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海外研究員レポート

和平合意とクレディブル・コミットメント

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050033

川中 豪

2006年10月

和平合意とクレディブル・コミットメント

ちょうど10年前の1996年、筆者はフィリピン大学の客員研究員としてマニラに滞在していた。そのとき最も印象深かった事件のひとつが、イスラム教徒反政府武装勢力のモロ民族解放戦線(MNLF)とフィリピン共和国政府との和平合意だった。それは1970年代から続いてきたイスラム教徒の反乱の収束を期待させるニュースだった。それから10年。残念ながら、ミンダナオの紛争はまだ解決の日を迎えていない。そんな中、10月初めに、現在、筆者が客員研究員として滞在しているアテネオ・デ・マニラ大学で、この1996年の和平合意とその後のプロセスを評価する小規模なワークショップが開かれた。ここで議論の焦点は、(1)和平協定の合意事項実施に関する政府の不十分な対応、(2)ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)政府の低い政策能力、(3)ARMMの開発の遅れ、の3点であった。これらいずれも和平合意の効果を低下させ、イスラム教徒住民の生活に大きな負担を強いる重大な問題である。このなかで本稿では、(1)について取り上げたい。

ワークショップでの報告で指摘された、和平の合意事項に関する政府の不十分な対応の項目はいくつにもわたる。その中でも特に取り上げられたのが、(1)MNLF兵士のフィリピン国軍への編入が適切に進められなかったこと、(2)自治地域政府への国庫からの資金支出の遅れ(あるいは未払い)、(3)和平合意後、自治地域をめぐる法律の制定、改正について、MNLFの関与なしに、中央政府(議会を含む)によって重要な決定がなされこと(特に新しい自治基本法の制定と住民投票実施、重要な資源管理権限の国への移管)などであった。フィリピン政府がこうした点において和平協定を十分守る姿勢を見せておらず、和平合意を損なっているとMNLF側は認識している。すべてがMNLFの主張どおりかどうかを確認するにはしっかりとした検証作業が必要だが、独立したNGOの報告でこれらの問題が指摘されたことから、少なくとも政府の和平協定に対する姿勢、行動が完全なものではないことは確かだろう。

和平の協定を結んだものの、政府側は協定実施に際して機会主義的な行動を示す。エスニック紛争をめぐる典型的なコミットメント問題が、フィリピンの1996年和平協定にも見て取れる。

和平合意ゲームにおけるコミットメント問題

2者間でお互いの合意のもとにある約束をしたとしても、それが実行されるとは限らない。例えば、車を100万円で売買すると2者間で合意したとしても、買い手は車を引渡してもらったあとに「この車では100万円も支払えない」というかもしれない。売り手も、100万円の支払いを受けたあとに「やっぱり車を渡すのはヤダ」とごねるかもしれない。合意を有効なものにするには、合意当事者がその合意を守る信頼性が高くなければならない。これをクレディブル・コミットメントと呼ぶ。  

車の売買の例では、合意を契約書に書き記し、その上で、第3者の存在によって合意の執行を確実なものにすることができる。合意が一方的に破られれば、裁判所に訴えでて合意を執行するように求めることができる。こうした制度のもとで売り手、買い手双方のクレディブル・コミットメントはある程度達成される。問題はこうした第3者が存在しない場合である。エスニック紛争はまさにそうしたケースである。そこで当事者のクレディブル・コミットメントを確保するのはなかなか難しい。

エスニック紛争におけるクレディブル・コミットメントを理解するために、政府と少数派反乱グループが和平合意に至ったあとのプロセスをゲームの形で考えてみよう。理論を明確にするために単純化したゲームの形は以下のようになるだろう(図)。プレーヤーは政府(G)、少数派反乱グループ(M)。Gは{協調、侵害}、Mは{協調、抵抗}の戦略セットを持つ。ゲームの結果はA、B、C、Dで表される。ゲームはMの戦略選択から始まる。

図 政府と反乱グループの和平合意ゲーム

図 政府と反乱グループの和平合意ゲーム

(出所)筆者作成。

第1ステージでは、Mが、Gと和平協定を結んで協調路線を取るか、Gにあくまでも抵抗して戦闘を続けるか、いずれかの戦略を選択する。MがGに対して抵抗した場合には、さらにそれにGが対応し、そしてそれ受けてMが対応するという形でゲームが続くはずだが、ここでは和平合意後のプロセスに焦点を当てるため、とりあえずMが「抵抗」という戦略を選択した場合のそれ以後のゲームは省略し、その結果をDとしておく。

一方、Mが協調戦略を取った場合、ゲームは次の第2ステージに移る。今度はGが和平の合意(協定)を尊重してMの権利を保護するか、あるいは、合意を守らずにMの権利を侵害するか、いずれかの戦略を取るとする。Gが和平協定を遵守する場合はそれでゲームが終了し、結果Aが得られる。Gが和平協定を破った場合、ゲームは第3ステージに移る。Gの行動に対し、Mは、権利侵害を受忍するか、それともGに対して抵抗し、再び戦闘を開始するかのいずれかの戦略をとる。Mが権利侵害を受忍した場合は結果B、Mが抵抗した場合は結果Cが得られる。  

ここで結果A、B、CにおいてMとGにとって効用の大きさの順位は、それぞれ次のようになると考えられる。

M: A>B>C

G: B>A>C

結果Cの効用がMにとってもGにとっても最も小さいのは、Mが再び抵抗行動をとった場合、戦闘によって生じるコストが高いからである。一方、Mにとって、協定を無視された結果であるBが、協定が守られた場合の結果Aに比べて効用が小さいのは、本来和平協定が規定するGの譲歩によってもたらされるはずの利得が得られないからである。これと反対にGにとってBがAよりも大きな効用をもたらすのは、和平協定で合意された譲歩を白紙に戻すことでGの負担が減る、あるいは更なる利得の獲得が可能になるからである。  

この和平合意ゲームにおいて、第1ステージでMが和平に合意した場合、どの結果が導き出されるだろうか。ゲームの最後のステージからさかのぼって考えてみよう。第3ステージにおいて、Mが選択するのは権利侵害の受忍か、Gに対して抵抗するかいずれかであるが、MにとってBの効用がCの効用より高い限り(Mにとって BCである限り)、つまり、権利侵害による損害が抵抗行動のコストより小さい場合は、結果Bを選択することになる。この場合、GはMが結果Bを選択することを知っているので、Mが再び抵抗するという戦略はGにとって「確かな脅し」とはならない。それであれば、さかのぼって第2ステージにおいて、Gはあえて和平協定を尊重して結果Aを得るより、和平協定を守らず権利侵害すれば結果Bを導き出せるのであるから、そちらのほうがより高い利得を得ることができると考える。そうすると、このゲームの条件のもとでは、一旦Mが和平に合意してしまったら、Gは常に和平協定を守らないインセンティブを持つことになる。Mは与えられた選択肢のなかでよりましな結果を選ぶインセンティブを持つ。結果Bが均衡となる。

フィリピンの和平交渉

1996年の和平合意をめぐるフィリピン政府とMNLFとの関係は、このモデルに沿って説明することができよう。一旦和平協定が結ばれれば、戦闘のコストを上回るほどの権利侵害をしない限りにおいて(MにとってBC である限り)、MNLFは政府の合意不作為を受忍すると、フィリピン政府が考えることになるだろう。このとき政府にとって和平協定を忠実に守るインセンティブは弱くなる。こう考えると1996年の和平協定に対する政府の対応に問題が生じるのは、インセンティブの構造から考えて、必然的な結果ともいえる。なぜ、1996年の段階でMNLFはこのような結果が生まれる選択をしたのだろうか。それはおそらく当時、ラモス政権が交渉相手だったからであろう。交渉の過程で政府のクレディブル・コミットメントを信ずるに足りる政権からのシグナルを得たと考えられる。しかし、ラモス政権は1998年に任期を終え、その後は異なる政権がフィリピン政府を代表してきた。制度的に政府のクレディブル・コミットメントを確保する手当てが取られていなかったなかで、均衡として結果Bに落ち着くことになった。  

厄介なのは、問題がここで終わらないことだ。それは、政府のクレディブル・コミットメントがないことが、他の反政府勢力との和平交渉に影を落とすからである。ミンダナオに存在するイスラム武装組織はMNLFだけではない。もうひとつ大きなグループ、モロ・イスラム解放戦線(MILF)がある。MILFも現在フィリピン政府と和平交渉を行っているが、こちらのほうはなかなかまとまらない。土地の所有権という紛争の最も根本的で、かつ解決困難な問題を議題にしているだけに、双方の歩みよりが着かないというのが最大の原因と見られている。問題はそれだけにとどまらない。背景にMILF側の政府に対する不信が潜在的に存在している。それは、政府とMNLFとの間の1996年の和平合意後のプロセスの現状が、仮に和平合意ができたとしても政府がそれを必ず守るという信頼性がない、というシグナルをMILFに対して送っているからだ。MILFの交渉代表が過去の和平協定で示された政府のコミットメント問題に警戒感を示したこともある(Business World, August 27, 2005)。さらにさかのぼってみれば、マルコス政権下、1976年にトリポリで結ばれた和平協定が、政府によって実質的に反故にされ、再び政府とイスラム勢力の間で対立が高まったという経験もある。

一般的に考えて、和平合意が達成されてから権利侵害に対抗して再び抵抗を開始するというのは、きわめて難しい。少数派グループ内で権利侵害に対する認識を統一することが難しく、一致して抵抗するということができない。それは2001年に政府の一方的な住民投票実施に抵抗してMNLFの指導者ミスアリが蜂起した事件で、MNLFのほかの指導者たちがミスアリと行動をともにしなかったことにも良く現れている。また、武装解除が和平合意の条件になっていれば、和平合意後に反乱グループが武力面で劣位に置かれるのは確実だ。そうであれば、できるだけ譲歩を引き出すためにも、和平合意(自分たちの大きな譲歩を前提として)をしてしまわないほうが、効用が大きくなると反乱グループが考えることが十分ありうる。先ほどの和平合意ゲームにおいて、結果Dが戦闘による高いコストを含んだものであったとしても、Mにとって効用の大きさがD≥Bであれば、Mは和平合意をせず、抵抗行動を継続させるだろう。いくら和平協定がもたらす結果Aが好ましいものであったとしても、政府がそれにコミットしないことが明らかであれば、和平合意は実現しない。

政府のクレディブル・コミットメント

エスニック紛争を深化させる原因、裏返せば、エスニック紛争を解決するカギとなる課題は複数存在する。それを前提としたうえで、以上のような議論を考えると、そうしたカギとなる課題のひとつとして、政府の和平協定に対するクレディブル・コミットメントの実現が浮きあがってくる。先ほども触れたようにこうした紛争において、交渉の仲介者は存在しても、合意を執行する第3者というのは存在しない。政府が合意を実行しないとしても、制裁を与える主体が存在しない。どうすれば政府のクレディブル・コミットメントを実現することができるだろうか。和平協定をめぐる制度設計において、政府のクレディブル・コミットメントを実現する手立てが可能となるだろうか。

一般的に言えば、少数派の重要な権利に関わる決定に関して、少数派に拒否権を与えることが有効と考えられる。政府が少数派の権限侵害に当たるような行為を行おうとした場合、少数派がそれを防ぐことのできる拒否権の設定である。例えば先の資源管理の問題に絡めていえば、少数派自治地域の権限変更決定に自治地域の承認を必要とするような制度的な装置の設置である(法律の制定か、憲法条項の設定など)。

しかし、これだけでは不十分だろう。というのも、もうひとつの問題は政府の積極的な権利侵害ではなく、政府の不作為であるからだ。これに対しては政府が機会主義的行動をとる余地を減らすしかない。例えば少数派自治政府の運営に国庫からの支出が適切になされていない、という不満に関しては、そもそも自治政府の財政基盤を国庫に頼っている構造そのものが問題なのである。中央政府が税金を徴収しそれを分配するという構造から少なくとも自治政府が離脱することができれば、つまり、自治政府自らが税を徴収する権限を持てば、中央政府の機会主義的行動の影響は小さくなる。もちろん、ここで自治地域内だけで十分な歳入が確保できるだけの税ベースがあるかどうかという別の問重要な問題が存在する。ただ、和平協定において過度に政府からの資源の提供を期待する、それも継続的な提供を期待するような制度の枠組みを作ると、結果として政府の機会主義を助長することは確かだ。

さらに、政府に対し、合意にコミットするインセンティブが与えられることが重要である。Gの得る利得の大きさの順序が結果にそって、A>B>Cとなるようにするということである。残念ながら決定打は思い当たらないが、さまざまな圧力によってGにとって結果Bのコストが高まるようにすることは可能だろう。

もちろん、こうした提案は政治的に非常に困難なものであり、実現化に大きな労力が必要であるということは十分理解できる。また、本稿では触れなかったが、コミットメントの問題は政府だけでなく、少数派反乱グループの側にも存在する。それゆえエスニック紛争解決はそう簡単にはいかないのだろう。

参考文献

  • James D. Fearon. 1995. "Ethnic War as a Commitment Problem," paper, Stanford University.