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海外研究員レポート

セタキット・ポーピィアン《充足経済》

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050011

恒石 隆雄

2007年3月

1.背景

タイ社会においては、再び、セタキット・ポーピィアン(あるいはポーピィエン)という言葉がよく聞かれる。セタッキト(Setthakit)は「経済」であり、ポーピィアン(Phoophiang)は英語では、just enoughあるいはjust sufficientと訳されており、全体では英語では 「sufficiency economy」、 日本語では「充足経済」としてマスコミ等では使われている。日本人の識者の間では、「足るを知る経済」とも称されている。

今に始まった言葉ではなく、現在のプミポン国王が30年程前から折にふれ提唱されて きた哲学である。特に 1997 年の経済危機以降、国王がタイ経済の復興を願いこの考え方に従いタイ社会がよりサステイナブルで柔軟性のある社会となるように強調された。2006年10月から開始された第10次経済社会開発計画(2006.10~2011.9)でも基本的な考え方として取り込まれている。また、2006年9月15日のクーデター後成立したスラユット暫定政権も追放された前タクシン政権の経済政策(タクシノミックス)との違いを鮮明にするためにこの考え方を基本に据えている。

しかし、前タクシン政権のよく言えば開放的、積極的経済政策、悪くいえば金権放漫政策に比して、内向き、閉鎖経済政策ととられ外国投資家・企業家等には評判が悪い。スラユット政権になってとられた外国資本規制策(バーツ高防止のため2005年12月に中央銀行によってとられた措置)や外国人企業法の改正の動き等もこの流れに沿うものではないかとみられている。このため、スラユット首相は、2007年2月中旬、前タクシン政権下で副首相を務めたソムキットを「対外経済関係強化委員会」の委員長に起用し現政権の根幹をなす「充足経済」について同政策は対外的開放経済政策と対立するものではなく持続的な成長を達成する上で最適なものであることを外国投資家等に理解させようとした。

しかし、この起用に対しては民主主義市民連合(PAD)や閣僚メンバーからの反対もあり数日で撤回している。この問題だけではなく、首相と閣僚メンバーの意思疎通は十分でなくプリディヤトーン財務大臣は自分の威信が傷つけられ政策運営に自信がないとして2月末には辞職を表明している。このように5カ月を経た現暫定政権は、若干のメンバー変更問題が生じてきている。

したがって、ここでは、争点の原因の一つともなっている「充足経済」について検討してみたい。

2.基本的な考え

タイの千バーツ札には国王の肖像とともに国王のセタキット・ポーピィアンの教えが記述されている。「セッタキット・ポーピィアンとは、経済がほどよく持ち、ほどよく食する様であり、このようにほどよく持ち、ほどよく食することが自己の維持となり、自身にも十分と思わせることである」というような内容である。

国王の考え自体は非常に抽象的であるが、これをいろいろと斟酌、解釈して現実の経済運営に取り入れようとする姿勢がみられる。この「ほどよく」の程度の解釈の仕方により 自給自足経済的な考え方から前タクシン政権時の積極的な経済政策でもなんら矛盾しないとの考えまで幅広くあり、識者の考えもいろいろのようである。

政策立案官庁であるNESDB(国家経済社会開発庁)はセッタキット・ポーピィアンの説明小冊子等を出しているが、それによれば以下のような説明がなされている。「セタッキト・ポーピィアンは全ての段階の人々に適切な行動を促す中庸の道を強調する哲学である。ポーピィアンであることは、あらゆる行動における中道、適切な配慮、内外からのショックに対する十分な備えがある状況である。この達成のためには、慎重さをもった知識の応用が不可欠である。同時に国民の道徳の涵養が不可欠であり、まず、政治家、公務員、企業家、金融人が誠実、高潔であるべき。加えて、グローバリズムの結果発生する社会・経済的、環境上、文化的な急速で広範な影響に適切に対処するため忍耐、勤勉、英知、分別を兼ね備えたアプローチが不可欠である。」

また、政府の主導により充足経済に関するWeb(http://www.sufficiencyeconomy.org)が設置されており、ここではタイ語および英語で国王の関連のスピーチや識者による関連の論文等がみられる。

ソムキット前副首相は、2月15日チュラロンコーン大学での講演で充足経済は、持続可能な経済成長を維持する政策として最適で地域間の経済格差も是正できると指摘している。同氏によれば、充足経済の経済理論の下で、企業はコスト削減、リスク管理、人材育成を 達成できるほか地方社会に対してノウハウの提供などで製品の価値や品質を向上させ地域 社会の発展に貢献することができると述べている。

また、TRT(愛国党)の発起人の一人であるチュラロンコーン大学のキティ-・リムスクーン準教授は「充足経済哲学は、一般に言われていることと異なり、リスク評価に配慮した優れたものである。充足経済に対する批判者は、経済学のoptimality(最適)を理解していない。充足経済はタクシン政権の経済政策と矛盾するものではない。事実、一村一品運動、30バーツ医療ケア、村落投資基金等は充足経済の考えに沿うものである。」と述べている。

詳細な検討は今後を待たなければならないが、1980年代、経済開発論等で話題になったシューマッハの「Small is beautiful」や適正技術論はタイの充足経済論と大いに関係があると思料される。

3.理論化とタイ経済への応用

前述のWeb に「Development of the Sufficiency Economy Philosophy in the Thai Business Sector: Evidence, Future Research & Policy Implications (by Sooksan Kantabutra)」という興味深い論文が掲載されているので概要を紹介したい。Sooksanは、農業部門では、確かに充足経済論の応用が理解されやすく、実際応用も実践されてきているということを認めた上で、ビジネス分野でのこの考えの応用が実際どこまで進んでいるのかを探ろうとしている。

同氏は、これまでの充足経済論についての文献をルビューしながら、まず、定義、枠組みを探している。ある文献によれば、充足経済哲学の枠組みは3つの要素と2つの条件から構成される(Piboolsravut, 2004)という。3つの要素は中庸(節度)、道理(妥当性)、内外の変化に対する自己免疫であり一方、充足経済の実現を可能にする2つの条件は、知識と 道徳である。また、国王は、充足経済哲学に基づきビジネスの実践の必要要件として以下の7つをあげている(Puntasen et al, 2003)という。(ア)適正技術の使用、(イ)経営能力と一致した適切な製造能力、(ウ)短期的利益を求めないこと、(エ)操業における誠実さ、(オ)リスク回避の多様化、(カ)リスクの最小化、(キ)地方、地域、国内、海外市場への反応・適応。

1997年経済危機以降成功している企業は、上記の7項目に配慮した経営を実践してきているという(Puntasen et al, 2003)。また、タイ経営者研究所(Thai Instiute of Directors)による調査(2006年 400社対象)でも経営者の85%が充足経済論に基づく経営手法を指示する旨の結果を得ていることを指摘している。

また、Sooksanは、アングロ・アメリカン資本主義と何が違っているかにも注目しており、アングロ・アメリカン企業でいうコーポレート・ガバナンスや企業の社会的責任論等の比較も行っている。決定的な違いは充足経済型経営が短期利益を求めないことにあるとしている。