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海外研究員レポート

ミャンマー農業・農村開発研究の動向

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050672

久保 公二

2019年1月

(7640字)

要旨
  • ミャンマーの農業・農村研究は、大規模な農村調査で収集したデータと確立された手法を用いて研究論文が量産される新たな段階に入った。
  • ミャンマーの農村・農業の実態が定量的に解き明かされるとともに、新しい研究課題の発掘が進むことが期待される。
はじめに

近年、欧米の研究者によるミャンマー農業・農村開発研究が急速に拡大している。長らく軍事政権下にあり、欧米諸国から経済制裁を受けていたミャンマーでは、一部の例外1を除いて欧米の研究者が農村調査に基づく研究を行うことはなかった。ミャンマー農村研究では、高橋昭雄(1992、2000)や藤田幸一(Fujita et al. 2009)、岡本郁子(Okamoto 2008)をはじめとする日本人研究者による限られた研究が存在する程度であった。しかし、2011年3月にミャンマーが民政化し、その後、経済制裁も解除されたことで、欧米の研究者による農村調査に基づく研究が増えている。

2018年10月29日にシドニー大学とミシガン州立大学がミャンマー・ヤンゴンで共催したミャンマー農業・農村開発ワークショップでは、欧米および日本の研究者が集い、研究報告を行った。筆者もこのワークショップに招へいされ、欧米の研究者と交流することができた。今回の海外研究員報告では、このワークショップをとおして知ることができた欧米の研究者によるミャンマー農業・農村開発研究を紹介する。

USAIDプロジェクトの概要

欧米の研究者によるミャンマー農業の調査で最も大規模なものが、アメリカ国際開発庁(USAID)のミャンマー食料安全保障政策プロジェクト(Burma Food Security Policy Program)である。このプロジェクトは2014年9月に米・緬政府間で合意され、5年間のスケジュールで実施されている2。同プロジェクトは、ミャンマー農業の包摂的成長に向けた政策策定のベースとなるエビデンスの収集を目指すもので、米・ミシガン州立大学が実施主体となり、ミャンマーの有力シンクタンクであるMyanmar Development Resources Institute-Center for Economic and Social Development(MDRI-CESD)や米国の国際食糧政策研究所(IFPRI)と共同で調査を行っている。プロジェクト活動には、ミャンマー政府への政策提言とミャンマー側研究機関の能力形成も目標に掲げられているが、調査に重点が置かれている。ミシガン州立大学からは、Thomas Reardon教授をはじめとした著名な農業経済・農村開発専門家が参加し、組織的なデータ収集に基づく研究成果を次々と公表している。

同プロジェクトの農村家計データの収集は、ミャンマー全国を均一にカバーしているわけではないが、ミャンマーの地理・気候の多様性を考慮して、次の4つの地域でそれぞれ1,100から1,600戸程度のサンプル数の家計データを収集している。これらの地域には、(1)エーヤーワディー河デルタ地帯(エーヤーワディー、ヤンゴン管区)、(2)中央乾燥地域(マグウェ、マンダレー、サガイン管区)、(3)移民流出の顕著なモン州、および(4)シャン高原(シャン州)の4つが含まれる。これらの4つの地域で約6,000世帯の家計データが収集されている。

サンプル世帯の選定にあたっては次のような工夫がなされている。まず、4つの地域のそれぞれで、地理的・経済的条件でそれぞれの地域を代表する4つ程度の郡(Township)を選定する。さらにそれぞれの郡から50程度の村落(Village tract)を選定し、各村落においてランダムにサンプル世帯が抽出されている。調査地域におけるサンプルの代表性は十分に配慮されている。

この調査では、4つの地域について比較できるような質問項目とともに、地域ごとに設けられたテーマについてもデータが収集されている。4地域に共通する調査項目には、次のようなものが含まれる。

  1. 生産される作物の多様性
  2. 農村家計からの国内外への移民の送り出し
  3. 農作業の機械化
  4. 農村における非農業就労
  5. 農村における金融サービス(与信)へのアクセス

長らく閉鎖的な体制にあったミャンマーの農業部門の停滞がどのような状況にあるのかが、これらの項目の調査をとおして明らかにされる。  

テーマ別の調査には、次のようなものが含まれる。

  1. モン州の農村生計総合分析(モン州)
  2. 淡水魚養殖バリューチェーン(エーヤワディー、ヤンゴン管区)
  3. 輸出向け豆類バリューチェーン(デルタ、中央乾燥地帯)
USAIDプロジェクトの成果

同調査は、これまで定量的なデータで語られることのなかったミャンマー農村の姿を描き出し、これまで停滞のイメージで語られていた農村経済が、過去10年余りの間に大きな変容を遂げていることを明らかにした。第一に、農村からの移民が過去10年余りで加速している。移民を送り出している家計の割合は、4地域で平均すると3分の1に達し、とりわけモン州では49%にも達していた。これらの移民を送り出している家計のうち、過去10年以内に移民を送り出したケースが8割程度に達している。これは近年、農村からの移民が急増していることを意味する。移民の行き先は9割が国内で1割が国外であり、国内の移民は都市部に向かうケースのほかに、地方・農村に向かうケースもある。

第二に、農村からの移民の流出と並行するかたちで、農業の機械化も進んでいる。二輪・四輪耕運機のレンタル市場が発達し、農地整備を機械化している農家の割合が10年前には1割程度であったのが、近年では過半数に達している。同時に、農業労働者の賃金も上昇していることから、移民による農村の労働力の減少が、農作業の機械化を促しているとの関係が示唆されている。

第三に、農村における非農業就労機会・非農業収入が増え、農村における経済活動が多様化している。土地なし労働者だけでなく小規模農家であっても非農業収入が平均して家計の収入の過半を占めている。非農業収入は、家計が送り出している移民からの送金ばかりではない。農村の所得が上昇することで、家屋の整備や新築などの消費活動が活発化するとともに、運輸サービスなども発展し、就労機会が多様化している。

以上の結果の一部は、Myat Thida Win et al.(2018)として公刊されているが、そのほかにも多数のワーキングペーパーが執筆されており、これからWorld Development、Journal of Development StudiesJournal of Rural Studiesなどのジャーナルに公刊されていく模様である。

研究成果の取りまとめと論文の公刊については、淡水魚養殖バリューチェーンの分析が先行している。同分析は、これまでのミャンマー農村開発研究でほとんど取り上げられていなかった分野である。同分析では地理情報システム(GIS)のデータ分析により、ミャンマーのデルタ地帯の養殖池を網羅的に補足し、サプライチェーンを調査している。養殖された淡水魚は国内市場で消費されており貴重な蛋白源を提供するばかりでなく、生産者にとっても収益性が高い。農地の養殖池としての利用をミャンマー政府は公式には認めていないが黙認しており、過去10年ほどの間に生産が拡大した。小規模な生産者の参入が続いており、それを支える周辺産業(幼魚の育成、エサ、輸送業など)も発展していることが、詳細な調査から明らかになった。サプライチェーンの概要を示したBelton et al.(2017)や、淡水魚養殖の地域経済への波及効果を分析したFilipski and Belton(2018)など複数の論文がジャーナルに公刊されている。

モン州の農村家計総合調査は、同州の農村経済の持続的な発展について経済白書をまとめている。同州から隣国タイへの移民による労働力流出はこれまでもしばしば議論されてきたが、今回の調査により、農村部の家計の移民からの送金への依存の実態が明らかになり、農村家計の生計の安定のために収入源を多様化させる方策が示されている。これらのレポートは、ミシガン州立大学のウェブサイトで閲覧できる。

その他の研究グループ

オーストラリアのシドニー大学の研究グループは同国の科研費を利用して、ミャンマー農村部の食糧・栄養摂取の実態調査を行っている。シドニー大学のBill Pritchard教授の研究グループが、ミャンマーの二つの大学(University of Public Health, YangonおよびUniversity of Community Health, Magway)をカウンターパートとして、2015年から2018年にかけて調査を実施している。同研究の予備的調査に基づく論文は、Rammohan and Pritchard(2014)に公刊されており、今回の研究はそれを拡張するものである。

サンプル選定方法については、USAIDの調査と同様に3つの地域を選定している。これらは、マグウェイ管区(中央乾燥地域)、エーヤーワディー管区(デルタ)、チン州(少数民族が住む山岳地で人口密度が低く経済開発が遅れている)である。それぞれの地域について二つの郡(Township)を選定し、各郡で20の村をランダムに選定し、さらに村毎に30家計をランダムに抽出して家計調査が実施された。総サンプル数は約3,200世帯となっている。

調査の関心は、ミャンマー農村部の特に貧困世帯における食糧・栄養摂取の現状を確認し、栄養摂取の決定要因を明らかにするとともに、栄養摂取と整合的な農村開発の方法を議論することにある。主な研究成果としては、次のような発見がある。第一に、農村家計の栄養摂取の質の高さと家計収入とは必ずしも比例していない。ここで、栄養摂取の質とは、穀物に加えて野菜や肉類など摂取する食品の多様性を指している。家計所得に占める非農業収入が高い場合、収入の水準にかかわらず栄養摂取の質は高くないことが分かった。第二に、土地の保有と栄養摂取の質も比例関係にはなく、他方、貧困層については家庭菜園が農村家計の野菜の消費に占める割合が高いことも分かった。第三に、経済開発が遅れており貧困層が多いと考えられているチン州では自足的な農業により、農村世帯の栄養摂取の状態が他の地域と比べても悪くないことも分かった。以上の研究成果の一部は、Pritchard et al.(2018)、 Rammohan et al.(2018)、Vicol et al.(2018)などのジャーナル論文として公刊されており、公刊が予定されている未定稿も多数ある。

もう一つの調査は、英国のサセックス大学の研究グループによる移民の分析である。ミャンマー経済が発展するにつれて増加が予想される農村部からの移民の流出について、政策判断のベースとなるエビデンスを収集することを、この調査は目指している。同グループは、Livelihoods and Food Security Fund(LIFT)というミャンマーに所在する多国間ドナーの基金から資金供与を受け、ミャンマーの労働・移民・人口省人口局をカウンターパートとして、エーヤーワディー管区(デルタ)、マンダレー管区(中央乾燥地帯)でランダム抽出による家計調査を実施し、3,000世帯以上の家計データを収集している。ロヒンギャ問題を抱えるラカイン州と、多様な少数民族が住むシャン州でもランダム抽出による家計調査が予定されていたが、十分な代表性を持つサンプルを抽出できなかったとしている。

調査の暫定的な結果として、次のような点が報告されている。第一に、調査サンプルの4分の1程度の家計から移民を送り出しており、そのうちの25%は国外への移民である。第二に、家計の土地の所有と移民の送り出しの間には明確な関係は見られない。所得水準や農村での就労機会の有無とはあまり関係なく、国内外に移民が送り出されている。こうした結果は、USAIDプロジェクトの結果と整合的である。第三に、特に貧困層の家計は、債務を解消する手段として移民を送り出す場合が多い。同プロジェクトの研究成果の取りまとめは、準備段階にある。

おわりに
近年、ミャンマーの農業・農村研究は、欧米の研究者が大規模な農村調査で収集したデータを用いて、他国との比較の視点を交えながら、確立された手法で研究論文を量産する新たな段階に入った。これまでエビデンスなしに感覚的に語られていた事象が、定量的に分析されるように変化している。さらに、大規模なデータからミャンマー農村の実像が浮かび上がり、そこから新たな研究課題の発掘が進むと考えられる。今後、ミャンマー農業・農村開発研究の底上げが進むことが期待される。
著者プロフィール

久保公二(くぼこうじ)。在バンコク海外調査員(チュラロンコン大学アジア研究所 客員研究員)博士(国際公共政策)。ミャンマー経済の研究に従事し、近刊にMyanmar's Foreign Exchange Market: Controls, Reforms, and Informal Market, 2018, Springer。現在、ミャンマーを含むインドシナ各国から中国への生鮮フルーツ輸出のサプライチェーン調査に取り組んでいる。

参考文献
  • Belton, B, Aung Hein, Kyan Htoo, L. Seng Kham, Aye Sandar Phyoe, and T. Reardon (2017)The emerging quiet revolution in Myanmar’s aquaculture chain. Aquaculture 493, pp.384–394.
  • Belton, B., F. Mateusz, C. Hu, Aung Tun Oo, and Aung Htun(2017)Rural transformation in Central Myanmar: Results from the rural economy and agriculture dry zone community survey. Feed the Future Innovation Lab for Food Security Research Paper 64. Michigan State University.
  • Filipski, M. and B. Belton(2018)Give a man a fishpond: Modeling the impacts of aquaculture in the rural economy. World Development 110, pp.205 –223.(PDF)
  • Fujita, Koichi(ed.)(2009)The Economic Transition in Myanmar after 1988: Market Economy versus State Control. NUS Press and Kyoto University Press.
  • Myat Thida Win, B. Belton, and X. Zhang(2018)Myanmar's rural revolution: mechanization and structural transformation. In. J. Chambers, G. McCarthy, N. Farrelly, and Chit Win(Eds.)Myanmar Transformed? People, Places and Politics. Singapore: ISEAS - Yusof Ishak Institute.
  • Okamoto, I.(2008)Economic Disparity in Rural Myanmar: Transformation under Market Liberalization. Singapore: NUS Press.
  • Pritchard, B, M. Vicol, A. Rammohan, and E. Welch(2018)Studying home gardens as if people mattered: Why don't food-insecure households in rural Myanmar cultivate home gardens? Journal of Peasant Studies, forthcoming.
  • Rammohan, A., and B. Pritchard(2014)The role of landholding as a determinant of food and nutrition insecurity in rural Myanmar. World Development 64, pp.597-608.
  • Rammohan, A., B. Pritchard, M. Dibley, and M. Vicol(2018)The links between agricultural production and the nutritional status of children in rural Myanmar. Food Security 10(6), pp.1603-1614.
  • Vicol, M., B. Pritchard, and Yu Yu Htay(2018)Rethinking the role of agriculture as a driver of social and economic transformation in Southeast Asia's upland regions: the view from Chin State, Myanmar. Land Use Policy 72, pp.451-460.
  • 高橋昭雄(1992)『ビルマ・デルタの米作村――「社会主義」体制下の農村経済』アジア経済研究所
  • 高橋昭雄(2000)『現代ミャンマーの農村経済――移行経済下の農民と非農民』東京大学出版会
  1. たとえば、ハーバード大学Ash CenterのDavid Dapiceの研究グループ。
  2. このプロジェクトに先行して、2012年10月から2013年5月にかけてミシガン州立大学はMDRI-CESDと共同で、ミャンマー農業についての包括的な予備調査を実施している。