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海外研究員レポート

亡命希望者たちの苦難: イギリスにおける「市場メカニズムに基づくアプローチ」による法律扶助改革の影響についての雑感

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049951

佐藤 創

2010年8月

先週、イギリスへの亡命を求めていたイラク・クルド系27歳の男性が、ロンドンのノッティンガム地区にあるビルの7階から飛び降り、死亡したことが報道されていました(The Guardian, 1/Aug/2010)。2時間ほどバルコニーの手すりの外側にたたずんでいた彼は、屋内に戻るよう説得しようとする警官たちになんら応えず、ついに、片手を胸に当て、空を見上げ、手すりから手を離したそうです。

イギリスにおいて、こうした難民や移民の事件がニュースとなる頻度は、日本とは相当に異なります。難民申請数で比較すると、日本では2008年にはじめて1,000人を超えたことが話題になりましたが1、イギリスでは2002年のピーク時には84,130件の申請があり、2008年にも25,930件の申請がありました2。つまり、申請件数を比較すると2008年時点でおよそ20倍あまりの差がイギリスと日本においてはあります。こうした違いゆえか、イギリスでは難民や移民関係のニュースを目にする機会がとても多いと感じます3

さて、難民あるいは亡命希望者にかかわる事件の根本的な問題は、地域紛争や世界的な富の偏在といった構造的なものであることに疑いはないでしょう。また法政策的なレベルでも、難民の認定や在留許可の取得は、多かれ少なかれどこの国でも困難であるという世界共通の制度上の問題もあるでしょう。ただし、記事をおってみると、本事件の直接的な原因は、イギリスにおいて、こうした難民が依存せざるをえないlegal aid(国費による法律費用の扶助制度:法律扶助)に変化が起こっているという、よりスペシフィックな制度の問題もあったようなのです。

一般に、難民たちがイギリスにて難民認定をえるための申請手続きを自ら遂行することは困難であり、ソリシタ(事務弁護士)の助けが必要です。そして、そのソリシタの費用は法律扶助制度により賄われます。それゆえ、ソリシタとその費用の支払いをアレンジしてくれる法律扶助団体の支援をうることが個々の難民にとって決定的に重要となります。

本件のクルド系男性も、the Refugee and Migrant Justice(RMJ)という法律扶助団体の支援をこれまでえていました。ところが、もともとは政府により設立され、難民への支援分野ではイギリスでもっとも大きな法律扶助団体だったこのRMJが、6月に破産に追い込まれたのです。そのため、彼は法律扶助へのアクセスを失い、そのことが飛び降り自殺の直接の引き金となったらしいのです。

この男性は、2001年にイギリスに到着し、政治的な危険を理由に亡命と保護を求めたものの、彼の申請は一度却下され、再申請をする準備をしていたそうです。また、イギリスで就労することを認められていない彼は、慈善団体から月に10ポンド(約1,500円)と食料を受け取り生活していたそうです。そして、上記RMJから、破産して破産管理人の管理下に入ったため、もはや彼の難民認定申請を助けることはできないとの手紙を受け取ったとき、彼は自ら出入国を管理するホームオフィス(内務省)に出向き「私を本国に送り返すか助けるかどちらかにしてくれ」と訴えることに決めたそうですが、ホームオフィスでは「あなたはいったい全体誰なのだ、ソリシタを雇え」という答えのみを受け取り帰らざるをえず、その後いくばくもなく冒頭に書いたとおりの行為に及んだということです(The Guardian, 1/Aug/2010)4

RMJは、破産に追い込まれた原因につき、イングランドとウェールズの法律扶助システムを統括する法律サービス委員会(The Legal Services Commission)5(法務省の下にある独立委員会)が採用した支払い方法に問題があると述べています(The Independent, 19/June/2010)。以前は、同委員会から法律扶助諸団体への法律扶助額の支払いは、事件の進行中に行われていたのですが、2007年以降、事件が終結したときになってはじめて支払いを行うという方法に変更されたのです。こうした難民関連の事件は数年もかかることが多いいため、RMJはキャッシュフローにおいて行き詰まり、破産に追い込まれたということです。

RMJの破産は有力紙各紙において比較的大きく取り上げられ、また、数百名の亡命希望者たちが RMJを救うべく「法律扶助費用の請求をすぐに払え」といったプラカードを持って法務省のまえにてデモをおこなったことも報道されていました(The Independent, 19/June/2010)。実際、法務省も、事件が長期にわたりがちな法分野に強みをもつ法律扶助団体ほど、キャッシュフロー問題に直面していると認識していたそうですが、RMJの閉鎖につき議会で質問された保守党・自由民主党連立政権の法務大臣Kenneth Clarkeは、他の法律扶助団体はこの事件終結後に支払いを行うというシステムに十分適応しているのだから、RMJも適応することを期待されて当然だろうと述べ、前労働党政権の導入した改革を今のところ支持しています。

破産にあたって、RMJは次のようなコメントを残しています(The Guardian, 1/Aug/2010)。「亡命を求める者と人身売買の被害者たち1万人以上の人々が法律的な支援や助言へのアクセスを失う危険に晒されており、そのうち900人近くは家族から引き離された子供である」。「(破産して活動を停止せねばならなくなり)最悪だったことは、『緊急・拷問の被害者』あるいは『児童・人身売買の被害者』と記されたファイルを、それらのケースがいつになったら、あるいはそもそも取り上げられ処理されることが将来あるのかどうかもわからないままに、箱詰めにしたことだ」。

イギリスの法律扶助支出額は、ここ数年は、年間およそ20億ポンド(約3,000億円)あまりで推移しており、納税者1人当たりに換算すると100ポンド(約15,000円)あまりと世界でもっとも高額だと報告されてきました。2009/10年度では、そのうち移民および亡命関連の法律扶助支出額は9,000万ポンド(約135億円)であったそうです。増大しつづける法律扶助支出に対処するために、政府は改革を検討し、2006年にLord Carter's Review of Legal Procurement “Legal Aid: A Market-based Approach to Reform”が提出され6、副題にあるとおりの「市場メカニズムに基づいたアプローチ」に基づき、法律扶助の支出が膨らまないよう、入札制度の改革や、(時間ではなく事件ごとの)固定報酬額制度の導入、そして上述した後払い方法への変更などが提案されました。粗っぽく要約すれば、法律扶助の予算を握る法律サービス委員会がいくつかの法分野ごとに入札公告をだし、個々の法律事務所やNPO団体は事件何件をいくらで契約したいと、競争入札するイメージです7

たとえば、先月行われた家族法関連の入札では、およそ2,400社が応札し、そのうちおよそ1,300社あまりが法律サービス委員会と契約することができ、また、移民と亡命に関する案件の入札では410社が応札し、252社が契約したそうです(The Guardian, 1/Aug/2010)。この契約社数は前年よりいずれも大幅に少なく、また契約できた各社も希望件数よりも大幅に削減された件数での契約が多いと報告されています。さらに、法律扶助に新規参入した会社がほぼ希望通りの件数を獲得するなど、法律扶助の内容や実績ではなく、価格のみでどの会社が受注するか決定される傾向が強まっているという批判もあります。また、時間ではなく事件ごとの固定報酬制度になって以来、法律扶助にかかわるソリシタの数が減少し、また質が悪化しているという報告もあります(The Guardian, 14/July/2010)。とりわけ、難民に対する法律扶助について調査を行った報告書は、改革されて導入された制度の下では、一事件あたりにかける時間がもっとも少ない法律事務所が契約を受注し、まったく法律扶助の内容は考慮されていないと批判しています(Julie Gibbs (2010) Justice at Risk: quality and value for money in asylum legal aid: Interim Report," London: Refugee and Migrant Justice)。ソリシタの業界団体であるThe Law Societyもまた、こうした改革により、これまで法律扶助を提供してきた事務所や団体が「駆逐されつつある」とコメントしています(The Guardian, 1/Aug/2010)。

つまり、「市場メカニズム」アプローチによる法律扶助改革は、法律扶助内容の質の悪化をもたらしているため、再考する必要があるという批判が強まっているのです。

実は、保守党・自由民主党の連立政権もまた法律扶助の改革の必要性を謳っています。ただし、理由は若干異なります。新政権は、厳しい財政支出削減政策を実施しようとしており、法律扶助予算についても、法務大臣Kenneth Clarkeは、つい最近、削減対象であると明言しています(Daily Telegraph, 16/July/2010)。また、こうした財政的な問題に加え、去る4月に、労働党の前議員たちが、かれらが議員であった時の議会支出の不正が疑われている事件につき、裁判手続きにて法律扶助をうる申請をし、認められたというニュースが大きく報道され、法律扶助支出には無駄遣いが多いという一般の人々の持つネガティブなイメージを強めてしまいました(The Independent, 14/April/2010)。このニュースは選挙直前であったため、保守党は、法律扶助の申請をした労働党前議員たちを論外だと批判するとともに、こうした労働党の体質を厳しく糾弾し、選挙に勝ったら(おもに無駄遣いをなくすという観点から)法律扶助制度を改革すると公約していたのです。

ただし、今後、イギリスにおいて法律扶助制度がどのような方向に改革されるのか、そもそも実際に改革されるのかどうかも、まだ不透明です。とくに難民の法律扶助については、一般の民事刑事事件における法律扶助とは若干異なる側面があります。後者については「国民」の権利の問題でもあり、イギリス司法制度の高い信頼性に寄与しているという認識があるように思われるのですが、難民移民事件における法律扶助は受益者が国民ないし納税者ではないというセンシティブな問題が存在するからです8。また、難民および移民政策一般についても、つい先ごろ、移民担当大臣Damian Greenが国外退去制度を強化すると述べるなど(The Independent, 2/Aug/2010)、保守化傾向が垣間見えます。そもそも、難民たちは、彼らの利益を代表する政治的な代表者をどの国の議会にも当然ながらもっておらず、イギリスの議会においても、難民の法律扶助へのアクセスの問題に積極的に取り組むインセンティブは、どの議員もあまり持っていないと予想されます。

仮に改革が現に実施されるとするならば、今のところ2006年に提案され実施されてきた「市場メカニズム」アプローチによる法律扶助改革の方向を基本としたまま、若干の修正が行われる可能性が高いと思われますが、2008年の金融危機以来、「市場メカニズム」万能的な考え方も著しく後退しているように思われます。では、代替的などのようなアプローチが提案されているのかと検討してみると、支出総額は抑えつつ、法律扶助の「質」をより重視すべきというような方向性は漠としてはあるものの、それを具体化する制度設計方法についてはいまだ不明瞭であり、コンセンサス形成にはほど遠い状況にあると思われます。

しかし、以上みてきたような様々な要因を勘案すると、冒頭で紹介した男性の飛び降り事件に象徴されるように、イギリスにおいてこの問題がどのような道筋を今後たどるのか、ポジティブな展望は持ちにくいのです。少なくともはっきりしていることは、現行の法律扶助制度に何らかの改革がなされないかぎり、イギリスでは亡命希望者たちの法律扶助へのアクセスが悪化した状況が続くだろうということです。

イギリスは数年前までは、亡命希望者たちにとってはいわば「約束の地」であり、たとえば、アフガン難民がパキスタンからイギリスへ亡命する密航の旅をドキュメンタリータッチで描き、2003年ベルリン映画祭金熊賞を受賞したイギリス映画“In This World”も記憶に新しいでしょう。実際に、相対的にではあるものの、イギリスでの亡命希望者への待遇は良く、また、いったん潜り込んでしまえば不法滞在・就労者の監視は緩やかだといわれていました。しかし、経済が危機からいまだ回復せず、同時に政府が厳しい財政再建政策を進めようとしているいま、そうした状況は確実に変化しつつあるように思われます。

以上。

脚注


  1. 1,599人。2008年に難民として認められた者は57人、認められなかったものの在留はゆるされたものは 417人(法務省入国管理局のウェブページより) (http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/press_090130-1.html)。
  2. 2008年にはじめて裁定された19,400件のうち、申請を認められたものが19%、認められなかったものの在留は認められたものが11%(UK National Statistics (2009) “Home Office Statistical Bulletin: Control of Immigration United Kingdom 2008,” London: UK Home Office)。
  3. なお、国連難民弁務官事務所(UNHCR)の統計によると、世界の難民の総数は 1,500万人前後で推移しており、難民の多くは先進国よりも、開発途上国に居住しています(UNHCR (2010) "2009 Global Trends: Refugees, Asylum-seekers, Returnees, Internally Displaced and Stateless Persons," Geneva: UNHCR)。
  4. 筆者自身も、もう10年近く前になりますが、ビザの更新手続きをするため、ロンドンの南、クロイドン地区にあるホームオフィスに行ったことがあります。友人のアドバイスで朝の 3時に行ってみると、すでに建物の外に長蛇の列ができており、お昼近くになってようやく建物の中に入ることができ、さらに数時間待って自分の番が来たように記憶しています。たしか、その場では手続きが完了しなかったこともあり、さらに、イギリス滞在上の様々な問題を抱える人がきているので建物そのものが不安そうな雰囲気に満ちており、また怒号やすすり泣きが聞こえたりと、お金を払ってでもソリシタに手続きの代理を依頼すればよかったと、暗澹たる思いで帰途についたことを覚えています。今現在でも、滞在許可や難民認定の申請をする人々は、同じ場所で何時間も並び、自分の番を待つのです。
  5. イギリスの司法制度では、大きく分けてイングランドとウェールズ、スコットランド、北アイルランドの3つの法域があるためか、法律扶助を統括する委員会の管轄もまたこれに対応しているようです。
  6. なおこの報告書は一般の民事事件・刑事事件への法律扶助を対象としており、移民および亡命希望者への法律扶助に関する報告書は別に発表されていますが、基本的には同じ改革が実施されています。移民および亡命事件の法律扶助の報酬額については、2007 “Legal Aid Reform: Final Immigration and Asylum Fee Scheme”。こうした報告書類はいずれも Legal Services Commissionのウェブサイトからダウンロード可能です(http://www.legalservices.gov.uk/)。
  7. そして、基本的には安い価格を提示した事務所が希望件数通りあるいはそれに近い件数をいわば受注契約し、その結んだ契約に含まれる事件数や予算に応じて、様々な法律扶助の依頼を引き受けるかどうか、引き受けるならば、どういうサービスを何時間提供できるか、いわば計算しつつ法律扶助を行っていくというイメージです。そして法律サービス委員会から法律扶助を提供した事務所や団体への支払いは事件の終結後が基本とのことなのです。
  8. たとえば、近年イギリスでは、移民排斥を強く主張する英国国民党(BNP)が、「極右」「人種差別主義」といった批判を受けながらも、勢力を拡大しています。