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貿易だけではない貿易協定――労働法の執行を怠ると貿易協定違反になるのか?

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051416

2019年6月

(6,224字)

第二次大戦後の世界貿易体制の下で取り組まれてきた貿易自由化は、企業活動における国境の壁を低くし、サプライチェーンのグローバル化を推し進めてきた。そのサプライチェーンにおいて、近年、労働者の基本的人権の確立や労働条件の改善、あるいは環境保護を促進する動きが高まっている。2015年6月のG7エルマウ・サミットでも、「国際的に認識された労働、社会及び環境上の基準、原則及びコミットメント(特に国連、OECD、ILO及び適用可能な環境条約)が世界的なサプライチェーンにおいてより良く適用されるために努力する」ことが宣言された。こうした動きを反映して、二国間・地域間の貿易協定に、最低限の労働条件や労働者の権利を定める労働基準に関する規定、いわゆる労働条項を組み込むケースが急増している。
貿易協定における労働規定の扱われ方

貿易に関する国際ルールは、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)とその後継である世界貿易機関(WTO)を中心に形成されてきた。GATTの多角的貿易交渉は「ラウンド」と称され、関税引き下げや非関税障壁の削減・撤廃を推進する際の主要なメカニズムとして働いてきた。他方、環境問題や労働政策など貿易以外の要素については、GATTの場で積極的に議論されることはなかった。こうした状況が変化し始めるのは、1986年に始まったウルグアイ・ラウンド以降である。環境も労働もウルグアイ・ラウンドの直接の交渉対象ではなかったが、環境に関しては、1991年にGATTの紛争解決手続きに持ち込まれたマグロ・イルカ事件1を契機に急速に関心が高まった。労働基準の問題もウルグアイ・ラウンドの交渉アジェンダに含めようとする主張が欧米諸国で盛んとなり、貿易の社会的側面に関する議論が激化した。

しかし環境と労働という2つの分野は、1995年に設立されたWTOにおける扱いという点で、その後正反対の道を歩むこととなる。環境は、2001年に開始された新たな多角的貿易交渉であるドーハ開発アジェンダで正式な交渉項目となり、現在もWTOの場で議論が続いている。一方の労働問題は、1996年にシンガポールで開かれたWTOの第1回閣僚会議において、労働基準を扱う権限のある機関は国際労働機関(ILO)であるとする宣言が採択され、WTOでは扱わないこととなった。こうした状況は、その後のアメリカやEUなど欧米諸国の貿易と労働に関する政策に大きな影響を与えた。

貿易ルールを定めているのはWTOだけではない。二国間・地域間で締結される貿易協定も、ルールメーキングという重要な機能を担っている。とりわけ1990年代以降は、貿易協定の数が急速に増えており、WTOルールとは別途、当事国間にのみ適用される貿易ルールが網の目のように形成されている。そして、最近の貿易協定は幅広いイシューを扱う包括的なものとなっている点が特徴的である(表1)。貿易協定は、従来、関税引き下げや非関税障壁の撤廃などを主な目的として結ばれてきたが、近年は貿易自由化に関連する措置だけでなく、投資、知的財産権、環境や労働、経済協力といった貿易に関連する様々な問題も含めて交渉・締結されるようになってきた。

表1 最近の貿易協定に含まれている代表的な項目

表1 最近の貿易協定に含まれている代表的な項目

(出所)各貿易協定から筆者作成。

法的拘束力のある労働条項を盛り込んだ最初の貿易協定は、1994年に北米自由貿易協定(NAFTA)の補完協定として締結された北米労働協力協定である。それ以来、アメリカが結ぶ貿易協定に労働条項が挿入されるようになった。そして世界的にみると、労働条項を有する貿易協定の数は1995年には4本しかなかったが、2005年には21本、2015年には 75本と急増した(図1)。ILO(2016)の調査によると、そのうちのほぼ半数は2008年以後に発効しており、また2013年以後に発効した協定の80%以上は労働条項を伴っているという。労働条項の内容も拡充されてきており、例えば、2018年12月に発効した環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP、いわゆるTPP11)は、労働条項としては非常に幅広い規定を盛り込んでいる。

図1 労働条項を備える貿易協定の数の変遷(1980年~2015年)

図1 労働条項を備える貿易協定の数の変遷(1980年~2015年)

(出所)WTO, The Regional Trade Agreements Information System (RTA-IS) , ILO (2013)などにより筆者作成。
(注)* 効力が発生しているRTAの総数。

こうした動きの背景として、上で述べたように労働問題がWTO交渉の対象外となり、多角的貿易体制の下では労働関連規定を強化するのが難しくなったことが挙げられる。アメリカやEU、欧州自由貿易連合(EFTA)、カナダ、ニュージーランドといった貿易の社会的側面を積極的に規律していこうとする国や地域が、二国間・地域間の貿易協定を活用し始めたのである。また、2011年に国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」に象徴されるように、2000年代に入ってから責任あるサプライチェーンに対する意識が国際的に高まってきていることも影響している。

その結果、例えば2010年にEFTAは、貿易協定では労働問題を扱ってこなかったそれまでの姿勢を転換し、貿易協定に挿入されるべき労働や環境に関するモデル条項を提示した。このモデル条項を協定に組み込むか否かは当事国の任意であるが、その後に交渉・締結された貿易協定の多くが、環境、労働、森林資源、水産物資源などに言及し、貿易と持続可能な開発に係わる条項を有している。

またEUは、2000年代以降、貿易相手国との戦略的パートナーシップ形成に向けて包括的な貿易協定の締結を推進する政策を打ち出した。その延長線上として2015年にTrade for allと題する貿易政策を発表し、環境や労働といった社会的要素を重視する姿勢を一層強化した。EUは「貿易は単なるモノとサービスの交換ではなく、基準や価値を持続させるためのもの」という考え方をベースに、サプライチェーンの責任ある管理を貿易政策における重要な課題と位置付けている。そして、最近のEUの貿易協定には「貿易及び持続可能な開発(Chapter on trade and sustainable development)」という章が設けられ、その中には貿易相手国が労働者の権利を保障するための拘束力ある条項が含まれている。

このように貿易協定に労働条項が含まれるようになると、協定上の義務の一環として、労働法の改悪や労働基準の引き下げができなくなる。とりわけ先進国-途上国間の貿易協定は、途上国の労働環境を改善するための有効な手段として期待されていた。しかし、こうした労働条項は貿易協定の中に存在はするが、実際には十分活用されてこなかったのが現状である。労働条項の内容が漠然とした努力目標を掲げているに過ぎなかったり、具体的な義務を明記していても、やはり貿易協定は貿易自由化の促進や貿易関係の強化が中心課題であり、労働関連規定の義務内容が実施されなくても、取り立てて責められるようなことは無かったのである。

労働条項が紛争となったケース

労働条項を盛り込んだ貿易協定の多くが、協定上の義務違反があった場合の苦情申立てや紛争解決のためのメカニズムを備えている。しかし、労働関連規定の義務違反を理由に紛争解決手続きがとられたケースはほとんどない。2016年までに紛争解決手段が利用されたのはアメリカが関連する4つの貿易協定に基づいたもの(申立件数は合計で47件)だけであり、それらの申立ても1件を除いて、紛争解決機関による決定や制裁につながる局面までは至らなかった(ILO 2013: 43-55, ILO 2016)。その唯一かつ初のケースとして、2017年6月、アメリカ-グアテマラ間の紛争に対する仲裁パネル決定が公表された。

アメリカとグアテマラは中米自由貿易協定(CAFTA-DR)2の締約国であり、CAFTA-DRの第16章(労働に関する章)は、締約国に労働法を実効的に執行することを求めている3。アメリカは、グアテマラにおける低水準の労働慣行がグアテマラの労働者の権利を侵害していると同時に、アメリカの労働者やビジネスに損害を与えているとして、2010年、CAFTA-DRに基づきグアテマラ政府との協議を開始した。復職や未払い賃金の支給を求めたグアテマラ裁判所の命令を企業が実行するよう政府として働きかけをしなかったり、グアテマラ労働法に違反している状況の精査をしなかったり、そうした労働法違反に対して労働組合との調停プロセスの制定といった適切な対応をとらなかったというのがアメリカ政府の主張である。その後状況が改善されないため、2011年にアメリカは、団結権や団体交渉権、あるいは差別のない適正な労働条件の下で働く権利といった労働者の基本的な権利を保障しているグアテマラ労働法の実効的な執行を求めて、仲裁パネルの設置要請に踏み切った(ILO 2016: 142-145)。

紛争解決手続きでは、「アメリカ-グアテマラ間の貿易に影響を与えるような方法で、グアテマラがその労働法の実効的な執行を怠ったか」が争われた。仲裁パネルはグアテマラが労働法の実効的な執行を怠っているとしたが、それが両国の貿易に影響を与えるような方法でなされていることは証明されておらず、CAFTA-DRの労働条項自体には違反していないと結論づけた。グアテマラの労働者の権利が十分に保障されていない現状がありながら、その労働環境をCAFTA-DRでは改善できなかったことから、アメリカ内外で貿易協定における労働条項の強化を求める声が高まっている。

貿易協定の労働条項を貿易相手国の労働環境を改善するためのてこに使い始めているのは、アメリカだけではない。欧州委員会は2018年12月、EU-韓国自由貿易協定で合意された労働条件の改善や労働環境の向上に向けた韓国側の取り組みが不十分であるとして政府間協議を要請した。2011年に締結されたEU-韓国自由貿易協定は、上述の「貿易及び持続可能な開発」章を有している。EUがこの章の条項に基づいて紛争解決手続きを開始するのは今回が初めてである。「貿易及び持続可能な開発」章の中では、当事国政府がそれぞれ独自に労働保護水準を定めることができるとしつつも、国際的に認められた基準や合意と整合するような形で労働者の基本的権利が保障されるよう、労働関連法や労働政策を実施することが求められている。さらにILO基本条約などの批准に向けて持続的に努力することも掲げられている。EUは韓国に対してこの義務の履行を再三求めてきたが、韓国側は国内事情を理由にILO条約の批准を先送りしてきた4

軽視できない労働条項

このように、アメリカやEUは貿易協定を通じて国際的に労働者の権利を保障していく姿勢を強く打ち出している。もちろんその背景には、低賃金で生産される製品の輸入によって自国の雇用が奪われるのを防ぐといった保護主義的な考えもある。アメリカがNAFTAの再交渉によって、自動車の原産地規則に賃金要件(時給16ドル以上の労働者によって生産された部品を一定の割合で調達しなければ、関税ゼロの恩恵を受けられない)を加えたり、労働組合の組織化をメキシコに認めさせたりしたのも、アメリカの労働者の雇用を守ることが第一義的な目的であった。しかし、アメリカ-グアテマラの仲裁パネル決定をきっかけに、人権的な視点から貿易相手国の労働環境の改善を求める「貿易と労働」の議論が再燃しているのも事実である。日本の場合、アメリカと貿易協定を結んでいなくても、アメリカの貿易協定の相手国(例えばメキシコや中南米の国々など)に拠点を持っている日本企業は、こうした労働条項への配慮が必要となろう。また、2019年2月に発効した日本-EU経済連携協定にも、EU-韓国自由貿易協定と同じような労働条項が盛り込まれており、直接的な意味でも影響がある。

貿易協定の労働条項はもはや休眠状態ではなく、責任あるサプライチェーンを実現していく手段として積極的に活用されるようになってきている。さらに労働問題のみならず、環境や人権問題も包含する持続可能な開発という視点をサプライチェーン全体にわたって強化する動きへと発展している。貿易協定は今や貿易だけにとどまらず、国連の持続可能な開発目標(SDGs)や「ビジネスと人権に関する指導原則」が目指すものと同じ軌道を進んでいるのである。政府も企業も、労働問題を注視することなく貿易政策を立案したり貿易活動を行ったりすることはできない時代になりつつある。

参考文献
  • ILO 2013. Social Dimensions of Free Trade Agreements. International Institute for Labour Studies. Geneva: ILO.
  • ILO 2016. Assessment of Labour Provisions in Trade and Investment Arrangements. Geneva: ILO(日本語訳「貿易・投資の取り決めにおける労働関連条項の評価」).
著者プロフィール

箭内彰子(やないあきこ)。アジア経済研究所新領域研究センター法・制度研究グループ主任研究員。LL.M.(国際・比較法)。専門は国際経済法、国際開発法。おもな著書に『途上国からみた「貿易と環境」:新しいシステム構築への模索』(共編著)アジア経済研究所(2014年)など。

書籍:途上国からみた「貿易と環境」

  1. 国内の環境保護法などに基づく貿易規制措置が自由貿易を妨げる手段となっていないかをめぐり、アメリカとメキシコが争ったケース。イルカを混獲して収穫したメキシコ産のキハダマグロをアメリカが国内法に基づいて輸入禁止としたのがきっかけ。
  2. CAFTA-DRは、2004年5月に締結されたアメリカと中米5カ国(エルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラス、ニカラグア、グアテマラ)のFTAと、同時期に合意が成立したアメリカ-ドミニカ共和国FTAを統合したものである。
  3. 16章2条1(a)項項「締約国は、締約国間の貿易に影響を与えるような方法で、持続的または反復的な作為または不作為を通じて、その労働法を実効的に執行することを怠ってはいけない。」
  4. ILOが採択した8つの基本条約には、結社の自由や強制労働の禁止、児童労働の禁止、差別禁止など労働者の基本権利が含まれている。韓国はこのうち「強制労働」(第29号、第105号)、「結社の自由」(第87号)及び「団結権・団体交渉権」(第98号)に関する条約を批准していない。