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カンボジア:フンシンペック党の弱体化、分裂の危機か

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049658

 天川 直子

2006年6月

フン・セン首相とラナリット殿下に対する名誉毀損で実刑判決をうけ、亡命していたサム・ランシーは、2月に国王の恩赦を受けて帰国した。以来、フンシンペック党の弱体化が目立つ。

帰国直後にサム・ランシーが、内閣成立に必要な賛成票を定数(123議席)の3分の2から過半数に減らす憲法改正案を提案すると、フン・センは人民党(現73議席)が2008年選挙に勝利すればサム・ランシー党(現24議席)を連立政権に迎えると発言するなど、連立政権のパートナーであるフンシンペック党(現26議席)にまったく配慮しない態度を示した。 3月初めにこの憲法改正案が可決されると、フン・センは、人民党員とフンシンペック党員を同じ役職に任命する「政治的任命割当制度」は終わったと宣言し、フンシンペック党のニエック・ブン・チャイを共同国防相から、同じくシリウッドを共同内務相から解任する提案をした。ここでラナリットは国会議長を辞任し、シリウッドを党首代理に任命して、自身はフランスへ出国した。

国会は、ニエック・ブン・チャイを共同国防相から解任したが、兼任の副首相職への残留は認めた。ところがシリウッドについては、共同内務相のみならず副首相職に留まることも認めなかった。シリウッドが人民党とサム・ランシー党のみならず、フンシンペック党議員の支持も失っていることが明らかになった。

フンシンペック党では、チャクラポンが事務局長を辞任し、シリウッドも党首代理を辞任した。これで党内には王族の指導者はいなくなり、実質的な指導権はたたき上げの軍人であるニエック・ブン・チャイに移った。

6月には同党内の非難合戦が伝えられた。チャクラポンは、ニエック・ブン・チャイがあたかもフンシンペック党の代表者のように振る舞うことで、党員の離脱や、党を自己利益にのみ利用する傾向を生んでいると非難し、一方、ニエック・ブン・チャイはチャクラポンが新党結成を企んでいると非難している。

1993年の総選挙以来、総選挙の度に議席数を減らしてきたフンシンペック党は、党の存在意義をかけた正念場に立たされている。