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海外研究員レポート
民族衣装が見せるもの――インドネシア独立記念式典より――
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050657
土佐 美菜実
2018年12月
第73回インドネシア独立記念式典
毎年8月17日に行われるインドネシア独立記念式典は国民にとって最も重要な行事のひとつである。
独立73周年を迎えた2018年、式典の日が近づくにつれて、国民の間では出席する大統領や大臣たちの服装が話題に上るようになった。というのも、前年の式典でジョコ・ウィドド(通称、ジョコウィ)大統領をはじめ、閣僚らが自身の出身地に関係なく、インドネシア各地の民族衣装を着て登場し大きな注目を集めたからである。
従来、式典の出席者たちはスーツ姿が一般的で、ジョコウィ大統領も2015年および2016年の式典では黒のスーツ姿であった。歴代大統領たちも同様である。昨年、南カリマンタン地方の衣装で出席したジョコウィ大統領が、今年はどこの衣装で現れるのか、式典を控えたインドネシアでは関心が寄せられていた。
アチェからパプアまで、民族衣装が勢ぞろい
当日、大統領はスマトラ島北部の民族、アチェの衣装(baju adat Aceh)1を身にまとい、会場である大統領宮殿に姿を現した。大統領の隣に並ぶイリアナ夫人は西スマトラ地方のミナンカバウの民族衣装だ。今年も期待を裏切らず、大統領を中心に出席者たちはインドネシア各地の民族衣装で登場したのである。
ユスフ・カラ副大統領とムフィダ夫人はともにスラウェシ島の民族ブギスの衣装で、内閣官房長官プラモノ・アヌンは東ヌサ・トゥンガラ地方のシッカの民族衣装で出席した。このほか、国家警察長官のティト・カルナフィアンも警察の制服を着用しつつ、頭には鳥の羽や動物の牙で立派に装飾されたカリマンタン地方のダヤク族の帽子をかぶっていた。
また政府高官たちのみならず、大統領警護隊(Paspampres)もひとりひとり異なる民族の衣装の出で立ちである。そのなかで、警護隊のひとりがインドネシア最東端の地、パプアの民族衣装を身にまとっていた。最西端に位置するスマトラ島アチェの民族衣装を着た大統領の背後に映る警護隊員の姿は印象的である。
アチェからパプアまで、インドネシア各地の民族衣装を大統領、閣僚、大統領警護隊らがまんべんなく登場させ、今年も注目の的となった。多様な民族衣装が一堂に集う光景は壮観である。
インドネシアにとって唯一無二の独立記念日に民族衣装を正装として選択することを、国民の多くが他民族への敬意と尊重と捉えるだろう。国是である「多様性の中の統一」を視覚的にわかりやすく表現した趣向だといえる。
さらに、こうした動きは独立記念式典にとどまらず徐々に広がりを見せている。
9月23日に来たる2019年の総選挙および大統領選挙に向けた選挙キャンペーンを開始するにあたって、総選挙委員会は「2019年総選挙平和キャンペーン宣言」を立候補者とともに発表した。この宣言式に際して、候補者のひとりである現職のジョコウィ大統領が、今度はバリの民族衣装を着用して出席した(一方でジョコウィとペアを組んだ副大統領候補で国内最大のイスラム教団体ナフダトゥル・ウラマー元総裁のマアルフ・アミンは、グレーのジャケットとズボンに、彼の地位を象徴する白地のサロンを巻いた、長年愛用しているスタイルだった)。
もうひとりの候補者であるグリンドラ党首プラボウォ・スビアントはジャワの民族衣装を、その副大統領候補であるサンディアガ・ウノ前ジャカルタ特別州副知事はムラユ民族の衣装で登場した。「多様性の中の統一」にもとづいた、平和でクリーンな選挙戦を政府も各候補もアピールしようとする姿勢がうかがえる。
また、彼らを取り巻く参加者たちの多くも様々な民族衣装を身につけており、独立記念式典とよく似た雰囲気を醸成していた。選挙戦の開始を宣言する式典において、候補者や参加者がこのような民族衣装を着て出席するのは初めてである。
なぜ民族衣装か
インドネシアにおいて「多様性」といえば宗教もそのひとつである。インドネシアは国民のおよそ9割がムスリムであるが、イスラム教国ではない。また国家は6つの宗教、すなわちイスラム教、キリスト教(プロテスタントとカトリックはそれぞれひとつの宗教として数える)、ヒンドゥー教、仏教、儒教を公認し、国民には信仰の自由が保証されている。
ただ、独立記念式典では合同祈禱も式次第に含まれているものの、その際、祈禱の文言はすべてイスラム式の神への呼びかけ方である「Ya Allah」から始まり、イスラム色の強い形式で終始行われていた。
独立記念式典や総選挙平和キャンペーン宣言を通じて感じるのは、「多様性」のアイコンとしての民族や各民族の文化・慣習の強調である。何をもって「多様性」を表現し、「統一」をどう実現するのか。
2017年、バスキ・チャハヤ・プルナマ前ジャカルタ特別州知事が、選挙演説中の発言にイスラムを冒涜する箇所があったとして逮捕された。彼は、インドネシアで初めて少数派の華人でキリスト教徒でありながら首都ジャカルタの州知事に就任した人物であった。彼の真意はさておき、発言が問題視された後にイスラム保守派団体による呼びかけで行われたジャカルタでの大規模なデモを見て、「多様性の中の統一」の難しさを感じた人は少なからずいたはずである。
2014年の大統領選挙でも、ジョコウィ大統領自身が「反イスラム的である」としてネガティブ・キャンペーンの標的となった。2019年大統領選ではそのような批判に晒されないために、ジョコウィは、副大統領候補にバスキ前知事の追い落としに一役買ったイスラム保守派の指導者を起用した。このことは、宗教的に多様な社会のなかで寛容さや民族の統一を謳うことはそう簡単ではないというインドネシアの事情を暗に示している。
こうした状況をみると、独立記念式典のような公的な場での民族衣装の登場は、「多様性の中の統一」をわかりやすく演出するための繊細な選択だといえる。民族衣装が登場する場はますます重要な意味を持ち、今後も目にする機会が増えるだろう。
著者プロフィール
土佐美菜実(とさみなみ)。アジア経済研究所海外研究員(在ジョグジャカルタ)。2013年、ライブラリアンとしてアジア経済研究所に入所。東南アジア地域を担当。
写真の出典
- ジョコウィ大統領とイリアナ夫人 大統領府ウェブサイト
- 選挙キャンペーン開始の宣言式で並ぶ正副大統領候補者たち 総選挙委員会ウェブサイト
注
- 各民族が持つ固有の文化や慣習をインドネシア語で「アダット(adat)」と言い、服を意味する“baju”とともに用いて民族衣装のことを“baju adat”と呼ぶ。