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海外研究員レポート

インドの鉄鉱石違法採掘問題

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049905

佐藤 創

2012年2月

ヒンドゥ教の新年であるディワリ(昨年は10月26日)に比べると、インドにおいて西暦の1月1日はほとんど何の重要性もないようで、淡々と年があけました。それでも、2011年がどのような年であったか、2011年にヒットした映画や歌謡曲(インドの場合は映画挿入曲と呼ぶべきかもしれません)のトップ10はなにか、といった2011年を回顧する特集が新聞に組まれ、あるいはそういったテレビ番組が多数放映されていました。

では2011年はインドにとってどういった年であったかといえば、おそらく、クリケットのワールドカップ優勝の年として記憶されると同時に、Anna Hazareを中心とする反腐敗運動の年としても記憶されることになると思われます。ただし、反腐敗運動の焦点であったロクパル法案は12月27日深夜に下院は通過したものの、上院では法案の内容をめぐって議論が紛糾して12月29日深夜に採決が見送られ会期が終了し、2011年中には成立しませんでした。

さて、先進国後進国を問わず、公正や善悪という観点から、腐敗や汚職はないに越したことはないことに広い合意があると思われます。ただし、善悪を彼岸において、その経済的影響だけについて考える場合は、議論のあるところです。つまり、それらは投資のインセンティブを損ねるなどして経済活動に負の影響を与えている可能性が高いとする研究がある一方で、それらは付加的な「税金」にすぎず全体としての経済にはさして影響ないという考えや、あるいは、とりわけ経済発展の初期において不可欠ないわゆる「資本の原始蓄積」に結果的に資している場合がある可能性も否定できないとする考え方もあります。

こうした研究の評価を下すことは筆者の能力を大きく超えた課題ですが、少なくとも確かなことは、インドにおいて盛り上がった2011年の反腐敗・汚職運動は、経済的な側面だけでなく、文化、社会、政治、法制度など、インド社会の様々な様相において少なからぬ痕跡を広く残したと思われることです。そのことを前提として、あえて経済的な影響についてのみ考えるならば、2011年の汚職や腐敗問題で明白な影響をインド経済に及ぼしたのは、マスコミなどに大きく取り上げられてきた2Gスキャンダル(携帯電話の周波数割当にからむ汚職)やコモンウェルス・ゲーム問題(スタジアムなどの建設に絡む入札を巡る汚職)というよりはむしろ、カルナタカ州(およびゴア州)で顕在化した鉄鉱石の違法採掘(illegal mining)をめぐる問題だと思われます1

というのは、反腐敗運動が広範に展開する中で、以前からささやかれていたカルナタカ州Bellary県における鉄鉱石の違法採掘に関連して、最高裁が(直接的な理由としては環境保護の観点からですが)2011年7月29日に同県におけるすべての採掘を(違法適法を問わず)停止する命令を出したのです。翌日には、違法採掘に対して有効な措置を取らず、また親族がこの違法採掘にかかわっている会社から献金を受けていると指摘されたカルナタカ州インド人民党(BJP)政権首相のB.S. Yaddyurappaが辞任に追い込まれ、さらに、Bellary県における違法採掘に深くかかわっていたカルナタカ州の前観光・インフラ大臣G.J. Reddyが9月5日に逮捕されるという急展開となりました2。とくにBellery県のReddy三兄弟はカルナカタ州におけるBJP設立に貢献したといわれ、地元では彼らを逮捕することなどとても不可能だと思われていただけに、反腐敗の大きな流れを象徴する出来事となりました。

どのような法律を遵守していないという意味で採掘が違法であったのかは、実はそれほど単純ではありません。第一に、1956年鉱山及び鉱物(規制および開発)法に基づいて得ているリース契約(採掘地区や生産量)にかんする法律違反、第二に、輸出量を偽って申告してローヤルティ支払いを免れたことにかんする法律違反(輸出用と国内消費用とでインド国有鉄道などの輸送費の設定が違う場合もありこれについても詐欺が問題となります)、第三に、環境関連法、森林関連法に基づく諸クリアランスにかんする違反(採掘屑などの定められた廃棄方法の不順守など)、第四に、ライセンスやクリアランス獲得などのさいに贈収賄があったのではないかという刑事法典および汚職防止法違反、など、多岐にわたります。

この最高裁によるBellary県における鉄鋼石採掘の停止命令は、鉄鉱石の生産と輸出だけでなく、鉄鋼業など川下産業の生産活動、さらには同県の鉱業にて直接あるいな間接に生計をたてていた10万あまりの家計に影響を与えました3。こうした違法な生産、販売活動にどれだけの人がかかわっているのか、という意味でも、周波数帯のライセンス割り当てにかかわる2Gスキャンダルなどの汚職・腐敗とは、問題の規模が異なります。

実際、鉱工業生産指数を参照すると、鉱業については、前年同月比で2011年8月から明らかに減少に転じ、10月には鉄鉱石でおよそ35%、鉱業全体で7.9%、産出量が減少しています4。製造業も10月には前年同月比で10.0%の減少を記録し、鉱工業全体でも10月は前年同月比で7.9%の減少となっています。インドでは、鉱業は鉱工業生産指数のなかでおよそ14%のウェイトを与えられており、GDPでもおよそ2.5%を占めているので、マクロ経済への影響もまた小さくありません。11月に発表された2011年度第2四半期(7-9月)の実質GDP成長率推定値も、6.9%とこの二年間で最も低い値を記録しています。

さて、インドにおいて違法採掘が劇的に増えた理由は、2000年代に入ってからの中国鉄鋼業の爆発的な生産拡大と関係があると指摘されています5。Bellary県においても、中国からの鉄鉱石需要の劇的増加による鉱山ブームのために、日に5000台もの大型トラックが舗装されていない道を往来し、メイズや稲などの豊かな農地は猛烈な赤茶色の埃で農作が難しくなり、農業よりも現金収入がよいために、農地から取れる鉄鉱石を道行くトラックに売ったり、トラックをローンで購入して鉄鉱石の運送業に若者が進出したり、もちろん鉱山の工夫になったりという社会変化がおこっていたというのです。

同じような中国の鉄鋼需要増大による活況はゴア州の鉄鉱石鉱山でも起こっていました。筆者は2007年に同州のある鉱山を訪問する機会を得ましたが、その際に漏れ聞いたところでは、鉄鉱石を採掘する際に余計な砂利などを捨ててできる山、炭鉱でいう「ぼた山」にあたる山ごと中国の企業が買っていくというような状況だった時期すらあったという話でした。そのゴアもまた今は違法採掘問題で揺れています 6 。ゴアの鉄鉱石はすべて輸出向けで産出量はこの10年でおよそ3倍になっていますが、州首相D.Kamatは首相就任前に州鉱山省大臣を12年努めており、違法採掘、違法輸出がどの程度組織だって行われていたのか、環境への影響はどうか、など、調査が行われています。

さて、違法採掘の大きな要因が中国ブームであったことは確かだとしても、需要増大に対してなぜ適法に供給を増やすことができなかったのか、なぜ違法な対応が広まったのかは、中国ブームがあったということだけでは十分に説明できません。鉄鉱石の採掘をめぐる、インド特有の構造的、制度的および技術的な理由がその背後には存在すると思われます。違法採掘を生みだす原因あるいはメカニズムを明らかにすることはこの小エッセイでなしうるところではありませんが、インドの鉄鉱石採掘にかかわるいくつか重要な特徴を列挙しておきましょう7

たとえば制度的な面では、中央政府と州政府の権限関係が複雑であり、また持続可能な採掘量という観点からの規制と環境保護など他の観点からの規制についても、内容的にも組織的にも十分にコーディネートされていないこと、などの問題があります。つまり需要増に対して経営の自主判断で直ちに「適法に」増産したり投資したりできる範囲がさほど広くはない可能性があります。

また、構造的あるいは技術的な問題としては、鉄鋼企業によるいわゆるキャプティブな採掘(鉄鋼企業自体が鉱山をリースして採掘を行うこと)も多く、十分な資力をもった大きな鉱業会社が存在せず、技術投資が難しいことや、インドでは鉄鉱石をペレット化、シンタリングする能力が小さく、相対的に細かい鉄鉱石は大部分を輸出に向けるほかないというような事情があります。

さらに、ここ数年はインドのなかでも鉄鋼石採掘業セクターと鉄鋼業セクターとの間で、鉄鉱石の輸出を制限すべきかどうかで利害対立が顕在化しています。単純化すれば、インドにある鉄鉱石資源は国内の鉄鋼業に振り向けられるべきとする鉄鋼業界と、国内で販売するよりずっと儲けのよい輸出を重視する鉄鉱石採掘業セクターの対立です。

もちろん、インド産の鉄鋼石に対する需要がこのまま数十年にわたり右肩上がりで伸び続けることは少々考えにくいと思われます。中国の鉄鋼業の伸びもすでに陰りがみえているように思われ、また、インド国内の鉄鉱石需要にしても、社会に鉄鋼製品が蓄積すれば、長期的な視点で考えれば、鉄鉱石ではなく、鉄スクラップをもとに鉄鋼製品を生産する比率が増えていくと思われます。

いずれにしても、インドでは、腐敗・汚職問題の広がりが、鉄鉱石ないし広くは鉱業セクター全体についての政策の再検討を、期せずして、促す結果となっているように思われます。いいかえると、腐敗や汚職問題という観点だけでなく、土地収用や環境などの問題についても社会意識が高まってきているように思われ、経済自由化以降、自由化、民営化を重視してきた鉱業セクターを、今後どのように位置づけ発展させていくのか、再考すべき時が熟しつつあるのかもしれません8


脚注

  1. 以下、本レポートの事実関係は、とくに断りがないかぎり、インドの英文有力紙The Times of India、The HinduおよびThe Economic Timesに依拠しています。
  2. R. Sharma (2011) 'Mines of Scams' Frontline 28 (20), pp.34-37.
  3. V. A. Sayeed (2011) 'Sandur in September: Bellary after the ban' Frontline 28 (21), pp. 40-44.
  4. 統計値は、Central Statistics Office, Ministry of Statistics and Programme Implementation, Government of India (http://mospi.nic.in/Mospi_New/site/home.aspx)より。
  5. 前掲注2, 注3の文献参照。
  6. EPW Editorials (2011) 'Mining Illegality', Economic & Political Weekly 46 (41) p.8.
  7. Firoz, A.S. (2008) 'Mineral Policy Issues in the Context of Export and Domestic Use of Iron Ore in India' ICRIER Working Paper No.207.
  8. なお、鉱業省傘下のIndian Bureau of Minesは、2011年8月に, 鉄鉱石(および石炭)の採掘にかんする短期的および長期的な政策措置ないし方向を示唆した‘Iron and Steel Vision 2020’というペーパーを公表しています。