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海外研究員レポート

マプチェのハンガーストライキと政府・大企業の対応

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049945

2010年11月

1.鉱山事故にかき消されたマプチェのハンガーストライキ

今年10月13日にサン・ホセ鉱山落盤事故で鉱山労働者が救出され、チリ国内だけではなく海外のメディアでも大々的に報道された。33名もの人命が助かったことに対する歓喜はもちろん、現政権のプロジェクトの管理・遂行に対しては高い評価が与えられ、また海外ではチリ政府の手厚い人命保護の姿勢にも注目が集まった。

連日の鉱山労働者救出を伝えるニュースの陰で、チリの人権侵害問題に関する重要な事件がそれほど国内外のメディアで報じられることも無く同時進行していた。82日間にもおよぶ、先住民族マプチェによるハンガーストライキ(以下、ハンスト)である。マプチェ族はチリ中南部などに居住する約60万人の先住民だが、土地回復運動が近年過激化している。この破壊的行為に対して「反テロリスト法」が適用され収容所に拘束されていた32人は、人権侵害に反対の示威行動として7月12日から収容所内でハンストを開始していた。生き埋めになった鉱山労働者の生存が確認されて国中が歓喜に沸き、全国民が救出活動にかたずをのんで見守っていたのと同時期に、マプチェ・コミュニティやチリの人権問題に関心の高い人々は、絶食によって体重が10~25キロも低下しているハンスト参加者の生命を危惧し問題の早期解決を願っていた。希しくもチリの北と南で32人という同数のチリ人(コピアポの33人のうち1人はボリビア人であった)が、同時期に生命の危機に瀕していたのである。

国内外のメディアであまり取り上げられなかったマプチェのハンストと対称的であるのは、今年2月のキューバのケースである。こちらは反体制派政治犯に対するキューバ政府の人権侵害への抗議であったが、世界中で報道され、共産主義一党独裁体制のキューバ政府に非難が集まった。これに対し、チリのケースでは欧州政府の一部や国際NGOから懸念が表明され始めていたものの、まさに同時に進行し毎日詳細に報じられる鉱山労働者救出のニュースにかき消されてしまっていた。10月に予定されていたピニュイラ大統領によるヨーロッパ諸国歴訪では、チリの先住民人権問題で非難されることも予想されていたが、実際には大統領がその直前に成功裡に終わった救出活動を宣伝の場として最大限利用したため、いっさい言及されないテーマとなった。

2.ハンストの原因となった「反テロリスト法」

このハンストは、軍政時代の1984年に制定された「反テロリスト法」に端を反する。当時反軍政勢力はしだいに力を盛り返し、共産圏諸国の支援も得て軍事的にも強力になりつつあった。「反テロリスト法」は、これに対する弾圧の手段として導入され、裁判は軍事法廷で行い、弁護士の要求など一般の犯罪者と同様の保護も受けることが出来ず、また刑罰は一般犯罪の3倍重いものが適用される、といった犯罪者に対して極めて厳しい法律である。

当初は反軍政武装共産主義グループに対する法的手段であったが、これが変化したのは民政移行後の1991年であり、「民衆に脅威を与えるような罪を犯す集団」を対象とし、犯罪としては「農地・林地などへの放火も含む」となった。1990年から始まるコンセルタシオン政権は先住民の保護政策を約束していたが、約束履行の遅れに反対する急進的なマプチェ・グループは、林地への放火やトラック・倉庫などの破壊行為、道路の封鎖などといった示威行為をエスカレートさせてきた。

2000年からのラゴス政権以降は、これら先住民の暴力的な示威行為に対し「反テロリスト法」を積極的に適用し、急進的な土地回復運動を抑える方向に転じている。マプチェ・コミュニティは一貫してこれに反対しているが、有力国際NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチも、先住民の運動というだけで重い罰則を科すこの制度に対し、人権侵害として問題視している。

マプチェ族の神木アラウカリアの原生林

マプチェ族の神木アラウカリアの原生林

3.ハンストに対する政府の対応

ハンストが開始されてからの現政府の対応は一定していない。開始当初は「この問題はこれまでのコンセルタシオン政権時の失政の結果で、現政権には関係ない」、「犯罪者の圧力で事後的に法規を改変するのは、法治国家として適当でない」、「圧力下での交渉には応じられない」という立場で、交渉や譲歩の余地をみせなかった。しかし、しだいにヨーロッパ各国政府や国連、国際労働機関、アムネスティ・インターナショナルなど海外からも、ピニェイラ政権に対し先住民保護協定違反への懸念が表明され始めた。同時に、マプチェ側もハンスト支持として様々な示威行動を起こしている。9月25日には女性や子供よりなる17のマプチェ族の団体が、国連に訴える目的でサンティアゴにあるCEPAL本部と国際労働機関支部を占拠し、10月2日まで留まった。また、南部テムコ市やアラウコ市周辺では道路の封鎖も行ない圧力をかけた。これらの結果、ハンスト70日間を過ぎて、ようやく政府は対話路線に転じている。

まず問題となっている「反テロリスト法」を改正しつつ、一方でカトリック教会司教を通じて対話交渉を開始している。9月27日に政府側からは内務大臣、官房大臣、マプチェ側からはストライキ参加者とマプチェ団体代表が出て、収容所内で対話が実現した。この席で、マプチェ側は、交渉の場での政府の譲歩が実際に法的な措置の改変につながるのかについて懐疑的であり、交渉に司法の代表も入ることを要求した。しかし、司法の代表が入って譲歩案がまとまることは、マプチェの処遇が超法規的なものになることを意味し、これを恐れた政府側は強く拒否したため、最初の交渉は失敗に終わっている。その後10月1日には、政府側が「反テロリスト法」適用を見直すことを約束する一方、マプチェ族のうちビオビオ地方とテムコ地方の代表は司法抜きでの交渉に合意し対話が再開された。26歳の女性で新しい世代のマプチェ代表であるアラウコ・マジェコ調整役(CAM)のナティビダッ・ジャンキレオ氏が、多様な意見を持つ各マプチェ団体を説得して合意を取りまとめる事に奏功したとされる(QuePasa誌2010年10月8日)。この結果、コンセプシオン、レブ、テムコの収容所のストライキは82日目にしてようやく終結にこぎつけている。

4.沈黙を守る大林業企業と新しい企業・政府関係

今回のハンストでは、政府と大林業会社との関係も注目された。1990年代終わりから、マプチェの土地回復運動の矛先は主としてCMPC社とアラウコ社という2大林業企業に向けられ、所有する林地での放火や、トラックや倉庫の破壊行為が相次いだからである。林業企業は、マプチェ族の放火・破壊行為に対得る糾弾の急先鋒となり、前コンセルタシオン政権期には政府に政治的圧力をかけてきた。

しかし、ハンスト終結をめぐって政府が譲歩を重ねる中、林業企業は沈黙を守ってきた。それは、これまでの数年にわたるマプチェ・コミュニティへの教育支援や土地の割譲など融和政策が続けられた結果、ある程度の信頼関係が醸成されており、ここで強硬論を唱えることはマイナスととらえたからのようである。唯一の政府への協力としては、両者が理事を務める有力シンクタンクであるCEP(公共研究センター)を通じて、CEPが有するマプチェ・コミュニティに関する所得や教育水準など長年の研究成果を政策立案に生かすよう働きかけを行っていることがあげられる程度である。

2000年から始まるラゴス前大統領以降の左派政権では、大企業は政府に懐疑的で信頼関係が薄く、左派政権内の特定の有力者との人的ネットワークの構築に努力を払ってきた。一方今年3月に成立した現ピニェイラ政権は、大統領や閣僚がもともと大企業の取締役を務めていたり、有力企業家と親族関係や同窓生であったりという関係にある。この状況では、政府にとっても企業家にとっても、政権と企業家の密接ぶりをなるべく目立たせないようにすることが得策となっているようである。

現政権は「新しい右派」を構築しようとしている。広く国民の支持を得るため、環境問題や人権問題など、これまで右派が避けていたテーマについても積極的に取り組む姿勢を見せはじめている。今回のパルプ・製紙会社との関係だけでなく、例えば8月には環境問題に配慮して火力発電所の建設を大統領判断で反故にし、この時は企業家から懸念が表明されている。民衆の支持の拡大と大企業との関係で、現政権は今後難しいかじ取りが必要とされる。