IDEスクエア

海外研究員レポート

企業登録のオンライン化はカンボジアで成功するか?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049830

2016年9月

はじめに

「新しいオンラインシステムでは、企業設立の登録をより早くより簡単にできるため、現在の書類による登録に必要な時間と非公式な費用を削減することができます」1オンラインベースの企業登録システムの運用を開始するに当たり、カンボジア商業省の担当者がこのように述べている。

世界銀行によると、カンボジアで新しく企業を設立する手続きは、2016年時点で平均87日間の時間が必要で、東アジア諸国の平均26日間に比べて非常に長い2。企業設立の容易さは189か国中180位の順位である。企業登録のオンライン化によって、書類手続きに関わる汚職や収賄、煩雑な事務手続きが削減される、と期待されている。

しかしながら、企業登録のオンライン化はカンボジアにおいて本当に成功するのであろうか。企業登録の改革はカンボジア経済にとってどのような意味があるのだろうか。本レポートでは、カンボジアにおける企業登録のオンライン化を題材にして、こうした疑問について考察していきたい。

現地メディアによる報道

はじめに現地メディアによる報道を辿って現状を見ていきたい。カンボジアデイリー紙によれば、カンボジア商業省のサン・チャントル大臣は、世界銀行によるカンボジアのビジネス環境に関する低い評価は大きな課題であり、現在の企業登録のシステムを大幅に改革することで、ビジネス環境の評価は大幅に改善する、と発言している3

2015年12月に始まった新システムの発表イベントにおいて、企業登録の方法を実際に示しながら、インターネットがあればどこでもわずか1時間で企業の登録が可能となる、と商業省大臣は述べている4。さらに、企業が政府役人と対面して行う手続きは必要となくなり、複雑な手続きを代行業者に依頼する必要もなくなるため、新しいシステムの導入によってカンボジア投資環境の魅力が高まると期待される。

産業手工芸品省は、「カンボジアには50万以上の中小零細事業者があるが、その大部分は企業登録をしていないため、政府による徴税活動が困難である」5と、述べている。企業登録の手続きをオンライン化することで、中小零細事業者の企業登録が増えると期待される。また、より多くの事業者が税金を納めて政府の税収が増えれば、政府の役人や学校の教師、兵士、医者、道路の建設作業員に対して給料を支払うことができる、と強調している。

しかしながら、順調に進むと思われた改革に対して、不満の声が政府と企業の双方から出てきた。2016年4月20日付のカンボジアデイリー紙によれば、カンボジア商業省が2015年12月に新システムを稼働した時に、企業の登録期限を2016年3月31日に設定していた6。しかしながら、データベースにある登録企業4万2千社の大部分が再登録をしていなかったため、登録期限を6月30日まで延長している。さらにカンボジア商業省は、「登録システムは問題なく稼働しており、なぜ登録企業がオンラインシステムで再登録の手続きをしていないのか、その理由ははっきりしない」、と述べている。

欧州商工会議所は一方で、「オンラインによる企業の再登録は義務であり無償である、という事実を知らない企業がいまだに存在する」と、述べている。さらに英国商工会議所は、「新しいシステムの運用は、企業登録に関わる他の省庁との手続きと整合的になっていないため、企業は様々な課題に直面している」と、指摘している。

その後、カンボジア商業省は登録期限の再延期を決めている。商業省の担当者は、「6月末時点においてオンラインによる再登録の義務を果たしている企業は、全体の約20パーセントに当たるわずか1万248社しかいないため、残りの企業に対して3か月の猶予を与える」7と、述べている。

オンラインによる企業登録がなかなか進展しない背景として、カンボジア商工会議所は、「新しいシステムは零細企業にとって容易ではなく、とりわけ経営情報を電子化していない零細企業にとっては困難である」と、説明している。また、FASMECマイクロファイナンスによれば、「新しいペーパーレスの企業登録手続きは、書類ベースのシステムよりも簡単になった一方で、登録手続きに対して商業省の対応は、想定されている2日よりも長い」8と、指摘している。オンラインで企業登録をした時に記入上のミスがあると、修正依頼のメールが商業省から送られてくる。その後、修正した登録情報を提出しても数日以内に商業省は対応していない、と述べている9

企業登録のオンライン化の成果と課題

現地メディアの報道から、カンボジアにおいて企業登録のオンライン化の成果と課題が見えてくる。企業登録の手続きをこれまで書類によって処理していた方法をオンライン化したことで、企業登録情報の手続きや管理は、政府にとっても企業にとっても容易になった。膨大な企業情報を電子化することで、登録企業の検索や管理は簡単になり、政府と企業の双方にとってオンライン化は一定の成果を挙げている。

しかしながら、オンライン化によって企業登録の手続きコストが減少したにも関わらず、多くの事業者が企業登録をしていない実態が示唆されている。特に、売上などの基本的な会計情報を電子化してない中小・零細事業者は、企業登録の手続きが書類ベースからオンラインベースの方法に変更されても、企業登録をしていない可能性が高い。また、企業登録のオンライン化によって、汚職や非公式な規制を削減することが重要な目的の一つとして掲げられている。しかしながら、オンライン化という情報通信技術の導入によって行政手続きに関わる問題が一気に改善した、とは言えない。

より重要な疑問

現地メディアの情報から、企業登録のオンライン化が成功するのか、簡単に考察してきた。しかしながら、本当に重要な論点は、企業登録のオンライン化の成果と課題の背後にある構造的な問題にある。つまり、企業登録のオンライン化という事例を通して、発展途上国における経済発展に共通する課題を考察することが重要である。日々刻々と変化する現実に関する情報がインターネットを通して溢れる現代社会で情報の津波に溺れないために、根本的な問題を考察することが重要である。

企業登録の手続きオンライン化はなぜ期待した効果をもたらさないのか、という疑問がある。もちろん改革の効果が出るにはまだ時間がかかる可能性もあり、今後の評価が必要である。しかしながら、オンライン化によって登録手続きのコストが削減されれば、企業登録が増えると期待できるが、現状は期待に沿っていない可能性がある。

企業登録の現状

そこでカンボジアにおける企業登録の現状について見ていきたい。カンボジア全土における非農業の事業所および企業すべての経済活動を調査することを目的として、カンボジア史上初となる経済センサスが2011年に、日本の経済援助の下でカンボジア計画省統計局によって実施された。調査票には行政機関の登録に関する質問項目が設けられており、調査対象の事業所・企業は、商業省または地方部局に企業登録を届けているのか、回答する義務がある。

Tanaka and Keola(2016)は、カンボジア経済センサスの個票データを使い、経済活動の規模を商業省の登録企業と未登録企業に分類している。表1は2011年2月時点の財務情報を示している。カンボジア全体で約50万5千の事業所・企業が存在しており、登録企業は1万7千社ある。未登録企業は約49万社に達しており、全体の約97パーセントが商業省に企業登録をしていない。売上額による分類では、全体が6億米ドルで、登録企業は23.4パーセントを占めている。この登録企業のシェアは、支出額によって分類した時もあまり変わらない。また、賃金支払額でみると、登録企業のシェアは40.8パーセントに達している。雇用者数167万人のうち、登録企業による雇用者数は33.6パーセントを占めている。

表1. 登録企業と未登録企業の経済規模

登録企業 未登録企業 合計
事業所の数 17,374 487,719 505,093
(3.4) (96.6)
売上額( 単位:100万米ドル) 140.31 459.75 600.07
(23.4) (76.6)
支出額(単位:100万米ドル) 112.67 364.13 476.80
(23.6) (76.4)
賃金支払額(単位:100万米ドル) 14.46 20.97 35.42
(40.8) (59.2)
雇用者数(単位:100万人) 0.561 1.112 1.673
(33.6) (66.4)

注:数字は2011年2月のデータに基づく。括弧内の数字は登録企業と未登録企業のシェアを示している。
  支出額は製品の購入額とサービスにかかった費用、賃貸料と雇用者への賃金支払いを含む。
出所:Tanaka and Keola (2016)

このように、事業所・企業数の数で見ると、2011年2月時点において大部分が企業登録をしていない状況が分かる。一方、売上額や支出額で見た場合、登録企業のシェアは20パーセント以上に達している。また、賃金額や雇用者数で見てみると、登録企業のシェアはさらに増える。つまり、登録企業の数は未登録企業に対して圧倒的に少ないが、カンボジアの経済活動において大きなシェアを持っている。

このデータから興味深い事実が見えてくる。現地メディア情報によれば、商業省の企業登録データベースには4万2千社が存在しており、2016年6月時点で1万248社がオンラインで企業の再登録をしている。一方で、2011年時点では登録企業の数が1万7千社しか存在していない。2011年2月から2016年6月の期間で、登録企業が1万7千社から4万2千社に急増していることになる。近年急成長しているカンボジア経済において、新規設立の企業登録の増加は不思議ではないが、商業省データベースの登録企業数はやや多すぎる印象を受ける。商業省に届出をしていない休眠企業や解散企業などがデータベースに含まれていれば、登録企業の数は過大になる可能性があり、企業数の検証が必要と言える。

企業登録のコストと便益

多くの中小零細企業は企業登録をしていない一方で、大企業は企業登録をしている。これがカンボジア経済の特徴の一つである。この状況を理解するために、企業登録のコストと便益について見ていきたい。

カンボジアにおいて企業登録の手続きはいくつかのステップに分けられる10。第一に、銀行に法律で定められた資本金を政府が指定した銀行に入金して、預金証明書を発行する。第二に、商業省企業登録課において、登録企業の会社名が固有のものであるか確認して、会社名の承認を得る。第三に、会社設立の手続きを商業省企業登録課において行う。第四に、商業省が登録証明書と社印を発行する。第五に、税務当局において発行された登録書類に押印および承認を得る。最後に、事業の開始および労働者の雇用に関して労働省に通知する。また、労働基準監督官の査察を受けることが求められている。こうした政府の手続きを完了するためには、合計で約3か月の時間と約800ドル近くの費用が必要になると見積もられている。もちろんこの時間と費用は企業登録の手続きに限られており、実際に企業が投資をしてビジネスを行うためには、資本金の準備や土地・建物の賃料、経営者と労働者の人件費などのコストがさらに必要となる。

次に、政府の企業登録の承認を受けて、フォーマルな企業形態としてビジネス活動を行うことで得られる企業登録の便益について見よう。例えば、金融機関からの資金借入れが容易になること、原材料の購買が容易になること、賄賂の支払いが減ること、土地や建物の利用に関して法的な根拠を持つこと、政府プログラムやサービスを利用しやすくなること、労働者を雇用しやすくなること、他のフォーマル企業との取引が拡大すること、そして製品やサービスの販路が拡大することなどが、利点として挙げられる。新しい製品やサービスを生産する起業家が、将来的な販売増加を期待して生産規模を拡大するためには投資資金が必要になる。企業登録を行うことで金融機関からより高い信用を得ることができれば、必要な投資資金を集めることが容易になるかもしれない。

なぜインフォーマル企業は登録しないのか?

企業登録をしていないインフォーマル企業が、企業登録によってフォーマル企業になるためには、企業登録に関するコストを支払う必要がある。一方、フォーマル企業になることで企業登録の利点を得ることができる。インフォーマル企業が企業登録のコストと利点に関して十分な情報を持っており、経済合理的な決定をすると考える。その場合、インフォーマル企業は、企業登録のコストに比べて利点がより高ければ、企業登録を選択する。しかし、企業登録の利点に比べてコストがより高ければ、企業登録を選択しない。

このように単純化すると、カンボジアにおける中小零細企業の多くにとって、企業登録のコストは利点よりも十分に高いと考えられる。極端な例として、プノンペン市内には歩道で散髪屋を営むカンボジア人がいる。散髪サービスを一回2ドルで提供して、毎月100ドルの売上があるとする。今後とも同じ場所で同様の散髪サービスを行うのであれば、この散髪屋にとって企業登録の手数料は高く、利点はほとんどないであろう。他の具体例として、筆者の知り合いのカンボジア人は、自動車の洗車サービスのお店を経営しており、労働者を10人近く雇用している。洗車設備を十分に整備して、高い質の洗車サービスを提供することで、他の洗車サービスのお店に比べて多くの顧客を得ている。しかしながら、小規模の家族経営として事業を拡大したくないため、企業登録は考えていないと説明していた。事業拡大の計画がなければ、企業登録の利点はないため、インフォーマル企業に留まっていると言える。

企業登録は本当に効果を生むのか?

理論的に考えると、企業登録の便益がコストを上回る場合、インフォーマル企業は企業登録をしているはずである。しかしながら、企業登録によって企業業績が本当に改善するのだろうか。この疑問は、企業登録を推進しているカンボジア商業省にとっても、企業登録のオンライン化の効果を理解するために重要な政策含意を持っている。

この疑問に科学的な答えを出すことは想像以上に難しい。企業登録のないインフォーマル企業と企業登録のフォーマル企業の業績を比較すると、フォーマル企業の売上や利潤、生産性は高い傾向がある。この企業間の違いは、生産技術や労働者の質の違いなど、他の要因からも生まれるため、企業登録の因果的効果とは言えない。また、企業登録を持つフォーマル企業に対して、企業登録前と後の業績などについて詳細なインタビュー調査を行い、登録後の業績改善を見つけたとする。しかし、一部の企業の結果を一般化することには限界がある。残念ながら、カンボジアのデータを活用して、この疑問を厳密に検証した研究を筆者は知らない。

今後の課題

企業登録の改革によって登録コストが下がれば、インフォーマル企業のフォーマル化やフォーマル企業の成長が進むと期待できる。また、政府の汚職や企業の脱税を削減することで、カンボジア経済の経済成長に寄与することが期待できる。しかしながら、本当にこうした効果が実現されるのか、客観的なデータを収集して科学的に検証しなければ分からない。カンボジア経済をより深く理解するために、政策効果を検証する実証研究の蓄積が望まれている。

参考文献


  • Tanaka, Kiyoyasu, and Keola, Souknilanh, 2016. Shedding light on the shadow economy: a nighttime light approach. Journal of Development Studies , forthcoming.

脚注


  1. プノンペンポスト紙2015年11月9日の記事「Firms required to re-register online」を参照。
  2. 詳細は以下のサイトを参照。 http://www.doingbusiness.org/
  3. カンボジアデイリー紙2015年10月27日の記事「Minister details online business registration plans to parliament」を参照。
  4. カンボジアデイリー紙2015年12月8日の記事「Online business registration portal launched」を参照。
  5. カンボジアデイリー紙2016年2月2日「Minister urges online registration for SMEs」の記事を参照。
  6. カンボジアデイリー紙2016年4月20日「Ministry's online business registry unpopular」の記事を参照。
  7. プノンペンポスト紙2016年7月4日「Another setback for online company registration goal」の記事を参照。
  8. FASMECはFederation of Association for Small and Medium Enterprises in Cambodiaの略。
  9. オンラインで企業の再登録を提出する度に商業省から修正の依頼が来るが、修正事項に対する問い合わせに商業省はすぐに対応してくれない、という事例を実際に筆者は聞いた。企業登録がオンラインになっても対応する政府役人の体質は変わらないため、企業登録の手続きを迅速に進めるためにはスピードマネーが必要だったという。
  10. 説明は世界銀行のサイトを参照。 http://www.doingbusiness.org/data/exploreeconomies/cambodia/starting-a-business/