためである。同じく学会に参加する人はほかにも大勢いて、知り合いも少なくない。辺境の地にある小さな空港は遠いところから集まった外国人で一気に賑やかになった。長い旅の疲れを忘れ、会議への期待も高まる。そして、私たちの不思議な体験もここから始まった。

ディマプール空港

インド北東の三州(ナガランド、マニプルとミゾラム)に渡航する外国人は現地の警察署で登録することが義務付けられる。以前はもっと厳しく、観光ビザのほかに滞在許可を事前に取得する必要があったが、近年は大きく緩和された。パキスタン、バングラデシュ、中国国籍は例外で、特別な許可が必要である。しかし、申請手続きに関する情報を見つけるのはなかなか難しい。

そこで筆者は渡航前にインド大使館に事情を説明し、アドバイスを求めた。すると、領事から観光目的の電子ビザでよいとの返答をもらった。また出発前には、ナガランド州政府の首席秘書(Principal Secretary)からサイン入りの招待状が届いていた。インド到着後、コルカタ空港で入国手続きを行う際、担当者にナガランド州を訪問する計画を伝えても何の問題もなかった。だから筆者は、目的地に行けると信じて疑わなかった。

ディマプール空港に到着すると、現地スタッフが参加者のパスポートをまとめて空港内派出所の警察官に提出した。警官たちは、ビザとホテル情報を確認してからパスポートを次々と戻していく。カナダ、オランダ、フランス、日本。ところが中国パスポートだけは戻ってこない。筆者だけでなく、香港で勤務する中国籍の研究者も同じ状況であった。ビザの問題なし、ホテル情報も問題なし、問題があるのは、国籍なのだ。

同じく会議に参加する予定の中国国籍者は4人いる。空港で足止めされた2人のほかは、1人はすでに到着済みで、もう1人は翌日の便で到着する予定だった。先に到着した1人は登録義務を知らずそのままホテルへ直行したようだ。申告しなくても、警察はまったく気づかないのだ。しかし、一旦申告をすると、何らかの対応が求められる。空港の警官たちが慌て始めた。どうやら前代未聞のケースのようだ。

ナガランド州は民族と言語が多様なことで知られる。たまたま立ち会った担当警官たちは、チベット・ビルマ系に近い顔立ちであった。会議を組織する現地スタッフはローカルの言語で警官とずっと交渉していた。①会議の参加者は事前にナガランド州の首席秘書から招待状をもらったこと、②州政府から会議参加者の活動の自由が約束されたこと、③参加者全員がインド大使館の発行したビザを取得していること、④行動範囲は市内に限ること、などを一生懸命に説明しているとこちらは勝手に推測する。でもなかなか決まらない。

長時間かかりそうなので、ほかの会議参加者は先にホテルへ移動し、空港には組織者の一人であるアンベードカル大の教授、現地スタッフ2人、中国人2人およびそれぞれの同僚が1人ずつ残った。教授と現地スタッフはいずれもポジティブな考えで、こちらもなんとなく安心する。

しばらくすると、空港内の掃除が始まった。私たちが乗ってきた飛行機は最終便のようで、到着ロビーは間もなく閉まる様子。仕方なく、すぐ隣の出発ロビーに移動して待機することになった。ロビーには私たち以外の空港利用者は誰もいない。空港スタッフは暇そうにスマートフォンで遊びながら、終業時間を待っている。

到着してから1時間半が過ぎても進展はない。2時間ほど経った頃だろうか、一人の女性警官が現れ何かを説明する。空港の警察出張所では決められないので、市内の警察署に移動しなければならないという。仕方なく一同は主催者側が事前に手配してくれた車で市内に移動することになった。その女性警官はスクーターに乗って、前で道を案内し、私たちの車はその後についていった(写真1)。

写真1 スクーターで先頭を走る警官

写真1 スクーターで先頭を走る警官

車内では現地スタッフが様々な人に助けを求める電話をかけ続けた。この間、2人の中国パスポートは戻されず、女性警官が所持したまま。ディマプールの町は至る所が工事中で、埃まみれである。道路両側の売店では赤い星が並べられていた。ここはバプティストがマジョリティであり、クリスマスを祝う習慣があるという。星は大きければ大きいほど良いようだ。クリスマスに近づくと、星以外の飾り物も増えるという。

ディマプールの風景
イースト・ポリス・ステーション

20分ほどでディマプール市内の警察署(East Police Station)に到着した。ちょうど滞在予定のホテルの向かい側に位置するので、まずはホテルに荷物を降ろすことになった。ここで先に到着した中国人(ニューヨークに留学中)と合流し、必要書類をもって警察署へ移動する。面倒を避けるため、インド人の先生と現地スタッフ以外は同行しなかった。警察署内には外国人登録を担当する部署があり(写真2)、そこのスタッフもまたチベット系の顔つきである。必要な書類はすべて提出したので、後は待つのみ。隣では現地スタッフがひたすら電話で助けを求めていた。

写真2 警察署の外国人登録窓口

写真2 警察署の外国人登録窓口

午後4時半をすぎると、警察署のスタッフは次々と退勤した。そして、外国人登録を担当する女性スタッフが笑顔でパスポートを戻してくれた。ところが、滞在許可が下りるかどうかはまだわからないという。どうやら早く退勤したいのでパスポートを戻しただけのようだ。

この間、われわれ3人の中国人は、中国とインドの歴史に関する雑談で盛り上がった。シッキム、ナガランド独立運動、中印領土紛争などなど。戦争の歴史もあるので、中国人を警戒するのも分からなくはない。しかし、ナガランド州は中国とインドの紛争地域からだいぶ離れているのだ。どちらかというと、ナガランド州で続く分離独立運動への警戒であろうと勝手に推測するしかない。

午後5時になって、少し偉そうな男性スタッフが現れ、私たちに「24時間以内に州から離れてほしい」という最終判断を伝えた。

淡々と結果を受け止めるわれわれ3人に、現地スタッフは申し訳ないとひたすら謝った。この時点では空港はすでに閉まっていたので、離れる方法は陸路しかない。私たちは、一泊して明日の便でコルカタに出ればいいものと勘違いしていた。後に現地スタッフから説明があって、3人は夜の電車でナガランド州を離れることになったという。切符はすでに警察が手配しているとのこと。厄介なものをいち早く州から追い出したいのであろう。

外国人が登録せずに活動できるのは隣のアッサム州で、その最大の町であるグワハティ行きの電車に私たちは乗ることになった。グワハティからデリー、コルカタへ飛ぶ便は多いので、そこまでいけば何とかなりそうだ。出発時間は夜の9時45分。このまま警察署で待つのかと思ったら、ホテルで待機していいとのこと。なんと優しい。

ホテル・アカシア
ホテルに戻り、会議に参加する人々に自己紹介と別れの挨拶をした。主催者側のオランダ人の先生は激怒し、みんなでアッサムに移動しようと言い出す。さすがにそれは無理があるということで、ナガランド州に隣接するアッサム州の町で会議を開催することを検討した。ホテルから州の境界までは車で20分しかかからないので、可能性はある。でも、中国人3人が州境ギリギリのところで「活動」することが警察にばれたらもっと厄介なことになりかねない。結論が出ないまま、皆で夕食の会場へ移動した。私たちにとっては、ナガランド州での最初で最後の食事となる(写真3)。

写真3 ナガランドの郷土料理

写真3 ナガランドの郷土料理

食事中にも主催者側はいろいろと可能性を探る。車で3人を隣のアッサムの町まで送ることは可能かどうかも検討するが、警察を刺激したくないという理由で却下された。警察にも彼らのロジックがある。中国人3人が州から出て行ったことを証明しなければならないのである。したがって、中国人はディマプール発の電車に必ず乗るように求められたのだ。

食事を終えてロビーに戻ると、優しそうなおじいさんが待っていた。私たちを駅まで案内する警官である。ホテルから駅までは徒歩で5分ほどの距離だが、車で案内してくれるようだ。ナガランドでの滞在許可は下りなかったものの、私たちが接した警官はみんな優しい。駅へ移動する際、おじいさん警官は英語で私たちに何度も謝った。「世界の隅っこで、このような体験をさせてしまい、すまない」という表現が忘れられない。

ディマプール駅
駅に到着したのは午後8時半だが、電車はすでにホームに入っていた(写真4)。乗車時刻までは時間があるので、駅のホームは乗車待ちの人で混雑していた。そして、ぼろぼろの電車を見て3人とも暗い気持ちになった。

写真4 乗車待ちの人々

写真4 乗車待ちの人々

駅には別の警官2人が待っていて、電車の切符が渡された。そして、中国人3人と警官たちは集合写真を撮った。州から追い出したという証拠写真でもある。出発まで時間があるので、休憩室へ案内された。一般の乗客が待機する場所ではなく、駅中にある警察の休憩所で、静かで快適な場所だった。優しい警官の思いやりでもある。そこで、見送りに来た会議参加者と雑談しながら、3人とも携帯電話の充電を急ぐ。優しい現地スタッフは車内で食べるお菓子まで調達してくれた。

午後9時35分、みんなで2等寝台車に乗り込んだ。もしかしたら、私たちはこの路線に乗った初の中国人かもしれないと冗談を言いながら、3人は暗い気持ちを紛らわせた。座席がバラバラだったので、一か所にまとめるよう優しい警官に頼んだ。警官はすでに車掌に伝えたというが、ほかの乗客には伝わっておらず、座席をめぐってインド人たちが何かを議論し始めた。仕方なく、車掌が来て調停するのを待つことに。

「インドの寝台列車は女性には危険すぎると聞いたことがある」と香港からの女性研究者が中国語でつぶやいた。とりあえず、彼女を上段ベッドに上らせ、男2人は下の段に座って待つ。しばらくすると、車掌が現れた。警察署が発行したチケットを見せ、私たちの要求を伝えると、すぐに1か所(上、中、下の3段ベッド)に調整してくれた。集まっていたインド人たちも笑顔で去った。最初から私たちの座席番号を伝えて調整できればよかったけれど、先方は英語がうまく通じないのでしょうがない。

筆者にとって、インドでの鉄道の旅は初めてではない。デリーからアムリッツァまで電車で移動したことがある。でも、それは食事付きの特等席であった。まさか、いつか自分がこのような電車に乗るとは。映画の中の世界が現実になったのだ。そこには、東京、ニューヨーク、香港にそれぞれ拠点をおく3人の中国人がいる。これもまた不思議な光景だ

写真5 真夜中の寝台列車(左)と隣車両への通路(右)

写真5 真夜中の寝台列車(左)と隣車両への通路(右)
電車がゆっくり動き出した。警官たちは駅のプラットフォームで私たちを最後まで見送っていた。ナガランド州の滞在もここまでだ。日本に帰国後に同僚から聞いたが、「送還者を乗せた電車が出発した」というアナウンスが駅構内で流れたようだ。突然現れた3人の中国人に対処することは、地元警察にとってはかなりの大事のようだった。
なぜ中国人だけが追い出されたのか

ナガランド州での体験について予想はしていたものの、退去させられた理由は未だに不明である。日本に戻ってから、同僚のインド専門家になぜ中国人だけが追い出されたのかを聞くものの、誰も明確な答えを出せない。以下は筆者の推測に基づいた分析である。

まず、公式的な見解から見れば、本件は国籍の問題ではない。もし、何らかの規定があるのであれば、インド大使館でビザを申請する段階で許可がおりなかったはずである。むろん、審査官がビザ申請書類(特に訪問予定地)を細かく確認せず、申請を許可したという解釈もできる。しかし、コルカタ空港の入管担当者にも口頭でナガランド州に行くと伝えたことを鑑みると、中国国籍はだめだという規定はないと考えられる。

次に、ナガランド州政府のなかでは、中国(あるいは中国人)に対する意見が分かれている。招待状を発行した首席秘書が不注意で4人の中国人の招待状にサインしたとは考えにくい。州政府のなかには、中国に対し比較的リベラルな意見を持つソフトライナーがいて、首席秘書はその1人であると考えられる。なぜかというと、2018年の秋、インド人民党(BJP) の書記長(National General Secretary)ラーム・マーダブ氏が率いる訪中団が北京を訪れた際、インド北東部のインフラ建設に中国の参加を歓迎するという発言をしたことがある。そして、その訪中団のメンバーはインド北東地域の各州1からの代表によって構成されていたのである2。以上のことを鑑みると、この推測はある程度正しいと思われる。

一方で、ナガランド州政府のなかには、中国に対し厳しい意見を持つハードライナーもいて、警察がその典型である。中印の領土紛争だけではなく、中国がナガランドの独立運動へ関わることに対する警戒もあり、域内における中国および中国人の活動に神経をとがらせていると考えられる。そして、筆者たちに送られた招待状の件について警察は事前に把握していないかった可能性が高い。それゆえ、最終判断を下すのに4時間も費やしたのだと考えられる。インドの北東エリアでは領土紛争、独立運動などへの警戒から軍隊と警察の権威が非常に強いため、最終的には警察の判断が優先されたと思われる。

要するに、中国人だけが追い出された理由は、公式的な見解ではなく非公式な見解、すなわち現場の判断によるものだと理解したほうがよかろう。さらに踏み込んだ分析はインド専門家に委ねたい。いずれにせよ、筆者のナガランドでの体験はインドを理解するもう一つの視点を提供できよう。

電車の目的地であるグワハティでは、この頃、市民権改正法に反対するデモが行われていた。やがてこのデモは大きな騒乱へとエスカレートし、世界中に知られる。むろん、電車の中にいる私たちにはこの状況を知るよしもなかった。インド北東エリアの情勢が良好になることを願いながら本稿を終えたい。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

任哲(REN Zhe) アジア経済研究所新領域研究センター研究員、博士(国際関係学)、専門は現代中国政治、主な著作に『中国の都市化――拡張、不安定と管理メカニズム』(共編)アジア経済研究所(2015)、『中国の土地政治――中央の政策と地方政府』勁草書房(2012)など。

書籍:中国の都市化――拡張、不安定と管理メカニズム


  1. 中印両国間で領土紛争のあるアルナチャル・プラデシュ州(中国では蔵南地区という)の代表を除く。
  2. "Govt seeks China role in northeast connectivity plan," The Times of India, Aug 16, 2018.
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