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米国最低賃金引き上げをめぐる論争

 

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明日山 陽子

2006年12月

2006年11月に行われた米国中間選挙の結果、1994年以来12年ぶりに民主党が上院・下院ともに議席の過半数を制した。選挙戦では、中低所得者対策の強化を訴えた民主党のナンシー・ペロシ院内総務(次期下院議長)が2007年1月の連邦議会召集から100時間以内に連邦最低賃金を引き上げる法案を提出すると公約。同法案は、現在時給5.15ドルの連邦最低賃金を2009年6月までに段階的に7.25ドルに引き上げるというもの。中間選挙の結果を受けてブッシュ大統領も、連邦最低賃金引き上げは民主党と協力できる政策領域であるとして法案の成立に前向きだ(2006年12月21日付けWall Street Journal)。この結果、1997年以来据え置かれてきた米国の連邦最低賃金は2007年以降段階的に引き上げられる公算が高い。ただ、最低賃金引き上げの影響・是非をめぐっては、政党や政策提言を行うロビー団体、シンクタンクのみならず、経済学者の間でも激しい論争が繰り広げられてきた。以下、米国の最低賃金制度の現状を簡単に述べたのち、最低賃金引き上げをめぐる論争につき、(1)理論研究、(2)実証研究、(3)シンクタンクなどによる政策論争を紹介する。

1. 米国の最低賃金制度の現状

米国の最低賃金制度は1938年の公正労働基準法(Fair Labor Standards Act)に規定されている。1938年に同法が制定された当時の連邦最低賃金は時給0.25ドルであった。連邦最低賃金の数値は名目賃金であり、インフレに伴う実質最低賃金の変動を自動調整する仕組みは規定されていない。このため、1938年以降、インフレによって実質最低賃金がかなり低下してくると、何年かに一度、議会が最低賃金引き上げ法案を可決し賃金水準の調整を図るといったことが繰り返されてきた。

現在の米国の連邦最低賃金は、時給5.15ドル(約610円1)で 1997年9月に4.25ドルから 5.15ドルに引き上げられて以来、9年間以上据え置かれている。この結果、実質最低賃金のレベルは1997年以降15~20%程度低下し、最低賃金引き上げを支持する左派系シンクタンク Economic Policy Institute(EPI)のデータによれば、2006年の実質最低賃金は1955年以来最低の水準ということになる2。EPIは、現行の最低賃金は米国の平均賃金の31%の水準で、これは1947年以降の最低の水準であるとのデータも発表している。

なお、各州は独自に連邦最低賃金を上回る最低賃金水準を規定することができる。実際、連邦最低賃金が1997年以降据え置かれている中、最近、連邦最低賃金引き上げに先駆けて州レベルで最低賃金を引き上げる動きが活発化している。中間選挙に合わせて2006年11月7日に行われた全米37州の住民投票ではアリゾナ、コロラド、ミズーリ、モンタナ、ネバダ、オハイオの6州で最低賃金引き上げが可決された。その結果、2006年11月8日時点で、全米29州(ワシントンDCを含む)が連邦最低賃金を上回る最低賃金を既に導入している3、または、2007年に導入する予定にある(EPI(2006)データによる)。この結果、既に米国の全労働力人口の約7割が現行の連邦最低賃金5.15ドル以上の賃金水準で働いていることになる(2006年12月20日付けNew York Times)。

2. 最低賃金をめぐる論争1:理論研究

最低賃金制度の目的は、低賃金労働者に最低限の生活水準を保障することにあるが、最低賃金引き上げが低賃金労働者の雇用や生活水準に与える影響をめぐっては、経済学者の間でも1990年代以降激しい論争が繰り広げられており、理論・実証研究ともに、完全なコンセンサスは得られていない状況である。

最低賃金引き上げが低賃金労働者の雇用に与える影響は、労働市場を完全競争市場ととらえるのか、需要独占的市場ととらえるのか、によって大きく見解が異なる。

(1) 完全競争(Competitive)モデル(図1)

もっとも標準的な経済学のモデルであり、最低賃金の引き上げは、制度の最大の保護対象である低賃金労働者の雇用を減少させてしまう。図1のとおり、右下がりの労働需要曲線、右上がりの労働供給曲線のもとで、市場の均衡賃金W0以上のレベルに最低賃金 Wm が設定されると、労働需要曲線に沿って労働需要が減少し、雇用はE0からEmへ減少する。一方、労働供給は労働供給曲線に沿って増加し、労働の超過供給、つまり失業が発生する。ただし、このシンプルなモデルを理解する際には、いくつか注意すべき点がある。以下、労働経済学の教科書(Ehrenberg & Smith(2005))を参考に、それらの留意点をあげておこう。

  • このモデルでは、労働市場は完全競争市場であると想定。企業は市場の賃金を所与として受け入れる価格受容者で、企業が直面する労働の供給曲線は市場の賃金価格で水平。また、労働者はコストなしに自由に移動できると想定。
  • 最低賃金引き上げが雇用に与える影響の程度は、労働需要の賃金弾力性によって 異なる。賃金の上昇に対して労働需要が非弾力的であれば(図1の需要曲線の傾きが急であれば)、最低賃金引き上げがもたらす雇用減少は小規模なものにとどまる。
  • 前述のとおり、米国では各州が連邦水準を上回る最低賃金を制定できるため、州によって雇用に与える影響は異なる。また、生活コストが低い地域ほど、全米一律の最低賃金引き上げによる雇用へのマイナスの影響が大きいことが想定される。
  • 図1のモデルは、賃金引上げ以外の条件は変化しないことを想定している。このため、たとえば最低賃金が引き上げられても、景気が拡大し労働需要曲線が右にシフトすれば、結果的に雇用が減少しないことがありえる。
  • 生産要素(資本・労働)の構成が異なれば、企業によって影響は異なる。たとえば、スーパーマーケットAとコンビニエンス・ストアBで、Bの方が低賃金労働者の賃金コストが全生産コストに占める割合が高いとすると、最低賃金引き上げが生産コスト上昇に与える影響はBの方が大きい。Bがコスト上昇を商品価格の上昇に転嫁させると、Aの競争力が増し、結果Aがビジネスを拡大すれば、Aの雇用は増加する可能性がある。

図1 完全競争モデル

図1 完全競争モデル

図2 需要独占的モデル

図2 需要独占的モデル

(2) 需要独占的(Monopsonic)モデル(図2)

労働市場を需要独占的とみなすこのモデルは、適度な最低賃金の引き上げは必ずしも雇用減少をもたらさず、反対に雇用を増加させる場合もあることを示す。伝統的な完全競争モデルでは、企業は市場の賃金レベルを受け入れる価格需要者で、企業が直面する労働の供給曲線は水平であった。しかし、需要独占的モデルでは、企業は賃金を決定する力をいくらか持ち、右上がりの労働供給曲線に直面、より多くの従業員を確保するには全ての従業員に対して高い賃金を払う必要があると考える。「需要独占(Monopsony)」とは、市場に買い手が一人しか存在しない状況のことを指すが、需要独占的(Monopsonic)モデルはこの純粋な需要独占のケースに限らない。買い手(この場合、労働の買い手である企業)が多数市場に存在する場合でも、情報の不完全性を理由に、労働者に移動コスト(職探しのコスト)、雇用者に採用コストが発生すると、企業は純粋な需要独占の状況と同様、右上がりの労働の供給曲線に直面することになる。

図2のとおり、需要独占的状況において、当初賃金 W0、雇用量 E0の状態(労働の限界費用=労働の限界生産物収入)から、最低賃金が Wmに設定されると、短期的には雇用は E0から Emに増加する(新たな労働の限界費用=Wm=労働の限界生産収入)。ただし、雇用が増加するのは、最低賃金の引き上げが W’m を超えない範囲にとどまる場合に限ること、長期的には平均費用の上昇(賃金上昇)によって企業の利潤が減少し、市場から退出する企業も出てくることが考えられ、その場合には雇用への減少圧力が働くことに注意する必要がある(Ehrenberg & Smith (2005))。

米国の労働市場が完全競争モデルと需要独占モデルのどちらに近いのか、経済学者の間でもコンセンサスは得られていないようである。ただし、完全競争モデルを採用したとしても、上述のとおり、最低賃金の引き上げが雇用に与える影響の程度は、労働需要の賃金弾力性、各州の生活コスト水準や最低賃金水準、企業の生産要素の構成、景気拡大・減速などによる労働需要の変化などによって異なることがわかる。

3. 最低賃金をめぐる論争2:実証研究

2006年11月、カリフォルニア大学アーバイン校の David Neumark 教授と連邦準備制度理事会エコノミスト William Wascher 氏が全米経済研究所(National Bureau of Economic Research)から発表したペーパー(Neumark & Wascher(2006))は、90年代以降の“新最低賃金研究(New Minimum Wage Research)”をレビューしている。同ペーパーは最低賃金の雇用への影響に関する過去15年間の90以上の実証研究をレビュー、対象国も米国を中心に計15カ国をカバーし、総ページ数は180ページプラス全先行研究の比較表付きという労作である。

同ペーパーによれば、80年代までの最低賃金をめぐる実証研究については、Brown, Gilroy, & Kohen(1982)が総括しており、先行研究のレビューの結果、最低賃金の10%の引き上げは、(典型的な低賃金労働者である)ティーンエージャーの雇用を1~3%減少させるとの見方が経済学者の間でもほぼ一致した見方となっていた。しかし、80 年代末以降、連邦最低賃金引き上げの議論が活発化し、州政府が独自に最低賃金引き上げに踏み切る中で、再度最低賃金が雇用に与える影響についての見直しの機運が高まる。Neumark & Wascher(2006)によれば、91年にコーネル大学とプリンストン大学が主催した“New Minimum Wage Research Conference”が“新最低賃金研究”の起源だという。同シンポジウムで発表されたペーパーはIndustrial and Labor Relations Reviewの1992年10月号に掲載されたが、最低賃金引き上げが雇用に与える影響について、Neumark & Wascher(1992, 連邦最低賃金を対象)の実証研究結果が従来どおりマイナスの影響を示した一方で、Card(1992a, 連邦最低賃金)は「特に影響なし」、Card(1992b, カリフォルニア州最低賃金)は「雇用にプラスの影響」、Katz and Krueger(1992, テキサス州最低賃金)は「雇用にプラスの影響」という実証研究結果を示し、その後の激しい論争の幕開けとなる。

その後、Neumark & Wascher(2006)がレビューするとおり、様々な実証研究がなされる。ここでは、中でも、最も有名な実証研究である、1992年のニュージャージー州の最低賃金引き上げが同州のファーストフード産業の雇用に与えた影響をめぐるNeumark & WasherとCard & Kruegerの論争をとりあげよう。Card & Kruegerとは、現カリフォルニア大学バークレー校のDavid Card教授とプリンストン大学の Alan B. Krueger教授のことである。なお、最低賃金の引き上げは最低賃金レベルで働く低賃金労働者の雇用に影響を与えると考えられるため、多くの実証研究が、低賃金労働者の代表格である、ファーストフード産業や小売産業、またはティーンエージャーの雇用の変化に焦点を絞った研究を行っている。Neumark & Wascherと Card & Kruegerの議論の応酬を表1にまとめた。

表1 ニュージャージー州の1992年最低賃金引き上げが同州のファーストフード産業の雇用に与えた影響
実証研究 対象労働者 分析手法 使用データ 労働需要の賃金弾力性推定値 批判
Card & Krueger (1994) ニュージャージー(NJ)州およびペンシルバニア(PA)州のファーストフード産業労働者 Difference in differences. Minimum wage gap NJ州最低賃金引き上げ直前・直後に電話調査 FTEs: +0.63~+0.73(いくつかの推定値は統計的に有意) 電話調査で集めたデータの信頼性に問題あり(N & W(2000))
PA州をコントロールグループとする妥当性、影響を測るタイムスパンの短さ(N&W (2006))
Neumark & Wascher (2000) Difference in differences. EmPIがファーストフード店から収集した給与データを追加・修正 FTEs: -0.1~-0.25(いくつかの推定値は統計的に有意) バーガーキング1社のデータがPA州のサンプルの傾向を歪めている(C & K (2000)) 調査手法にバイアスあり(EPIのFox (2006))
Card & Krueger (2000) Difference in differences. Minimum wage gap Bureau of Labor StatisticsのES-202 データ(失業保険用給与税の記録データ) FTEs: +0.005~+0.15(統計的に非有意)

〔注〕N&W: Neumark & Wascher, C&K: Card & Kurueger, FTEs: Full-Time Equivalents の略
〔資料〕Neumark & Wascher (2006)の付表をベースに Neumark & Wascher (2000), Card and Krueger (2000), Fox (2006)より作成

1994年にCardとKruegerが発表した実証研究は、最低賃金引き上げのなかったペンシルバニア州との比較を通じて、1992年のニュージャージー州(NJ州)の最低賃金引き上げは同州のファーストフード産業の雇用をわずかではあるが増加させたとの結果を示した(Card & Krueger (1994))。これに対し、Neumark & WascherはCardとKruegerの電話調査で収集したデータの信頼性に問題があるとして、2000年、別のデータを用いてCard & Kruegerの研究結果を検証、NJ州の最低賃金引き上げは雇用にマイナスの影響を与えたとの結論を提示した (Neumark & Wascher (2000))。Card & Kruegerはこの批判に応え、再度既存のデータを検証、Neumark & Wascher(2000)のデータの問題点を指摘する。同時に別のデータを用いて再検証した結果、やはり NJ州の最低賃金引き上げは雇用にほとんど影響を与えなかった、そしてわずかながらプラスの影響を与えた可能性もあるとのペーパーを発表した(Card &Krueger (2000))4。これで一応、1992年のNJ州の最低賃金引き上げをめぐる応酬合戦は終了したようだが、Card & Kruegerが同ペーパーを過去の彼らの実証結果の妥当性を裏付けるものと位置づけているのに対し、Neumark & WascherはCard & Krueger(2000)は彼らの過去の実証研究の分析手法自体の妥当性に疑問を投げかけるものであるとして、やはりNJ州の最低賃金引き上げは雇用にマイナスの影響を与えたとの態度を崩しておらず(Neumark & Wascher (2000))、見解の一致はみられていないままである。

NeumarkとWascherの両氏は、一貫して最低賃金の引き上げは雇用にマイナスの影響をもたらす可能性が強いとの見方を貫いている。2006年11月のNBERのペーパー(Neumark & Wascher (2006))でも、レビューした先行研究の約3分の2が雇用にマイナスの影響をもたらす(ただし統計上有意でないものも含む)ことを指摘している。一方、Card教授の方は、最近2006年12月のミネアポリス連邦準備銀行によるインタビュー5において、低賃金労働者の労働市場は需要独占的モデルであると思われ、少しの最低賃金の引き上げは必ずしも雇用に大きな影響を与えないだろうと、やはり過去と同様の立場をとっている。ただ、経済学者の友人を失うなどの理由で最近は最低賃金の研究から遠ざかっている、過去の研究結果の防衛にばかりこだわっていたくはないなどと述べており、今日も積極的にペーパーを発表しているNeumarkとWascherの両氏とはかなりの温度差が感じられる。

最低賃金が低賃金労働者の雇用に与える影響をめぐる実証研究は、回帰分析のモデル設計やデータ収集の手法の妥当性をめぐって議論が尽きず、コンセンサスを得るのは難しい。ただ、労働経済学の教科書 Ehrenberg & Smith(2005)が総括6しているように、多くの実証研究結果において低賃金労働者の需要の賃金弾力性は短期的には非弾力的で、その結果、最低賃金引き上げが雇用を多少減少させたとしても、全低賃金労働者の総所得を増加させる効果があると捉えるのが妥当であるように思われる。

また、最低賃金が雇用へ与える影響の程度をめぐる実証研究のほか、最低賃金引き上げが貧困削減にどの程度効果があるかについても実証研究が行われている。この点については、今のところ最低賃金引き上げが貧困削減にあまり寄与しないとする実証研究結果が目立つようで、Ehrenberg & Smith(2005)は、「最低賃金引き上げは貧困削減に対しては相対的に効果的なツールではない」7と総括している。最低賃金引き上げが貧困削減に寄与しない理由としては、最も貧しい人はもともと職がない、最低賃金レベルで働く労働者の代表格として取り上げられるティーンエージャーは必ずしも貧困家庭の子供ではないといったことがあげられる。Ehrenberg & Smith(2005)は、1990-91年の最低賃金引き上げについて、「賃金が切り上がる労働者のうち貧困家庭で暮らすのはわずか22%」、「予想される所得増加のうち、貧困家庭が享受するのはわずか19%(雇用への影響がないと仮定)」といった実証研究結果を紹介している。

4. 最低賃金をめぐる論争3:政策論争

現在の米国において、連邦の最低賃金を引き上げるべきか。この政策をめぐっては、特に労働者寄りおよびレストランやホテル業界などの雇用者寄りのシンクタンクの間で激しい論争が繰り広げられている。経済学者の方は、必ずしも見解の一致はみられていないようであるが、ノーベル経済学者5人を含む650名以上の経済学者が労働者寄りのシンクタンク Economic Policy Institutes(EPI)の最低賃金引き上げの意見に賛同し署名している8。なお、最低賃金引き上げが必ずしも雇用減少につながるわけではないという実証研究結果を発表し、EPI が最低賃金引き上げ推進の根拠として言及する、前述の Card 教授は署名に加わっておらず、「私はこれまで本やペーパーの中で一度も最低賃金引き上げを提案したことはない。私は政治的議論からは距離を置くようにしている」と述べている9

以下、最低賃金引き上げを支持する Economic Policy Institute(EPI)および最低賃金引き上げに反対する Employment Policies Institute(EmPI, レストランやホテル業界などの雇用者寄りシンクタンク)の主な主張やその根拠となるデータを紹介する。

Economic Policy Institute(EPI):最低賃金引き上げを支持
  • 1997年9月以降、最低賃金の購買力は20%低下。インフレ調整後、現在の実質最 低賃金は1955年以来最低水準。現在の最低賃金は米国の平均賃金(時給)の31%の水準で1947年以降最低の水準。現在の最低賃金5.15ドルは、1995年の3.95ドルに等しい。
  • 2008年までに最低賃金が段階的に時給7.25ドルに引き上げられるとすると、現在 時給7.25ドル以下で働いている660万人(労働力人口の5%)が直接恩恵を受ける。波及効果により間接的に影響を受ける労働者は 830 万人(同6%)で合計1490万人(同11%)が賃金上昇の恩恵を受ける。
  • 現在の最低賃金引き上げ法案(HR5970)の内容である、2009年6月までに段階的 に7.25ドルに引き上げるケースで予測すると(新たに最低賃金引き上げを決定し た州の推計も更新)、直接恩恵を受けるのは 560万人(4%)、間接的に恩恵を受けるのは730万人(6%)、合計1290万人(10%)が恩恵を受ける。
  • 139.5万人の18歳未満の母子(父子)家庭の親が恩恵を受ける。なお、直接的・間接的影響を受ける 1490万人のうち、80%は 20歳以上の成人で、ティーンエージャー(16~19歳)は残り2割(2008年までに引き上げのケース)。
  • 最低賃金引き上げは、女性、マイノリティ、低所得者世帯など、恵まれない立場 にある労働者に恩恵を与える。
  • 最低賃金引き上げは貧困削減に寄与する。勤労所得税額控除(Earned Income Tax Credit (EITC))は最低賃金引き上げと併用することで貧困削減に寄与するが、最低賃金引き上げを代替するものではない。たとえば、最低賃金で週40時間働く2人の子持ちシングル・マザーのケースでは、1997年には EITC の恩恵を受けてようやく貧困線を5%超える所得を得ていたが、2005年時点では、EITC を加味しても貧困線を11%下回る所得となる。
  • 前回の最低賃金引き上げにより雇用が減少したという証拠はない(独自の実証研 究のほか、Card & Krueger の実証研究などを紹介)。(以上、EPI (2006) のFacts at a Glanceより主な主張やデータをまとめた)

Employment Policies Institute(EmPI):最低賃金引き上げに反対

  • 最低賃金レベルで働く労働者は最低賃金で家族を養っているわけではない。最低賃金引き上げで賃金が上がる労働者のうち、子供がおりかつ家庭内の稼ぎ手は本人のみという労働者はたった15%でかつ EITC の適用対象。残り85%は働く親と同居するティーンエージャーや一人暮らしの成人、共働きの既婚成人。最低賃金レベルで働く労働者の平均家族年収は4.3万ドル。 
  • 最低賃金引き上げは雇用喪失をもたらす(コーネル大学などへの委託調査の実証 研究結果、経済学者へのアンケートなどを根拠)。
  • 最低賃金引き上げは低技能労働者に恩恵をもたらさない。最低賃金引き上げは裕福な家庭のティーンエージャーの労働市場参入を誘引し現在の低技能労働者の雇用機会を減らす(デューク大学への委託調査)。黒人の若年成人およびティーンエージャーは非黒人の同世代と比べ4倍雇用を喪失した(コーネル大学への委託調査)。最低賃金引き上げがあった州では、ない州に比べ母親が公的扶助に 44%長く依存した(ウィスコンシン大学への委託調査)。
  • 最低賃金レベルで働く労働者は1997年以降、昇給している。最低賃金労働者の約3分の 2 は1年以内に昇給(マイアミ大学とオハイオ州立大学、フロリダ州立大学の研究結果)、最低賃金労働者の賃金上昇率(年、メジアン)は最低賃金以上稼ぐ労働者の6倍程度高い約7%。
  • 最低賃金引き上げによる所得増の大部分は、EITC の適用対象から外れることによ る税負担の増加や、フードスタンプ(食品割引券)や低コストの健康保険などの公的給付の喪失で打ち消されてしまう。
  • 名目の最低賃金は1997年以降据え置かれているが、EITC を考慮に入れれば、実質的な賃金低下はマイナス 7.6%にとどまっている(2人の子供がいるフルタイム労働者のケース)。子供のいない世帯や共稼ぎ世帯への所得分配を伴う最低賃金の引き上げより、より低所得者世帯にターゲットを絞ったEITC の活用の方が望ましい。(以上、EmPIの”Minimum Wage Misconception”や同機関ウェブサイトより主な主張やデータをまとめた)

EPIとEmPIの両シンクタンクとも、最初から最低賃金引き上げに賛成、反対という立場は決まっており、その目的に合わせて、最もインパクトのあるデータ、実証研究を引用している。理論・実証研究でも見解の一致がみられていないだけに、どちらの主張が妥当なのかその評価も難しい。また、政策論争の難しい点は、実際に政策を実施するとなると考慮すべき点が広範囲にわたることだ。たとえば、最低賃金の引き上げが雇用に与える影響だけを考慮すればよいわけではなく、EmPIが主張するように、最低賃金の引き上げによって、既存の税負担や公的給付にどのような影響があるのかについても考慮する必要がある。また、最低賃金の引き上げという手段のみを考慮すればよいわけではなく、低賃金労働者の生活水準の確保・向上という目的達成のために、EITCなど他により効果的な手段がないのか考慮する必要がある10

5. 終わりに

以上、最低賃金引き上げがどの程度、低賃金労働者の生活水準の向上に資するのか、理論研究、実証研究、現在の政策の是非をめぐる論争を概観した。どのレベルにおいても論争の決着はついていないが、1の最低賃金制度の現状で述べたとおり、実際には現在、連邦レベルの最低賃金引き上げを待たずして多くの州が連邦レベルを上回る最低賃金の導入に踏み切っている。かつ冒頭述べたとおり、中間選挙の結果、連邦レベルでも最低賃金の切り上げが行われる可能性がかなり高く、現実は既に最低賃金切り上げの方向に動いている。

最低賃金制度の目的は、低賃金労働者に最低限の生活を保障しその生活水準を向上させることだといえるだろう。しかし、3の実証研究の箇所で触れたように、最低賃金は貧困削減にはあまり有用なツールではないとみなされ、また、最低賃金だけでは、貧困線を下回るまたはぎりぎりの生活しか保障されない。あくまで、最低賃金制度は低賃金労働者の生活水準向上のツールの一つにしかすぎないといえる。2006年11月の中間選挙で勝利を収めた民主党は、ブッシュ政権の富裕層優遇政策を非難し、中低所得者重視を国民にアピールした。米国経済が拡大する中で、2001年以降、米国の貧困層の比率は毎年拡大し続け(2005年は横ばい)、2005年の時点で同比率は12.6%、貧困層は3695万人に達している11。今後ますます低所得者層の底上げは米国にとって重要な政策課題となってくると思われる。最低賃金の切り上げはそのための一つの手段に過ぎず、現実の政策問題としては、低所得者層の底上げのための様々な手段を包括的に検討する必要があるだろう。

文献リスト


  • Brown, Charles, Curtis Gilroy, and Andrew Kohen. 1982. "The Effect of the Minimum Wage on Employment and Unemployment." Journal of Economic Literature. Vol. 20, No. 2 (June), pp. 487-528.
  • Card, David. 1992a. "Using Regional Variation in Wages to Measure the Effects of the Federal Minimum Wage." Industrial and Labor Relations Review. Vol. 46, No. 1 (October), pp. 22-37.
  • Card, David. 1992b. "Do Minimum Wages Reduce Employment? A Case Study of California, 1987-1989." Industrial and Labor Relations Review. Vol. 46, No. 1 (October), pp. 38-54.
  • Card, David, and Alan B. Krueger. 1994. "Minimum Wages and Employment: A Case Study of the Fast-Food Industry in New Jersey and Pennsylvania." American Economic Review. Vol. 84, No. 5 (December), pp. 772-93.
  • Card, David, and Alan B. Krueger. 2000. "Minimum Wages and Employment: A Case Study of the Fast- Food Industry in New Jersey and Pennsylvania: Reply." American Economic Review. Vol. 90, No. 5 (December), pp. 1397-1420.
  • Economic Policy Institute. 2006. "Minimum Wage Issue Guide." http://www.epi.org/content.cfm/issueguides_minwage
  • Ehrenberg, Ronald G. and Smith, Robert S. 2005. Modern Labor Economics: Theory and Public Policy. 9th ed. Boston : Pearson/Addison Wesley
  • Employment Policies Institute."Minimum Wage Misconception." http://www.epionline.org/mw_cards.cfm
  • Fox, Liana. 2006. "Minimum wage trends: Understanding past and contemporary research." Economic Policy Institute
  • Katz, Lawrence F., and Alan B. Krueger. 1992. "The Effect of the Minimum Wage on the Fast Food Industry." Industrial and Labor Relations Review, Vol. 46, No. 1 (October), pp. 6-21.
  • Neumark, David, and William Wascher. 1992. "Employment Effects of Minimum and Subminimum Wages: Panel Data on State Minimum Wage Laws." Industrial and Labor Relations Review. Vol. 46, No. 1 (October), pp. 55-81.
  • Neumark, David, and William Wascher. 2000. "The Effect of New Jersey's Minimum Wage Increase on Fast-Food Employment: A Reevaluation Using Payroll "cords.” American Economic Review. Vol.90, No.5 (December), pp.1362-96.
  • Neumark, David, and William Wascher. 2006 "Minimum Wages and Employment: A review of evidence from the New Minimum Wage Research." NBER Working paper No. 12663.

脚注
  1. 1ドル=119円で計算。ちなみに日本の最低賃金のレベルも米国とたいして変わらない。平成18年度の地域別最低賃金を見ると、最高が東京の718円、最低が青森、岩手、秋田、沖縄の610円である。 (http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/kijunkyoku/minimum/minimum-02.htm
  2. 消費者物価指数を用いて実質化したもの。時系列データは次のEPI ウェブサイトのTable4を参照。http://www.epi.org/content.cfm/issueguides_minwage
  3. 同時点で既に連邦の水準を上回る最低賃金を導入している各州の最低賃金水準は、最高がワシントン州の 7.63ドル、最低がデラウェア、メリーランド、ミネソタの3州の6.15ドル。詳細は次のEPIウェブサイトのTable5を参照。http://www.epi.org/content.cfm/issueguides_minwage
  4. 原文は、"The increase in New Jersey's minimum wage probably had no effect on total employment in New Jersey's fast-food industry, and possibly had a small positive effect."(Card & Krueger (2000))
  5. http://www.iir.berkeley.edu/faculty/card/research.html
  6. 原文は、"Short-run response of low-wage employment to changes in the minimum wage is widely believed to be inelastic. Thus we can expect that an increase in the minimum wage would serve to increase the total earnings going to low-wage workers as a whole." (Ehrenberg & Smith (2005))
  7. 原文は、"the minimum wage is a relatively blunt instrument with which to reduce poverty." (Ehrenberg & Smith (2005))
  8. http://www.epi.org/content.cfm/minwagestmt2006参照。署名したノーベル経済学者は、Kenneth Arrow, Clive Granger, Lawrence Klein, Robert Solow, Joseph Stiglitzの5名。
  9. 前述のミネアポリス連邦準備銀行インタビューにて。原文は、"In fact, nowhere in the book or in other writing did I ever propose raising the minimum wage. I try to stay out of political arguments."
  10. 最低賃金の切り上げが財政支出を伴わない一方、EITC は財政支出を伴うため、政治的にはEITC の活用拡大の方が難しいとみられている(Economist 2006年10月26日記事"A higher minimum wage may not kill many jobs, but won't help many poor people"より)。
  11. 2006 年8月29日国勢調査局発表の”Income, Poverty, and Health Insurance Coverage in the United States: 2005“によるhttp://www.census.gov/Press-Release/www/releases/archives/income_wealth/007419.html