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海外研究員レポート

オリンピックを迎えた北京

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049981

渡邉 真理子

2008年8月

8月24日(日曜)北京オリンピックは閉幕した。北京の中にいると、あんまり共感したりわかってもらえなかったけど、中国なりにオリンピックというお祭りのホストとしての任務をかなり一生懸命に果たしていたので、スポーツの持つ楽しさそのものが消し去られることはなかったな、というのが感想である。結局のところ、オリンピックというスポーツの祭典が持つ楽しさがやはり町にあふれていた。モスクワ五輪の時のように、政治がスポーツを押しつぶしはしなかったという意味で十分に成功していたのではないだろうか。

1. 緊張感が最高潮に達した開幕直前

2008年7月1日(火曜)。北京はいよいよオリンピックを目前に迎え、静まり返っていた。もともと懸念された大気汚染をコントロールするために、5月末までにすべての建築工事を停止するようにという通知があったものの遅れに遅れていた。が、さすがに6月末には停止し、7月に入ると大きな象徴的な建築(国貿第3期、新中央電子台ビルなど)の建築も停止され、カバーで覆われた。この時点で動いているのはわずかに、オリンピックまでに開通しなければならない新しい地下鉄3本、ブッシュ大統領が泊まるといわれている新築のホテル、そして、我が家のそばの電話線を地下へ埋める工事はなぜかまだおこなわれていた(ただ、この電線工事、ご大層にも光ケーブルを切断してくれ、1週間インターネットにアクセスできなくなった。)。工事作業をしていた農民工の多くが帰郷させられ、町角に見当たらなくなった。また、全国から集まってきている学生も、とにかく北京から離れるように求められた。大学の卒業式は早められ、サマースクールは基本的に禁止、新年度の入学式も9月20日以降になった。留学生のビザの発給も運用が厳格化され、特に理由のない学生には帰国が促された。そして大会期間中は大きなコンファレンスや会議は許可がでなかった。

7月8日(火曜)、北京の主要道路に一斉にオリンピックの飾りが掲げられた。

写真1

7月18日(金曜)は、自宅の前でその工事の一環で支え棒をはずしてしまっていた電柱が倒れて通行者を直撃する寸前となった。その直後に、道が封鎖されたが、2時間後に、もう一本が倒壊し、その後夜中に600メートルほどの道筋の全部で20本あまりの電柱が倒れてしまった。あとでいろいろ聞いたところ、電線の埋設工事が完了せず、もともとの電信柱の支えをとったところ、工事中止を求められてしまい途中で、ほうりだしていたところ、電信柱が自分で倒壊していったということらしかった。電信柱を倒す工事代が節約できたということなのだろうか。

7月20日(日曜)からは、奇数日には奇数ナンバー、偶数日には偶数ナンバーの車のみが走行できる規制が始まり、本番同等の警備体制が敷かれる。おかげで物流が滞るといわれ、水や米の買いだめを勧める張り紙が店先に出た。この日、ようやく新地下鉄3本が開通した。新しい地下鉄はオリンピック会場へ通じているもあり、その周辺にはブルーの制服ポロシャツをきたボランティアが研修や練習に向かう姿が目に付くようになった。お祭りの雰囲気が少しだけ出てくる。

7月21日(月曜)、携帯電話にかかってきた電話が国際電話の番号を表示していたので「もしもし」と日本語で出ると、録音テープが回りだした。5月の地震の際の政府の対応の悪さ、引いては共産党政権の問題点を得々と演説するテープがかかった。法輪功の「宣伝作戦」だった。

ビルのガードマンもタクシーの運転手も、招集がかかったにもかかわらず、ボランティアの腕章をつけさせられている。「スポーツの大会を政治化するな」と何人ものタクシーの運転手がぼやいていた。本来楽しみに満ちたスポーツの祭典であるはずのオリンピックを前に、北京は厳戒態勢になった。オリンピック厳戒態勢の中、北京人は開店休業状態なので北京から逃げ出して国内や海外旅行。外地からの人は北京を避けと閑散とした雰囲気が漂い始めた。ここ数年、北京では香港のスターがオリンピックの雰囲気を味わうために購入したといわれる不動産はあそこだここだと噂されてきた。そして、大量の短期滞在者が来ると見込んで、外国人などが多く滞在する公寓(サービス付きアパート)は既存の居住者を追い出し、ホテルは家賃を引き上げと横暴の限りを尽くしたが、どちらも予約がまったく埋まっていないと報道され始める。外国人に限らず、国内の中国人も夜汽車で来てお目当ての競技を観戦し帰郷するという。ゲンが悪いのだという。また、開幕式当日は、北京の公的機関はすべて休み、その他の機関も独自に判断するようにという通知が出された。開幕式がおこなわれている時間帯は、飛行場の閉鎖が決まる。北京上空を飛行機が飛ぶことは禁止された。

8月8日。北京の緊張は最高潮に達していた。朝から中国のTVはオリンピック特番モード。これからはじまる開会式と競技に関して、あれこれと情報を流している。当日、日系をはじめとする外国企業も営業するつもりが、事実上多くのオフィスビルが休日モードを決めたため、休日とした。多くの単身赴任のおじさんたちが、夜テレビの前で見るためのおつまみとビールを買い込み、所在なげに日中歩いていた。せっかくの開会式、北京の地安門から八達嶺の万里の長城まで順次花火が打ち上げられるという情報がテレビで流れる。せっかくの開会式だから、鳥の巣の周りで眺めてみるかとおもい、開通したばかりの地下鉄に乗って会場周辺に行ってみると警備の人員のみが目につく。用のないものは近づけないようになっていた。夜を迎えると、多くの商業施設は18時ごろに閉店し、タクシーはみんな店じまいで家路を急ぎ、通りには文字通り人気がなくなってしまった。我が家のアイさんの住む社区の居民委員会は、今晩はテレビでみるのが一番いいからむやみに出かけるな、という通知を出していたらしい。みんなそれぞれどこかに集まって、テレビで開会式を眺める状況になった。

さて、開会式がいざはじまってみると、大きく空に口のあいた国家体育場(鳥の巣)のVIP席のひな壇に世界80カ国の元首が並んで、湿度90%のなかみんなネクタイをはずし、扇子を仰いで汗を拭いている。ここに911方式に飛行機が突っ込んだら、さぞかしとんでもなかっただろう、ということはわかった。花火の映像がCGだったとして話題になった件も、これを撮影するヘリの許可は下りるはずもなく、仕方がなかったのかもしれない。

2. オリンピック開幕後

8月9日(土曜)一夜明けていよいよ競技が始まると、町は華やぎ始めた。オリンピックの競技そのものを楽しみにくる観光客が目につきはじめ、特に陽気な仮装をした応援団などが行き来するようになると、徐徐にお祭りモードになっていった。日本の福田首相は開幕式の翌朝すぐに長崎に向かっていったのと対照的に、アメリカのブッシュ大統領は13日まで滞在し、ビーチバレー、競泳、バスケットボール、などなどの競技場に顔を出し、思いっきりゲームを楽しんでいるようすであった。また、父ブッシュも、日ごろアメリカが知的財産権の侵害として非難の対象としている贋ブランド品などで名高い秀水市場で買い物を楽しむ姿が報道された。こうした偽ブランド品を安く扱う秀水市場や紅橋市場はオリンピック関連の観光客であふれ帰り、そこに入る店舗はどの店も例外なく売上が倍増したらしい。

このブッシュの長逗留の間、彼の警備はダントツの厳しさで、胡錦濤以上ではないかと思われる警戒モードだった。彼が宿泊したホテルは、7月入ってようやく竣工したばかり、限られた部屋しか稼動しておらず、おそらく身分のはっきりした人間しか予約は受け付けていなかったのだろう。ホテル自体にも予約のない客は入れなかった。また、このホテルの目の前には新しく開通した地下鉄の駅があったが、ホテルに面した出入り口は8月6日から封鎖された。実際に大統領が到着すると、彼が移動する2時間前に、まず路上に駐車している車を排除する作業を開始するところから始まり、最後はレッカー車までを出して道をきれいにした上で、交通管制を引く、という方式を取っていた。

8月15日(金曜)。63回目の第二次大戦終戦記念日。そんな余裕はないのか中国は沈黙を貫き、何の報道もなく過ぎた。おかげで大量に北京入りしていた日本の報道陣はこの日が中国にとっての解放記念日であることをまったく感じずに終わっただろう。事実、日本の報道でそこに触れている記事は一つも見かけなかった。近くのインド料理店がインドの独立記念日を祝っていたので、中国人従業員にいつが独立記念日かとうっかり聞いてしまったら、仏頂面で8月15日という答えが返ってきた。日本人なのはバレバレだったしね。

8月19日(火曜)、久しぶりに法輪功からの告発電話が入る。10日ほど、法輪功もオリンピックに酔いしれていたのだろうか。その後、20日(水曜)、21日(木曜)と連続で電話はかかった。

9日に競技が始まってから、いくつかの競技の会場に足を運び、女子マラソンは沿道で観戦した。しかし、自分自身で感じた「事件」らしい事件、「異変」らしい異変は上に書いたものだけだった。あとは、晴れの競技に参加するアスリート、そのための会場運営にかかわる多くのボランティアとわが町の晴れ舞台に参加しようとしている市井の市民、そして観戦を楽しみにきた観客とが、巨大なお祭りを楽しんでいる穏やかな日々であった。

3. 「報道された」オリンピック

筆者の身の回りはともかく、実際にはいくつかの「事件」が起きていた。特に日本のメディアが好むいくつかの問題があった。列挙すると、(1)少数民族問題に関するテロ、(2)市民と公安との衝突や政府による(過剰)規制や取締り、(3)開会式の「偽装」、(4)人工降雨と人工消雨、(5)エリート主義による金メダルの量産、(6)大気汚染と食の安全の問題、(7)棄権したメダル有望な競技者への非難、(8)中国人観客のマナー、そしてこうした問題をすべて(9)中国の一党独裁、非民主化の遅れに結び付けて批判する、といったところであろうか。

まず、(1)テロについては、どの程度の範囲で発生するのか、が一番の問題であった。自爆テロや911方式の飛行機による攻撃など、無差別で大量殺人を起こすのか。それとも、うわさされたようにオリンピックの選手など目立つ人物を誘拐などの標的にするのか。攻撃の主体としては、開幕前から問題になったチベット問題に加え、本来もっとも大きな火種と警戒されていた新彊ウィグル自治区の独立派の攻撃は、やはり活発化した。新彊のクチャ、雲南省昆明でのバス、北京市通州でも爆発が起きたという。また、オリンピック期間中に、チベットでデモを行い中国公安が発砲したとの報道も出てきたが、これはチベット亡命政府自身が否定した。

また、米国バレー監督の義父母が、観光名所である鼓楼で殺傷され、犯人はそのまま鼓楼から飛び降り自殺した。この問題は、その後政治問題にはならず、被害者のうち生存者は中国当局の迅速な対応に謝意を示して病院を退院した。が、中国では、いきなり見ず知らずの人を刺して自分が自殺する、という行動は、あまりにありえない。中国ではまだ、直接利害関係のある人に対する怨恨などで殺人が起きる。今回の件は、中国人たちもみんな一様にいぶかっていて、犯人は黒社会(やくざ)に脅かされ、残された家族の安全も保証してもらったので、こうした行動に出たのだろう、という解説をしてくれた人もいた。

3月のウィグル族のテロ未遂、チベットでの抗議活動に端を発した、それぞれの「テロ」活動は、非常に成功したといえるだろう。彼らにとっては、世界中の注目は浴びつつも、度を越して(たとえば本当に各国のVIPなどを攻撃して)世界中を敵に回すことなく、中国側に圧力をかけることができた。チベットは、中国側との対話を引き出し、チベット自治区を越える広大なチベット族居住地の自治というかなり非現実的な条件を突きつけることで、いろいろな交換条件を手にするのであろう。すでに、チベットについては、3月の動乱の復興資金が中央財政から回されることが発表されている。今の中国はお金があるので、ゆすりがいがある、というものである。

7月25日は、東ウィグルイスラム活動を名乗るグループが、5月5日の上海、7月21日の昆明でのバスの爆発、7月17日の温州での警察署の爆破、広東省での工場の爆破についての犯行声明を出している。が、中国側は、温州、広東では該当する事件は起きておらず、5月5日の件は、テロではなく事故だとし、この声明の信憑性が高いといっている。

(2)政府の規制や公安との衝突について。チベット解放を求めるアメリカ人(日本籍の人も含んでいたはず)などの団体が、オリンピック会場付近で抗議運動を行ったところ拘束され、閉会式を終えるまで解放されなかった。閉会式当日にアメリカ大使館は抗議声明を出している。また、各地で公安を襲撃する事件が起きている。これらは、火種そのものはオリンピックとは関係なく、普段の生活の中にある不満がテロ関連で警備の強化などが引き金となって爆発しているのだろう。

(3)開会式の「偽装」、(4)人工降雨と人工消雨、(5)エリート主義による金メダルの量産、違法というかルール違反、問題ではではないが、多くの日本人にとっては「違和感」がある、というトピックだったのだろう。が、その違和感は、中国人の間にも存在している。たとえば、出演した少女は歌がうまくないという理由でほかの少女の歌ったテープを流した問題は、中国のネット上でもかなりホットな話題になっており、実際に歌った少女を出演させるべきだったと投票などをしたりしている。また、放送された画像がCGだったことでメディアの非難を浴びた足跡の花火であるが、これを設計したのは、長城を布で覆うパフォーマンスなどで有名で、日本でも活動していた蔡国強氏だった。(蔡氏HP http://www.caiguoqiang.com/http://d.hatena.ne.jp/donburaco/20080813/p1 彼の作品については、たとえば http://www.hibinoshinbun.com/files/tokinoyukue/cai%20guo%20qiang/1.html) 彼がCGを作ってみせるならありえないことではない。彼がつくるなら、偽装のためではなく、アートとしての価値を追求しているだろう、と筆者は勝手に思ってしまった。

(5)今回の中国の金メダル量産の背景には、エリート主義、ステートアマ制度のおかげだろう、という批判もある。まず、実際に参加するアスリートや関係者が金メダル確保のため、前回のアテネ五輪から着々と戦略を立て、準備をし、その結果が花開いた。自国での開催にやる気になるのは当然であり、この結果は祝福されるべきだろう。しかし、国内では、史上最多の金メダル誇る報道が多い一方、エリート主義への疑問を表明する論調が出始めている。これだけメダルをとっても、一般国民の体育や健康の水準が低いままで、何が体育大国だという批判である。しかし、実際、中国人の子どもを見ていると、ボールをまっすぐなげられない、まったく泳いだことがない子が多い。平均余命も70歳前後で東アジア地域では短い。また、より直接的にスポーツの強化に関する論点からも国民全体の体育水準の強化を訴える論調も出てきている。惨敗したサッカーに関する反省の中で、限られた子どもたちだけがスポーツをする現状では、サッカーの裾野が狭く有効な選抜システムができていないことが原因だ、という意見も出てきている。(「オリンピックの成功がもたらす体育改革」(経済観察報8月22日、中文) http://www.eeo.com.cn/observer/pop_commentary/2008/08/22/111286.html

(6)大気汚染と食の安全の問題、(7)棄権したメダル有望な競技者への非難、(8)中国人観客のマナー、などといった問題は、どちらかというと日本のメディアが作り出した過剰反応の面がある。大気汚染や食の安全の問題は、たしかに存在し、かなり大規模に手が打たれ、問題を起こすことはなかった。大規模規制自体を批判する声もあるが、大都市の都心部での車両規制事態はロンドンなどでもおこなわれている。今回、特に空気の改善に加え、渋滞解消の効果も高かったこともあり、筆者の周りの日本人の中では、オリンピック後も車のナンバー規制をなんらかのかたちで続ければいいのにという意見が多い。

国民的英雄で110メートルハードルの世界記録保持者の劉翔が棄権した一件は、かなり衝撃的だった。しかし、ネットでの過剰な言論ではなく、中国の一般の人の反応は、日本で野口みずき選手が欠場を発表したのと同じように、ひどくがっかりしたのである。しかも、劉翔はスタートラインに立ち、一度フライングではあったがスタートを切ったあとに、突然競技場を後にしたのである。衝撃の大きいのは仕方ない部分もある。その後、テレビで、会場に観戦にきていた若者が、自分のとったレースの直前と直後の映像を紹介し、いかにがっかりしたのかを話していた。中国のメディア自身が、劉翔の棄権を冷静に受け止められるようになった国民に成熟を感じると書いている(前出の「オリンピックの成功がもたらす体育改革」http://www.eeo.com.cn/observer/pop_commentary/2008/08/22/111286.html)。

マナーに関しては、特に球技、団体競技について、中国人が激烈に国対国の意識を出すのはすでに知られたとおりで、これは対日本だけに限ったものではないようである。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080826-00000010-rcdc-cn)。筆者の観戦した柔道やマラソンなどといった競技では、特定の相手をののしるなどということはなかった。それよりも、こうしたことを報道していた日本の記者に関する次のような記事が気になった。

メディア担当のボランティアにとって困った記者は日本の記者だったという。ボランティアを自分のメードのようにこき使い、ゴミですら捨てられなかったという。これは、「中国がオリンピックを開催する資格があるのかを検証しにきた」某新聞の特派員ということだそうだ。他人のマナーをあげつらう以上、自分の身じまいはしっかり正しているのか、というと、最近の日本人はそうではないようである。(「評判のよくなかった日本の五輪取材記者」http://www.plus-blog.sportsnavi.com/asa8043/article/497)

4. 同一個世界、同一個夢想

では、中国がオリンピックを開催する資格があったのだろうか。大会の運営面では成功だ ったのではないか。また、主催国として最多の金メダルを取り、一方でとりあえずのところドーピングなどの不公正な手段を中国が使ったという報道は今のところない。史上最大規模のオリンピックの競技を政治的に曲げることなく終了させたのだから、オリンピックを開催する資格と能力は十分あったというべきだろう。

しかし、ゲームそのものは大成功であったにもかかわらず、中国は自分がやはり異質であることを示したという論調が、日本などの海外のメディアからは抜けなかった。現在の中国の価値観が、ほかの国からみるとびっくりすることが多いのは本当であろう。そもそも、「一つの世界、一つの夢(同一個世界、同一個夢想)」というスローガン自体、多様化した世界がもたらしている豊かさと難しさに対する感度がまったくない。

しかし、たとえば開幕式、閉幕式のマスゲームは、もはや北朝鮮のそれとは違うというということも感じ取れたのではないだろうか。あの開会式、閉会式のマスゲームに参加した軍人たちは、もちろん高いモチベーションをもっていたが、ところどころ乱れがみえ、失敗すると刑務所送りになることにおびえて一糸乱れぬ動きをしている北朝鮮のそれとは違うゆるさがあった。

貧しく世界から孤立していた中国が30年を経てようやくオリンピックのホストを務めることができた。その後、どうするべきなのか、ということを中国自身が議論しはじめている。

(財経雑誌、8月18日 http://english.caijing.com.cn/20080819/77361.shtml)

アジアでオリンピックを開催した日本、韓国、中国ともに、発展途上国から先進国への分岐点にいたるタイミングで、オリンピックを迎えている。中国の経済も、ちょうど現在労働力の過剰が消滅しこれまでに成長図式を変更し、高度成長から安定成長に移行する時期に入り始めている。この経済の条件の変化は、人間を単純な労働力ではなく人的資本として扱わなければ、今後の成長は確保できない、という状況を作り出している。この変化は、経済はもちろん社会にまず大きな変化をもたらすだろう。

エリート主義での金メダル狩りを成功させた今、それを誇る声よりも、もう国全体での栄誉のためではなく、市民のためのスポーツに国は金を出してほしい、という声が出てきている。また、おそらくオリンピックのレベルの競技を間近で目にした子どもたちの中から、楽しみとしてのスポーツを始める子どもは多く出て、スポーツを始める子どもの裾野は広がっていくだろう。オリンピックのもたらす強い印象は、政策にかかわらず国民の体育水準の向上に役立つだろうし、より強いモチベーションをもった成熟した選手を生み出すかもしれない。

経済的な条件が整ってくることで、市民がそれぞれにいろいろな可能性に挑戦する段階にはいっている。このように社会が豊かになることで、人間は労働力から人的資本に変化し、よりいろいろな価値を生み出す存在になる。これが、発展した国の成長パターンである。社会のほかの面をみても、中国はすでに、ひとりひとりの市民の権利意識の高まりは始まっており、整えられつつある法律を武器に、自分たちの利益を守ろうという動きは非常に活発だ。中産階級の変質と拡大が始まっているのは間違いない。

ただ、政治体制をみると今回の開会式の中でも見られた党に支配された赤い中国のイメージは変わっていない。国の最終的な統治体系にはまだ大きなメスが入れられていないからである。現在の中国に対して、独裁維持に愛国主義を利用(産経新聞8月23日 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/172504/ という認識は、今起きている大きな社会の変化を無視しており、オリンピックを迎えた中国に関する報道としては片手落ちだろう。

経済の発展が続き国際的な大きなイベントを終えたことで生じる社会の変化と、なかなか変化できない政治システムのきしみはこれから大きくなっていくだろう。しかし、では中国が「民主化」するかどうか、と問うと、現在中国人、特に知識人の中でも迷いを見せる人も多い。それは政治的にそうした発言が抑圧されているからだけでなく、「民主化」という言葉が示している「選挙」などの政治の手続き制度、も選挙などの制度が非常に非効率的に見えることからくる不安である。また、ナチス政権誕生の経緯、つまり「選挙制度」から独裁政権、ファシストが生まれたという経緯を例に挙げて、選挙制度への不安を示す人すらいる。またインドを例に挙げ、あまりに早くに選挙制度を入れたから、国の発展が遅れたのだ、という人もいる。また、タイのタクシン首相、台湾の陳水篇総統のように政治権力のトップが、私的な経済利益のために権力を使い、その経済力により選挙に勝つという不健全なシステムを是とするべきなのか、という点を指摘する人もいる。

このように政治手続きに関しては議論が一致しないものの、中国が市民の利益を尊重する 「市民社会」に向かう動きが大きくなりつつあることを、中国の国民も政府も否定しないだろう。その先に、どのような政治手続き、政治システムで自分たちの国を動かすことにするのかは、当事者たちがあらためて自分たちの政治体制を議論するしかない。ただ、その際に、独裁政権のもとでの集団指導体制、人治と政争を経て意思決定がされるシステムと、選挙による意思決定というルールのもとでの意思決定システムは、ルール結果として国が安定し、また国民の権利の保護にも資するのだ、ということを、民主化したという国は身をもって示することができているかどうかが重要だろう。

写真2