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海外研究員レポート

貧困削減プログラムが貧困を助長する――インドネシアは本当に貧しいのか――

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050012

松井 和久

2007年3月

1.貧困削減プログラムのオンパレード

インドネシア政府は2月、2007年に貧困世帯796万世帯、貧困人口3192万人を対象に、住民エンパワーメント国家プログラム(Program Nasional Pemberdayaan Masyarakat: PNPM)を実施することを表明した。このPNPMは、1990年代末から世界銀行が実施してきた郡(Kecamatan)開発プログラム(KDP)を国家プログラムとしてインドネシア化し、対象となる郡(注:県・市の下に位置する自治権のない行政区)を大幅に拡げたものである。

2007年の対象となるのは2891郡で、うち農村部に属する郡が2057郡(裨益人口約 2192万人)、都市部に属する郡が834郡(同約1000万人)である。各郡には、貧困人口の多寡に応じて5~15億ルピアの住民直接支援(Bantuan Langsung Masyarakat: BLM)の資金が支給され、住民がこの資金を利用して様々な経済活動やインフラ整備などを行うこと、それに伴って雇用機会が創出されることが期待される。BLM全額のうち 25%は女性のエンパワーメントのためのリボルビング資金として活用される。PNPMの2007年予算額は4兆4300 億ルピアで、うち中央政府予算で手当されるのは3兆6200億ルピア、残りは対象となる郡の所属する地方政府の予算拠出とのコストシェアリングでまかなう。

実は、インドネシアで実施される貧困削減プログラムはこのPNPMだけではない。世銀のKDPは引き続き実施されているし、同じく世銀の都市部貧困削減プログラム(P2KP)をはじめ、様々な貧困削減プログラムが実施されている。極言すれば、ほぼすべての中央省庁が何らかの貧困削減を銘打ったプログラムを実施していると言っても過言ではない。

この背景には、2004年10月に実施した石油燃料価格大幅引き上げの後、貧困人口が大幅に増加したことがある。中央統計庁の発表によると、貧困人口は2005年2月の3510万人(全人口の15.97%)から2006年3月には3905万人(同17.75%)へと増加した。完全失業率は2005年11月の11.2%をピークに減少しているが、それでも 2006年3月時点で10.4%と依然として高い。

インドネシアはIMF資金を完済し、通貨ルピアも安定するなど、国際社会から政権のマクロ経済運営を評価する声が上がっている。スマトラ沖大地震・津波をはじめとする度重なる災害や、航空機墜落事故・フェリー船火災事故など数々の人災にもかかわらず、高支持率を維持し、6~7%の成長を目指そうとしているユドヨノ政権だが、政権の第1の目標であった貧困削減と失業克服は依然大きな問題として政権運営に立ちはだかっている。経済は成長軌道に乗りつつあるのに貧困問題はより深刻化しているのである。そして、成長の果実の再配分が偏り、貧富の格差が増大し、富める者がより豊かになり、貧しき者がより貧しくなるという構図が容易に想像できる。

ここ数年のインドネシアの製造業は国際競争力の低下で不振が続き、工業化による雇用機 会の拡大がなかなか進んでいない。しかし、商品は中国など外国からどんどん入ってくるし、国内外から資金が流れ込んで証券市場も盛況である。インドネシアに資金がないわけではないし、通貨危機のときのようにモノがなくて困っているわけでもない。消費需要は依然として旺盛だし、ショッピング・モールの建設はジャカルタなど大都市だけでなく、地方の中小都市にまで拡大し、不動産はまるでブームの様相である。自動車や二輪車の台数もどんどん増え、しかも新車が目立つ。西スラウェシ州ママサ県のかなりの山奥で、新品二輪車が何台も岩だらけの山道を走っているのに出会った。新聞に掲載される求人広告も以前よりずいぶんと増えた。こうした見た目だけでは、貧困問題が深刻化している様子をうかがうことはとても難しい。しかし、数字の上では、貧困人口が増大し、貧困削減が大きな課題となっている、というのである。一体、この状況をどう解釈したらよいのだろうか。

2.貧困削減プログラムで何が起こってくるのか

貧困削減プログラムのオンパレードについては最初に述べた。2004年の正副大統領直接選挙、および2005年の地方首長直接選挙の実施で、インドネシアの首長選挙はすべて住民による直接選挙で選ばれることになり、制度的民主化が大きく前進した。その反面、首長の多くは次の選挙での再選を睨んで、住民の投票行動を想定して政策を行う傾向が強くなった。その一方、政党もまた次の選挙での議席増加を目的として、住民代表に接触するケースが増えてきた。末端の住民が必ずしもカネの力で投票行動を決めない(注:今のところはそれだけ選挙が公正に行われているということなのかもしれないが)ことがこれまでの選挙で明らかになったため、中央のボスが子分を通じて住民代表に資金を流すという従来のやり方では不十分になった様子である。このため、中央も地方も、補助金を村落に流すという「施し」政策ではなく、住民自身が主体となって何か事業を行うための資金提供策を前面に掲げるようになった。この資金提供策の多くが貧困削減の名の下に実施されているのである。

この貧困削減プログラムだが、ポピュリスト的な目的で行われているためか、「対象となるコミュニティが貧困状態から脱出できたら資金提供を止める」というステートメントが見られない。どんな援助でもそうだが、援助はそれが必要とならなくなるために実施される性格のものである。しかし、選挙対策ならば、資金が必要でなくなった住民が資金提供側を向いてくれなくなることは避けなければならない。貧困削減プログラムには、その貧困から脱出する基準が明記されていないか、されていたとしても無視されるのである。

一方、資金を受け取るコミュニティの側から見ると、いかなる資金であれ、資金が入ってくるのは歓迎される。ただし、資金が入ってくるという点では、スハルト時代も今も変わりがない。多くの貧困削減プログラムは、コミュニティがどのような計画で村落開発を進めていこうとしているかに全く関わらずに、突然、あたかも天から降ってくるように入ってくる。それが中央からの資金であればなおさらのこと、コミュニティはこうした貧困削減プログラムの内容や手法に自分たちのやり方を合わせることになる。グループ単位で資金を受けるのであれば、そのために新たにグループを作り、モニタリングをするチームが必要ならば、そのプログラムごとにそれを組織する。こうして、結局、コミュニティ自身の主体的な計画とは無関係に、貧困削減プログラムはやってきて、コミュニティ自体に対してそのプログラムの実施に合わせることを事実上強要するのである。

一つの村やコミュニティに入ってくる貧困削減プログラムの数は一つではない。2006年12月に筆者が訪れたゴロンタロ州バジョ村では18のプログラムが入っていた。これでは、住民たちは外からやってくる貧困削減プログラムにうまく合わせるだけで一年が終わってしまうほどである。そして、そのプログラム一つ一つが、対象グループへの資金のみならず、ワークショップ参加住民への日当・宿泊、ワークショップで発言する住民への謝礼など様々な資金をコミュニティへ落としていく。プログラムの数が多ければ多いほどコミュニティへ落ちる資金額とそれを得る機会は増える。こうした状態に慣れてしまった住民は、気象条件や天候に左右される農業や漁業で汗水を流すことを徐々に敬遠し、より簡単にカネが入ってくるこうした機会が永続することを願うようになるだろう。

また、貧困削減プログラムには、実際に住民と行政とをつなぐファシリテーターと呼ばれるアクターの存在が普通であり、その多くは NGO活動家によって担われる。NGOにとっては、こうしたプログラムは格好の資金源の一つであり、このファシリテーターを体裁よくこなすことで、次の同様のプロジェクトでもファシリテーターとして活躍できることを期待する。NGOもまたこうしたプログラムが永続することをひそかに願っている。

このように、ポピュリスト的な目的を持つ為政者や行政も、資金を受け取る側のコミュニティの住民も、それら両者の橋渡し役のNGOも、みなこうしたプログラムが続くことを願っている。プログラムに「貧困削減」と銘打つことがよりプログラムの永続に有利ならば、彼らは「喜んで」貧困問題の深刻さを語り続けることだろう。そして、こうした状況に、貧困削減をグローバル目標に掲げる国際援助機関・NGOが乗っかる構図になる。このようにして、貧困削減の永続サイクルがしばらくの間、続いていくことになり、結果的に貧困削減は目に見える形で現れにくくなるのである。早期終了目標のない貧困削減プログラムは、支援資金への依存を高めながら、「貧困」といえば資金がもらえる状況を固定化するのである。余談だが、実はこれまでのインドネシアの経済開発の歴史とはまさにそれだったのではないかとの感を強くする。「真剣に頑張らず劣等生のままでいたほうが外国援助資金をもらい続けることができる」「自分のカネを使わなくて済む」という動機が本当になかったと言えるのだろうか。外国借款に頼らないと宣言したユドヨノ政権は、そうした長年にわたって慣 れ親しんできたモラル・ハザード状態を本当に変えようとしているのだろうか。

3.貧困削減プログラムが貧困を助長し、コミュニティの自立を蝕む

2006年12月に、JICAの市民社会支援(PKPM)プログラムの最終セミナーに出席した。このPKPMは、NGO 活動家をコミュニティ開発のファシリテーターとして養成することを目的としたが、自分で他人をコミュニティ開発ファシリテーターに育てることができる人材育成に力を入れた。3年前の最初のワークショップへの参加者は300人だったが、参加費は自費という条件で進め、農村での厳しい実地トレーニングを経た結果、最終的に残ったのは10人足らずとなった。この少数の人材がマスター・ファシリテーターとして、各地で自分の NGO を中心に新たにファシリテーターを養成し始めている。

この最終セミナーには、彼らがファシリテートしてきたコミュニティ代表の人々も出席し、壇上で自分たちの経験を述べた。かつて爆弾漁のスペシャリストだった住民が今はサンゴ礁保全に取り組んでいる事例、コミュニティの森林を住民みんなで慣習法を復活させながら保全している事例、土砂崩れにあった村人たちが自分たちの歴史や文化を勘案して災害予知システムを作り上げた事例、様々な事例を人々は自信たっぷりに演説した。しかし、彼らの演説のなかには、関わってきたはずマスター・ファシリテーターの名前も彼らへの感謝の言葉も一切出てこなかったのである。コミュニティ代表の人々は、「外からの援助は何もなく、自分たちだけで実施してきた」と胸を張ったのである。コミュニティの自立、そのためのファシリテーション、ということを考えさせられるひとコマであり、これは、ここで終了するPKPMプログラムが本来果たすべき結果がこのような形で現れたのだと感じた。

すなわち、コミュニティ代表の人々の演説は、コミュニティが自分たちの力で自立的に試行錯誤を繰り返しながら進めてきたことの証だからである。コミュニティの人々が主体的に自分たちの目指すものを実施していく。そんな事例が、本当に少数ながらも、このインドネシアに存在しているということを教えてくれるのである。

そんな彼らの村の周辺にも、あるいは彼らの村自体にも、貧困削減プログラムは入り込んできているはずである。「隣村に貧困削減プログラムの資金が入って様々な便宜が図られた」 「誰それはそのおかげでメッカ巡礼へ行ったそうだ」といった話が彼らの村にも伝わってきたとき、上に述べた主体的に試行錯誤した彼らの経験は、どのように生かされるのだろうか。貧困削減プログラムの資金分配をめぐって、コミュニティの成員間に亀裂が生じることもよくある。自立したコミュニティ開発を目指そうとする、PKPMプログラムに関わったコミュニティが、今後もそうした姿勢を続けていけるのか。資金を得るために「貧困ごっこ」を始めるのか。あるいは、ジャワの一部の村ではそうであるように、入ってくる外部プログラムの資金を逆に自分たちのために主体的に生かす能力を身につけていくことができるのか。

少なくとも、コミュニティの側で外部資金を自分たちのために利用するしたたかな能力を身につけていく以外に方法はないのかもしれない。でも、行政もNGOも、そうした能力向上に貢献するより、既存の貧困削減プログラムを現状では選好することだろう。こうして、貧困削減プログラムが逆に「貧困ごっこ」や貧困をも助長し、コミュニティの自立や主体性をますます蝕んでいく可能性が大きい。