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海外研究員レポート

技能形成システムと所得格差の関係

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050004

明日山 陽子

2007年6月

近年、所得格差の拡大を巡り、その是非や要因分析に関して世界中で様々な議論・研究がなされている。米国では、80年代以降、所得格差が拡大しているが、その要因については、①技能偏向的技術進歩(コンピュータの普及など高技能労働者を相対的に多く需要する技術変化)、②輸入拡大による国内の低技能労働者への需要減少、③労働組合の組織率低下や実質最低賃金の低下など制度的要因、④技能レベルの低い移民の増加による低技能労働者の供給増加、などが代表的な議論として挙げられる(Ehrenberg et al. 2005やBorjars 2005参照)。

ところで、所得格差の程度や変化の動向は、国によって異なる(表1)。例えば、所得不平等の度合いを表す一指標であるジニ係数1を見ると、2000年付近の時点で、米国やイタリア、英国、日本などは不平等度合いが大きいのに対し(それぞれ0.357、0.347、0.326、0.314)、スウェーデンやオランダ、フランス、ドイツなどでは比較的不平等度合いが小さい(それぞれ0.243、0.251、0.273、0.277)。前者のグループは所得格差拡大のスピードも比較的速いのに対し、後者のグループでも特にフランスやドイツは格差拡大のスピードも緩やかだ。この違いはどこから来るのであろうか。各国間(特に米英と大陸欧州)で技術進歩や貿易拡大の影響はほとんど変わらないと考え、大陸欧州各国の賃金決定関連制度(労働組合の交渉力や失業保険制度、最低賃金制度の存在など)が失業と引き換えに低技能労働者の賃金低下を抑制しており、それが所得格差の違いを生み出していると主張する議論が主流であるようだ(Acemoglu 2002)。

表1 所得格差の各国比較

ジニ係数 所得上位10%/下位10%
1980年代半ば 1990年代半ば 2000年付近  2000年付近

オーストラリア

0.312 0.305 0.305 4.1

カナダ

0.287

0.283 

0.301

3.8

フランス 0.276 0.278 0.273 3.4
ドイツ 0.269 0.283 0.277 3.5
イタリア 0.306 0.348 0.347 4.6
日本 0.278 0.295 0.314 4.9
オランダ 0.234 0.255 0.251 3
スウェーデン 0.199 0.211 0.243 2.8
英国 0.286 0.312 0.326 4.2
米国 0.338 0.361 0.357 5.4
OECD 25カ国平均 0.309 0.308 0.308 4.2

[注]1980年代半ばのドイツはold Länderのみ
[資料]OECD(2007)およびFörster & Mira d'Ercole(2005)から一部の国を抜粋

しかし、各国間の所得格差の違いは、賃金決定関連制度の違いのみならず、各国の技能形成システムの違い、そしてその結果としての技能格差(技能労働者の分布)の違いから説明することも可能だ。つまり、教育訓練制度など技能形成システムの違いを背景として、米英の方が大陸欧州諸国よりも技能格差が大きくなり、それを反映した結果、所得格差も大きくなっていると考えるのである。

そこで、今回は、技能形成システムと所得格差の関係について、多少古くはなるが、以下、二つの議論を紹介したい2

【資本主義の多様性(Varieties of Capitalism)アプローチ】

「資本主義の多様性(Varieties of Capitalism)」アプローチ3をとるEstevez-Abe、Iversen、Soskiceは、労働者の各技能習得のインセンティブに着目し、技能形成システムと所得格差の関係について論じている (Estevez-Abe et al 2001)。彼らは、人的資本理論の先駆者Becker(1964)の技能分類をベースに、技能のタイプを一般的技能、産業特殊的技能、企業特殊的技能の3つに分類した4。一般的技能とはコンピュータスキルなど、産業に関わらず他の多くの企業で有用な技能、産業特殊技能とは同じ産業内の企業で有用な技能、企業特殊的技能とはその企業内でのみ有用な技能である。そして、技能のタイプがドイツのように企業または産業特殊的なシステムであるほど(特に産業特殊的システム)5、同社会の所得格差は小さくなり、逆に米国のように技能のタイプが一般的なシステムであるほど、所得格差は大きくなる傾向にあることを見出した6。この相関関係は、特に、中等教育に占める職業教育訓練のシェアが高いほど所得格差が小さくなる傾向があることを示した彼らのグラフによく表れている。

このような相関関係が生まれる要因を、Estevez-Abe らは次のように説明する。ドイツのように、公式の教育とともに職業教育・訓練制度が発達した特殊的技能形成システムでは、学術的能力の劣る個人も、職業教育・訓練の道に進むことで、産業特殊的技能を高めそれなりの職を得ることができるため、技能習得に励むインセンティブがある。しかし、米国のように公式の教育とは別に職業教育・訓練という道が確立しておらず、企業も一般的技能を重視する一般的技能形成システムでは、学術的能力の劣る個人は技能習得に励むインセンティブが少ない。人的資本理論の枠組み7を用いると、学術的能力の劣る個人にとっては技能習得の投資収益率が企業・産業特殊的技能システムより低くなる一方、学術的能力に長けた個人にとっては、技能習得の投資収益率が高くなるといえる。この結果、一般的技能形成システムの方が、技能レベルの格差が広がり、その結果として所得格差も広がることになる。

【Acemoglu らの賃金の圧縮構造と企業訓練・技能格差】

経済学の分野からは、Acemoglu(2002)やAcemoglu & Pischke(1999)が、主に企業の技能形成への投資インセンティブに着目し、技能形成システムと所得格差の関係を分析している。Acemoglu らは、大陸欧州では、米国や英国などと比べて技能偏向的技術進歩の程度が小さいことが、大陸欧州と米英の所得格差の違い(大陸欧州の方が米英に比べ所得格差およびその拡大スピードが小さい)を説明する要因の一つになりうると示唆した8。彼らのロジックは次のとおりだ。まず、ドイツなど大陸欧州の労働市場制度(最低賃金、労働組合、社会保険プログラムなど)が賃金の圧縮構造(compressed wage structure)を生み出しているという。賃金の圧縮構造とは、労働者の生産性上昇に比べ賃金の上昇が緩やかであることを意味し、この場合、企業は訓練によって労働者の生産性を上げるほど生産性上昇の利益と賃金支払いの差としての企業利益を増加させることができる。このため、賃金の圧縮構造は、企業が低技能労働者と補完的な技術を採用し、訓練を通じて低技能労働者の生産性を高めるインセンティブとして働くことになる。

新技術が導入された際、賃金の圧縮構造の見られるドイツでは、企業が低技能労働者を 訓練するインセンティブがあり、企業が低技能労働者も高技能労働者も両方訓練するため、所得格差があまり広がらない。一方、そのような賃金の圧縮構造および企業訓練の少ない米国では、低技能労働者を代替するような技術を採用する、つまり、技能偏向的技術進歩の程度がドイツなど大陸欧州諸国と比べて大きくなる結果、所得格差は米国の方が大きくなる。また、労働者の視点から見れば、米国の低技能労働者は新技術の導入により生産性が下がり、賃金が下がることで、技能習得に投資するための資金も減り、技能習得への投資は減少する。一方、高技能労働者の技能習得への投資収益率は高まるため、高技能労働者は技能習得への投資を増やし、その結果、技能格差とその結果としての所得格差が広がることになる。

以上、政治学(政治経済学)、経済学からのアプローチという違いはあるが、両議論とも、人的資本理論のロジックを用い、各国の制度の違いを重視している点で共通している。各国の技能形成システム(労働市場制度や教育・訓練制度)が、低技能・高技能労働者間の技能形成に対する投資収益(インセンティブ)格差の大きさに影響を与え、それが技能格差を生み、所得格差に反映されるというロジックである。この議論は、所得格差の問題のみならず、各国の比較競争優位にも影響を与える。例えば、Finegold(1999)によれば、高技能労働者の技能形成の投資収益率の高い米国では、情報技術(IT)やバイオ産業で見られるような高度な技術革新が起こりやすいのに対し、同投資収益率が相対的に低い日本やドイツの技能形成システムでは、そのような高度な技術革新が起こりにくい。

ただ、技能形成システムの違いが技能格差、その結果としての所得格差に影響を与えているといる議論には、注意すべき点もある。まず、第一に、Estevez-AbeらやAcemogluらも述べているように、賃金決定関連制度が低技能労働者の賃金低下、その結果としての所得格差を抑制しているという従来の議論は依然として説得力を持っており、技能格差と所得格差を関連づける議論はその議論を補完するものである。

第二に、技能は直接観察可能なものではないため、技能レベルを測り、かつ同じ基準で国際比較するのは難しい。結果として、実証が困難になる。

第三に、技能形成システムが男女格差に与える影響は、所得格差に与える影響と反対方向に働く傾向がある。Estevez-Abe et al(2001)によれば、女性は出産・子育てなどによるキャリア中断の可能性があるため、企業・産業特殊的技能(特に企業特殊的技能)習得に投資するリスクが男性に比べ高くなる。また、技能訓練において、男性の少ない職業を選択するインセンティブが高まる。その結果、企業・産業特殊的技能形成システムでは男女格差が広がることになる。一方、一般的技能形成システムではそのような男女の違いが生じないため、男女格差は小さいものになる(その他、Brinton(2005)も同様の議論を展開)。

第四に、技能形成システムが所得格差の度合いに影響を与えるとしても、技能形成システムの改革はなかなか難しい。資本主義の多様性アプローチを含む近年の一連の比較制度分析(または新制度分析)の研究9が示すように、一国経済の様々な制度配置は互いに補完性を持ち、その制度配置全体が所得格差や成長、イノベーションのパターンといった社会経済的帰結をもたらしている。たとえば、ドイツの職業訓練制度は、Acemoglu らの議論にもあるように、教育・訓練制度それ自体だけでなく、ドイツの労働市場全体の構造や企業統治の仕組みなどに支えられており、それらの仕組みがあって初めて効果的に機能する。また、制度は歴史的条件にも大きく規定されている(歴史的経路依存性)。前述の Acemoglu らは、米国の方が大陸欧州諸国より技能偏向的技術進歩の度合いが大きく、新技術によって低技能労働者を代替する傾向があると分析したが、米国の製造業の技能形成システムはもともと、19世紀初期に熟練労働者の不足や高い雇用流動性に直面した経営者が、技能労働者への依存を減らそうと生産システムを合理化・標準化し、技能労働者を代替するような技術を採用したことに起源がある(Thelen 200410)。

一方で、近年の経済のグローバル化の進展は、従来の技能形成システムの改革の必要性を高めている。企業のグローバルなコスト削減競争、技術変化スピードの加速は、企業が求める技能の特定を困難にし、企業の訓練費用節約のインセンティブを高める。Crouch (2005) が指摘するように、企業が求める技能が明確でないと、企業・産業特殊的技能の有効性が低下するため、企業・産業特殊的技能システムも変革を免れない。

以上のような問題はあるが、所得格差や貧困層の拡大が世界各国で議論される中、社会の技能形成のインセンティブの仕組みと所得格差の関係を考えることには、意義があるだろう。

文献リスト


  • 青木昌彦・奥野正寛編著(1996)『経済システムの比較制度分析』東京大学出版会
  • Acemoglu, D. (2002). Cross-country inequality trends. NBER Working Paper, No. 8832
  • Acemoglu, D., & Pischke, J. (1999). Beyond becker: Training in imperfect labour markets. Economic Journal, 109, F112-F142.
  • Becker, G. S. (1964). Human capital: A theoretical and empirical analysis, with special reference to education (1st ed.). Chicago: University of Chicago Press.
  • Borjas, G. J. (2005). Labor economics (3rd ed.)
  • Brinton, M. C. (2005). Education and the economy. In N. J. Smelser, & R. Swedberg (Eds.), The handbook of economic sociology (2nd ed., pp. 575-602). Princeton, N.J. : Princeton University Press ; New York : Russell Sage Foundation:
  • Crouch, Colin. (2004). Skill Formation Systems. In S. Ackroyd, R. Batt, P. Thompson, and P. Tolbert, (Eds.), Oxford Handbook of Work and Organization. London: Oxford, pp. 95-114.
  • Ehrenberg, R. G., & Smith, R. S. (2006). Modern labor economics: Theory and public policy (9th ed.)
  • Estevez-Abe, M., Iversen, T., & Soskice, D. (2001). Social protection and the formation of skills: A reinterpretation of the welfare state. In P. A. Hall, & D. Soskice (Eds.), Varieties of capitalism: The institutional foundations of comparative advantage (pp. 143-185). Oxford [England] ; New York: Oxford University Press.
  • Finegold, D. (1999). Creating self-sustaining, high-skill ecosystems. Oxford Review of Economic Policy, 15(1), 60-81.
  • Förster, M., & d'Ercole, M. M. (2005). Income distribution and poverty in OECD countries in the second half of the 1990s. OECD Social Employment and Migration Working Papers, No.22 http://www.oecd.org/dataoecd/48/9/34483698.pdf
  • Hall, P. A., & Soskice, D. (2001). An introduction to varieties of capitalism. In P. A. Hall, & D. Soskice (Eds.), Varieties of capitalism: The institutional foundations of comparative advantage (pp. 1-68). Oxford [England] ; New York: Oxford University Press.
  • Hall, P. A., & Taylor, R. C. R. (1996). Political science and the three new institutionalisms. Political Studies, 44(5), 936-957.
  • OECD (Organization for Economic Cooperation and Development). (2007). OECD factbook 2007: Economic, environmental and social statistics. http://lysander.sourceoecd.org/vl=1376640/cl=46/nw=1/rpsv/factbook/
  • Thelen, K. (2004). How institutions evolve: The political economy of skills in germany, britain, the united states, and japan. Cambridge ; New York: Cambridge University Press.
脚注
  1. 0から1の間の値をとり、1に近づくほど不平等の度合いが高い。
  2. なお、技能形成システムと所得格差の関係については、ハーバード大学の社会学者、Mary C. Brinton が政治学や経済学、社会学における議論を整理しており、以下紹介する議論についても彼女の論文で簡単に触れられている(Brinton 2005)。
  3. 資本主義の多様性アプローチとは、資本主義が多様である理由を企業活動のコーディネーション(調整) の仕方の違いに求める議論。企業活動をコーディネートする、労使関係や教育・訓練システム、コーポレ ートガバナンス(企業統治)、企業間関係などの領域における制度的配置の違いが、先進国間で異なる資本主義を生み出すと考える。Hall & Soskice(2001)に代表される。企業活動のコーディネーションが競争的市 場や企業を通じて主になされる資本主義経済をLiberal Market Economies(LMEs:自由な市場経済、米国など)、非市場的関係、企業の戦略的相互依存関係を通じて主になされる資本主義経済をCoordinated Market Economies (CMEs:調整された市場経済、ドイツなど)と分類した。
  4. 彼らは、次に労働者の各技能取得のインセンティブに着目、労働者が企業または産業に特殊な技能の習得 に投資するには、その特殊性というリスクを軽減する社会保護制度が必要であるとし、雇用保護と企業特殊的技能(例:ドイツ、日本)、失業保護と産業特殊的技能(例:ドイツ、デンマーク)、両方の保護の不存在と一般的技能(例:米国)という社会保護と技能形成の相関を見出した(Estevez-Abe et al 2001)。
  5. ドイツは、職業教育訓練制度が発達しており、職業学校と企業内で教育・訓練を受け、職種に特化した 技能を取得、技能資格を得て企業に正規に雇用される。
  6. 正確には、Estevez-Abe et al(2001)は、技能形成システムだけでなく、技能形成システム(一般的技能か特殊的技能か)と賃金交渉システム(産業レベルでの交渉がそうでないか)の両方の組み合わせが所得分布に大きな影響を与えると論じている。
  7. 人的資本理論は、労働者を人的資本であるととらえ、物的資本と同様、投資によって利益を回収できると考える。教育や訓練などが投資にあたり、企業や労働者は教育や訓練に投資する(費用を負担する)ことで、それぞれ生産能力の向上、その結果としての賃金上昇という収益を得ることができる。現在価値で測った投資収益が投資の費用を上回れば、企業や労働者が投資をするインセンティブがある。
  8. なお、その他の重要な説明要因として、Acemoglu(2002)は、大陸欧州の方が高技能の相対的供給スピードが速かった、大陸欧州の労働市場制度が所得格差の拡大を抑えている、という従来の2つの仮説も取り上げている。
  9. 比較制度分析(Comparative Institutional Analysis)または新制度分析(New Institutional Analysis, Neoinstitutionalism)とは、ある社会に特徴的に見られる行動様式や政治・経済・社会的な帰結・パフォーマンスを、アクターと制度との相互作用を分析することによって説明しようとする、政治学や経済学、社会学の分野における一連の議論。Hall & Taylor(1996)や青木・奥野(1996)など参照。
  10. Thelen(2004)は、歴史制度分析のアプローチから、ドイツ、英国、米国、日本の技能形成システムの起源およびその進化の過程を分析している。