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海外研究員レポート

ビハール州における州議会選挙と新政権の成立

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050072

2006年1月

2005年10月18、26日そして、11月13、19日の4回に分けてビハール州で出直し選挙が行われた。同年2月に行われた総選挙で議会の過半数を制する政党または連合ができなかったからである。その結果、州で政権が確立できる見通しがないとして3月7日には、中央政府は大統領統治(憲法に基づいて、州の立法行政権を例外的に中央政府が接収できる制度)を施行し、同州の立法行政権を接収した。

このように州レベルで過半数を制する政党や政党連合がなかなか成立しがたいと言う現象は、隣のウッタル・プラデーシュ州とも共通する現象であるが、その背景には、1980年代から明確になってきた中・低位階層に属する社会集団の政治的独自性の顕在化という現象がある。従来会議派(=Congress)という大政党の影で自らの政治的利益を代表する政党をなかなか持てなかった社会集団も、社会経済変動を背景とする会議派の長期的な人気低下に伴って自らの利益を代表し、かつ、一定の政治的力量をそなえた独自の地域政党を持ち得るようになったのである。そして一旦そのような特定社会集団を基盤とする独自色の強い政党が成立すると他の社会集団もそれに対抗して独自政党を立てるという連鎖反応的な過程が進展する。ビハール州ではラッルー・プラサード・ヤーダヴ(中央政府鉄道相)が率いる「民族ジャナタ・ダル」(= RJD)は、基本的には農民であるヤーダヴなどの中位カーストおよびムスリムが支持基盤であるし、ラーム・ヴィラス・パースワン(中央政府化学肥料相・鉄鋼相)率いる「人民大衆の力」(=LJP)は「指定カースト」と呼ばれる旧不可触民層が支持基盤の中核となっている。また、全国政党であるインド人民党(=BJP)は高カーストが支持基盤の中核であると考えられている。

このような社会集団と政党のいわば「系列化」が進む過程は翻って会議派の支持基盤をさらに弱体化していった。そのようなマクロな過程は表に明らかである。そのような会議派凋落の過程で最初に政権を握ったのが、「ジャナタ・ダル」そしてビハール州ではその後身である「民族ジャナタ・ダル」であったが、いずれもラッルー・プラサード・ヤーダヴの指導下にあった。従ってビハール州は15年にわたり実質的にラッルー・プラサード・ヤーダヴ政権下にあったことになる。もっとも同氏は汚職疑惑によって1997年7月には州首相から辞任せざるをえず、妻のラブリ・デヴィを州首相の座につけている。しかし、実質的には夫であるラッルー・プラサード・ヤーダヴのコントロール下にあったといって良い。

ラッルー・プラサード・ヤーダヴの州ジャナタ・ダル政権、そして、その後身である民族ジャナタ・ダル政権は確かに当初は中位、低位カースト、ムスリムなどの少数派の社会的正義の実現などを唱えて幅広い階層の支持を集めた。しかし、支持基盤の中核は出身カーストであるヤーダヴおよびムスリムであり、同政権はこれらに優先的に利益供与、社会的保護を行った。そのこともあって次第にこの2つの社会集団は民族ジャナタ・ダルに支持を集中していくものの、それ以外の集団は同党から他の政党に支持を移していった。ただ、この2つの集団は州内では人口比が高いため小選挙区制の下、分裂した政党状況下では人口比に数倍する議席を獲得でき、15年の長きにわたり州長期政権を維持できたのである。しかし経済的社会的にインドで最も後進的な州であるビハール州でのこのような政権のあり方は、州全体の発展という視点からは大きな足かせとなったことは間違いなく、政権が長く続けば続くほど、徐々に政権に対する不満が累積し、反民族ジャナタ・ダルの潮流を強めていくことになった。

そのような不満がより明確に現出したのが今回の州議会選挙であったともいえよう。近年選挙民は「開発」とか「利益分配」といった州政府の経済施策や行政のパフォーマンスにますます敏感になっており、目立った成果を上げられなかった政府は選挙で「罰せられる」とう傾向が比較的はっきりと現れている。今回の選挙では、新聞・雑誌のレポートで見る限り、従来、民族ジャナタ・ダルの堅い支持基盤であったヤーダヴやムスリムの間でも政権が開発の成果をあげられなかったことに対するあからさまな不満が述べられている。また、今回の選挙の投票率の低さも政権、さらには州政治に対する失望という州民感情が密接に関連していると考えられる。

このように大きくいうと、一方で政党と社会集団の系列化構造という票の流動化を妨げ多党政を維持しようとする要因と、政権の開発政策の失敗を「罰し」票を与党から野党へ流動化させようとする2つの要因が絡み合って票の動きを規定したように思われる。このような考え方に従うと、票の動きは、政党に系列化されていない社会集団から、野党への動きということになる。与党、民族ジャナタ・ダルに関してはもし支持基盤との系列化が十分強ければ、「罰」の影響はそれほど大きくは現出しないであろう。今回の選挙結果はこのような理論に大体沿ったものであると考えられる。表から2005年2月の選挙から2005年10‐11月の選挙にかけて、ジャナタ・ダル(統一派)とインド人民党の野党連合は合計で10.5%も得票率を伸ばしているが、しかし、与党民族ジャナタ・ダルは1.6%しか得票率を減らしていないのである。また有力野党である人民大衆の力も1.5%しか減少していない。ジャナタ・ダル(統一派)とインド人民党への票の流入は有力政党に系列化されない社会集団からのものが多くを占めていると推察されるのである。そしてこのような得票率の変化は小選挙区制という制度を通じて議席数の大幅な変化につながったのである。

マスコミ等による事前の予想では、今回の選挙でも明確に過半数を制する政党連合はあらわれず、分裂状況が継続するものと考えられた。しかし、以上のようなメカニズムが働くことによって議会過半数連合が現出することになったのである。すなわち、143議席を獲得した国民民主連合のジャナタ・ダル(統一派)+インド人民党の連合である。これに対して現在中央政権を握る統一進歩連合の、民族ジャナタ・ダル+会議派+インド共産党(マルクス主義)+ナショナリスト会議派党の連合は合計65議席にとどまった。15年の長きにわたり州政権を実質的に掌握してきたラッルー・プラサード・ヤーダヴ政治に区切りが付けられることになったのである。統一進歩連合は、もし仮に同連合に属するラーム・ヴィラス・パースワンの「人民大衆の力」が民族ジャナタ・ダルなどと選挙協力を行えば少なくても惨敗する結果にはならなかった可能性が高い。しかしながら、「人民大衆の力」は州レベルでは民族ジャナタ・ダルと鋭い対立関係にあって、中央レベルでは共存しているものの、州レベルでは協力関係をうち立てられなかった。これはヤーダヴと指定カーストの関係に見られるように両党の社会的支持基盤が特に農村部を中心に対立関係にあり、それが系列化現象を通じて党レベルにおいても反映されるため、協力関係がう ち立てられないというメカニズムによるところが大きい。

表 1990年以降のビハール州議会選挙結果

1990年

1990年 投票率 62.04%

議席総数 324

得票率%

獲得議席

Janata Dal 25.61 122
Congress 24.78 71
BJP 11.61 39
CPI 6.59 23
CPI(M) 1.33 6
IPF 2.77 7
JMM 3.14 19

1995年

1995年 投票率 61.79%

議席総数 324

得票率%

獲得議席

Janata Dal 27.98 167
Congress 16.27 29
BJP 12.96 41
CPI 4.76 26
CPI(M) 1.44 6
Samata Party 7.06 7
JMM 2.32 10

2000年

2000年 投票率 62.57%

議席総数 324

得票率%

獲得議席

RJD 28.34 124
CPI(M) 0.91 2
BJP 14.64 67
JD(U) 6.47 21
Samata Party 8.65 34
Congress 11.06 23
CPI 3.60 5
JMM 3.53 12

2005年2月および20005年10-11月

2005年2月 投票率 46.50% 2005年10-11月 投票率 45.87%
議席総数 243 得票率% 獲得議席 得票率% 獲得議席
RJD 25.07 75 23.45 54
JD(U) 14.55 55 20.46 88
BJP 10.97 37 15.65 55
Congress 5.00 10 6.09 9
LJP 12.62 29 11.10 10
CPI 2.49 7 2.37 5
CPI(ML)(Liberation) 1.58 3 2.09 3
CPI(M) 0.64 1 0.68 1

* Jharkhand'州が2000年に成立したため、当該地域部分だけこれ以前の表と比べて、減少している。

政党略語:BJP =「インド人民党」, Congress =「国民会議派」, CPI =「インド共産党」, CPI(M) =「インド共産党(マルクス主義)」, CPI(ML) =「インド共産党(マルクス・レーニン派(解放))」, IPF =「インド人民戦線」, Janata Dal =「ジャナタ・ダル」(「人民党」の意), JD(U) =「ジャナタ・ダル(統一派)」, JMM =「ジャールカンド解放戦線」, LJP =「人民大衆の力」, RJD =「民族ジャナタ・ダル」, Samata Party =「サマター党(「平等党」の意)」

出所:インド選挙委員会などの資料から筆者作成

選挙の結果成立したジャナタ・ダル(統一派)とインド人民党の連合は、11月24日にジャナタ・ダル(統一派)のニティシュ・クマールを首班とする州政権を樹立した。新政権の力量はまだ未知数であるが、最後に中央政界への影響と展望について簡単に述べてみたい。

会議派を中心政党とする統一進歩連合内では、選挙での敗北によって、ラッルー・プラサード・ヤーダヴの影響力は低下した。もっとも会議派も選挙では存在感を示せなかったのでラッルー・プラサード・ヤーダヴの発言力の低下は相対的なものである。このような発言力の低下を補うためもあって2005年12月29日に民族ジャナタ・ダルは統一進歩連合内の小政党、すなわち、テーランガナ民族会議、ナショナリスト会議派党、ジャールカンド解放戦線による連合内グループ結成に加わった。これらの小政党は議会多数派を維持するための、いわばキャスティング・ヴォートを握っているため会議派指導部に大きな圧力となりうる。これら4政党は地域政党としての性格が強く、その要求も地域限定的のものが多いが、そのような要求がグループとしてまとまるということは会議派にとって無視できない制約になりうる。また、会議派は閣外協力関係にあるインド共産党(マルクス主義)など左翼戦線政党からも政策に対する大きな制約を受けている。それに加えて以上の4政党の連合内グループが、指導部に新たな制約を課すものになるならば、統一進歩連合内におけるイモビリズムの進展、または亀裂の拡大、さらには政権の不安定化という状況に結びつきうるであろう。

一方、州議会で勝利したジャナタ・ダル(統一派)+インド人民党の国民民主連合については、今回の勝利がなによりもニティシュ・クマール率いるジャナタ・ダル(統一派)の勝利であったことから、国民民主連合のリーダーシップをとるインド人民党の影響力はますます相対化されたといってよいであろう。インド人民党は隣のウッタル・プラデーシュ州でも一時期と比べて大きく影響力を低下させており、政治的には地域政党からの制約はさらに強まっていくということになろう。一方同党は、L. K. アドヴァニー総裁をめぐる紛糾やその支持母体である民族奉仕団との軋轢などから2005年12月末に同総裁の辞任、ラージナート・シン新総裁の就任と世代交代が行われている。また、ウマー・バラーティー元マディヤ・プラデーシュ州州首相の造反、国民民主連合において他政党から信頼感の扱った A. B. ヴァジペイー元首相の政界からの引退発言など、党の求心力の低下は明らかである。このような野党、国民民主連合の状況から少なくとも中央政界ではビハール州で国民民主連合が勝利したとはいえ与党への圧力は大きくなるというような事態はないであろうと考えられる。

以上のようにビハール州の州選挙の結果は、与党統一進歩連合、野党国民民主連合ともそれぞれの連合の指導的政党のフリーハンドを広げるというよりも、むしろ新たな政治的制約を課す方向にあると思われる。会議派は今年2006年に予定されるケーララ州、西ベンガル州の州議会選挙で左翼戦線と正面から対峙しなくてはならず、州政治からくる中央政界への制約はさらに強まるものと思われる。このような制約の累積に与党指導部がどこまで耐えられるか、あるいは耐えられなくて、解散総選挙という方向に動くのか、今後の成り行きが注目される。