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海外研究員レポート

インドネシアの法制度改革

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050001

作本 直行

2007年8月

インドネシアは民主化体制に移行し、大規模な法制度改革を実施してきたものの、法治が確立されていない状態にあります。1998年以降、大規模な法制度改革が実施され、何百もの法律が次々に制定されてきました。これによって、オランダや日本の植民地時代に形成された法制度の根幹部分にようやく改革の手が入りました。経済法整備を皮切りに、海外からの法整備支援事業も行なわれ、2002年までに4回の憲法改正が実施され、ようやく三権分立や司法権独立などの近代国家としての基礎が確保され、人権保障が謳われ、地方自治が導入され、近代国家の枠組みが整備されるに至りました。本年5月から、第5次憲法改正の論議が始まっており、地方の政治要求を国政(国民議会)に反映させるための条項の制定について議論が行なわれております。先進的な地方自治制度を導入したものの、ジャカルタ一辺倒の政治体質は変わっておらず、中央と地方との経済格差が縮小されてこなかったことが議論の背景にあり、このような中央と地方の政治の綱引きが憲法改正の要求に繋がったものといえます。またオランダ時代の刑法典についても改正が議論されており、死刑存廃、企業の刑事責任などが検討されております。また、本年7月、憲法裁判所により、国家反逆罪、大統領・副大統領に対する侮辱罪に関する刑法規定が廃止され、言論統制の外枠がようやく除かれた状態となりました。

ところで、民主化との関連で、インドネシアは、憲法裁判所、行政裁判所、人権委員会、司法委員会、オンブズマン、弾劾制度、クラス・アクション、知る権利、参加制度などの先進的制度を導入し、政治動揺の震源地であった軍の弱体化にも一応成功しました。しかし、スハルト大統領の後退から10年近くが経過したにも関わらず、法による統治は確立されておりません。象徴的な事例では、スハルトの汚職疑惑問題はまだ清算されておらず、三男トミーが担当の最高裁裁判官を射殺したとの理由で有罪になりましたが刑期半ばで昨年出獄いたしました。しかも人権法務相も検察庁も刑期短縮には関与していないとの報道ぶりです。また、今年5月初旬の第二次内閣改造で、ユスリル国家官房長官、ハミド人権法務相、サレ検事総長という司法界のトップは、すべて更迭されました。最近、最高検察庁の特別犯罪チームは、スハルト時代に丁子の独占的な取引を認められていたトミーが中央銀行からの農家向け1,940万ドル融資を流用したとして審問を開始しました。また、スハルト大統領が汚職に よる財産を不当に隠匿したとされる膨大な額の資産についても、最高検察庁は本年7月から民事訴追を開始しました。スハルト時代の政治的清算がまだ終っていない状態にあります。

本年5月、「援助を悪用するインドネシア」との批判記事が当地新聞の1面を賑わせました。他方、前後して、トランスパレンシー・インターナショナルは、2006年データとして、インドネシアが世界163カ国中130位の国として(汚職指数で10点満点中2.2点)、汚職度の最も高い国と評しておりました。確かに、民主化運動の代償として言論の自由は表面的に保障されましたが、司法と警察に正義を託せず、庶民が軍や警察に日常的に怯え、汚職が蔓延する社会では、国のあらゆる制度、政治経済、社会が歪んでしまいます。このようなイン ドネシアに対し、法整備支援を行なう日本政府はどのように対していくべきでありましょうか。近代的な法制度を支える中間層人口は少なく、市民社会の基盤は脆弱そのものです。先進国では、近代的な法を整備しさえすれば、近代的な国家や制度が当然に形成されるものと考えがちですが、これは途上国には直ちに当てはまりません。インドネシアには、法律の近代化以前の課題が沢山残されており、民主主義の定着はまだ程遠いものと感じられます。

本年7月以降、ジャカルタ・ポスト紙上で面白い論争が行なわれました。インドネシアの法学教育についてですが、エラスムス大学のマス・ヌールマン氏がインドネシアの腐敗した裁判所や裁判官はまさにインドネシアの法学教育を映し出したものであると批判するのに対し、インドネシア大学のヒクマハント氏は法のエンフォースメント状況にこそ問題があるのであり、適用可能なメカニズムが欠けており、これが人の資質や行動様式に関わるからこそ、法制度改革は単なる立法作業よりも、ずっと難しい課題なのだと逆襲しました。これらの議論には、わが国が行なう法整備支援事業に対しても、重要な示唆が含まれています。第一は、法制度改革には、狭い意味での立法事業と、広い意味で法を機能させるための下位法令の整備、人材育成、法学教育などの整備とは異なる点です。通常、国際機関等は、前者の立法事業を支援したことだけで、法整備支援と呼んでしまいがちですが、途上国における法の効率的なエンフォースメントに向けての支援事業こそが本命であることは言うまでもありません。インドネシアの現状は、まだ立法作業段階にあります。第二は、法に関わるエンフォースメントの問題は、まさに社会全体の問題であり、人的な要素や経済社会における利害や価値観が関わっているとの指摘です。インドネシアの法制度改革においては、法を適用するための制度設計こそが肝要であり、つまりヒクマハント氏の述べる「適用可能なメカニズム」作りこそが最も重要な課題となります。第三は、スハルト以前の時代とは、法の役割が変化しているのにも係わらず、これに対し、法を執行する行政機関も裁判所の意識は旧態依然であり、権威的かつ権力的に法を適用する点です。法はかって権力の象徴であり、圧制のための手段であり、社会的信頼などまったく必要とされていなかった。また、これで十分でもあった。しかし、現在では、権力者がおらず、治安さえ保たれず、法も適用されないのである。法が社会に信頼されて受け入れられるためには、裁判所や行政府が法に基づく行政や裁判をまず忠実に行い、法そのものが公正であり、その適用過程が民主的である点を証明していく他に、道はないものと言えよう。

もう一つの法律論争も同じ新聞で報道されたもので、シンガポールとインドネシアとの間で、犯罪人引渡し条約の締結がシンガポールのインドネシア国内での軍事演習場所の提供に関する条約とパッケージで進められてきたことがある。インドネシア国は、スハルト時代の汚職関係者の引渡しを早急に求めたいとの理由で政治交渉を進めてきたものの、インドネシアにとっての安全保障の問題や環境問題への影響が懸念されるに伴い、行政と軍主導で進められてきた交渉過程に対し、メデイアや議会などの批判が高まったというものである。これも、インドネシア大学の国際法の専門家である上記ヒクマハント氏がインドネシアの安全保障について意見を投じたのが、大きな議論のきっかけとなったものである。シンガポールにとって犯罪人引渡し条約の締結は、本来バーター交渉の内容にされるべきではなく、インドネシア国内での軍事演習との交換条件には馴染まないものであると指摘する。インドネシア政府や軍が密室で行なってきた外交に対し、学識者が意見を投じた一例と言えよう。

また、東ジャワのシドアルジョにおける火山泥事故発生から一年が経過しつつある。コンクリート球を泥の噴出口に投げ込む試みを行ない、さらに、堰堤を作るなどの方式も検討されているが、解決の決め手はまだ見られない。被害者救済に対する政府の無策ぶりは、昨年の四半期毎の情勢報告においても紹介したが、事故から既に1年経った今でも公約した補償 額の20%さえラピンド社から支払われておらず、住民から陳情を受けて、本年6月末に現地を視察したユドヨノ大統領が、ラピンド社に対して早急な補償金の支払いを催促した。しかし、これも、政治的な掛け声に終っており、行政の長として本来の法に基づく権限発動でなく、担当の行政機関にもこれをフォローし、改善命令や緊急命令を出す気配が見られない。ましてやラピンド社の民事・刑事の企業責任を追及することも行なわれていない。なお、社会福祉を担当するバクリー大臣は、ラピンド社側の有責者であるにも拘らず、現地視察も行なわず、更迭もされていない。

なお、上記以外に注目される最近のニュースとして、本年7月に発表された投資ネガテイブリストがあり、通信、保険業、飲料水関連の分野で、外国投資の割合が制限されている。また、ジャカルタ市の知事選挙が8月8日に行なわれた。(現段階では)選挙の開票結果はまだ報じられていないが、これまでのアンケート調査などでは、ファウジ・ボーウオ氏の優勢が伝えられている。さらに、6月現在で、鳥インフルエンザによる死者数が80名を超え、世界最大の被害者を発生させている。さらに、7月、インドネシア国営のガルーダ機が、航空機の安全整備を理由に、ヨーロッパ地域への入港を制限されている。また、乾期に入り、インドネシアでの森林火災が再び注目されており、既にスマトラ島やカリマンタン島で火災が発生している。