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海外研究員レポート

386世代論

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050015

2007年2月

韓国政治で世代について語る場合、1960年の学生革命を経験した「4・19世代」、1972年の憲法改正を経験した「維新世代」という言葉が使われることがあったが、これらの世代の人々に特有の政治的傾向が指摘されたことはない。また、1990年代以降、 「新世代」(別名「X世代」)、「Y世代」などの言葉がマスコミに登場したことがあったが、これは主にファッション業界などでマーケティングに関して使われたものであり、それ以上の社会的内容を持ったものではなかった。しかし、『中央日報』2007年1月3日や『ハンギョレ新聞』2007年1月4日をはじめアメリカの雑誌『ニューズウィー ク』2006年11月27日号でとりあげられた「386世代」は政治的、社会的に大きな意味を持つ言葉である。

386世代という言葉の語源については2説ある。一つは、1990年代に年齢が30代、1980年代に大学生活を送り、1960年代に生まれたということで30代、80年代、60年代の3,8,6によるものというものである。また一つは、1980年代後半から使われたインテル社のCPUであるi386によるというものである。実際の内容を示しているのは前者の説明である。また、「386世代」は上記の1960年代生まれの人々全体を指す場合のみならず、この世代のなかで進歩的傾向を持つ人々を指す場合、あるいはこの世代のなかで政界に入った人々を指す場合がある(『ハンギョレ新聞』2007年1月4日)。本報告では1960 年代生まれの人々全体という意味でこの用語を使用する。

386世代という言葉はすでに1990年代から使われるようになったといわれているが、実際に政治社会で大きな意味を持つようになったのは2002年の大統領選挙であった。当選した盧武鉉はこの世代の人々からの支持が多かったといわれている。また、2006年10月の国家情報院による摘発で知られるようになった「一心会事件」では、この世代の社会運動家や政治家が平壌側のスパイとして逮捕され、この世代の「親北」の傾向が取り沙汰されるようになった。

本報告では386世代の人々に特徴的な政治的傾向、およびその形成過程を明らかにしてみる。

1 進歩的傾向

韓国社会で386世代については、先に述べたとおりの年代に属する人々で進歩的傾向の強い人々が多いというイメージがある。『ハンギョレ新聞』2007年1月3日は世論調査によって、これを数値で示した。この調査の対象は1961年から71年の間に生まれた人500人を対象に2006年12月22~23日にわたり、電話によるアンケート調査を行ったものである。政治に関して「韓国社会を望ましい方向に導く政治勢力は何か」との問い に対して、「進歩政党」と答えたのが43.8%で最多であり、続いて「中道政党」が21.8%、「保守政党」が16.2%であった。また、「韓国社会で望ましい発展方向は何か」との問いに対して、「社会福祉が整備された社会」との回答が70.8%であり、「経済的・物質的に豊富な社会」の28.8%を大きく上回っていた。

こうした傾向について、『ハンギョレ新聞』の調査は1987年の民主化という経験が 大きな要因となっていることも示している。ただし、『ハンギョレ新聞』は民主化20周年に際してこの調査を発表したものであり、386世代の進歩的傾向の原因は民主化にだけ求められるものではない。この世代の政治的傾向を議論するには1980年の光州事態にまで遡って見る必要がある。

2 反米指向

韓国の政治で学生運動が政権を打倒するほどの力を持っていたことは、1987年の民主化だけでなく、1960年の大統領下野といったことで知られている。1965年の日韓基 本条約締結に対しても学生たちが激烈な反対運動を展開したし、1972年に大統領権限 を大幅に強化する維新憲法制定のときに政府がもっとも恐れたのは学生運動であった。こうした1960年以来の学生運動の目標は民主化であり、1970年代までアメリカの自由 民主主義社会を理想としていたのであった。

1979年10月の朴正熙大統領の死去後、民主化を求める市民や学生に対して、12月に 政治の主導権を掌握した全斗煥将軍は強権で臨み、翌80年5月に光州で軍隊を投入して 市民と学生に発砲して少なからぬ死者を出した。この軍隊の投入について、韓国では 米軍がこれを承認したとの見られることになった。この根拠は、韓国軍は朝鮮戦争中 に事実上米軍の指揮下に置かれており、その状況が存続しているということがあった。実際には、米軍が韓国軍に対して持つ作戦統制権は朝鮮戦争後に段階的に解除されて きており、1980年に光州に投入された部隊は米軍の作戦統制権の下にはなかったもの であるが、当時の韓国の人々にそのことは知られていなかった。しかし、この誤解は 全斗煥が大統領に就任するとともに強められ、アメリカに対する幻滅はさらに広がっ ていった。1984年に学生運動に対する規制が緩和されたときには、学生の間に強い反 米指向が形成されていた。

この反米指向は、韓国がかつての日本に続いてアメリカの帝国主義的支配を受けている植民地であるという見方とともに、外国の軍隊が駐留していない朝鮮民主主義人民共和国に対する憧憬をも生み出すことになった。そして、その理論的支柱となったのが経済学での従属理論と国際政治学での修正主義であった。

3 知的背景

韓国は1980年代には高校卒業生の3割が進学を目指すほどの教育大国になっていた。また、1980年代は印刷物も増え、複写機も普及した。しかし、社会科学の水準は、出版物に対する検閲のために低い水準に留まらざるをえなかった。社会主義、共産主義に関連する文献の多くは禁書とされていたが、学生たちの知的好奇心を抑えることはできなかった。また、1980年代には海外でマルクス主義をはじめとするさまざまな社会科学理論を学んだ研究者たちが教職に就き、1970年代に力を持った従属理論などが韓国の大学でも講義されるようになった。

韓国がアメリカの帝国主義的支配をうけていると認識していた学生や研究者にとっ ては、第3世界の国々は先進国の帝国主義的従属の下に置かれて構造的に発展できない ため、先進国との関係を断ち切らなければならないとする従属理論は魅力的であった。1985年10月、ソウルでIMF・IBRD総会が開催されたが、韓国の学生運動家はこの会議を 妨害するための闘争を組んだ。当時のIMF・GATT体制という貿易の自由化や国際的な通 貨の安定を目的とする国際組織はアメリカの帝国主義的支配の道具と捉えられたので あった。

もう一つ、韓国の社会科学に大きな衝撃を与えた出版物が1981年にアメリカで現れた。これは『朝鮮戦争の起源』と題され(Bruce Cummings, The Origins of the Korean War: Liberation and the emergence of separate regimes, 1945-1947, Princeton NJ, Princeton University Press, 1981)、朝鮮戦争を1950年6月ではなく、1945年の米軍とソ連軍による分割に始まったという奇抜な説を唱えたものであるが、当時の米軍情報部の資料などを用い、韓国社会で知られていなかった出来事を多く紹介したことで韓国社会に衝撃を与えた。この著者であるカミングスは、朝鮮戦争はアメリカの対朝鮮政策の失敗によって起こったものであり、その責任はアメリカにあると主張した。

カミングスの見解は、冷戦の起源をアメリカの対外政策の失敗に求める修正主義学派の見解の朝鮮版であった。カミングスの思わせぶりな文体とともに斬新な開戦論は反米指向を持った研究者や学生に支持された。韓国でこの書は禁書とされたが、そのことが反って学生たちの好奇心を煽り、複写版が出回った。

さらに、歴史学の分野でも1980年代には新たな理論が持ち込まれた。1950年代後半に平壌の歴史学者たちは、朝鮮半島にはすでに李氏朝鮮王朝の時代に独自の資本主義に発展するほうが存在したが、日本帝国主義によってそれが摘み取られてしまったという資本主義萌芽論を唱えた。この理論は1960年代に日本でも紹介され、1970年代に研究者の間で強い力を持つようになった。ソウルではこれが日本経由で1980年代に紹介されて多くの支持者が現れた。この理論の延長線上に、韓国の資本主義の形成について、日本およびアメリカの帝国主義による歪な経済構造が形成されたという考え方が生まれた。

以上のような経済学、政治学、歴史学の分野において1980年代に韓国の持ち込まれ た理論にさらに、マルクス・レーニン主義の革命理論が加わった。これは従属理論、修正主義学派、資本主義萌芽論のいずれも社会科学の左翼的見解から生まれてきたた め、これを学ぼうとする学生や研究者の知的好奇心が左翼的見解の原点を求めるようになったという当然の成り行きであった。革命理論は学内や街頭での活動に忙しい学生運動家にはきわめて単純化された形で導入された。それは、自分たちは大衆を導く前衛であり、大衆を教化する知識人であるというエリート意識となって現れた。

4 歴史的経験

大衆を導くというエリート意識を持った1980年代の学生運動家は従来の学生運動と同じく学内や街頭での示威行動をとるばかりではなく、大学から出て労働運動や農民運動に入り込むという行動をとるようになった。しかし、実際は学生の持つエリート意識は大衆からの遊離をもたらすことになった。

遊離はまず、示威行動の方法から始まった。1970年代の学生示威はほとんど一方的 に警察側から催涙弾を撃たれ、動けなくなったら警察に捕らえられるだけであり、学生がそれに対抗するのはせいぜい投石と腕力ぐらいであった。ところが、1980年代のそれは学生の側も投石用の石とともに火炎瓶を用意するようになった。警察のほうも盾と警棒、催涙弾だけではなく、鉄パイプを持った部隊を準備するようになった。ただし、日本の1970年代のような頭にヘルメット、顔にタオル、手に鉄パイプというスタイルは韓国では見られなかった。

こうして過激さを増していった学生示威に対して、1986年4月29日に当時の民主化運動の政治指導者の一人であった金大中は「少数の学生の過激な主張を支持しない」と発言するにいたった。金大中ら政治家は当時、大統領を直接選挙で選ぶよう憲法改正を要求して運動を展開しており、過激な学生示威と同一視されることは自分たちの運動にとって否定的な結果をもたらす恐れがあると判断したのであった。これに反発した学生たちは5月3日、野党である新韓民主党仁川・京畿支部結成大会の予定日に会場前で示威行動を行い、警官隊との衝突を意図的に演ずることによって大会を阻止するという行動に出た。

しかし、民主化を進めようとする政治家にとっては国会内の活動だけで憲法改正を進めるのは困難であった。実際に大統領直接選挙制に向けた憲法改正作業が進められたのは、1987年6月のソウル市中心部での学生示威によってであった。当時の全斗煥大統領が憲法改正論議を一方的に打ち切ると発表したことに対して、学生が示威行動を行い、政治家や一般市民もこれを支持したのであった。このときに政府中央庁舎から市庁舎までの大通りを埋め尽くした学生たちは、しょっちゅう示威行動に参加していた学生だけではなく、多くのノンポリ学生が参加していた。示威行動を眺めていた市民たちは学生に喝采を送っていた。

学生たちの多くは教室に戻ったが、学生運動家の中には労働運動などの社会運動に入ったり、国会議員の秘書になったりする者も出てきた。彼らの影響力は1993年に金泳三大統領が就任すると徐々に表面に現れるようになってきた。とはいえ、金泳三は 経験豊富な政治家であったため、学生運動出身者の主張は保守的な人々の主張とのバランスのなかで利用されるにとどまった。

5 理想と現実

1980年代に学生生活を経た386世代の人々が社会の中堅を担うようになるまでの間、彼らの進歩的な見解の理論的支柱は大きく揺らいだ。

従属理論、修正主義、資本主義萌芽論の原点であったマルクス・レーニン主義を理想とする社会主義陣営が1989年から崩壊し、その本家であったソ連も1990年に消滅した。従属理論はほかならぬ韓国を含めたNIEs諸国のこれまでの経済発展によって否定されるようになっていた。朝鮮戦争の開戦論も朝鮮人民軍の当時の資料が明るみに出て、さらに、当時の朝鮮労働党や人民軍の関係者で海外にいる人々が証言を始めたことから、人民軍のしかけたものでであることが明らかにされていった。また、実証的な歴史研究の進展によって、歴史研究の中でも資本主義の萌芽には否定的な見解が優勢になっていった。

進歩的理論の多くの前提が崩れていくなかでさらにこれに追い討ちをかけたのが、1997年のIMFショックであった。経済危機と通貨危機を乗り切るためにIMFからの融資を受け入れることになった韓国では海外との関係を断ち切るという従属理論の主張は非現実的であり、むしろ今後国際市場との関係を深めていくことが韓国経済にとって必要であるということが進歩的な人々の間にも明確に認識されるようになった。1998年 に発足した金大中政権は外国資本に対して韓国市場の門をいっそう開くことで経済危機、通貨危機を乗り切ることに成功した。2003年に発足した盧武鉉政権も基本的に経済の自由化という方向を継承するものであった。

ただし、理論面での打撃は限定的なものにとどまった。386世代の人々にとっては、民主化という勝利を自らの行動で勝ち取ったという体験によって得た進歩的な考え方は経済学、政治学、歴史学での論争で敗れたぐらいでは揺らぐことはなかった。前述の『ハンギョレ新聞』による調査で出てきたように、こんにちの386世代は政治的には進歩を指向し、経済的には成長よりも富の分配に優先順位を置くという傾向を持ち続けているのである。この点は日本で激烈な政治運動とその挫折を経験した安保世代や全共闘世代とは大きく異なっている。

6 盧武鉉政権と386世代

21世紀にはいると386世代の人々は中小組織のリーダーや大組織の中堅を担うようになってきた。前述のように、2002年に大統領選挙で盧武鉉候補が当選した背景には386世代の支持があったといわれている。このことを特に証明する社会調査などは見あたらないが、社会的雰囲気としてこのような認識があることは確かであり、金泳三、金大中といった昔から政界にいた政治家よりも若く、そして政治家としての経験の短い 候補者に対する期待がとくに若い人々の間にあったことも確かである。また、盧武鉉候補を事実上押していた「参与連帯」などの社会運動団体を主導する人々は386世代である。

盧武鉉政権の態度や政策も386世代の影響を大きく受けているといわれている。具体的には反米的な傾向と親北朝鮮的な政策である。ただし、386世代の多くの人々が指導能力に問題を抱える盧武鉉大統領に幻滅を感じていることも確かである。筆者は、手弁当で盧武鉉の選挙運動に参加した386世代に属する人々が、就任後一月ほどですでに盧武鉉大統領に失望している現象を見たことがある。実際、そのころから大統領に対する支持率は大きく低下した。

盧武鉉政権の不人気は個々の政策の失敗によるものではなく、大統領自身の個人的な行動様式にある。実際、政治的な問題であったイラク派兵の決定、韓国軍の米軍からの戦時作戦統制権回収に関する交渉の開始、最近の憲法改正問題など、政権が進めてきたものを一つ一つ見ればそれが韓国社会にとって必要なものであることを否定する人々はほとんどいない。経済的な問題である不動産の課税方式の変更や住宅建設の推進などは、それによって不利益が生じる人々の不満をもたらすことは当然の結果であり、政策としての必要性や妥当性に関して否定的な見解を出す人々は多くはない。ただ、これらの政策を発表する大統領の態度に常に自己弁護的なものが見られるという、これまでの大統領にはなかった特徴があった。自分はこうはしたくないのだが、情勢によってせざるを得ないのだという話の進め方で大統領は重要な政策を発表してきた。

自己弁護的話法は魅力的な展望を打ち出す能力の欠如から来ているものであるが、この点は386世代の人々の問題点でもある。386世代の与党議員である宋永吉は「われわれの世代は民主主義のための闘争では有能であったが、新たなものを建設することについての能力を見せることができなかった」と述べている(Newsweek, 2007年11月27日号)。この欠点は、386世代が1980年代に依拠していた社会科学上の理論的支柱が199 0年代までに否定されたことと無縁ではない。同じく386世代の与党議員である金榮春も「われわれの視線は1980年代の視野と思考のパラダイムを持っていた」と述べている(『中央日報』2007.1.3)。ただし、386世代を快く思わない保守派の人々のほうも新たな理論的支柱を持っているわけではない。

7 盧武鉉後の386世代

1960年代の生まれである386世代は2008年の政権交代のときに39~48歳であり、次期 政権の時代に社会のさまざまな組織で当分の間中堅あるいはそれ以上の役割を担うことになる。盧武鉉政権の時代は386世代の欠点を顕在化させたが、この世代には挫折感はない。それは、1987年6月の民主化を自分たちが担ったという自負心があるためであり、日本の安保闘争や全共闘闘争で挫折を味わった人々とは決定的に異なる。盧武鉉 政権の時代は386世代に学習効果をもたらしたのであって、1980年代までの思考方式から抜け出す必要を感じさせたのであった。

386世代の特徴は政治的には反米的で親北朝鮮的な傾向であったが、今後反米傾向のほうは大きく修正されることになろう。IMFショック以後、韓国経済に入ってきた外資の役割、世界経済におけるアメリカの役割は避けられない現実であることがはっきりしたからである。親北朝鮮的な傾向はこれまでの南北関係改善に大きく寄与してきたものであり、今後も基本的には維持されていくであろう。

経済に関して成長より分配を重視する386世代の傾向は、かつてのような高度成長を 期待することが難しい状況では今後も維持されていくであろうし、高齢化社会を目前 に控えた経済政策そのものが富の分配についての議論をいっそう要求することになろう。386世代の能力は今後、この分野でこれまで以上に発揮されることになるであろう。