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海外研究員レポート

独占から寡占へ? 通信産業再編をめぐるビジネスグループの仁義なき戦い

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049926

星野 妙子

2011年6月

メキシコの実業家カルロス・スリムは昨年に引き続き今年も、米国のフォーブス誌が毎年発表する世界の大富豪番付で第1位の座に輝いた。彼の資産の大きな部分を占めるのはラテンアメリカ全域に展開する電話事業である。スリム一族が議決権株式の過半をにぎる携帯電話のアメリカ・モビルは1999年に、固定電話のテルメックスは2004年にラテンアメリカ諸国に進出を始めたが、企業買収で進出先を増やすごとにスリムの番付は上がり、昨年ついに頂点に上り詰めたわけである。

しかし快進撃を続けるスリムの電話事業に黄信号が灯った。アメリカ・モビルのメキシコ子会社テルセルの高い電話回線接続料に対し、メキシコ最高裁が引き下げの裁定を下したためである。その背景にはこの数年来のメキシコの通信産業再編の動きがある。すなわち、技術革新により電話、テレビ、インターネットの技術的な垣根がなくなるのに対応して、メキシコ政府は2006年に通信コンセッションのあり方を見直した。それに伴い各事業で独占的な地位を占めるビジネスグループが、相互の事業に参入を開始した。今回の最高裁の裁定も、この一連の動きの中に位置付けることができる。以下では、接続料引き下げがスリムの電話事業に及ぼす影響と通信産業再編にともなうビジネスグループ間の駆け引きの実態を紹介したい。

スリムの電話事業を支えるメキシコでの市場独占

カルロス・スリムの事業は電話以外にも小売、金融、建設、製造業など幅広い分野に及ぶ。しかし資産の大きな部分を占めるのは電話事業である。彼が率いるカルソ・グループの年間売上高のおよそ8割は電話事業から来ている。

アメリカ・モビル、テルメックスともにメキシコ株式市場の他にニューヨーク、フランクフルトにも上場する優良銘柄であるが、両社の好調な業績と株式市場での高評価はメキシコでの独占的地位に支えられているところが大きい。市場占有率はテルセルが7割、テルメックスは8割にも上る。高い市場占有率は、テルメックスの前身が1990年に民営化された国営独占企業であることに由来する。民営化後、携帯電話部門を分離して設立されたのがアメリカ・モビルであった。

スリムの電話事業におけるメキシコの重要性をアメリカ・モビルの事例で示そう。表は2009年度の同社の契約者数、売上高、営業利益を国・地域別に示したものである。表から契約者数で28.8%のメキシコが売上高の36.0%、営業利益の65.8%をも占めていることがわかる。一方契約者数で21.6%のブラジルが営業利益の1.3%しか稼いでいない。その理由は、ブラジル市場では外資系企業、ブラジル系企業との厳しい競争にさらされているためである。ブラジルでのアメリカ・モビルの市場占有率は25.3%にとどまる。儲からないブラジルでの事業をメキシコの高収益が支えているといえる。メキシコでの高収益を可能にしているのが、高い市場占有率に支えられた高い回線接続料であった。  

回線接続料をめぐるビジネスグループの抗争

ネットワークの広さがものをいう電話事業では、メキシコの地方ネットの後発企業は長距離・国際通話サービスで、全国ネットのテルメックスとテルセルの回線に依存せざるをえない。連邦通信法では回線接続料は事業者間の交渉で決まり、交渉決裂の場合は通信運輸省が設置する連邦通信委員会の裁定で決まるきまりとなっている。しかし裁定が両社の言い値を大きく下回るために両社は権利保護の訴訟(アンパロ)を起こすのを常とし、係争中は裁定の効力が停止されたため、結局、両社が主張する高い回線接続料が維持されてきた。そのため公正取引員会には、両社による高い回線接続料のおしつけを独占行為とする通信各社からの訴えがひきを切らなかった。

そのような状況が2011年に入り変わり始めた。テレビ業界で7割のシェアを誇るエミリオ・アスカラガ率いるテレビサ・グループが、テルメックス・テルセルの独占打破へと打って出たためである。テレビサは政府のコンセッション見直し政策の恩恵を受けて固定電話とインターネット事業に参入し、昨年8月の政府による通信コンセッションの競売では、携帯電話向け周波数のコンセッションを落札していた。高い回線接続料はテレビサの事業拡大の最大のネックであった。
独占打破に向けてテレビサが用いた戦術は次の3つである。すなわち、第1にテレビ、新聞などマスメディアを総動員した大がかりな反テルメックス・テルセル・キャンペーン、第2に高い回線接続料に泣くほかの通信会社との共闘、第3に連邦通信委員会や公正取引委員会への提訴である。

共闘相手として注目されるのがリカルド・サリナス率いるサリナス・グループである。サリナスは市場シェア25%のアステカ・テレビと同5%の携帯電話会社イウサセルを傘下に持つ。昨年8月の競売でテレビサは破格の好条件でコンセッションを落札した。これを不服としてサリナスは裁判所に競売無効の訴えを起こしていた。それにも関らず二つのグループはテレビサによるイウサセル株式50%の買収で合意したと発表したのである。携帯電話事業の統合でテルセルの独占に風穴を開けようというわけである。法廷で争う同士が共闘するという不可解な動きであった。

テレビサの攻撃に対しカルソは、テレビサからのグループ企業の広告引き上げで応じた。広告料が高すぎるというのが表向きの理由である。大口顧客であるカルソの広告中止はテレビサにとって痛手である。広告引き上げ発表の数日後、今度はサリナスがイウサセルに対する回線接続料を引き下げない限り、アステカ・テレビではカルソ系企業の広告を受け付けないと発表した。これ対しカルソは同じく広告料が高いとの理由をあげて広告引き上げで応じた。さらにテルセルが、テレビサとアステカ・テレビを独占行為で公正取引委員会に提訴した。

テレビサ、サリナス、テルセル、テルメックス、その他の通信会社が攻守立場を変えながら相次いで公正取引員会に訴える事態となった。

電話独占を揺るがす二つの裁定

そうした中、回線接続料に対する政府の方針の抜本的転換を示す二つの裁定が出された。

ひとつは4月15日の公正取引委員会の裁定で、2006年11月に複数の電話会社から提出されたテルセルによる回線接続料をめぐる独占行為の訴えに対するものである。公正取引委員会はテルセルの行為を独占行為と認め、およそ120億ペソ(10億ドル)の罰金支払いを命じた。1企業に対する罰金としては過去に例をみない異例の高額であり、その理由として独占行為を繰り返していることが指摘された。この裁定に対しテルセルはあらゆる法的手段を用いて不当性を訴えていくと表明している。長期の裁判が予想されるので、仮に裁定が通っても支払いが生じるのは先のことである。しかし、次の、5月3日に出された最高裁の裁定は、ただちに効力を発揮するものである。

電話会社アレステルが提訴したテルセルの回線接続料をめぐる訴訟でテルセルが起こしたアンパロに対する判断が、最高裁に持ち込まれた。連邦通信委員会の裁定が係争中に発効停止となるか否か、裁判所により矛盾する見解が示されたためである。最高裁は発効停止としないという裁定を下し、今後そのように対応するよう全国の裁判所に通知した。アンパロの権利は認めるが、電話の公共性に鑑み、公益を代表する連邦通信委員会の裁定を尊重するという判断である。連邦通信委員会はテルセルが主張する1分0.95センタボに対し0.39センタボの裁定を下していた。これまでであれば係争中は0.95センタボが維持されていたのが、今後は0.39ペソが有効となるのである。2011年に入り連邦通信委員会には41件の回線接続料の仲裁が持ち込まれた。これから出る裁定はすぐに効力をもつことになる。またテルセルのみならずテルメックスの回線接続料も今後同様の扱いとなる。テルセルは最高裁の裁定であることから結果を尊重すると表明している。

過大の罰金支払い命令と回線接続料の大幅切り下げのダブルパンチを受けて、アメリカ・モビルの株価はメキシコ株式市場で4月15日から5月6日の間に11.4%下落した。

テレビ独占へのスリムの攻勢

スリムの電話独占に対してテレビサは圧倒的有利に戦いを進めつつあるといえる。ただし通信産業の再編は電話にとどまらない。実はテレビサの本業のテレビ事業では、攻守ところを変えての戦いが進行しているのである。

メキシコ政府が2006年に通信コンセッションのあり方を見直したことは前に述べた。その際の合意で、テレビ会社に電話事業への参入を認めると同時に、電話会社にもテレビ事業への参入を認めた。ただしテルメックスについては、1990年の民営化の際のコンセッションでテレビ事業への参入が禁止されていた。そのためテルメックスがテレビ事業へ参入するには、コンセッションを変更する必要があるが、変更に際していくつかの条件がつけられた。条件のうちの最大の難関が回線接続料問題の解決であった。

テルメックスが進出を狙うのは有料のケーブルテレビや衛星テレビである。実はアメリカ・モビルはメキシコ国外で2005年に有料テレビ事業に進出し、今ではラテンアメリカ市場で4割近いシェアを占める最大の事業者となっている。メキシコ国内でも衛星テレビ会社ディッシュ・メヒコと組んで、テルメックスを介して番組配信と料金徴収を行っている。ディッシュ・メヒコは短期間に220万の契約者を獲得し、契約者数300万のテレビサ傘下の有料衛星テレビ・スカイの強力なライバルとなりつつある。テルメックスにテレビ事業参入の認可が下りた場合、ケーブルテレビ事業に参入し、テレビサ傘下のケーブルテレビ、カブレビジョンと激突する可能性が高い。

テルメックスは4年前に変更申請を提出したが、通信運輸省は決定を先延ばしにしてきた。最高裁の裁定により回線接続料問題の見通しがついたことから、テルメックスは早く認可を出すよう要求し、さらに裁判所が一定期間内に回答を出すよう通信運輸省に命じた。それに対し通信運輸省はこの5月27日に回答を出した。結果は申請却下。参入に必要な条件のうち当局への情報の提供と、第三者への高品質の回線接続サービスの提供が不十分という理由であった。ただし今後も申請は受け付けるとの立場である。公正取引委員会は、テルメックスのテレビ事業参入を支持すると表明している。独占批判を武器に、今後テルメックス・テルセルによるテレビサへの攻勢が強まると予想される。

競争激化の受益者は誰?

ビジネスグループ間の競争激化が価格引き下げ、サービスの質の向上となって利用者に還元されるかについては、現時点では何とも言えない。

私事で恐縮だが昨秋テレビサ傘下のカブレビジョンと固定電話・インターネット・ケーブルテレビの格安パックの契約を試みた筆者の経験を述べれば、ケーブル工事予定日を3回すっぽかされ、電話応対もサービスセンターでの交渉もらちがあかず、結局契約を解除し、時間と労力を無駄にした。テレビサは顧客囲いこみに必死であるが、人員・システム等のサービス供給体制が整っていない印象を受けた。しかたなく固定テレビとインターネットの契約にテルメックスに行くと、こちらは満面の笑みを浮かべた係がまたたく間に契約書を作成し、電話料金支払いの長蛇の列をとびこえて設置料金を支払い、短時間で契約は成立、さらに予定日より前に作業員がケーブル工事に現れるというおまけ付きであった。独占企業の底力を垣間見た。
回線接続料の引き下げが利用者に還元されるかについては、テルセル・テルメックスが独占していた利益の一部が、テレビサ、サリナスなどに配分されるだけとのうがった見方もある。また仮に還元されるとしても、すべての契約に裁定が行き渡るまでに時間がかかるため、料金引き下げが実現するのはかなり先のことだといわれている。

今のところの受益者は、テレビサとサリナス、それに存在感をアピールし権限を強めた監督官庁といえよう。