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海外研究員レポート

二つの烏龍茶の物語――鉄観音と岩茶の産業化――

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049991

渡邉 真理子

2008年1月

1. 烏龍茶とは

日本人にとって、烏龍茶はもっともなじみのある中国茶だろう。1981年にほんわかとしたテレビCMとともに発売されたペットボトルの茶色のお茶は、後味のすっきりした飲み心地であっという間に日本中に浸透した。おかげで、烏龍茶といえば茶色のお茶というのが、日本で一般的なイメージだろう。

そもそも烏龍茶というのは、中国茶の中の青茶(青っぽい黒)というグループの茶で、発酵を途中で止めた半発酵茶をさす。中国国内では、大きく分けて4つの系統がある。福建省の北部・武夷山で作られる烏龍茶(閔北烏龍または武夷岩茶:大紅袍、小紅袍、水仙、黄観音)と、同じく福建省の南部・安渓で作られる烏龍茶(閔南烏龍:鉄観音、水仙など)、広東省で作られる広東烏龍(鳳凰水仙、単叢)、台湾でつくられる台湾烏龍(凍頂鉄観音)がある。同じ烏龍茶といっても、見た目はさまざまで、下の写真のとおり、鉄観音はさわやかな緑色をしているが、岩茶はほうじ茶に似た茶色である。

左が安渓鉄観音右が、武夷岩茶(黄観音)

左が安渓鉄観音 右が、武夷岩茶(黄観音)

この烏龍茶は、もともとその地域のもの、せいぜい華南地域で飲まれる地方の茶に過ぎなかった。四川省などの内陸部や北京などではジャスミン茶、上海などの華東地域では緑茶というように、地域独自の飲茶の習慣があったのである。しかし、ここ10年ほど、中国全国で烏龍茶、特に鉄観音の人気が高まり、各地で飲まれるようになりつつある。その鉄観音は、秋茶といって10月に収穫・加工される茶がもっともおいしいという。この時期、生産地である安渓県には、全国から茶の買付けに人があつまり、それはそれはにぎやかだ、と聞き、連れて行ってもらうことにした。

2. ブランド化と進化を続ける安渓鉄観音――県政府のイニシアチブ――
鉄観音の取引

鉄観音は一日で製茶される。よく晴れた日の午前中に、(1)茶を摘み、(2)日に晒して発酵を開始し、(3)竹ざるなどで撹拌しながら発酵を進め、水分を蒸発させ、そして(4)加熱して発酵を止める。その後、(5)色や香を出やすくするように何度も茶葉を揉み、調整が済むと、(6)炭火で長時間火を入れて焙煎し変質を防ぐ。ここまでのプロセスを終えると、翌日の午前3、4時になっており、これで茶としては完成する(荒茶)。

http://www.oolongtea.org/j/index.html)が、まだ葉に枝などがついており、きれいに掃除をしてはじめて、商品として提供できるようになる。しかし、買付け業者は荒茶の段階で農民から買い取っていく。

というわけで、翌朝日が昇るころになると、茶農民は日本のゴミ袋相当大のビニール袋に出来上がったばかりの茶をつめ、バイクに乗って、買付け業者が集まる市場などに集まってくる。市場は、山の上の村々のそれぞれの中心地にもできあがる。安渓県最大の生産地のひとつ感徳鎮では、鎮政府が政府の正門を真ん中に一直線の茶葉街を整備し、その1キロを超えるほどの一直線のみちの両脇に延々と茶行が、その上には旅館が並び、全国から茶の買付け業者があつまり茶を試飲し、売買する。この様子は壮観だった。

買付け業者のほうは、県の中心から車に乗ってきて、県内の集散地をまわり、各地で地元の人から鉄のテーブル、湯沸かし器と水、茶杯を借りて棚を出し、茶農が持ち込んだ茶葉を次々と試飲していく(この場所代は1カ月100元ほどという)。この荒茶の段階での価格は、できあがった茶の品質によって大きく分かれる。価格は、感徳鎮の茶葉街での相場が、低級品が一斤(500グラム)あたりおよそ100元前後、中級品は200から300元前後、高級品は500元以上、この段階で5000元の値がつくものもあるという。茶農のすぐそばの村の中心地での売買では、70から80元という価格もあった。ここでの茶葉の相場は、年々確実に上がっているという。低級品の相場100元前後というものも昨年のもので、感徳鎮の市場では茶農の最初の言い値は200から250元ということが多く、今年は売れ筋価格帯が110から120元に上昇している感があった。

仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真1)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真2)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真3)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真4)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真5)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真6)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真7)仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)(写真8)

仲買人と農民(安渓県長坑郷玉湖村)

茶の取引は、茶農が加工まで行い、買付け業者に売るルートがもっとも一般的であるが、茶の栽培と加工について、分業も若干起きている。つまり、高い茶加工技術をもつ「大師」は、他の農家が摘み取って発酵が始まったばかりの茶(茶青)を買い取り、撹拌から先のプロセスを自分で行う。この茶青の値段は、茶青一斤あたり20元(老木の茶葉)から40元(新木の茶葉)である。荒茶1斤を生産するのに、茶青5から6斤が必要である。つまり、1斤の荒茶を作るのに必要な材料である茶青は、100元から250元ほどである。この加工が成功し、高級品ができれば、500元ちかい値段で売れるが、失敗し低級品になってしまうと、100元前後、損益ぎりぎりの値段になるようである。この「大師」と呼ばれる職人は、自分では茶葉を生産しないという。というのは、より品質のよい茶青だけを買い集めて、加工をすることで、失敗のリスクを回避できるからだという。

買付け業者の行動

一方、買い手である買付け業者は、小売なのか卸なのか、高級茶を専門とするのか、普及品を専門とするのか、で異なる買付け行動をするようである。

一般に、直接顧客に販売する小売は、茶農からの調達価格の2倍の小売値を設定するという。これは、まず荒茶を掃除し製茶した段階で、総重量が買い付けた荒茶の30から40%減る。さらに、中国の茶館の習慣で、多くの試飲を顧客にさせるが、この分がおよそ買付け分の20から10%になる。つまり、全体で、販売できる量は半分になってしまうので、わずかな利益を乗せて、ほぼ価格は2倍になるという。ただ、こうした小売の場合は、茶を本当に愛好し、金に糸目をつけない顧客を抱えていることもある。こうした顧客に向けて、良い品質の茶をそれなりの高い値段で売るという販売戦略も取れる。こうした場合は、よい品質の高級品の茶を求めて回ることになる。とすると、茶農が持ち込むかたちの市場では調達せず、よい茶を加工する技術を持っている茶農や職人の下を訪れて、買い付けていくことになる。茶農のほうもそのあたりの事情が良くわかっており、安渓県の中でも特に高級品を産するといわれる「高山村では、サンタナに乗ってくるような業者には売らない。黒いベンツやアウディで、贈答用に茶を買付けにくる幹部が一番の上得意だ。」という話が、まことしやかにされていた。また、茶道楽が自分で車を運転し、買付けにやってくることも多いというが、その中でもっとも積極的な買付けをするので有名なのは、泉州の加工製造業で成功した企業の経営者たちだという。

一方の卸(批発)は、小売や取次ぎに販売する場合には、茶葉の掃除や顧客への試飲によるロスがない。このため、それほど高い価格での販売をする必要がない。また、一般に卸の顧客である小売や取次は、値段が手ごろな普通の品質の茶葉を求めることが多い。このため、一般には、卸商は高級品には手を出さない。買ったとしても、卸の店先では高級品はほとんど動かないという。低級品を主に買付け、一部中級品をそろえるというのが一般的である。実際、安渓全体で取引される茶葉の大半は低中級品であるという。

茶の品質

荒茶の値段を左右するのは、なんといっても茶の品質である。鉄観音の品質は、(1)香り、(2)口当たり、(3)滋味、(4)色といった要素である。実際に、茶農の持ってくる茶を飲むと、香はあるものの、味わいや口当たりがまったくない、味わいや口当たりはあるものの、香がない、色がないといったように、以上の要素をすべて備えた茶には、なかなか出会えなかった。茶の品質を左右するのは、加工の技術、特に発酵をどのように進め、どのタイミングで止め、加熱にうつるか、がもっとも難しいという。このタイミングのコントロールは、「大師」と呼ばれる技術者でも難しく、さらに今年は茶摘のシーズンに、なかなか太陽が現れずに、発酵がうまく進まず、筆者が訪れた時期には、まだなかなか良い茶ができていなかった。「大師」と呼ばれる職人の作品で、一斤300元という値をオファーしていた茶葉も、香はよいものの、味がや口当たりがほとんどなく、それほどにはおいしくなかった。天候に左右される程度が非常に大きいことが伺える。

加工技術者(右端、中)と話す仲買人

加工技術者(右端、中)と話す仲買人

農民の積極的な参入

さて、農民のほうの収益はどうなっているのだろうか。販売価格は、茶葉そのままで1斤20から40元、加工した荒茶は100元前後から、うまく加工すればもっと高い値が狙える。最低でも年2万から3万元の収入になり、10万元から20万元を稼ぐ茶農も珍しくはないという。

全国農産物成本収益飼料汇編2007年版によると、福建省の烏龍茶生産農家の生産量は、1ムーあたり130.5キロという。仮に荒茶の価格を一斤あたり100元とすると、1ムーからの収入は2万6010元となる。烏龍茶生産農家の平均土地所有面積についての数値は手元にないが、仮に1ムー前後であったとしても、「最低2、3万元の収入」に合致する。実際の土地保有面積が大きければ、収入はさらに大きくなる。

ただし、この統計によれば、福建省の烏龍茶農家の販売価格は、1ムーの産量あたり993元、1斤あたり3.8元、生産コストは1ムー当り939元、1斤あたり3.6元となり、利潤は1斤わずか0.2元である。ブランドである安渓県の鉄観音は、1斤あたり販売価格が100元と高いものの、仮に生産コストは変わらないとすると、利潤は96元ほどとなり、かなり豊かな収入になる。さらに、うまく加工し、高い値付けが可能になれば、高収入が期待できる。安渓県内を走ると、主要産地の郷や鎮に近づくと、主な山の峰はすべて開墾され、茶畑となっていた。農民は茶生産に積極的に参入しているようであった。

開墾尽くされ一面茶畑になった安渓県の山々(写真1)開墾尽くされ一面茶畑になった安渓県の山々(写真2)
開墾尽くされ一面茶畑になった安渓県の山々(写真3)開墾尽くされ一面茶畑になった安渓県の山々(写真4)

開墾尽くされ一面茶畑になった安渓県の山々

安渓の茶産業の興隆をもたらしたもの――政府の産業振興――

安渓鉄観音は、もちろん伝統的に有名な中国茶の名品である。しかし、福建省もしくは華南の一部の人が好む茶が、全国的に愛好される茶になったのには、安渓県政府の貢献が大きいという。

いちばの整備

安渓の中の感徳鎮では、鎮政府がその名も、感徳茶葉街という名の茶の交易市場を設置、運営している。小さな山村の間に開けた平地に、一本長い道が通り、町が形成されている。この町のほとんどが茶業者であり、そのほかにはバイクメーカーと製茶の機械の販売補修店が軒を並べる。茶のためだけにできたような街になっている。そして、鉄観音のハイシーズンである10月には、覆面公安が20メートルおきに立って、保安するほどにぎわう。筆者の出会った茶業者は、北京、上海、広東だけでなく、内蒙古などからも多くが買付けに来ていた。聞くところでは、韓国からもこの茶の郷へ団を組んで買付けに来るという。この興隆をみた付近の鎮は、これを真似しておのおのに市場を作るべく、建設を進めていた。


感徳鎮茶葉街(写真1)感徳鎮茶葉街(写真2)感徳鎮茶葉街(写真3)
感徳鎮茶葉街(写真4)感徳鎮茶葉街(写真5)感徳鎮茶葉街(写真6)

感徳鎮茶葉街

全国ブランドの構築

こうしたインフラ整備だけでなく、ソフトな面でも、県政府は積極的に関与しているという。まず安全性などにも留意した生産基地の形成を行い、次に主要な消費地での宣伝によるマーケティングの推進によってブランドの構築を進めた。さらに、製茶技術の統一訓練の提供などを進めているという。

安渓県政府は、1998年から貧困県からの脱出を鉄観音に託す政策を始めた。まず、10万ムーの土地を集約化させて優良鉄観音、6万ムーの緑色(注:厳密な有機ではないが、安全性に留意した農産物をさす)鉄観音の生産基地を作った。その後、有機認証をとった鉄観音の生産基地を作る。一方、マーケティングでは、毎年青島、北京、上海、広州で、県政府が 主導した鉄観音の展示販売会を行っているという。2006年には、中国の茶葉としては初めて、中国有名ブランド(「中国馳名商標」)の認証を取っている。

加工技術の進化

鉄観音の加工技術も時代に合わせて、変化が進んでいるという。現在の鉄観音は、写真のとおり、さわやかな薄緑色をした茶である。しかし、1980年代鉄観音の色は、もうすこし茶色く、現在の鉄観音と岩茶の間ぐらいの色だったという。その後、現在のようにより緑色が強く、看板のさわやかな香にあったフレッシュな味わいの茶に変化したという。

今年の市場で見られた茶にもまた「進化」が見られた。鉄観音の名称は、鉄のように硬く比重が重いので、「鉄」観音と名づけられたといわれている。そして、6、7煎までお湯を足して飲めるのが特徴であった。しかし、そうした「硬い」茶では、一煎目、二煎目では、本来の味わいが楽しめず、茶館での販売に「手間」がかかっていたという。この問題に対処するために、一煎目から味がでるように、すぐ味がでるように「軽く」加工されていた。市場にあわせた「技術開発」をしているようであった。

茶業富民

茶業によって農民を富ませる、という県政府の戦略は軌道に乗り、茶業の産業化と農民の所得の拡大は進み始めた。ただし、この好循環にのって開墾しつくされためか、2007年11月には、安渓での新たな茶畑用の開墾を原則禁止とする通知が出されている。よい茶葉を生む若い茶樹では、雨水を十分に吸収できず、がけ崩れなどの危険性が高まっているという。また、その他の汚染の問題などもあるのかもしれない。茶葉の産地としては、鉄観音の加工が天候に左右されやすい点、また技術者であっても味が安定しない点など、鉄観音の味を向上させていくべき点は多いようである。こうした点を克服し続け、茶の産地としての地位を不動のものにできるのか、が今後の安渓を左右するようである。

3. 国賓献上茶・武夷岩茶――国有農場のプライド――
中国最高級茶の起源地

武夷山といえば、武夷岩茶の産地として、中国では抜群の知名度を持つ茶の産地である。武夷山の大紅袍といえば、武夷山の山奥のがけに生える真正の樹から取れるものは、わずか数キロ、すべて北京の釣魚台賓館に納められ、国賓の接待に用いられるという。また歴史的にも、武夷茶は宋、元、清の時代には朝廷に献上する茶として名を馳せていた。また、この清の時代には、岩茶だけでなく、イギリスでラップサンスーチョンと呼ばれる正山小種と呼ばれる紅茶の生産が開始された、中国の紅茶の発祥地でもある。本来はこの紅茶を欲しかったイギリス人が、当時の自国の植民地インドで独自に栽培を始めたのが現在のインド、スリランカの紅茶であるともいわれ、世界の紅茶の起源であるという説もある。

筆者は、1998年に武夷山に遊びに行き、やたらと熱心なガイドにつかまった。観光地と して有名な九曲渓などを散策した山のルートに、国有企業特有の白地に黒い楷書で「武夷山茶葉研究所」と書かれたところに連れて行かれた。なぜ観光客を研究所につれてくるのか、茶道の指導をでもしてくれるのか、といぶかりながら、実際には国有農場の研究所であり茶葉の販売所であった。生まれて初めて、岩茶という種類の茶を飲む経験をした。当時、私はなんとか大紅袍の名を知っていたので、それを飲みたいといったが、まさに「国が買い上げたのでない」らしく、孫樹にあたる小紅袍を飲ませてもらった。しかし、いくらだか忘れてしまったがべらぼうに高い値を言われさすが買う気にならず、別の種類をとお願いして、黄金桂だったか黄観音だったかを1斤600元前後で購入した。当時、中国を旅行するとき、100元札を複数枚まとめて買い物することはそうなく、香港であってもここまで高い茶は買ったことがなかった。が、土産話としてのプラスアルファを考えると1万円の値はあるとおもう味だと考えたのを記憶している。

国有農場

武夷山岩茶の生産の中心になっているのは、武夷山市茶場正岩集団という国有農場企業である。1938年に設立された崇安茶葉改良場を起源とし、新中国の成立の際に、国有の茶工場となった。現在も、1万4千ムー(うち国有地9000ムー)あまり、生産、加工、販売あわせて1万人の従業員、国家資格をもった評茶師70人ほどを抱える企業である。さらに、2003年には、周辺の茶企業50社あまりを束ねる武夷山市茶場茶葉協会の設立に中心的にかかわり、文字通り武夷山の茶業を束ねる存在になっている。

サントリーのウーロン茶は、武夷岩茶のうち、武夷山市の周辺で生産された水仙と呼ばれる品種が原料となっている。発売が開始された1981年当時、まさに国有農場であったが故の特権で、国有農場の名義で輸出されたものとおもわれる。武夷山岩茶は、その伝統ゆえに、計画経済時代、国家の買い上げと輸出という特権を与えられ、守られて生産されてきた。それゆえに、プライドが高く、武士はくわねど高楊枝的な商売をしてきたのだろう。この国有農場の略史を見ると、1997年に「空前の困難な状況に市場経済に対応するために」、国有農場を国有企業集団に改組し、茶業を柱とし、観光業を開拓し、茶・竹文化を作り上げる、という、コングロマリットとなったという。筆者の連れて行かれた研究所も、市場経済の荒波にのりだしたばかりだったものとおもわれる。ちなみに、現在武夷山で岩茶、正山紅茶を販売する企業は、「研究所」を名乗るところが多いという。これも、国有文化の名残なのかもしれない。

岩茶の味

多種多様な中国茶の中で、日本茶に近いのは、杭州などで生産される龍井などの緑茶といわれることが多い。ただ、筆者のまわりの日本人の中では、緑茶や鉄観音よりも、岩茶の人気が高い。ほうじ茶のようなあじわいでよりさわやかでのどごしがよい感じを、好む人が多いような気がする。もちろん、サントリーのウーロン茶の味に慣れた人が多いのかもしれない。また、何人か韓国人にも、鉄観音と岩茶のどちらが好みかを聞いたとき、岩茶と答える人が多かった。

しかし、岩茶は中国の中でのブランド化は、鉄観音にはるかに出遅れてしまい、現在ようやく巻き返しを図っているところである。

4. 産地化方式と国有農場方式

安渓鉄観音と武夷岩茶という、中国有数の伝統を誇るふたつの烏龍茶の産業としての発展のプロセスをみると、産業振興、「農業の産業化」の方式の違いが、命運を分けた観がある。安渓の経験をみると、県政府は安渓鉄観音のブランド化のために必要なマーケティング、技術の普及、土地の集約化など、正の外部性を与えられるところに政府が積極的にかかわっている。実際の茶葉の生産は、無数の茶農民と茶の加工技師であり、彼らの間では競争が働き、全国から集まる無数の買い手との間に、十分に「厚い」市場が形成されている。結果として安渓県政府は、特定企業の育成ではなく、産地の形成を行ってきた形になっている。産地によるブランドの構築は、その中で生産者間に競争が働き、販売価格の抑制や、需要にあわせた製品の開発が促進される。こうした方式を選んだのは、安渓が茶の産業化に着手したのが1990年代の終わりであったということも関係しているだろう。当時の中国の政策は、すでに、政府所有による政策遂行を否定していた。そして、市場への対応をより強調する雰囲気が強かったことに素直に従ったとも言える。その意味で、鉄観音のブランド化は、2000年代の「農業産業化方式」のたまものともいえる。

対照的に、特定企業の支援によるブランドの構築は、その企業が単なる独占企業になってしまい、価格は高く、技術革新が遅くなると考えられる。武夷山は、歴史的に国有農場化され、かつ農業部門であったために、工業の国有企業よりも改革が遅れ、現在にいたるまで国有制をとりながら、茶の生産を行っている。茶の生産者としては、主要なところで50あまりの企業があるようだが、省政府があくまでオーナーとして所有権をもつ国有農場が業界団体をとおして産地を仕切っている。この環境の中で、生産者の間に十分な競争が働き、買い手の嗜好に合わせた茶の開発やマーケティングを遂行しようという強い動機が働いているのかどうかわからない。(茶そのものはとてもおいしいと筆者はおもうのであるが。)いまだに、1980年代から1990年代の産業政策の呪縛に縛られているのが武夷岩茶だ、といえるかもしれない。

しかし、この問題点にも当事者は気づいているようであり、現在中国各地で武夷岩茶のブランドマーケティングを手がけている。また岩茶のブランド化がなぜ遅れているのか、という質問をしたとき、岩茶はなにしろ原料となる茶葉の生産量が限られているし、作り方もまったく異なるからだ。岩茶に適した茶葉にあった土壌が限られているためではないか、という意見があった。しかし、ここまで生産量が拡大した鉄観音はすべてが最適な土壌で栽培されているわけではないだろう。岩茶という茶への市場が拡大しはじめたとき、こうした技術的な制約が克服されるのかどうか、を観察してみたい。もし、答えが是であるとしたら、一定程度の技術制約は、産地化方式による産業の拡大が克服できる問題だ、といえるからである。

以上