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海外研究員レポート

作戦統制権問題

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050039

2006年9月

2006年8月から韓国では韓国軍の作戦統制権に関する問題が大きく取り上げられるようになった。ここでは、この作戦統制権問題そのものの内容、そしてこの問題が大きな社会問題となった原因について報告する。

1. 韓国軍の作戦統制権

韓国軍の特徴の一つとして、部隊の作戦統制権が戦時と平時に分かれていることが挙げられる。これは朝鮮戦争以来の韓国軍の歴史の産物である。

朝鮮戦争中の1950年7月14日、当時の李承晩大統領は国連軍総司令官のマッカーサーに書簡を送って韓国軍の作戦指揮に関する権限を委譲する旨を伝え、16日にマッカーサーがこれを受諾した。これにより、国連軍を主導する米軍が韓国軍の作戦指揮に関するすべての権限を行使することになった。1953年7月27日に停戦が成立すると、11月17日に「韓国に対する軍事および経済援助に関する韓米間の合意議事録」において、韓国軍は国連軍総司令部の作戦統制権の下に置かれることが明記された。

韓国軍の地位が米軍に対する従属的なものから徐々に対等なものに向かって進み始めたのは、1961年からである。1961年5月26日、韓国軍の一部部隊について国連軍総司令部の作戦統制権が解除されることになった。さらに1978年10月17日に韓米連合司令部が設置され、国連軍総司令官とアメリカの第8軍司令官を兼任した韓米連合司令官が韓国軍に関する作戦等政権を行使するという枠組みが作られたが、この連合司令部とその傘下の軍司令部では米軍から司令官が出て韓国軍から副司令官が出ること、各司令部の運営がその正副司令官の合議制で行われること、韓米双方には相手方の同意がなくてもいつでも作戦統制権を回収する権利を持つことが定められた。この連合司令部の設置によって、韓国軍は米軍との関係を対等に近づけて行動の自由を獲得するとともに、同時に米軍を韓国に繋ぎ止めるものであった。さらに、1994年12月1日に、韓国軍に対する作戦統制権が戦時と平時に分けられ、そのうち平時の作戦統制権が国連軍総司令部から韓国側に移管された。

本来、作戦統制権は戦争の遂行に関する権限であるため、権限を平時と戦時に分けたとしても、本質は戦時のほうにある。したがって、平時作戦統制権の移管は韓国にとって、すべての作戦統制権を回復するための過程の一部であるはずである。実際、この動きを顕在化させたのが盧武鉉政権である。

2. 盧武鉉政権と作戦統制権問題

韓国軍の作戦統制権回復の過程は、韓国軍がこの間に実力をつけてきたことの表れでもあった。しかし、韓国としては、韓国軍の作戦統制権が回復されても、韓米の連合作戦体系が消滅することを望んでいるわけではない。このことが作戦統制権の回復に関して、技 術的な障害となっている。したがって、作戦統制権の回復は連合作戦体系の指揮系統を改変する作業を伴うものとなり、韓国軍の専門家によれば、これは1年や2年で終わるものではない。

2003年に出帆した盧武鉉政権はアメリカ側と「未来韓米同盟政策構想」第1次会議を4月8~9日に開き、韓米同盟の将来像の議論を始めた。2004年2月13~14日に開かれた「未来韓米同盟政策構想」第7次会議では作戦統制権回収問題も含めた共同研究を推進することが合意された。2005年10月21日、尹光雄国防長官とラムズフェルド国防長官との間で、戦時作戦統制権に対する協議を「加速化」させることが合意された。

この動きに制動をかけることになったのが、2006年7月5日、朝鮮人民軍による弾道ミサイル実験であった。これによって、前の金大中政権に引き続いて進められてきた南北和解の動きも止まっただけでなく、緊張が高まり、韓米同盟の重要性が強調されるようになった。そこで、韓国軍の戦時作戦統制権の回収は韓米同盟を危うくするという議論が出てくるようになった。

3. 保守陣営の結集

2006年8月2日、尹光雄国防長官は歴代国防長官等を招いて懇談会を開き、その席上で戦時作戦統制権の回復に関する説明を行ったところ、韓米同盟関係が弱化する、在韓米軍が撤収することになるなどの意見が出された。しかし、盧武鉉大統領はこうした反対論に対して、9日、記者会見で戦時作戦統制権回収を2009~2012年を目処に進めようとする意志を見せた。自分たちの意見が無視されたと感じた歴代国防長官らは10日、戦時作戦統制権回復に関する対して反対する声明書を発表した。また、最大野党ハンナラ党も28日、戦時作戦統制権回復に関する交渉を中止するよう政府に求めた。

歴代国防長官たちの声明にも拘わらず、9月7日、政府は作戦統制権の回復問題について、韓米連合司令部に替わって、新たに仮称「軍事協調本部」を設置する案を発表した。また、同日、ベル韓米連合司令官兼在韓米軍司令官は3年間で戦時作戦統制権の移管が可能であ ろうとの見解を発表した。

戦時作戦統制権回復に関する具体的な政策がしめされると、退役軍人たちだけでなく、キリスト教会の人士なども反対の姿勢を示し始めた。9月2日に韓国基督教総連合会も集会を持ち、5日には学界・法曹界・宗教界人士720余任の声明書が発表された。10日には前職外交部長官・大使ら160人の声明書が発表され、翌11日には前職警察幹部26人による時局宣言が発表されるなど、官界に少なからぬ影響力を持つ人々も反対の姿勢を示した。13日には、こうした保守的な団体や人士の結集を狙った「500万人署名運動」が、星友会(退役将軍の組織)、在郷軍人会、以北道民中央連合会(北朝鮮出身者の組織)、黄海南道民会、先進化国民会議、ニューライト全国連合、韓国基督教総連合会、キリスト教社会責任、韓国未来フォーラムなどによる発起で展開されることになった。

戦時作戦統帥権回復反対運動はまさに保守勢力と反盧武鉉勢力の結集の場となった。そして、これは9月14~15日の盧武鉉大統領の訪米、10月に予定されている韓米年例安保協 議会議(長官級)によって戦時作戦統制権回復に関して具体的な韓米間の合意が成立する前にそれを止めようとするものであった。これに対して、進歩派の人々の間には目立った動きはないが、それは軍事という進歩派にとってそもそも不得意の分野に関することであるためであろう。

4. 問題の本質と展望

退役軍人からキリスト教団体、元・公務員にまで拡がった戦時作戦統制権回復反対運動の主張するところは、その皮切りとなった歴代国防長官による声明書で発表されたように、戦時作戦統制権の回復は韓米同盟関係を弱化させる、在韓米軍の撤収を招来するの2点に尽きる。ところが、朝鮮戦争時に事実上米軍に移管された韓国軍の作戦統制権が韓国側に回収されてきた過程は、ほかならぬ歴代国防長官自身がこれまで進めてきたものでもある。しかも、94年12月の平時作戦統制権の回復は92年10月の韓米安保協議会議で決まったこと であり、この作業は北側の核兵器開発疑惑問題で南北関係が緊張していた時期に推進され た。また、盧武鉉政権も、作戦統制権回復に関する韓米の交渉はすでに80年代から行われ ていることであり、これが今になって特に韓米同盟関係の弱化を招来するものではない、 在韓米軍は韓米相互防衛条約に基づいて駐留しているのであって、作戦統制権の問題とは 別個のものである、さらに、戦時作戦統制権の回復後も韓米連合作戦の体系は形式が変わ るものの基本的に維持される、という反論を繰り返している。

政権側の反論にも拘らず、保守勢力が結集して戦時作戦統制権回復に反対する理由は別のところにある。そもそも保守勢力は 盧武鉉政権がこれまで南北の和解や中国、ロシアとの関係強化を重視した分、韓米同盟関係を軽視してそれを弱めてきたと、感じていた。また、6者会談の中断、朝鮮人民軍によるミサイル実験によって、保守勢力は、南北関係が「危機状況」にあると認識している。したがって、保守勢力の論理は、韓米同盟関係を軽視してきた盧武鉉政権が「危機状況」の下で戦時作戦統制権回収作業を急ぐことが気に入らないのである。これを裏返せば、韓米同盟関係を重視する政権が「危機状況」が去った後、この作業を進めることには反対しないということになる。

盧武鉉政権が保守勢力の主張を受け入れて戦時作戦統制権回復に関する交渉を中止したとしても、その作業が遅れるだけであり、いずれ交渉が再開され、韓国側は韓国軍に関する作戦統制権をすべて回復することになろう。ただし、今回の保守勢力の行動は盧武鉉政権に対して、目に見える形で韓米同盟関係を強化する行動をとる必要を見せ付けたものとなった。それがなされずに盧武鉉政権が交渉を強行して戦時作戦統制権回復の具体的な道筋を発表するということになれば、結集した保守勢力との深刻な対立は避けられなくなるであろうし、その結果、この問題に関する韓米の交渉そのものがご破算になる可能性も小さくない。