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海外研究員レポート

旅客機テロ未遂事件

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050036

2006年9月

8月9日、ロンドン警視庁はヒースロー空港から米国へ向かう複数の旅客機爆破テロを計画したとして21人を逮捕した。テロは機内に液体を持ち込み爆破する計画だったと発表され、即座に空港の保安体制の強化、機内の手荷物持込み制限が導入された1。事件後1カ月以上経った9月中旬にロンドン・ガトウィック空港から出国した際の経験では、チェックインから搭乗するまでの検査に1時間半ほどかかった。X線検査では上着、靴も脱がされた。また、パソコン、デジカメ、携帯電話などの電気製品の持ち込みは認められるようになっていたものの、液体、ジェル状製品、化粧品など飛行中に変量する可能性のあるものを機内に持ち込むことはできず、免税品店で化粧品を買い求める乗客が目立った(米国線以外は免税品店で買い物した場合には化粧品等の持込みが認められた)。筆者は飛行時間の短い欧州路線に乗ったが、飲み物を機内に持って入れないせいか、飛行中に有料販売されるさまざまな飲料を求める乗客が多かった。最近になって固形化粧品や音楽家の楽器の持込みを認めるなど手荷物規制はさらに緩和されているようである。しかし、米国行き便では引き続き厳格な検査が搭乗まで2回行われていると報道されている。

持ち込み禁止品や手荷物の大きさ制限の導入によって航空会社への受託荷物が大幅に増え、また検査に時間と手間がかかるようになった。しかし、空港管理会社の人員はそれに対応できるだけ投入されていない。そのため、預けた荷物の盗難、行方不明が増え、また航空機の定時運行が難しくなるなどの状況が続いており、航空会社と空港管理会社が対立している。そこで、一時浮上した解決策が搭乗者のプロファイリングである。昨年のロンドンの地下鉄テロ、そして今回のテロ未遂事件とも容疑者はムスリム、とりわけパキスタン系英国人らと報じられている。現在搭乗者全員を対象に行われている検査を、ムスリム、男性、若者といったカテゴリーに該当する乗客のみを徹底的に検査するべきという案である。しかし、ムスリム団体は6月にロンドン東部で 250人規模の警察のテロ捜索でバングラデシュ系住民が発砲される事件(のちに容疑者はテロ容疑では一端釈放)などを例にすでにムスリムは差別されていると主張し、また人権、安全上の観点からもプロファイリングには反対意見が多く、実現する可能性は今のところ小さいように思われる。一方で、英国は米国の要求で同国行き便の乗客に関する30数項目にわたる個人情報の提供を続けている。本来、これはEUと米国との間の2004 年の協定に基づいて実施されていたが、今年5月に欧州司法裁判所より違反判決を下されたためにEU加盟国は情報提供をできなくなり、現在でも米国との交渉が続いているが難航している。英国は運輸当局による特別令の発布によって乗客情報の提供を続けられるのである。

英国がテロの標的となっている理由として指摘されるのは、ブレア政権の外交政策、とりわけアフガニスタン、イラクへの派兵である。また、7月のヒズボラとイスラエルの戦闘においてもローマでの国際会議で即時停戦に反対したのは米英だけというイスラエル寄りの政策に対して英国内の報道は批判的な論調であった2。もっとも英国内のテロ、過激派対策に関してはさまざまな意見がある。著名なジャーナリストであるメラニー・フィリップスは、「英国は国家としての自信と主体性を失い多文化主義の前に無力になってしまった。ロンドンはイスラム過激派の普及、人的資源や資金集めの中心地ロンドニスタンになりつつある」と指摘し、さらなるテロ対策強化を強調している3。一方、今回の旅客機テロ未遂事件の容疑者の何人かが住む移民の多いロンドン東部に90年代初頭から居住するアフリカ・カリブ系作家・脚本家ヴァネッサ・ウォルターズは、麻薬、犯罪、低教育、低賃金、片親家庭といった問題がいかに同地域に蔓延し、そうした状況で育った将来に希望のもてない若者たちに手を差し伸べてきたのは政府ではなく宗教であると述べている4。英国は外国人を含め弱者に手厚い政策を多く施しているように感じるものの、その公共サービスは一般にさまざまな問題を抱え、できれば有料の民間サービスを利用したいと思うことから、低所得層や若者を対象とした政策も見直す必要に迫られているのかもしれない。

今年3~5月にかけて13カ国で実施されたPew Global Attitude Projectの調査によると、英国のムスリムの81%が在住国(英国)の国民としてよりもムスリムとしてのアイデンティティのほうが強いと回答(81%)としている。ほかのヨーロッパ3カ国(フランス、スペイン、ドイツ)と比較すると、たとえばフランス人よりムスリムとしてのアイデンティティが上回ると回答したフランスのムスリムは48%のみで、いかに英国の数値が高いかがわかる5。英国は合法的に何年か住むと英国パスポートを取得でき、EU加盟国の労働者を無制限に受け入れ、また特定の科目(今後科目を問わず大学院生にも適用されるとのこと)で学位を取った学生には卒業後英国に残って研修できる制度があるなど、外国人、移民の受け入れには寛容にみえる。しかし、それは国民統合とは別ものである。そして、対アフガニスタン、イラクなど外交政策が国内の移民に与える影響も小さくない。日曜日の夕方、海岸にピクニックに来ていたパンジャービー語を話す父子がメッカに向かって礼拝する姿を見て、圧倒的に白人人口の多い地方都市でも少なからず移民を抱える英国の国民統合の難しさをあらためて感じた。


脚注
  1. 国際列車の検査はどれぐらい強化されたのか不明である。英国から電車でフランスに 行った際には地方駅から出国したせいか空港の検査と比較すると通常のX線検査のみで拍子抜けした。
  2. 最近の世論調査では野党保守党の支持率が与党労働党の支持率を上回っており、徹底 して親米路線を貫いてきたブレア首相は1年以内に退任することを表明している。
  3. Melanie Phillips 2006. Londonistan: How Britain is creating a terror state within, London: Gibson Square Books.
  4. Vanessa Walters "I can see no 'Walthamstan' on the streets where I live" (The Guardian, 18 August)
  5. http://pewglobal.org/reports/display.php?ReportID=254