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海外研究員レポート

中国の独占禁止法の成立――インド、日本との比較から見た市場制度形成への基本姿勢

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049997

大原 盛樹

2007年10月

中国では 2007年8月末の全国人民代表大会(常務委員会第29回会議)で独占禁止法(「反壟断法」。以下、独禁法)が可決された(2008年8月から実施)。独禁法は、一般に不公正取引を規制する諸法を含み、その国の市場競争のあり方を規定する重要な法律である。中国で独禁法は、計画経済体制から市場経済体制への転換が模索されつつあった 1987年からはやくも起草の準備が進められていた。しかし国民経済における私的な独占が現実に起こっていなかった等の理由から、不公正取引を禁止する部分および現実に見られる「行政的独占」(後述)等の関連規定が先に一つの法律としてまとめられ、1993年に「反不正当競争法」として発布された(戴 2005)。その後、価格面から不当取引を規制する「価格法」(1997年)が制定され、これまで基本的にこの二つが中国の主要な競争法となっていた。今回、カルテル、支配的地位の乱用、企業結合等を規定する独禁法が制定されたことで、市場競争制度を補完する主要な法律が中国で出揃ったことになる。

ただしこの法律の成立を以て中国における市場経済体制の完成が保証されたと見ることはできない。まず中国の独禁法は、一部の国家的産業や外国資本に対する例外的取り扱いおよび「行政独占」に関する規定を含むなど、米国を中心とした成熟した資本主義市場経済諸国とは異なる内容を含んでいるが、それらの一部は過渡的なものである可能性がある。またこの法律の運営、貫徹を担う実施機関(日本では公正取引委員会に相当)の設立がこれから着手されるなど、法律の運用について不透明な部分が多く残っている。なによりも、反不正当競争法等、今回の独禁法と内容的に重複した法律がすでに多数成立しているにも関わらず、現実に行政による権力乱用行為や不公正な商取引の事例が後を絶たないことに見られるように、法の運用、貫徹という側面を見れば、改善されているとは言え、依然として社会全体の法秩序が健全に形成されているとは言い難い。その中で、独禁法の公布は、中国的な市場制度の完成に向けてこれから先も続く一連の改革の中の重要なステップの一つと見るべきだろう。

理念が具体的にどれほど実現されているかはともかくとして、今回の独禁法の成立により出揃った中国の市場競争法とその制定の経緯を見ることで、中国が当面目指す市場経済体制がどのようなものかを類推することはできるであろう。本稿では、インドおよび日本と簡単に比較することで、中国の市場競争制度の形成に対する国家の基本的な考え方、目指す方向を初歩的に考察する。

1. 日本の独禁法の成立と目的

独禁法は、もともとは米国において、彼等の自由主義、自由競争を社会編成の根幹におく価値観を色濃く反映して形成されたものが、戦後、米国が資本主義社会のリーダーとなるに従い、西側先進国を中心に普及したものである。

日本の独禁法(「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」)は、戦前の日本を戦争に駆り立てた諸悪の根源が、財閥等の大企業の利益を最優先にした非民主主義的、非自由主義的な国家資本主義体制にあったという認識に立ち、その基礎を打破する目的でアメリカの指導の下に導入された。自由な経済活動を保証することが民主主義体制の基礎になるというアメリカの基本的なイデオロギーに基づき、「公正且つ自由な競争」(第1条) を促進することを基本的な目的としている。戦後すぐの農地改革、労働関係法の制定、財閥解体という民主化政策の一環としての性格を色濃く有するものである。

しかしその成立過程では、必ずしも米国的イデオロギーのみに基づいていたわけではなく、実際には経済の回復と秩序ある競争の実現のためには国家の調整が必要だという日本側の戦前からの考え方1を含んだ、思想的にハイブリッドな産物であった(平林 2007)。「公正」な競争環境の創出と「国民経済の健全な発展」を目指すという、「自由」な競争と往々にして矛盾する条文が加えられたことにそれが表れている。国家主導の後発産業化を目指すという基本的性格と、米国流の自由主義、民主主義観が混ざり合っている。

独禁法は、主に強大な市場支配力を持つ大企業による力の乱用と、それがもたらす消費者および取引先(特に中小企業)の不利益および競争の欠如による進歩の停滞を避けることを目的としている。しかし日本の戦後の事例が明らかにしたのは、確かに財閥解体により少数の創業者一族による産業支配は終焉を迎えたが、しかし多くの産業で大企業が技術的イノベーション、先端的な人材の育成、市場開拓等の面でリードし、取引先(多くの中小企業を含む)の発展をもたらした主要な力となったということである。米国的価値の「自由」だけでなく、「国民経済の健全な発展」と「公正」をうたう日本の独禁法が、そのような大企業主導型の産業発展を補完的に支えたと考えることもできよう。

2. インドの独禁法の導入

インドでは1969年に、「公益を害するような経済力の集中」(前言)を阻止することを目的とする独禁法(The Monopolies and Restrictive Trade Practice Act)が施行された。具体的には、それは財閥系企業の規模の拡大を直接抑制することになった。英国植民地時代のインドは基本的にレッセフェール体制にあり、一部の地場財閥系の実業家を生み出しはしたが、しかし自由競争の中で彼等の事業は概して大きな進展を見なかった。1947年の独立以後、新政府は外貨、輸出入、資本調達等を規制する法律を成立させ、1950年には計画委員会を設立、1951年に第一次五カ年計画をスタートさせた。1951年に工業(発展と規制) 法が制定され、民間の大企業部門の投資・生産規制が強化された。民間企業は新規事業や拡張を行う際、厳しい許可を得ることが必要となり(「ライセンス・ラジ」)、それ以後の産業発展の長期の停滞をもたらしたと言われている。同時に民間中小企業に対する生産留保 (リザベーション)制度が開始され、中小企業の保護分野が増大してゆく。1956年の産業政策決議で「社会主義型社会」を目指すことが明確となり、公的部門が発展の主役となること、そして民間大企業は抑制され、民間中小企業を保護・育成するという基本的な枠組みが固まった(近藤 2003)。独禁法は、民間大企業の拡大は公益に反するはずだという社会主義的イデオロギーの下で、財閥系を中心にした大企業を抑制することを目的にしたものであった。そして当時の主要な「公益」とは、民間中小企業の保護に顕著なように、雇用の安定、拡大であった(近藤 2003)。

日本との対比で明かだが、ここでは民主主義を保証するために自由な競争が必要だという米国的イデオロギーとは全く異質の思想に基づいている。最も重要な目的は国民経済全体の「公益」であり、そのうち特に重要なのは雇用の確保であった。膨大な農村人口を抱えるインドでは常に余剰労働力問題を抱えていたが、一方で都市部の組織化された近代部門(企業)内部では、手厚い労働者の保護がなされていた。建国期から民主主義を国家建設の基盤にしていたこと、労働者を基盤とする強力な政治勢力が存在したことが理由だが、国家の側もそれにふさわしい各種制度を整備してきた。一方、日本で産業化の核となった大企業はむしろ一種の悪とみなされ、厳しく規制されていた。インドの産業発展の停滞の主要因の一つに国家と産業界の弱い繋がりが指摘されるが(Evans 1995, Chibber 2003)、それは国家体制の基本的な思想によるものでもあった。

長い経済的停滞を経て、1991年に自由化路線への転換が進んだ。同年に独禁法が改正され、独占規制が緩和され大企業の役割が期待されるようになった。2002年に新しい競争法が制定され、新設される競争委員会の下、競争の確保、取引の自由の確保が目指されることになった。「競争に悪影響を与える諸慣行を除き、市場競争を促進・支持し、消費者の利益を保護し、他の市場参加者による取引の自由を保障する」(前言)ことがこの法律の目的である。今後のインドの競争が市場メカニズムを基礎に展開されることが明確にされている。ただし、「取引の自由」を謳っているものの、それが米国流の自由主義的イデオロギーと同義かどうかは定かでない。

3. 中国の独禁法

日本、インドと比べると、中国で市場メカニズムに基づく競争法が制定されたのはごく最近のことである。計画経済時代は、労働組合法等の基本的なものを除き、企業の経済活動に関する全国一律の法律は少なく、主に条例や規定でアドホックにルールが定められて きた。さらに1960年代から70年代にかけては文化大革命により法治の秩序そのものが混乱し、新規の立法はほとんどされなかった。市場における企業や個人の経済活動に関する基本な法律が制定され始めるのは1980年代に入ってから、特に「社会主義市場経済」が公 式に謳われ、市場経済化路線が明確になった1993年以降のことである。私的な取引に関わ る最も基本的な民法通則が制定されたのが1980年代半ばであり、企業法(全民所有制工業 企業法)が1988年、反不正当競争法1993 年、労働法1994年、価格法1997年、企業法2005年と制定が続いた。法的に担保された市場経済制度の形成はこの20年のことであり、本格化したのは15年前からである。

今回制定された独禁法は、その目的を「市場の公正な競争を保護し、経済運営の効率を向上させ、消費者の利益と社会公共の利益を守り、社会主義市場経済の健康な発展を促進する」と規定している(第1条)。中国の独禁法は、日本の独禁法やインドの新しい競争法と比較すると、「公益」を重視する点で同様だが、「自由」という目的が入っておらず、そして「効率」が非常に重視されているという違いがある。例えば「独占的合意 monopoly agreement」(供給価格、数量等の固定化、市場分割等)が本来競争関係にある事業者間で取り交わされる場合(トラスト行為)でも、新技術・新製品開発、コスト減等の効率向上、中小企業の競争力の増強等の目的であれば該当しないとされている。「効率」、「競争力」を主な目的とする立法は日本やインドとは異なる。

その他の相違点としては、「行政独占」と外国資本に対する規制がある。中国においては一部の民間企業が広い市場を独占するという事例はこれまであまりなく、むしろ改革開放期を通じて、中国の各産業で(公有、非公有を含め)膨大な数の小規模な競争参入者が常時存在し、質の低い無秩序な競争を展開しているという問題(「小、散、乱、差」)がこれまで克服すべき課題だとされてきた。1990年代の自動車産業政策に典型的なように、企業結合を通じて国際的な競争力のある大規模企業を育成することが国家の悲願であった2。独禁法の制定が進まなかった理由は、民間企業の独占を規制する国家的な必要性がそもそもほとんどなかったからである。

一方、中国にとってより切実な問題は中央および各レベルの地方政府による市場の分断と独占であり、一方で外国資本に国内市場を席巻されることであった。「行政独占」の問題は中国経済の基本的な特質と言えるほど構造化していると考えられる。行政の不当な市場介入については1980年代から憲法を含む様々な法律で言及されており、1993年の反不正当競争法でも禁止規定が盛り込まれている。今回の独禁法では反独占法執行機関の設立により法の執行者が明確になり、違法時の法的責任が明記されるなど法律執行の面で具体的になった。ただし電力、通信、鉄道輸送、石油等の「国民経済の命脈」と「国家の安全」に関わる部門は国有部門による実質的な支配と国の保護が認められている。また、外国資本の参入による企業集中に対しては「国家の安全」の観点から審査が加えられることで、政治的な規制が働く余地を確保している。

中国の独禁法は、規定を読む限り、「公益」が最優先されている観がある。経営の集中についても、「それが競争にとって、もたらす害よりも有益さの方が明らかに大きければ、あるいは公益に合致していれば」禁止されないとしている(第28条)。この場合の「公益」の内容が重要であるが、「効率」すなわち国内企業の国際競争力の向上が含まれているだろうことは容易に想像できる。「公益」の定義およびその多寡を巡っては客観的な判断が難しく、各国の独禁法は全てそのような曖昧さを抱えているのだが、中国の場合は政府が発揮しうる恣意性がより強いような印象を受ける。

4. まとめ日中――印の競争法を巡る基本的姿勢の比較

以上をまとめると、各国が目指す市場経済体制のあり方は、相対的には次の図の円のような位置関係にあると考えることが出来るだろう(インドは最近の競争法について想定している)。図中の矢印は、実際の産業界の現状が目標に向かいつつある(あるいは向かった) ベクトルである。中国の二つのベクトルは、国有部門(より統制・平等志向)と民間部門 (より自由・効率志向)の異質な二つの部門があることを示している。

市場経済体制のあり方の相対図

この中で独禁法を含む中国の競争関係法は、相対的に効率(競争力)と公益を重視したものであり、インドと比べれば、競争力のある大企業の出現をむしろ待ち望む心情を滲ませているように見える。独禁法と補完的な役割を果たすと考えられるのが、労働者の保護や中小企業の保護・育成に関する法律・制度だが、労働組合は共産党の下の国家的コーポラティズムを担う一機関となっており(石井 2001)、国有部門以外で働く人々の社会保障は長らく構造的に低いままであり(農民に至ってはほとんど無保障状態)、中小企業促進法が 2002 年に制定されたとはいえ、それは中小企業に何らかの保護や優遇を保証する内容にはなっていない。自由と民主主義を社会編成の中核的価値に据える米国とは大きく異なり、同時に効率・競争力を求める点では日本やインドより意欲的・直截的である。

このような国家的競争制度体系が、各国の産業発展過程にどのような影響を与えるかは、興味深い課題であろう。

参考文献

  • 石井知章 2001「中国における労使関係の展開―中華全国総工会を中心にして-」『大原社会問題研究所雑誌』No.514, pp23-49 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/514/514-2.pdf
  • 近藤則夫 2003「インドの小規模工業政策の展開―生産留保制度と経済自由化―」『アジア経済』XLIV No.11, pp2-41 http://ideaix03.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2003_11/article_kondo.pdf
  • 戴龍 2005「中国における独占禁止法・政策に関する考察―行政独占規制を中心として-」 『 国 際 開 発 研 究 フ ォ ー ラ ム 』 第30号 (9月)pp51-71 http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/30/04.pdf
  • 平林英勝 2007「独占禁止法第 1 条の起草過程とその背景および意義―非西欧社会における 市場経済と民主主義の法の成立」『筑波ロー・ジャーナル』創刊号 pp39-75 http://www.lawschool.tsukuba.ac.jp/pdf_kiyou/tlj-01/tlj-01-hirabayashi.pdf
  • Chibber, Vivek, 2003 Locked in Place: State-Building and Late Industrialization in India, Princeton, Princeton University Press
  • Evans, Peter, 1995 Embedded Autonomy: States and Industrial Transformation, Princeton, Princeton University Press

脚注
  1. 国家的な調整を加えつつ産業の秩序だった発展を目指すという考え方は、1931年に成立した重要産業統制法に結実している(平林 2007)。
  2. この点は必ずしも改革開放期だけの話ではない。計画経済期の1960年代にも、生産効率の向上を目指し、「社会主義トラスト」という名称の企業の集団化が試みられている。それによって解決すべきだと認識されていた問題は、中国中に存在する多数の各企業の規模が小さい(「小」)こと、そしてそれらの企業間での専門化、分業・協業化が進んでいない (「散」)という現状であった。少なくとも中国の統治エリート層にとって、「小」「散」はこれまで一貫して非効率の原因と見なされており、大規模で大同団結的な協力関係にある状態こそが理想であったように思われる。