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海外研究員レポート

カリフォルニアでフィリピン系の人々が考えること

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050069

2006年1月

フィリピンからの移民

スタンフォードに赴任して以来、北カリフォルニアの主要紙サンフランシスコ・クロニクルを読んでいる。毎日欠かさず目を通しているのがobituaries、すなわち死亡記事である。日本の新聞(全国紙)の死亡記事では著名な人のみが取り上げられ、しかもごく簡単に紹介されるだけだ。それに対して、地方紙であることもあって、こちらの死亡記事は著名人に限らず普通の人々の記事を目にすることが多い。亡くなった人の関係者の依頼で掲載されるようだ。また、地方紙なので居住地の近隣の人々が取り上げられており、かつ、一人当たりのスペースも多く(obituaries全体で2面は使っている)、簡単ながらその人の経歴も紹介されている。こうした人々の生きてきた軌跡を見ると、カリフォルニア、特にサンフランシスコを中心としたベイエリアの歴史をより身近に感じる。なかでも熱心に読むのが、日系人の方々の記事、そして自分の研究とかかわりのあるフィリピンからの移民の方々の記事である。

フィリピンは19世紀末の米西戦争でアメリカがスペインに勝利したことで、アメリカの植民地となった1。それ以後多くのフィリピン人がアメリカに渡り、新天地での生活を切り開いていった。1946年の独立以後も移民の流れは止まらず、現在も多くの人々が移住してくる。フィリピンから移住すること、そしてアメリカで生活を成り立たせていくことが、そうたやすくないのは言うまでもない。1928年パンガシナン生まれ、1932年バギオ生まれ、1916年マニラ生まれ、1923年タギグ生まれ、1925年アンへレス生まれ、などというのを見るだけでも、歴史の流れのなかでたくましく生きた人々の存在を感じることができる。私事ながら、妻(フィリピン人)の親戚にもアメリカ、特にカリフォルニアに移住した人たちが何人かいる。いずれも専門職についているが、精一杯日々の仕事に関わっているようだ。

いったいどれほどのフィリピン系住民がアメリカで生活しているのだろうか。以下の表は、アメリカ全体、カリフォルニア州、そして筆者の滞在しているスタンフォード大学があるベイエリアにおける人種別の人口構成比を示したものである。

表 アメリカ合衆国、カリフォルニア州およびベイエリアの人種別人口構成比(2003年)

USA California Bay Area*
Total population 100.0% 100.0% 100.0%
One race 98.1% 97.1% 96.8%
White 76.2% 66.2% 59.7%
Black or African American 12.1% 6.2% 6.7%
American Indian and Alaska Native 0.8% 0.8% 0.5%
Asian 4.2% 11.9% 20.6%
Asian Indian 0.8% 1.2% 2.9%
Chinese (except Taiwanese) 1.0% 3.2% 7.6%
Filipino 0.7% 2.8% 4.6%
Japanese 0.3% 0.9% 1.1%
Korean 0.4% 1.1% 1.0%
Vietnamese 0.5% 1.5% 2.4%
Other Asian 0.5% 1.1% 1.0%
Native Hawaiian and Other Pacific Islander 0.1% 0.3% 0.5%
Native Hawaiian 0.1% 0.1% 0.1%
Guamanian or Chamorro 0.0% 0.0% 0.1%
Samoan 0.0% 0.1% 0.1%
Other Pacific Islander 0.0% 0.1% 0.3%
Some other race 4.8% 11.6% 8.9%
Two or more races 1.9% 2.9% 3.2%
Two races including Some other race 0.4% 0.8% 0.5%
Two races excluding Some other race, and Three or more races 1.5% 2.1% 2.7%
Hispanic Origin 13.9% 34.6% 21.1%

*San Francisco, Oakland, San Joseおよび周辺のcounty。
(Source) US Census Bureau, American Community Survey 2003 Data File から筆者計算。

フィリピン系住民は、アメリカ全体でみればごく少数派であることは間違いないが、アジア系住民の多いカリフォルニアではフィリピン系住民も多く、その人口比はカリフォルニアでは2.8%、ベイエリアでは4.6%となっている。アジア系住民のなかでは中国系住民に次いで多い。送り出す母国の人口規模(約7000万人)を鑑みれば突出している。ベイエリアではフィリピン人の街として有名なデイリー・シティ(サンフランシスコ市の南となり)があり、ここではアジア系住民の人口が全人口の50.7%(2000年)を占め、その内訳の詳細は明らかではないものの、フィリピン系住民はその多くを占めると見られている。市長はフィリピン系の弁護士がつとめている。カリフォルニアの古くからの中心地であるベイエリアは、フィリピン系移民が移住した代表的な地域といえる。

フィリピンから見て、アメリカへ移住していった人々の存在は大きい。それがもっとも感じられるのは、送金においてである。フィリピン中央銀行の統計によると、2004年の海外からの送金のうち実に57.4%がアメリカのからの送金である。フィリピンは船員や、中東・アジアへの出稼ぎでよく知られるが、それを上回る送金がアメリカから送られていることになる。送金だけに限らず、フィリピン系住民はことあるごとに衣服、食べ物などいろいろな贈り物をフィリピンの家族に送っている。送金や贈り物を送り届けるサービスも発達している。

日々の生活と送金

アメリカで新しい生活をうち立て懸命に働く日々、母国の家族を支えるための送金。この二つがフィリピン系住民に生活の基本である。これに関連して、2005年12月26日のサンフランシスコ・クロニクルに、 パティ・ポブレテというフィリピン系2世の記者がコラムを書いた。彼女自身はアメリカ生まれだが、両親はフィリピンからの移民である。内容はこうだ。子供のころからことあるごとにフィリピンにいる「貧しいイトコ」のことを考えなさいと言われてきたという。食べ物を残したとき、買ってもらった服が気に入らないとき、新しいおもちゃをねだったとき、十分に食べるものもなく裸足で汚れた通りをあるいている「貧しいイトコ」を思 えと。そして彼女の母は、自ら金銭的に余裕がないときでも、ことあるごとにフィリピンの兄弟たちに送金をし、衣服や食べ物を送り続けてきたという。そうした彼女がフィリピンを訪れ、「貧しいイトコ」たちに会う機会があった。母の弟は母からの送金に頼ることに慣れて仕事をやめ、4人のイトコたちは高校を中退し、母の姉は自分の娘が香港に働きに出てから仕事をやめたという。母は自分だけアメリカで生活できていることのある種「罪悪感」から送金をしてきたが、それが「貧しいイトコ」たちの労働意欲、向上心を阻害した。そして、それは母の親戚だけの話ではなく、フィリピン人海外労働者の送金がフィリピンの経済発展に貢献していないというマクロの状況も同じロジックで説明できる、というものである。

送金に頼ってフィリピン国内の家族が仕事をやめてしまうというのはごく普通に転がっている話である。また、送金を経済活動への投資に用いず、衣服や携帯電話や食べ物や、そうした消費に使っているとい うのもよく耳にする。ただ、いうまでもなく、送金の経済効果自体については科学的に検証されるべきで、ひとつ、ふたつのエピソードで判断するものではない。ここで興味深いのは、このコラムを通じてうかがえるカリフォルニアのフィリピン系住民の認識(多様な認識のひとつに過ぎないことは間違いないが)である。このコラムが出た後、サンフランシスコ・クロニクルの投書欄ではこの記事に肯定的な反応が掲載され、また、ポブレテ記者にも批判的な反応(「送金によって学校を卒業できた」というような異なる結果のエピソー ドか、「フィリピンでどれだけがんばっても希望はない」といったものだったようだ)とともに、コラムに同意するメールも送られてきたという(2006年1月9日)。

同意するメールの書き手は基本的に同様の経験があるのだろう。しかし、それ以上に、アメリカにいる自分たちの送金が貧しいフィリピンにいる人たちの労働意欲、向上心を阻害する、という話は、結局、がんばる(恵まれた)自分と、がんばらない(恵まれない)フィリピンにいる人たちという二項対立的理解のあらわれのようでもある。そして、それはアメリカにいる自分たちの存在を強く肯定する基礎になっているように思われる。

読みすぎかもしれない。しかし、ポブレテ記者のコラムの何気ない一文がそうした感想を強める。"Yes, it was a poor country and no matter how bad it got in America, I was indeed luckier than my cousins." この文の後に、それでも送金することが働くことをとめるならばそれは問題だとの文が続くのだが2

脚注
  1. サンフランシスコの中心部、ユニオンスクエアにそびえ立つ円柱は、米西戦争時、アメリカ軍がマニラ湾でスペイン軍を撃退したことを記念して建てられたという。アメリカにとっては列強の仲間入りを記念する 碑だが、フィリピンからすればこの円柱は植民地主義のシンボルであろう。
  2. ポブレテ記者のコラムは以下のサイトで読むことができる。
    http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2005/12/26/EDG5TG18CN1.DTL&hw=pati+p oblete&sn=004&sc=454
    http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2006/01/09/EDG5TG18HM1.DTL&hw=pati+p oblete&sn=001&sc=1000