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海外研究員レポート

モスクワ市場事情2

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050077

2005年12月

1. 市場のイメージ

前回の報告では2002年ごろから急速にモスクワの市場(いちば)が発達したことを指摘しておいた。そこで現時点で、モスクワのリーノック、すなわち市場(いちば)は発展しているのか、それとも衰退しているのかという問題をこの報告では扱いたい。モスクワをよく訪れる人のなかには、キエフ駅に隣接する市場が最盛期の3分の1ほどの客しか見えないことを挙げて、モスクワの市場は衰退しているという人もいる。そういう人は、モスクワでのとくにスーパーマーケットなどの発達がそれをもたらしているという。

通常市場と関わりのある人々は自分と関わりのある市場にしか行かないため、その都市の市場の全貌を知っている人は稀である。また、残念ながら筆者もモスクワの市場そのものの動向に関心を持っている人を知らない。たしかに、品揃えのいいスウェーデン資本のストックマン、トルコ資本のラムストールなどの大型スーパーの発展は著しいものがあり、これらには劣るが中小規模のチェーン式のスーパーも発展を続けており、これらがいわゆる市場の役割を縮小させている面もなくはない。実際、筆者はこれまで筆者は55箇所の市場と10箇所あまりの百貨店、スーパーを回ってきたが、すでに潰れていたり、近代的なショッピング・センターにその場所を取られていたりするケースをいくつか見かけた。しかし、上記のキエフ駅に隣接するキテジ市場に来ている人の量を見てモスクワ全体の市場の動向を判断するのは早計だということはできる。こうした訪問者の印象も重要なことであることは確かであるが、消費が目に見えて伸びているこのモスクワで市場は本当に衰退しているのであろうか。本稿ではこれを議論するためにまず市場の概念を明確にしておきたい。

ロシアでは市場(いちば)のことをリーノックрынок、またはヤールマルカярмаркаという。前者はロシア語の固有の言葉であり、後者はドイツ語で定期市や縁日を意味するヤールマルクトJahrmarktから来た外来語であるが、両者の間には本質的な意味の違いはない。ただ、リーノックのほうは経済学で使うシジョウ(市場)の意味でも使われており、ヤールマルカにはこのような使われ方は通常行われない。このほか市場そのものの名称には、トルゴーヴィイ・ツェントルторговый центр(ショッピング・センター)、トルゴーヴィイ・ドームторговый дом(商業ビル)、トルゴーヴィイ・コンプレックスторговый комплекс(商店集合体)、トルゴーヴィイ・リャードторговый ряд(商店街)といった言葉も使われている。

リーノックとかヤールマルカといえば、まず、露店やあるいはキオースクкиоскと呼ばれる小店舗が集まっており、主に食料品や日用品を扱っている。まさにわれわれが「イチバ」と呼ぶイメージもこれである。これに対して、商業や交易を意味するトルゴーヴィイが付いた言葉は、高級ブランドの衣類などの店が集まった建物にも使われており、この場合は、モスクワでリーノック、ヤールマルカと呼んでいるもの、あるいはわれわれが「イチバ」と呼んでいるものとはイメージが違ってくる。これは銀座通りを「イチバ」とはあまり呼ばな いことと同様である。そこで、市場(いちば)の意味を『広辞苑』1991年版で見てみると、(1)毎日または定期的に商人が集まって商品売買を行う所、(2)常設の設備があっておもに日用品、食料品を販売する所、となっており、他の権威ある辞典でもほぼ同じ説明がなされている。そして、リーノック、ヤールマルカについてもロシアの辞典では同様の説明がなされている。したがって、ガラス張りで鉄筋コンクリート造りの高級ブランドのお店が詰まっていたり立ち並んでいたりする商業ビルや商店街をリーノック、ヤールマルカ、「イチバ」と呼んでも意味上まったく問題がないはずであるが、日本人もロシア人もそう呼んでいない。

この違いはまさにイメージの問題であるが、同時に市場の発展過程を示しているようである。まず、商品を売って利潤を得るという目的から見れば、売り場の設備にはできるだけカネをかけたくないはずである。すぐに開いてすぐにたためる露店はまさにこの目的に適合している。しかし、露店は悪天候に弱く、また、商品が外気にさらされるため、その品質に問題が起こりやすい。そこで、最小のコストで店舗を建てようとすることになる。それがキオースクであったり、あるいはモスクワの場合、鉄道輸送などに用いる鉄製のコンテナを持ってきてそれを改造した小店舗であったりする。とくに、郊外にある卸売りが主体の市場、たとえばドミトロフスキイ市場ではこのコンテナ店舗が多く見られる。常設の店舗を建てるようになると、建物自体で集客能力を強化しようとする動きが出てくる。とくに冬のモスクワではこうした建物の存在はありがたいものである。もちろん暖房が効いているためである。そして、それがさらに建物の設備や看板、格好で集客能力を強化するようになると、「イチバ」とかリーノック、ヤールマルカと呼ばれなくなってくる。

このイメージの問題をいったん捨象してみると、日本で「イチバ」とか、ロシアでリーノック、ヤールマルカと呼ばれなくなったものを含めて、意味上の市場は、通常その地の人々の消費の増加とともに拡大することになる。そして、上記の観察者が市場の領域を奪っているように見えるスーパーマーケットなどを、市場の本来の意味に即してその中に含有してみれば、モスクワの消費の増加とともに市場の増加があるということは否定できないものとなる。そこで、イメージを尊重すれば、露天や小店舗の立ち並ぶ形態のものを市場と呼ぶとすれば、市場と呼ばれるものと、そうでなくスーパーマーケットやデパートなどの建物の設備や看板、格好で集客能力を強化しようとするものとの住み分けが生じていると見るのが妥当であろう。

2. 市場で扱われる商品

市場(いちば)では、『広辞苑』の説明にあるとおり、おもに食料品や日用品が取引されている。食料品を扱う市場のうち、「コルホーズ市場」と呼ばれるものがある。これは、前回の報告でも取り上げたが、本来は集団農場(コルホーズ)の農民が自留地で生産したものを都市の人々に販売する場所を意味していた。1980年代のペレストロイカ、続いて社会主義体制の崩壊によって、農産物の流通は大きな変化があったはずであるが、筆者の調査はここまで及んでいない。筆者が観察できるのはその店舗の形態、商品の内容と言った外見的なものに限られる。

こんにちのモスクワで「コルホーズ市場」というと、建物の中にならぶカウンターがイメージされる。そこ では輸入品も含めて多種多様な農産物が売られている。値段は外資系大手スーパーであるストックマンやラムストールに比べると、若干安いといえる程度である。小規模な市場や商店で売っていないようなもの、たとえばホウレンソウをコルホーズ市場で買い求めると、「必要なとき名声をかけてくれ」といわれることがあるし、その時にない場合は「明日か2、3日後には入る」といってくれることがある。以前は掛売りも行われていたようであるが、今では大量に買う人は別にして、基本的には売り手のいう値段で取引がなされている。

コルホーズ市場では、サラートсалатと呼ばれる、日本で言えば漬物も売られている。サラートの本来の意味はサラダであるが、酢漬け、塩漬けなど発効させた野菜も含んでいる。また、レタスそのもののことをサラートと呼んだり(こちらではキャベツのように丸い形のものよりも、白菜のように葉が開いたもの、日本でいうサニーレタスのようなレタスが多い)、白菜のことを「キタイスキイ・サラート」(中国のサラダ)と呼んだりもする。筆者の観察した限りのコルホーズ市場では、この漬物を売るコーナーにキムチがある。そして、キムチのあるサラートのカウンターには東洋系の人種の人が販売員と座っている。中には朝鮮語を解する販売員もいる。コルホーズ市場で筆者は韓国から来た人が買い物をしている姿を見たことがないことから考えても、このキムチを求める主な買い手は韓国から来た駐在員ではない。実際、韓国から来た駐在員に聞いてみても、キムチを購入する場合は、韓国人の店に配達してもらっている場合がほとんどで、リーノックにキムチがあるなど想像したこともないようである。リーノックでキムチを味見させてもらうと、間違いなくキムチであった。ロシア人の食生活はそもそも刺激物が少ないが、その食生活は経済の成長とともに大きく変わってきており、キムチを愛食するロシア人も少しずつ増加しているようである。残念ながら沢庵漬けやそれに類似する漬物をコルホーズ市場で見つけることはできなかった。(韓国の駐在員相手の店では沢庵漬けも売られている)。

食料品に次ぐ生活必需品である衣類の市場は多様である。筆者が見る所、モスクワでもっとも衣類が多様である市場はルジニキ競技場のすぐそばにあるルジニキ市場である。ここではテント式の露店が主体であり、売り手に時間制限がある。売り手は終わりの時間が来ると、さっさと店をたたみ、次の売り手がその場所に入ってくる。このことから売り手の多くは自分で商品を購入してまわり、自分でそれを販売する所謂「担ぎ屋」の商人が多いと推定される。商品は国産もあれば、中国、ポーランド、フランス、ドイツなどから持ってこられたものがある。

衣類のほかに身につける生活必需品として靴がある。衣類は専門の市場があるのに対して、靴の専門市場を筆者は見かけたことがなく、靴を売るところは大体衣類の売り場に隣接してある。ただし、モスクワの市場で売られている靴にはイタリア製が多いが、これはロシア人には合いやすくできているのかもしれないが、東洋人にはあわない場合が多い。日本からの駐在員に比較的評判がいいのはフィンランド製の靴であるが、これは市場であまり見かけない。さらに、筆者の見聞きする所では、フィンランド製の靴は履き心地が良いところはあるが、左右の大きさに違いがあり、左足のほうが小さく感じられることが多いようである。

衣類、靴に関してモスクワでは不便なことが一つある。モスクワは大体11月から冬に入り始めると言われているが、今年は遅く、12月から本格的に雪が積もり始めた。この冬に備え、我が家でも身に着けるものをすで に10月から整えようとしたのであるが、なぜか繁華街であるノーヴィイ・アルバート通りの商店にも、市内のど真ん中にあるグム(国営百貨店)にもツム(中央百貨店)にも、また、大きな衣類市場であるコンコボ市場にも、冬物がほとんどおいていなかった。かなり寒くなってきた時期に前述のルジニキ市場でも冬物は少なかった。ノーヴィイ・アルバート通りで冬用のつもりで購入した女性用のコートが秋用であるのを知ったのは、1カ月以上たってからのことであった。実際に商店にも市場にも冬物が並び始めるのは 11月になってからであり、 12月になってテレビで毛皮の特設市の宣伝が出るほどである。つまり、モスクワの小売業者たちは秋になってから秋物を揃え、冬になってから冬物を揃えるようになっているということである。おかげで、季節の終わりごろに次の季節に備えた買い物ができない。

生活必需品ではないが、モスクワの市場で多いのは建材市場である。モスクワには 1950~70年代に建てられたアパートが多く、修理が盛んである。また、専門市場としては、前回の報告でも言及したガルブーシカなど数箇所のコンピューター専門市場があり、もともと電子産業が決して弱いわけではないロシアでは電子パーツの専門市場であるミチンスキイ・ラジオ市場がある。ただ、ソ連時代にこの国ではアマチュア無線(ハム)がけっこう盛んであったが、多くは自作の無線機であったはずであり、彼らがどこで部品を購入していたのかを筆者はいまだに突き止めていない。

3. 市場の位置

市場(いちば)は売り手が商品を運ぶにしても、買い手が訪れるにしても交通の便がよいことが重要である。市内のど真ん中に最も近いコルホーズ市場であり、地下鉄駅からも近いツェントラーリニイ市場(中央市場)は改修中で機能しておらず、筆者はこの市場がどの程度の賑わいがあったのかを知ることはできなかった。地下鉄からは少し不便であるが、バス停が目の前にあるチシンスキー・コルホーズ市場も改装中であり、その上にすでに隣接した土地にチェーン式のスーパーマーケットが営業していた。また、中心部の繁華街にあるパラシェフスキー水産市場(名称は水産市場であるが中身はコルホーズ市場)は売り場も客も少なく、衰退しているのが見て取れた。大きな駅であるパヴェレツキイ駅の近くにあるパヴェレツキイ市場はその場所がすでに駐車場と化しており、廃止されたことが確認された。

これに対して中心部で賑わっているコルホーズ市場はルジニキ競技場の近くにあるウサチェフスキイ市場である。この近くには衣類を中心としたテント式の露店市場であるルジニキ市場があり、ここには国産、輸入の多種多様な衣類が販売されており客も多い。この衣類市場の客の一部もウサチェフスキイ市場に流れてきているのではないかと思えるほどである。また、一つ中心部で賑わっているのはリジンスキイ市場であり、ここにはデパートと電子市場が隣接している。

元気なコルホーズ市場はむしろ中心部から少し離れた所にある場合が多い。市内北方のコルホーズ市場である最寄りの地下鉄駅からあるいて10分ぐらいの所にあるセベルニイ市場は比較的新しい建物の中にあり、客も多く、売り場は充実している。市内南側にはチェリョムスキイ市場とダニロフスキイ市場があるが、こちらも けっこう繁盛している。また、中心部からもう少し離れるが、フェルメルスキイ市場も建物も新しく、繁盛している。市内西部には、キエフ駅の近くのダラガミロボ市場は筆者が見る限り、モスクワでもっとも繁盛している市場である。そして、さらに西部にあり、地下鉄もバスも便がよくないところにあるクンツェフスキイ市場も建物が新しく、大いに賑わっている。

市内東部のコルホーズ市場は少し事情が違っている。筆者が廃止を確認した市場としては、レフォルトヴォ市場、ニジェゴロツカヤ市場があるが、これらの場所の特徴としては、近くの住宅地に人があまりいないことがある。後者の場所には新たな商業ビルが建っていたが、客も少なく、大きな空き店舗が目立ち、外見も寂しいものがある。見るところ、こうした地域は再開発の必要な場所であるようである。これらに対して、バスマニイ市場やツァリツィンスキイ市場はその周囲の日用品市場も含めて繁盛している。

4. 市場は衰退しているか

これまで筆者が観察したところ、モスクワで、交通の便が悪くないにもかかわらず廃止されていたり、あるいはどう見ても衰退しているコルホーズ市場があったものの、逆に交通の便がよくなくても建物も建て替えられ、繁盛しているコルホーズ市場もある。したがって、大型スーパーがコルホーズ市場の客を奪って、コルホーズ市場が衰退しているという図式はいつも正しいとはいえない。

コルホーズ市場のほかの種類のイチバ、カウンターではなくキオースクが軒を連ねた食料品市場や衣類などの日用品市場はむしろ、拡大している。それから郊外型の市場は、車客が多いらしく、地図で見るより敷地が広がっていることも多い。

ただ、コルホーズ市場をはじめとするイチバの利用しづらいところがある。多くのイチバでは、管理事務所が警備員を雇い、治安面でも大きな問題がない反面、営業時間が限られていることである。この点は営業時間を 24時間かあるいは早朝深夜まで拡大しつつある大型スーパーやチェーン式のスーパーには劣ることは間違いない。郊外型で卸売り専門の多くの店舗を抱えるイチバでも営業時間が限られていることは、仕入れ側にとって都合がいい朝市や夜市が成立せず、仕入れ側は自分の営業時間に市場に出向くことになる。