文字サイズ

標準
国・テーマ インデックス
新興国・途上国のいまを知る

IDEスクエア

海外研究員レポート

膨大な外貨準備、財政支出不足の原因は官僚システム?

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050008

渡邉 真理子

2007年4月

現在の中国、北京では、30年近い改革の果実をエンジョイする賑々しい日々が続いている。しかし、それでは30年近く続けてきた「改革」が完了したのかについては、実は中国の政界、学界では、意見が対立している。実際のところ、問題は改革が終わったかどうか認識については、おそらく大きな違いはないのであろう。東欧やソ連がとっくの昔に完了している移行プロセスのうち、政府の機能転換、政府に企業活動部門からの退出については、まだ終わっていない、ということに異論を唱える人はいないだろう。

実際のところ、問題になっているのは認識の問題よりも、現在のところで改革をストップさせたいという勢力と、せいぜい東欧やソ連がとっくの昔に完了している移行プロセスぐらいは終わらせるべきだという勢力の対立である。もう少し具体的に言うと、政府が経済活動にどこまでコミットするべきなのか。この点について、現在通常のレフェリーとしての政府の立場を加えて、多くの企業の支配株主としての権限も振るっている政府および官僚の多くは、この二つの権力を手放したくない。一方、これまで改革派といわれてきた論者たちは、政府のこの強大すぎる権力には制限を加えるべきだ、と考えている。

中国の30年の改革を振り返ると、成功のカギは政府が握っていたといえるし、問題点の源泉も政府にある。現在、ソ連・東欧および中国という2つの移行経済のグループの軌跡のちがいを評価するとき、後者の漸進主義を評価するにあたって、「時間をかけて進めたことがよかったのではなく、官僚機構を維持しワークさせ続けたのが中国の成功要因である。」という評価が出てきている(2007年1月GDN北京会議でのPeter Rutland の報告)。

しかし、中国の学界では、官僚に権限が集中する一方彼らを規制する体制がない現在の状況を憂える声が根強い。そして、「官僚機構のインセンティブ付けを変更しないままであれば、漸進主義改革を完了させないほうが官僚の利益は大きいため、いつまでも改革は完了しないだろう。ドラスティックな政治改革が必要である」「政府の提供するの公共財であって、政府の私的な所有物ではない。国家の資産とは、公共資産であって、政府官僚のものではない。公共財とは社会全体で非排他的に誰でも恩恵によくすることができる財である。それを提供するのが本来の政府の役割である(許小年2006年12月 財経年会での発言および『財経』2006年12月 25日号)」という声も聞かれるようになっている。

中国政府自身が、政府の役割に関して、本来政府に期待すべきものと大きく外れた認識を持っている。この大いなる誤解が、マクロ経済のバランスをおかしくし、国民の生命の安全を危機にさらすにいたる、という2つの事例について書いてみたい。

1. 政府(官僚)の自己認識
【1】:政府は、所得再分配よりも金儲けをしなければならない。
(雑誌東亜 「和諧社会」とマクロ経済のバランス 2007年4月号『コンパス』欄掲載の文章に加筆)
中国のマクロ経済は、表面上は巡航状態にある。とはいえ、懸念材料には事欠かないと憂えるのがエコノミストの常で、最近は次のような点が指摘されることが多い。都市の不動産売買の活発化や株式市場での指数の上昇を、回復、活況、高騰、バブルのどれと判断すべきなのか。拡大する経常収支からみて人民元の切り上げは不可避であるが、農業農民といった弱小部門は耐えられるのか、などである。不動産投資の活況、外貨準備が世界一の記録を更新中でいかにも経済には資金がじゃぶじゃぶとしている感じがする。そして、最先端の競争力をもつ輸出部門と「遅れた農業部門」の間の格差の拡大が問題を難しくしているのではないか。こうした議論は、皮膚感覚では共有できる懸念であるが、マクロ経済のロジックからは、若干相矛盾する議論である。

(1)マクロ経済の均衡式

以下では、次のようなマクロ経済の均衡式といくつかの数値をもとに、話を整理したい。マクロ経済の指標は、政府の機能転換の兆しを見せているように見えるからである。

GDPなどを推計する、国民経済計算の枠組みでは、
貿易収支=国内貯蓄-国内投資
が成立するようになっている。ここでの貿易収支と投資は、GDPを構成する外需の部分および総固定資本形成と呼ばれる項目である。のこりの貯蓄については、次のように分解して考えられる。

まず、民間部門の貯蓄は、
GDP-財政収入-民間消費
と定義される。

また、政府部門の貯蓄は、
財政収入─政府消費
となる。この「政府消費」とは、財政支出のうち、公共投資部分を除いた当期消費してしまう部分だけであるので、「政府貯蓄」は通常はいわゆる財政収支よりも小さくなる。そして、民間貯蓄と政府貯蓄を足し挙げたものが、
国内貯蓄=
=(GDP-財政収入-民間消費)+(財政収入-政府消費)
= GDP-民間消費-政府消費
となる。マクロ経済が過熱しているという疑いがあるとき、つまり、自分の貯蓄以上に投資を行い資金を海外から借り入れてようやくまかなっているのではないかを懸念するとき、貿易収支、もしくは貯蓄投資バランスが赤字になっていれば、過熱していると理解することが多い。逆に、黒字になっていれば、貯蓄超過、消費過少という批判が起こる。経済が過熱する場合は、その経済は自分が稼ぐ外貨獲得能力以上に輸入や消費をしていることになるの で、通貨は通常きり下げ懸念にさらされる。通貨危機前のタイでは、こうした現象が起きており、過熱による切り下げが懸念され、現実に通貨危機が発生した。現在の中国で、過熱である、というとき、しばしば指摘されるのは好調な需要と供給、そして価格の上昇がつづく不動産部門である。

しかし、不動産部門が活況を呈しているのは、バブルという言葉で表現しているマクロ経済の過熱により泡が膨れてしまっている現象なのか、不動産投資がミクロ的な資源配分からみてバランスを欠いているのか、それともマクロ経済のバランスをひっくり返すほど泡がふくれてしまっているのか。もし後者であれば、危機前のタイと同じように、輸入の拡大が貿易赤字を生み出す、投資の拡大が貯蓄投資バランスを赤字にする効果から、通貨の切り下げが懸念されるはずである。一方で、現在人民元の切り上げを予測する声は強い。 実際、中国のマクロ経済の均衡はどのようなかたちで成り立っているのだろうか。

(2)データ

中国の国民経済計算のデータはこれまでしばしば批判を受けてきた。GDPが大幅に拡大した大改定後の数値では、貿易収支と貯蓄投資バランスは等しくなっている。次に、貿易収支、貯蓄投資バランスは、黒字になっている。とすると、この黒字、貯蓄超過、消費過少は 「誰のせい」となっているのか。

とりあえず整理した1998年から2006年までの数値からは、次のようなとても興味ぶかいうごきがみえた。貯蓄の絶対規模では一貫して民間貯蓄が大半をしめている。一方、政府貯蓄は 1998年から2003年まで一貫して赤字、つまり、消費過多であった。しかし、2004年に は政府貯蓄は黒字に転じ、2006年には、投資9兆8千億元に対し、民間貯蓄は9兆5千億を上回る規模になり、政府の投資過多、消費過少といえる状況がはっきりと現れている。政府の消費とは、一般に人件費が思い浮かぶ。このほかに、義務教育の経費の個人負担、医療費の高すぎる個人負担、社会保障の未払いなど、というかたちで現れている民生部門での政府による支出の少なさを反映していると解釈することもできる。なお、この均衡式は、さらに政府消費がすくなくなれば、その分は国内投資のかさ上げにまわる関係も示している。

この投資過多、消費過少の状況は、民生部門の支出よりも政府が自分自身で企業経営と投資を優先させる「中華人民股份分有限公司(国有)」とでもよべる政府の行動原理の結果を示すマクロ経済の指標ともいえる。極端に言えば、中国の各レベルの政府が「股份有限公司」から市場の失敗を補完する政府へと転換することでも、マクロ的な不均衡も解消できるかもしれないのである。

なお、この均衡式はどの項目が原因となっているかは示していない。一般には、輸出の拡大が貿易収支を拡大させ、貯蓄投資の黒字幅を拡大させる、と解釈されることが多い。しかし、政府消費が不十分なため、貯蓄投資の黒字幅と貿易収支が拡大したというチャネルも、同じように検討されてもよいのではないか。

図1 中国の貯蓄投資バランス(2006年)

図1 中国の貯蓄投資バランス(2006年)

表1 中国の貯蓄投資バランス

億元 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006
国内投資:I 31,314 32,952 34,843 39,769 45,565 55,963 69,168 79,560 98,654
民間貯蓄(Y-T-PC):a 37,449 37,667 39,514 43,388 48,865 57,873 70,091 84,167 95,617
政府貯蓄(T-GC):b -2,506 -2,340 -2,281 -1,294 -206 1,076 3,156 5,616 7,173
国内総貯蓄(Y-PC-GC):c=a+b 34,943 35,327 37,233 42,094 48,659 58,949 73,248 89,783 102,790

国内貯蓄投資

バランス:e=c-I

3,629 2,376 2,390 2,325 3,094 2,986 4,079 10,223 4,136

貿易収支:(X-M)

3,629 2,376 2,390 2,325 3,094 2,986 4,079 10,223 4,136
財政収入(T) 9,853 11,377 13,380 16,371 18,914 21,691 26,356 31,628 39,344

(出所)2005年までの数値について、財政収入は、各年の財政部長による中央地方予算執行状況より。その他は、中国統計年鑑2005年国民経済計算より。2006年の数値は、06年国民経済発展計画執行状況報告より。

このデータを日本の数値と比較すると、より興味深い側面がみえてくる。図2と表2は、日本について同様の数値を見たものである。これによると、日本では一貫して民間貯蓄は赤字、政府貯蓄は黒字になっている。貿易収支が黒字であることからわかるように、国内貯蓄全体はもちろん国内投資を上回っており、資金は潤沢にある。しかし、日本における主な貯蓄主体は政府なのである。これは、数値の計算上は税金による政府への所得移転が大きいためにこうした結果になっている。この数値を解釈すると、日本では将来に向けた貯蓄は民間個人ではなく、政府に肩代わりしてもらっているということがわかる。これは、膨大な社会 保障費があり、財政赤字のほとんどが社会保障費支出に由来していることを反映していると言えるのかもしれない。

図2 日本の貯蓄投資バランス(2000年)

図2 日本の貯蓄投資バランス(2000年)

表2 日本の貯蓄-投資バランス

10億元 2000 2001 2002 2003 2004
国内投資:I 128,177 118,541 112,480 113,547 112,727

民間貯蓄(Y—T—PC):a

-58,683

-112,498

-110,423

-88,906

-104,553

政府貯蓄(T—GC):b

193,056 234,908 229,099 211,647 226,210
国内総貯蓄(Y-PC-GC):c=a+b 134,373 122,410 118,676 122,741 121,657

国内貯蓄投資

バランス:e=c-I

6,196 3,869 6,196 9,194 8,930

貿易収支:(X-M)

6,196 3,869 6,197 9,195 8,930
歳入(T) 278,681 322,475 316,665 300,130 315,501

(出所)総務省統計局・統計研究所 「日本統計年鑑ウェブサイト」第3章国民経済計算および第5章財政。
(注)歳入(T)は、一般会計、特別会計、政府関係機関予算、地方財政計画の純計。

このように日本の数値と比較すると、中国では政府は、再分配、特に異時点間の再分配に関して、政府の果たしている役割が非常に小さいと言わざるを得ない。政府は、あまりにforward lookingで、現在の問題を過少評価してきたともいえるだろう。

(3) 具体化しはじめた「調和のとれた社会」

このようにマクロ経済の均衡からみても、政府の機能転換をすべき潮時に来ている。2007年の予算においては、義務教育の授業料免除を掲げた教育支出に関しては 2006年の4割増で ある858億元、「病院にいけない、医療費が高い」という問題題解決のため、伝染病の無料 予防、コミュニティ医療制度などに312億元、社会保障・就業創出・公共住宅の建築のため、2019億元を計上している。三農問題解決のためには、農業部門への投資とともに、農村最低生活保障制度など政府消費の拡大をもたらす費目も計上されている。ちなみに、国防費には 3472億元と民生支出と同程度の支出を計上している。2007年の予算計画をみると、こうした予算配分のかたちで、民生支出の拡大の芽が見られる。これは、政府の機能転換の第一歩を踏み出しつつあることを示していると期待したい。

しかし、「中華人民股份有限公司(国有)」から「再分配の主体としての政府」への転換をもたらすような方針は、政策順位としては後退したままである。しかし、権限をもつ政府が企業活動にも自ら参加する、という体制は、毎年報道が繰り返される官僚の汚職を許すシステムそのものであろう。経済システムは、一見関連性のないものがつよくつながっていることもある。民営化と私有財産権の保護の強化が汚職を撲滅する第一歩とする発想は支持されないのだろうか。

2.政府(官僚)の自己認識
【2】:公共財は政府(官僚)の私物であり不可侵である。

二番目のトピックは汚職である。2006年、古くから指摘されている汚職の問題が、人間の 生命の安全にかかわる医薬品行政に重大なゆがみをもたらしていたことが明るみになった。

(1) 膨大な「新薬」

筆者は、中国の製薬産業の調査を始めて、まず非常に混乱したのは、特許薬と新薬とがどうもまったくちがう概念らしい、ということであった。通常、新薬というのは、文字どおり世界で初めて開発された新しい効能のある薬を指しているはずである。そうして開発された薬は多くの場合、特許を申請し保護を受けることが多く、特許薬と新薬の数、範囲はほぼ一致すると思っていた。しかし、中国においては、どうも膨大な数の新薬があるようである。しかも、どうみても特許を持っているのは外国で著名な製薬メーカーと思われるものである。 中国の「新薬」が多い、ということでよく引き合いに出されるのは、アメリカとの比較である。たとえば、2004年にアメリカの医薬品監督局が申請を受理した新薬は148種類、これに対し、中国の医薬品監督局が 2005年に認可した新薬は、11086件にのぼり、その8割はジ ェネリック医薬品(特許切れの医薬品を複製したもの)であったという。

表3は、中国で販売されている医薬品のいくつかの医薬品分類に関して、特許数と新薬証の数を比較してみたものである。これをみても、特許数と新薬証数はまったく一致していないことがわかる。もし、「新薬」証が、特許保護による市場独占権を示すために発行されているものであるならば、新薬証数と特許数は同じとなるはずである。また、ひとつの医薬品 が新しく市場で生産もしくは販売されたということであれば、医薬品1種類につき、新薬証は1つとなるはずである。表3の数値は、中国の「新薬」がそのどちらでもないことを示している。

2002年までに発行された新薬証は、1985年に制定された『薬品管理法』と1999年に出された『新薬審査弁法』および『新薬保護と技術移転に関する規定』では、新薬とは「中国で生産されたことのない」医薬品を指していた。つまり、外国ですでに生産され中国へ輸入され利用されている薬でも、それはまったく関係なく、中国国内で生産されたことがなければ、新薬として申請することができたのである1。もう一度表3を眺めてみると、おおまかにみて、 特許数は、新薬証数を上回っている。さらに、生産許可証数を考慮するとさらに大きく異なっている。実際の運用は¥、中国国内で特許を申請し、特許保護によって市場独占権が与えられている薬品について、特許保持者および特許保持者に特許料を払って資格を得た企業が生産する場合、新薬としての保護を認める、ということがおきたのかもしれない。一方で、特許薬と新薬は違うものとして扱われ、中国系企業の参入が促進されてきた可能性も否定できない。

表3 特許数と新薬証数

薬品名 薬効分類 2004年売上高(万元) 生産許可証数 中国国内での特許数(中国人保有特許数) 新薬証数
製剤売上高
メトロタニゾール錠剤 抗感染症剤

984,084

743

7(2)

0
エノキサシンカプセル 抗感染症剤 335,193 16 1(1) 8
エノキサシングルコナート 抗感染症剤 126,269 7 0 2

エノキサシン錠剤

抗感染症剤 76,058 17 1(1) 14
クリンダマイシン注射液 抗感染症剤 72,669 83 1(0) 5
循環器剤
ロバスタチン 抗コレステロール剤 16 16(5) 19
シンバスタチン 抗コレステロール剤 58 14(0) 24
プラバスタチン 抗コレステロール剤 14 12(0) 9
アトロバスタチン 抗コレステロール剤 6 12(0) 4
抗がん剤
シタラビン 抗がん剤 16 0 0
タキソール 抗がん剤 71 74(11) 26
抗アレルギー剤
塩酸ジフェンドラミン 抗アトピー剤 367 1(0) 0
マレイン酸クロルフェニラミン 抗ヒスタミン剤 1 0 3
ロラタジン 抗ヒスタミン剤 119 9(0) 81

(出所)生産許可数は、中国食品薬品監督局HPより。特許数は、New Horizon Databaseより。新薬証数は、中国医薬信息網データ。

(2) 国家食品薬品監督局局長の汚職

このように、特許、新薬、さらに公定価格といった制度は、お互いに関係なく独立して運用されているため、中国の医薬品をめぐる制度は複雑な様相を呈している。こうした状況が起きた背景には実は医薬品管理行政の当局、しかもそのトップの汚職があったのではないか。2006年12月の国家食品薬品監督局(SFDA)局長鄭篠萸の逮捕で、こうした報道が見られるようになりつつある(財経、2007年4月16日 鄭篠萸罪与罰)。 2006年3月、検察当局は、前年薬品監督局長を退任した鄭氏が妻とともに、海南康力元の湯氏兄弟から445万元、100万香港ドル、3万米ドルの収賄した、と内部告発した。これに伴い、鄭氏は党籍および公職を解除され、訴追した。

財経の報道は、業界に通じた人の見解として、医薬品の許認可にかかる賄賂の相場を紹介している。薬品によっては、数万元(数十万円)で、新薬登録に必要な材料すべてと、検査を通るためのニセサンプルが手に入ったという。さらに、「新薬」のうち、市場独占期間が長いクラス1、2の認可を得るには、臨床試験から生産許可までの手続きにかかる費用は、公式には4万元となっている。しかし、企業がウラで工作すると、さらに最高千万元、往々にして数若万元が必要だった、という情報が報道されている(財経、2007年4月16日)。ゼロからリスク含みで新薬開発に数百万元投じるよりも、リスクのない賄賂に投じるほうがよい、そしてこの数百万元は市場を独占することで、十分回収できる、という企業が少なからぬあったということであろう。

2004年に薬品監督局が受理した「新薬」は、10009件、一方で2003年から2005年にかけて、知識財産権局が受理した特許の対象となった化学薬品は212件、そのうち本当の化学新規化合物は17件、漢方薬の22件を加えても、「新薬」の0.39%に過ぎない。1万件弱の「新薬証」の入手にそれぞれ数百万元の賄賂とすると、全体で数百億元の賄賂が動いた計算になる。鄭氏の告発文書があきらかにした賄賂の金額は、全体で1000万元あまり、これはいささかすくな過ぎる。こうした許認可権を個人に集中させたがっていたという財経の報道が正しければ、鄭の収賄額はもっと大きかったはずであろう。

財経の報道は、収賄の舞台となったのは、新薬証だけでなく、医薬品生産許可権の地方から中央への集中、そして安全性を担保するために、1999年から強制加入が義務付けられた安全製造のためのGMPの認可、全部で3つを指摘している。そして、特にGMPの強制化は、GMP認可を得るためのキットの購入というかたちが重点となり、事後的かつ継続的な実際の安全性検査の体制がまったくできていなかったという。これが、2006年に相次いだニセ薬による犠牲者を出した、と批判している。

(3) 市場化が浸透し被害の範囲が広がる汚職

権限が集中し、それを監視するメカニズムがほとんどの分野で存在していない中国の官僚システムでは、汚職はやはり普遍的に発生していると思われる。その中で、医薬品監督局長の賄賂が摘発された背景には、医薬価格が高すぎる、社会保障がうまくいっていないという問題への取り組みを現在の政府が優先事項としていること関連があるのだろう。政治的には、医薬品監督局長の地位はそれほど高いものではなく、若干小物がスケープゴートにされた、という意味あいで語られることがある。

しかし、医薬品の許認可は、本来は国民の健康を守るための公共財の提供であるはずである。けれども、権限はカネを代替する、という、最近の経済学の主張のそのままに、こうした官僚は自分の権限を自分の収入に換え、国民の生命を危険にさらしたのであれば、やはり小物のスケープゴートとはいえないだろう。さらに、市場経済化が浸透し、関連する経済活 動の規模が拡大し、かつ広範囲になっている現在、汚職による行政判断のゆがみのもたらす影響は、以前よりも大きくかつ深刻になってきている、と考えたほうがよいのかもしれない。

改革派の論者たちは、政府のこの強大すぎる権力には制限を加えるべきだ、と考えている。具体的にどうやって政府の機能を転換させ、どのような機能を政府が担うようにすべきか、については、各局面でいろいろな議論がされてきた。問題とされてきたのは、以下のようなトピックである。いわゆる国有企業改革という延々と続いている局面では、①政府による支配株主の地位からの撤退、つまり「民営化」である。また、②「産業政策」と称して企業活動に政府が介入するのは、どこまで認められるべきか、という問題もある。③「生産能力の過剰」は、地方政府を中心に政府セクターおよび彼らをバックにした企業が「重複投資」を重ねた結果と批判されてきている。そして、④汚職である。こうしたネガティブな側面だけではなく、⑤政府は資金調達や研究開発、そして経営陣も官僚が歴任していくなど、企業経営に積極的に関与し、企業の成長を支えてきている。

官僚にとって、収賄や私的利益の追求による利益も、自らの使命の遂行から得られる利益が上回るような制度の設計をしていくしかないのであろう。官僚が自らの本来の任務をきちんと遂行することで、市場の失敗や政府の失敗が回避できるのであれば、その価値の分だけ、官僚の報酬としても惜しくないはずである。そういうインセンティブ付けを考慮した制度の導入が、党中央による政治スローガンや政治的締め付けよりも、中国では抜群に有効だろうという気がするが、どうも党の好みには合わないようである。


脚注
  1. これは、もちろん外国で生産しているメーカーが中国国内で生産することを妨げるものではないので、そうしたかたちで、特許に加え自社の発明の対価を確保した外国企業はあったと推測される。しかし、同時に、創薬メーカーであり特許を持ちながら、中国市場への参入が出来なくなったケースもある。