地域的な包括的経済連携(RCEP)協定の経済効果――IDE-GSMによる分析

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.143

2021年3月26日発行

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  • RCEPによる関税削減がメンバー国経済に与える影響について、IDE-GSMを用いて推計を行った。2019年時点の関税率をベースラインとして、RCEP協定により決められた関税率が2021年より利用可能になると仮定した場合、2030年時点で日本のGDPを0.66%引き上げることが分かった。日本以外では韓国(0.24%)・中国(0.13%)へのプラス効果が大きい。
  • RCEPにインドが加盟したと仮定したシミュレーションでは、実際のRCEPと比較して2030年時点でインドのGDPは0.64%増加した。
  • RCEPに日本が加わらなかったと仮定したシミュレーション、中国が加わらなかったと仮定したシミュレーションで最もマイナスの影響を受けるのはともに日本で、中国がそれに続いた。RCEPの経済的メリットの中核は、日中両国が初めてそろうRTAであるということができる。

2020年11月15日、日本、中国、韓国、ASEAN10カ国、オーストラリア、ニュージーランドの15カ国は地域的な包括的経済連携(RCEP)協定に署名した。RCEPは2012年11月に交渉開始が宣言されており、8年越しの合意となったが、インドについては2019年11月に交渉から離脱し、RCEPへの参加は実現しなかった。

RCEPがカバーする地域は、ASEAN自由貿易地域(AFTA)を中心に様々な二国間・多国間の地域貿易協定(RTA)が複雑に重なり合っており、RCEPがもたらす経済効果に関する詳しい試算は限られている。ここでは、各国・各地域への影響をアジア経済研究所の経済地理シミュレーションモデル(IDE-GSM)を用いて試算した。

IDE-GSMは企業レベルでの規模の経済を前提とした空間経済学に基づく計算可能な一般均衡(CGE)モデルの一種である1。2007年よりアジア経済研究所で開発が進められ、国際的なインフラ開発の経済効果分析などに利用されてきた。

ここでは、①今回合意した15カ国によるRCEP(RCEP15)、②RCEPにインドが加わった場合(RCEP15+I)、③日本がRCEPに参加しなかった場合(RCEP15-J)、④中国がRCEPに参加しなかった場合(RCEP15-C)、の4とおりのシナリオについて、経済効果の試算を行った。

シナリオ

RCEPの経済効果についてのシミュレーションは以下のシナリオに沿って行った。

ベースライン―― RCEPが存在しないと仮定し、各国の関税は基本的に2019年時点のものが続くと仮定(詳しくは後述)。

RCEP15―― 15カ国によるRCEPが2021年に発効すると仮定。

RCEP15+I―― RCEPにインドが加わり、2021年に発効すると仮定。RCEPに加わった場合のインドの関税率については、既にインドとRTAを持つ国とのペアの関税はベースライン・シナリオのまま推移すると仮定。RCEPがインドとの初めてのRTAとなる国とのペアについては、他のRTAを参考に関税率を適用2

RCEP15-J―― 日本以外のRCEP加盟国間についてはRCEP15と同様の関税率を適用。日本とのペアについてはベースライン・シナリオのまま関税率が推移すると仮定。

RCEP15-C―― 中国以外のRCEP加盟国間についてはRCEP15と同様の関税率を適用。中国とのペアについてはベースライン・シナリオのまま関税率が推移すると仮定。

ここでは、RCEP15シナリオについてはベースライン・シナリオと、RCEP15+I、RCEP15-J、RCEP15-CシナリオについてはRCEP15シナリオと2030年時点で比較し、各国・各地域のGDPの差分をRCEPによる経済効果とみなしている。また、今回の試算はRCEPによる関税の削減効果に絞って行っており、多くの国がRTAでカバーされることによる累積(cumulation)効果や非関税障壁の削減効果については考慮されていない。

これらのシナリオで用いられている関税データについて詳述しておこう。RCEPにより決められた特恵関税率はRCEPの協定書より入手しているが、ベースライン・シナリオにおける関税データは、世界貿易機関(WTO)などにより整備されているWorld Integrated Trade Solutions (WITS)やTariff Analysis Online(TAO)などから入手している。

RCEPの重要な特徴として、日中間、日韓間を除くと、すべての国ペアで既に少なくとも1つのRTAが発効していることである。そのため、既存のRTAによって利用可能になっている関税率をベースライン・シナリオにおいて考慮しておくことが重要である。本モデルでは、2019年までの関税率(RTA特恵税率含む)を取り込んでいる。ただし、データ制約から、韓国とタイは2018年時点、マレーシアは2014年時点の関税率までを含んでいる。

ベースライン・シナリオでは、これら最新年の関税率が、その後もそのまま継続して課税されると設定している。このことは、既存のRTAにより決められている最新年以降の関税削減スケジュールは考慮されていないことを意味する。一方、RCEPによる将来の関税削減スケジュールは協定書に基づいて考慮されているため、時間が進むにつれて、既存RTAの特恵税率よりもRCEP税率のほうが低くなる可能性が高まることに注意すべきである。

この既存RTAによる段階的関税削減を原因とし、本シミュレーション分析によるRCEPの経済効果はわずかながら過大評価されていることになる。しかしながら、既存のRTAによる段階的関税削減はおろか、2019年時点の関税率までを反映させたもとで、RCEPの経済効果を分析したものは存在しないため、既存の分析結果よりは精緻なものと考える。

推計結果

表1はRCEP15の経済効果を産業別・国・地域別に示したものである。GDP比でみた場合、RCEP15から最も利益を得るのは日本(0.66%)で、韓国(0.24%)、中国(0.13%)が続く。これは、日中間、日韓間にはRTAが存在していなかったため、RCEPによってこれらの国ペアがカバーされることのメリットが大きいためである。産業別にみると、日本は繊維・衣料(3.01%)・その他製造業(2.28%)・食品加工(1.29%)のメリットが大きくなっている。

図1はRCEP15の地域別の経済効果をベースラインとの比較で地図上に示したものである。細かく見ていくと、例えばベトナムについては、北部の経済効果が全般的に南部よりも大きくなっているなど、一国のなかでも経済効果に濃淡があることが読み取れる。

表1 RCEP15の経済効果(2030年、ベースラインとの比較)

表1 RCEP15の経済効果(2030年、ベースラインとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算。

図1 RCEP15の経済効果(2030年、ベースラインとの比較)

図1 RCEP15の経済効果(2030年、ベースラインとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算。地図の作成には磯野生茂研究員の協力を得た。

表2はインドが加盟したと仮定したRCEP15+Iの経済効果をRCEP15との比較でみたものである。RCEPへのインドの加盟で最も利益を得るのはインド(0.64%)で、オーストラリア(0.16%)、ニュージーランド(0.18%)、中国(0.09%)が大きなメリットを受ける。これは、インドとこれら3カ国の間に現状ではRTAが存在しないためである。産業別に見ると、インドについてはその他製造業(1.90%)、繊維・衣料(1.31%)、自動車(1.05%)が大きなメリットを享受することが分かる。

表2 RCEP15+Iの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

表2 RCEP15+Iの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

(出所)IDE-GSMによる試算。

表3は現状のRCEP15に日本が加わらなかったと仮定した場合の影響を、RCEP15との比較において示したものである。日本が最も大きなマイナスの影響を受け(-0.65%)、中国がそれに続く(-0.11%)。韓国については、RCEPから外れる日本に対して対中貿易で優位になるため、マイナス幅が小さくなっていると考えられる。

表3 RCEP15-Jの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

表3 RCEP15-Jの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

(出所)IDE-GSMによる試算。

表4は現状のRCEP15に中国が加わらなかったと仮定した場合の影響を、RCEP15との比較において示したものである。最も大きなマイナスを受けるのは日本(-0.64%)で、韓国(-0.20%)、中国(-0.13%)と続く。中国が加わらないことで、日中韓がカバーされるRTAであるというRCEPのメリットの殆どが失われてしまうことが分かる。

表4 RCEP15-Cの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

表4 RCEP15-Cの経済効果(2030年、RCEP15との比較)

(出所)IDE-GSMによる試算。
まとめ

関税削減効果のみをみた場合でも、日本はRCEPからかなり大きなメリットを得られることが分かる。また、韓国、中国についてもRCEPの経済効果が大きい。

インドについては、IDE-GSMによる試算に基づけばRCEPに加盟すれば経済的なメリットは大きかったと考えられる。インドのRCEPへの参加は結局実現しなかったが、これは経済的な利害に基づく判断というよりも、国内の政治的な状況に加え中印関係の悪化も含めた政治的な判断(椎野[2020])であったと考えるのが妥当であろう。

RCEPに日本か中国のどちらかが加わらなかったと仮定した場合、離脱した国がマイナスの影響を受けるだけでなく、RCEPに残った他方の1国にとってもRCEPのメリットはかなり小さくなる。関税削減の面から見れば、日中両国が初めてそろうRTAであることがRCEPのメリットの中核であるということができる。

参考文献
  • 熊谷聡・磯野生茂編(2015)『経済地理シミュレーションモデル ――理論と応用――』アジア経済研究所(https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Books/Jpn_Books/Sousho/623.html)。
  • 椎野幸平(2020)「中印関係悪化が暗雲をもたらすRCEP交渉」世界経済評論IMPACT(http://www.world-economic-review.jp/impact/article1803.html)
  1. IDE-GSMでは関税・非関税障壁・輸送費など広義の貿易費用を変更することにより、財の需給や価格、人口や産業集積の変化を通じて各国・各地域のGDPが変わってくる。ここでは、2030年時点で分析シナリオとベースライン・シナリオとのあいだで国別・地域別・産業別のGDPを比較し、その差分を経済効果とみなしている。モデルやパラメータの詳細は、熊谷・磯野(2015)を参照。
  2. 中国からインドへの輸出についてはASEAN-India RTAにおけるインドの2019年税率を適用。インドから中国への輸出についてはASEAN-China RTAにおける中国の2019年税率を適用。オーストラリア・ニュージーランドからインドへの輸出についてはJapan-India RTAにおけるインドの2019年税率を適用。インドからオーストラリアへの輸出についてはAustralia-China RTAにおけるオーストラリアの2019年税率を適用。インドからニュージーランドへの輸出についてはChina-New Zealand RTAにおけるニュージーランドの2019年税率を適用。

(くまがいさとる/はやかわかずのぶ 開発研究センター・経済地理研究グループ)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。

<関連する論文、報告書>

アジ研ポリシーブリーフ No.140 RCEPは本当に質が低いのか?――関税率の観点から 早川和伸 https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/PolicyBrief/Ajiken/140.html

アジ研ポリシーブリーフ No.141 RCEPの貿易創出効果――原産地規則の観点から 早川和伸 https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/PolicyBrief/Ajiken/141.html

研究会開催報告「RCEPをどう見るか:政治学・経済学の研究課題」 https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/Seisaku/202011

<研究会のページ>

東アジア地域における貿易投資ルールの政治学・経済学的分析

https://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Project/2020/2020260005.html

<関連するページ>

ジェトロ地域・分析レポート特集「RCEPへの期待と展望-各国有識者に聞く」

https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2021/0202