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海外研究員レポート

下院選挙を控えたカザフスタン:経済格差と社会不安

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049910

岡 奈津子

2011年12月

「ほんとうにばかげてる!」

12月6日、カザフスタンのニュースサイトNur.kzに「独立後の20年間でカザフスタンの給料はどう変わったか」という記事が掲載された。それによれば、ソ連崩壊直前の1991年12月現在の平均給与はじゃがいも182.6キロ分に相当したが、2011年秋(9万2925テンゲ、608.49ドル)では、1414.2キロのじゃがいもが購入できるという。

この記事に対して、読者からは69件のコメントが寄せられた(12月7日11時35分現在)。もっとも多かったのは9万テンゲという金額に対する疑問だ。「ありえない!!!」「一体誰が?!」「絶対うそだ!」「自分の家族や友達でそんな給料をもらっている人はいない」。なかには「自分は1000ドル稼いでいるけれど、そんな人は少ないよ」という投稿もあった。その一方で、「俺の給料は15万テンゲだ。みんな文句を言ってないで仕事しろよ」「給料は能力に応じて払われるものだ。僕は20万テンゲ稼いでいるけど、それでもそんなに多いとは思わない」という書き込みも。

このような統計上の数字や比較の妥当性を問う声もある。「20年間でどれだけのインフレがあったか。20年前、一体だれが教育や医療にお金を払った? 確かに収入は増えたけれど値段も上がった。陳腐な比較は意味がない」「月給75万テンゲの石油労働者1人と、月給2万5000テンゲの教師が10人いたとすると、その平均は9万900テンゲになる。そういうことさ」。

私は前回の現地情勢報告で、アルマトゥは月収3~6万円(およそ6~12万テンゲ)くらいの人が多いと書いたが、その後さらにインタビューを重ねるにつれ、いまは大多数の人の収入は4~10万テンゲ程度なのではないかという印象を持っている。さらに膨大な失業者、年金生活者(私が見聞きした範囲では月額2~4万テンゲの人が多い)の存在もある。地方都市や農村部の経済状況はもっと厳しい。

赴任して半年、現地の人々の生活に触れるにつれ、経済格差の拡大と、低所得層を直撃する物価上昇の深刻さを実感している。しかし現状では、国民の不満は必ずしも政治に反映されない。今年4月に前倒しで実施された大統領選挙では現職が無風で再選され、来月(2012年1月)15日に予定されている国会下院選挙(こちらも繰り上げである)でも、ロシアのように大統領与党が苦戦する結果になるとは想像しにくい(与党ヌルオタン党は一部の議席を他党に譲ることになるが、それがナザルバエフ大統領の影響力の低下を意味するわけではない。詳しくは後述)。そもそも、現大統領の退陣後に起こりうる混乱に対する不安も大きく、現状に不満を抱きつつも大統領の続投を望む人も少なくない。

インフレと生活水準の低下

前回の報告にも書いたとおり、アルマトゥは物価が高い。大多数の人々の収入は、食料品と光熱費の支払いにおおかた消えてしまい、それすら難しい人も少なくない。よく言われるのは、庶民はжить(生活する)のではなく、выживать(生き残る)ことに精一杯だということだ。調査のためのインタビューで知り合った人や、白タクの運転手と雑談すると、リストラされた、勤めていた工場や会社がつぶれた、地方には仕事がない、という話をしばしば聞かされる。

その一方で、ランドクルーザーを乗り回したり、夏休みに家族で海外旅行をしたり、高級ブティックでのショッピングを楽しむ人たちもいる。私が住む家のすぐ近くにも、最近、立派な内装のレストランがオープンした。いかにも高そうなので、下調べにメニューを見せてもらうと、メインディッシュは3、4千テンゲから。こちらの感覚ではかなり高いが、いつもそれなりに賑わっている。

もちろん、どんな社会にも多かれ少なかれ格差はある。しかし、こちらの人々の暮らしを見聞きしていて強く感じるのは、ソ連時代と比べて生活水準が低下した人が多いということだ。そしてそのなかには、かつては親や自分自身がエリート層に属していた人も含まれている。父親が地区(район)ソビエト議長で、自分も医科大学で学び、R・アリエフ(ナザルバエフ大統領の長女の元夫)と同級生だった、という女性が、日雇いの家政婦で食いつないでいたり、クナエフ・カザフスタン共産党第一書記の時代から共和国トップの警護を務め、現大統領にも仕えた元将校が、家族を抱え明日の食費にも困るような生活をしていたりする。

では月に数千ドル稼いでいるような人は、なんの心配もなく優雅な暮らしをしているかというと、必ずしもそうではない。一般にカザフ人は親族間の絆が強く、高収入を得ていると、経済的に困窮する親族からしばしば援助を期待される。ある私の友人は銀行員で月収1万ドルだそうだが、無職の夫と子供、両親と体の不自由な兄を養っているほか、給与の支払いが遅れがちな弟の家計を助けたり、姉の子供の学費を出したり。もちろん、それでも彼女は平均的なアルマトゥ市民に比べれば生活に余裕はあるのだが、「仕事は辛いし、できることなら専業主婦になりたい」とこぼしていた。

なおカザフスタンはロシア、ベラルーシと関税同盟を結成しており、今年7月1日にはこの3カ国間で通関が撤廃された。私自身ははっきりとした変化には気がつかなかったのだが、この日を境に肉などの食料品の価格が高騰した、一般市民にとって関税同盟のメリットはほとんどないよ、と愚痴る人は多い。

ところでカザフスタンでは、カスピ海に面した西部(マングスタウ州およびアトゥラウ州)で、今年5月から石油産業関連の労働者のストが続いている。スト参加者らは賃上げのほか、待遇改善、労働組合の承認などを要求しているが、雇用者側との話し合いは進んでおらず、解決のめどは立っていない。これらの労働者の給与は、カザフスタンの平均を大きく上回っているため(ただし上述の投稿にあった75万テンゲというのは誇張された数字で、実際には一般労働者は20万テンゲ台のようだ)、政府系メディアだけでなく、一般の人々のあいだでも賃上げ要求に批判的な見方もある。しかし、反対派や独立系メディアの報道、また私が実際に話をした西部出身者によれば、西部では物資はすべて他地域から輸送されるため、物価がアルマトゥよりもはるかに高いという。またストの背景には、同一企業で働く外国人との差別(給与格差や待遇の違い)への不満と怒りもある。

多発するテロ事件

物価高、低賃金、失業に加え、市民の不安感を増大させているのが、最近頻発しているテロや警官殺害事件である。12月6日付『ヴレーミャ紙』によれば、2012年には以下の事件が発生している。

5月17日(アクトベ市) 国家保安委員会の建物を狙った自爆テロ
5月23・24日(首都アスタナ) 国家保安委員会の建物を狙った自爆テロ
7月1日(アクトベ州シュバルシ村) 警官および特殊部隊員、計3名が殺害される
7月11日(バルハシュ市) 武装した囚人12名が刑務所から脱走を試み、銃撃戦に
10月31日(アトゥラウ市) 市中心部で2回、爆発が発生。数日後「カリフ国の兵士」を名乗る集団が犯行声明を発表
11月8日(アルマトゥ市) パトロール中の警官2名が殺害される
11月12日(タラズ市) 男が国家保安委員会の職員を射殺後、銃器店を襲撃し銃を奪って逃走、警官、警備員などを射殺。拘束された際に自爆し、犯人を含め8人が死亡

このほかにも、治安当局による作戦の際、武装した容疑者の激しい抵抗にあい、警官や特殊部隊員に死傷者が出る事件も複数発生している。
これらの事件の犯人はいずれもイスラーム過激派とされているが、「カリフ国の兵士」の存在を疑う見方もあり、これらの事件がどの程度宗教問題と結びついているのかは、現時点では必ずしも明らかではない。

なお、アルマトゥ市内では11月初旬、クルバン・アイト(犠牲祭)の前に、イスラーム過激派が子供を殺害して生け贄にする予告を出した、といううわさが広まっていた。もちろん、実際にはそのような事件は起きなかったのだが、荒唐無稽ともとれるデマが流布する背景には、治安悪化に対する不安とともに、公式情報への不信感があるといえよう。

下院選挙――確実視される大統領与党の勝利

一般市民、とくに低所得層の人々の暮らしに閉塞感が強まるなか、来年1月には議会選挙(下院と地方議会)が実施される。しかし大統領与党が大幅に議席を減らしたり、野党が躍進する可能性はいまのところ少ない。カザフスタンの選挙は、権威主義化が進んだ1990年代後半以降、その結果のみならず過程全体が事実上政権のコントロール下にあり、今回の選挙もほぼ大統領府のシナリオに沿って進むとみられている。

本来、下院の任期は2012年8月までであったが、下院議員有志が繰り上げ選挙の実施を提案、大統領がこれを承認する形で11月16日に議会が解散された。早期解散を求める理由として、これらの議員は来年予想される金融危機の深刻化などを挙げていたが、この説明に十分な説得力があるとは言いがたい。そのため繰り上げ選挙の真の目的は、政権側が自らに有利なスケジュールで選挙を実施することにあるという見方もある(反対派に準備期間を与えない、投票日を真冬に設定することにより投票率を下げ、批判票が野党に流れることを防ぐなど)。

ただしいずれにせよ、年内の下院解散そのものに意外性はなかった。なぜなら、大統領顧問の政治学者が前倒し選挙の可能性を公言していたのに加え、アクジョル党党首の交代、共産党の活動停止など、選挙に向けた「準備」が着々と進められていたからだ。

カザフスタンの下院は、全107議席のうち98議席が比例代表制、9議席がカザフスタン民族会議からの間接選挙で選出される(2007年5月の憲法改正による。それまでは小選挙区比例代表並立制)。解散前は、比例代表制で選出されるすべての議席を大統領与党ヌルオタン党が独占していた。なおカザフスタン民族会議は、民族問題に関する大統領の諮問機関でナザルバエフが終身議長を務めており、同会議からの選出議員も実質的には与党議員といえよう。

1月の選挙でもヌルオタン党の勝利が確実視されているが、今回は「一党独裁」は制度的に排除されている。カザフスタンでは2009年9月の選挙法改正により、議会に必ず2つ以上の政党が代表されることになったからだ。議席の獲得には得票率7パーセントのハードルを超える必要があるが、それが1党のみの場合は、2番目に多く得票した政党にも議席が配分される。
今回の選挙には8つの政党が参加するが、次期下院で第2党としての役割を担うとみられているのが、穏健リベラル派の看板を掲げてきたアクジョル党である。7月上旬、その党首に就任したA・ペルアシェフ新党首は、大統領支持政党の市民党を率いたこともある人物で、もともとはヌルオタン党に属していた。ペルアシェフがアクジョル党の党首に選出される直前にヌルオタン党を離党していること、前党首A・バイメノフが党首を退く前日に入閣していることなどからも、この一連の動きには用意されたシナリオがあったことがうかがえる。
その一方で、共産党は今年10月、第一書記のG・アルダムジャロフが未登録の反対派団体の活動に参加したことを理由に、半年間の活動停止を命じられていた。なお1月の選挙に参加する共産人民党は、2004年に共産党から枝分かれしてできた泡沫政党である。

折しもカザフスタンはこの12月、独立20周年を迎えた。「出来レース」の下院選挙の準備が着々と進む一方で、大統領周辺の人々は独立と建国に対するナザルバエフの功績をたたえ、その威光を高めるのに懸命である。昨年アルマトゥにオープンした「初代大統領公園」にはこの11月、大統領の銅像が建立され、12月には上院が祝日法を改正、12月1日を「初代大統領の日」(祝日)とするなど、ナザルバエフの個人崇拝に拍車がかかっている。

<追記> 日本でも報道されているように、独立記念日の12月16日、西部マングスタウ州のジャナオゼンで石油労働者の暴動が発生、公式発表で15人が死亡、100人を超える負傷者を出す事態となった。翌17日には、同州のシェトペ駅で暴動参加者を支持する人々が鉄道を封鎖、警察による鎮圧のさい、1名が死亡している。その後ユーチューブでは、ジャナオゼンに投入された治安部隊が丸腰の市民に向けて発砲したり、警棒で殴ったりしている映像が公開された。マングスタウ州の州都アクタウでは、いまなおジャナオゼンの石油労働者らを支持する抗議行動が続けられている。

ナザルバエフ大統領はジャナオゼンに非常事態宣言を出すとともに、国営石油ガス会社「カズムナイガス」社長、および同社の株100%を保有する「サムルク・カズナ」基金のトップであるT・クリバエフらを解任した。クリバエフはナザルバエフの二女の夫で、現大統領の後継候補の一人とも目されており、ジャナオゼンの事件前には、選挙後、副首相に就任するとの見方もあった。

ジャナオゼンの事件が、いままで「安定」を誇っていたナザルバエフ政権にとって大きな打撃となったことは間違いない。この流血の惨事が来たる下院選挙、および今後の政治情勢にいかなる影響を及ぼすのか、注視していく必要があろう。