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海外研究員レポート

合理的選択論と途上国政治研究

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050084

川中 豪

2005年10月

1.政治学を分断する二つの学派:歴史分析と合理的選択論

アメリカにおける政治学の分野は通常、(1)アメリカ政治研究、(2)比較政治学、(3)国際関係(国際政治学)、(4)政治理論(政治思想)の4つに大きく分かれる(さらに、政治学方法論が第5の分野として付け加えられるようになってきている)。実証的な政治研究は(1)、(2)、(3)となるわけだが、途上国の政治研究は(2)の比較政治学に含められる。ヨーロッパ、日本といった先進諸国に関する研究もこの比較政治学のなかに含まれる。

国をひとつの単位として、そのなかの政治を実証的に分析する分野であるアメリカ政治研究と比較政治学において、現在、大きく分けて2つの大きな潮流が拮抗している。ひとつは歴史を重視する学派、もうひとつは方法論的個人主義に基づき、アクターの選好を基礎に分析する学派、である。前者は歴史分析、あるいは歴史のなかで生み出される制度に注目するので、歴史的制度論、後者は、合理的選択論と称される。

この二つの学派、なかなか仲が悪い。最もそれが顕著に現れたのが、アメリカ政治学会の機関誌、アメリカン・ポリティカル・サイエンス・レビュー(APSR)の編集方針をめぐる論争だろう。APSRは政治学の分野でもっとも権威がある雑誌として目されていて、そこに論文が掲載されるかどうかは、政治学者にとってそのキャリア形成において非常に大きな意味を持つ。この雑誌に関して、”Mr. ペレストロイカ”を名乗る匿名のE-mailが政治学関係者に送られ、APSRが数理モデルに基づく定量的な論文を過度に好んで掲載している、定性的・記述的な論文は迫害されている、と主張した。合理的選択論は仮説を組み立てるロジックに数理モデル、その検証に統計学的手法を用い、一方、歴史分析は個々の事例の記述を基に議論を組み立てる手法を用いるので、この“Mr. ペレストロイカ”の批判は、合理的選択論への批判と考えても間違いない。“Mr. ペレストロイカ”に共感する政治学者たちは、「ペレストロイカ運動」というのをたちあげ、分析手法の多元化が必要であると主張した。これは、なかなか生臭い話でもあり、アメリカの大学の教員採用は合理的選択論に牛耳られているので、そうではない定性的方法を使う教員の採用枠を確保すべきだ、といった議論まで出ているらしい。先月にはイェール大学出版会から、その名も『ペレストロイカ!』なる本が出版されている1。ペレストロイカ運動に対しては、比較政治学で合理的選択論者の代表、デイビット・レイティンは、分析手法の多元化の主張は、政治学の科学的性質を放棄せよという議論であると反論している2

2.アプローチの特徴

こうした対立は、根本的には、政治を見る哲学的な世界観の違いに起因しているところがあるようにも思われるが、直接的には方法論の違いが原因である。二つの学派の大まかな特徴を整理すると以下のようになろう。

①歴史分析

最大の特徴は歴史的なプロセスを重視することである。歴史的な文脈のなかで制度や構造が作りだされ、そうした制度や構造が政治現象を生み出しているという理解である。経路依存(Path Dependence)を重視し、また文脈・環境を重視する。歴史の積み重ねが政治現象に関する因果関係を決定するとみる。スコチポルの業績が代表的なものと考えられる3。その射程の大きさからマクロの政治体制分析に適用される ケースが圧倒的に多い。方法論としては、記述的な事例研究が主流。偶然の事象も分析の対象に含める。そのため事実から出発して抽象化する、帰納的な分析手法といえよう。

歴史的分析に対しては、偶然性も分析に取り込むため理論化があまくなり、また議論の証明についても少数(多くの場合ひとつ)のケースを基に記述するので、変数のコントロールができない場合が多く、そのため証明が説得力を持ちにくいと批判される4

②合理的選択論

政治に参加するアクターに焦点を当てることが特徴。アクターを明確に特定し、そのアクターの選好(その基礎として、インセンティブ、モティベーション)を厳格に定義した上で、そのアクターの行動によって政治が生み出されると考える。アクターは個人であることが多いが、集団であってもよい。ただし、その場合、凝集性が高く、成員がみな同じ選好を持つということが前提となる。こちらは、ミクロの政治過程分析にもっぱら適用される。方法論としては、フォーマル理論でロジックを組み立て(アクター間の相互の動きを射程に入れる場合はゲーム理論を使う)、統計学的検証を行う。ロジックから出発し、それを実証するので、演繹的な分析手法といえよう。

合理的選択論はロジックがはっきりしている点、定量的分析をすることが多いため変数のコントロールが容易で証明に説得力があると考えられる。しかし、アクターの特定、アクターの選好などの前提を明確にしなければならないため、アサンプションをどうするかが決定的なカギになり、下手をすると非現実的な説明になる危険性が高い。

この二つの分析が互いに火花を散らすのが、制度分析の領域である。近年、新制度論と呼ばれる一連の流れが政治学を席捲しているが、これは制度を重視するということ以上の共通点を持ってはいない。そこにはさまざまな流れが渦まいており、歴史分析と合理的選択論は、そのなかでそれぞれ独自の流れを作っている5。制度と政治を考えた場合、通常二つのレベルでの議論が想定される。ひとつは、制度が政治過程に及ぼす影響である。もうひとつは制度の形成である。

歴史制度論は、第1のレベルについて、アクターの行動を重視しない。アクターの意図とは別に制度が政治の過程を作りあげていくと理解する。一方、合理的選択論は、制度をアクターの行動に対する制約として捉える。アクターはその制約のなかで最適の戦略を選択し、アクター間の相互作用のなかで政治が生まれると見るのである。

一方、制度分析のもうひとつのレベルである制度形成については、歴史分析、合理的選択論双方の対立がより激しくなる。歴史分析は、経路依存によって制度の形成を説明する。時系列の流れのなかで前段階のプロセスが次の段階のプロセスを決定していると見る。一方、合理的選択論は、制度を、取引費用の削減のため、あるいは、ゲームにおける調整問題の解決のための均衡として捉える。制度とアクターの関係で見れば、歴史分析は制度が先にありき(その点で社会学的制度論と共通する点が多い)、合理的選択論はアクターが先にありき、である6。ただ、その出発点は異なるものの、それぞれの制度形成に関する説明についての相互批判のなかから、うまく相互の欠点を克服しあう可能性はないかという動きも出ている。制度形成についての説明が、その意味で、歴史制度論、合理的選択論制度論の双方にとって理論的フロンティアであるといっても良い7

なお、特に比較政治学の分野で議論されることの多かった文化はどうなったのだろうか。筆者の見るところ、文化は制度と同一化されて議論されるようになったようだ。ひとつは歴史的な流れのなかで形成される文化(歴史制度論と親和性が高い)、もうひとつは均衡としての価値観・規範(合理的選択論と親和性が高い)という二つの扱われかたである。前者の議論の代表的な例はパットナムのSocial Capitalである。後者の代表例は、ワインガストの法の支配に関する研究であろう8。ちなみにスタンフォード大学の政治学部における「政治文化」というコースは、ワインガストとレイティンという合理的選択論の大御所2人が扱っている。当然、そこでは、均衡としての文化が議論される。


3.合理的選択論と途上国政治研究9

こうした二つの学派のせめぎあいは、アメリカ政治学研究において始まったものだが、比較政治学においては最近まで表面化してはいなかった。それは、もともと合理的選択論がアメリカ政治研究のなかで発展してきた議論であり、その手法は、民主主義体制における政治現象(特に現在でもそうだが、議会研究がこの手法の花である)に適用されてきたからである。一方、比較政治学においては、非民主主義体制についての分析がこれまで主流であった(権威主義体制の分析がその中核だったことは言うまでもない)。また、情報に関しても、アメリカ政治研究は比較的早い時期から分析に必要なデータセットが整備されていたのに対し、比較政治学では、特に途上国を対象としたものでは、標準的なデータセットは存在せず、自ら情報を収集する(フィールドワーク)の必要があった。そして、そのためには当然言語の習得も必須であった。いうまでもなく、地域研究の手法が比較政治学、特に途上国を対象とした研究の主流であったわけである。

ところが、いわゆる民主化の第3の波は、比較政治学のおかれた状況を大きく変えることになった。多く国で民主主義体制が採用されたことは、とりもなおさず、アメリカ政治研究で培われた分析アプローチの適用可能性を高めた。これが合理的選択論の進出を促す最大の理由であろう。また、情報についてもフリーダムハウスやペン・ワールド・テーブルなどからクロスナショナルで大規模なデータセットの入手可能性が高まり、また、個々の国においてもデータの整理は急速に進んでいる。

日本の途上国政治研究において合理的選択論を使った研究は管見のかぎりそれほど出てきていないように思う(ただし、日本政治研究において合理的選択論は破竹の勢いで拡大している)。しかし、アメリカの比較政治学においては、その議論は、歴史的制度論と拮抗しながら、非常に有力なアプローチとしてすでに確固たる地位を築いている10。ラテンアメリカ政治研究は大統領制の比較研究という点で、アメリカ政治研究の手法が導入される素地が高い。すでに合理的選択論は広く適用されている11。これまで比較の対象をもたなかったアメリカ政治研究が、ラテンアメリカ研究を比較対象としながら自らの位置を確認していくことも可能になった。さらに、エスニシティの政治動因、紛争に関しても合理的選択論の適用は進みつつある12

歴史的制度論を採用するか、合理的選択論を採用するかは、おそらく研究対象によって決定されるところが多いだろう。マクロの政治体制は前者、ミクロの政策過程は後者、という傾向は理解しやすい。また、制度形成の議論で起こっているように、お互いの短所を認めあうところから、より建設的な議論に展開することも可能である。合理的選択論者であるゲッデスやレイティンは、合理的選択論は単なるアプローチにすぎず、忠誠を誓う政党でもなければ、ましてやイデオロギーでもないとしている。合理的選択論主義と なっては問題であろう。しかし、確実にいえることは、合理的選択論はフォーマル理論に裏打ちされた明確なロジック、統計的な検証の手法を携えて、きわめて有力なアプローチとなっているということである。合理的選択論を使うかどうかは別にして、合理的選択論を理解しないまま、比較政治学を扱うことはすでにありえない。合理的選択論を採用しないのであれば、合理的選択論の欠点を指摘するのみではなく、それに代替する説明、アプローチを提供しなければならない。

ただ、それではフィールドワークはその役割を低下させたということなのだろうか。記述は意味がないのだろうか。

仮説のロジックや統計的検証の結果が実際に観察する現象としっくり合わない、あるいはそもそもアサンプションが間違っている場合がある。レイティンは、合理的選択論を前提とした上で、比較政治学における方法論について、それが3つのコンポーネントからなる、としている13。ひとつはフォーマル理論。明確なロジックが大切であるということ。もうひとつは統計。検証における科学性を主張している。そして注目すべきなのは、これらに加えて、叙述(あるいは記述)(Narrative)を三番目に、同様に重要な柱としてあげていることである。レイティンは、統計が傾向を示すとすれば、記述はプロセスを明確にし、独立変数に関わる価値が従属変数に関わる価値に変換されるプロセスを理論化すると考える。また、統計が示す矛盾や間違いを発見するカギになるし、さらには重要な変数の尺度について情報を与えてくれるとする。合理的選択論にとっても記述は不可欠である。

しかし、だからといって記述だけですむというわけではない。合理的選択論の波を受けて、途上国政治研究者は、より方法論に気を配り、厳格な証明を行うとともに、理論的な進化に目を向けていくことを余儀なくされている。

脚注
  1. Kristen Renwick Monroe ed. Perestroika!: The Raucous Rebellion in Political Science, New Haven: Yale University Press, 2005.
  2. David Laitin, "The Perestroikan Challenge to Social Science," Politics and Society, Vol.31.No.1 2003, pp.163-184. 他にもグリーンとシャピラオの合理的選択論批判と、それに対するコックスによる反論など、この手の議論は非常に多く見られる。Donald P. Green and Ian Shapirao.Pathologies of Rational Choice Theory: A Critique of Applications in Political Science. New Haven: Yale University Press. 1994. Gary W. Cox. "The Empirical Content of Rational Choice Theory: A Reply to Green and Shapirao," Journal of Theoretical Politics, Vol.11, No.2. 1999. pp.147-169.
  3. Theda Skocpol, States and Social Revolutions: A Comparative Analysis of France, Russia, and China. Cambridge: Cambridge University Press, 1979.
  4. Barbara Geddes, Paradigms and Sand Castles: Theory Building and Research Design in Comparative Politics. Ann Arbor: The University of Michigan Press. 2003. ゲッデスはここで歴史分析の理論的甘さ、証明の甘さをこれまでの代表的な研究(スコチポル、ロッカン、加えてハガード)を取り上げて示している。
  5. 制度論の整理として頻繁に引用されるのが、Peter A. Hall and Rosemary C. R. Taylor, "Political Science an the Three New Institutionalism," in Karol Soltan, Eric M. Uslaner and Verginia Haufler eds., Institutions and Social Order. An Arbor: University of Michigan Press. 1998.
  6. それぞれの制度分析についてその特徴を整理したものとして、歴史制度論については、Paul Pierson and Theda Skocpol, "Historical Institutionalism in Contemporary Political Science," in Ira Katznelson and Helen V. Milner eds., Political Science: State of the Discipline, New York: W.W. Norton & Company, 2002.合理的選択論制度論については、Barry R. Weingast, "Rational-Choice Institutionalism," in Ira Katznelson and Helen V. Milner eds., Political Science: State of the Discipline, New York: W.W. Norton & Company, 2002
  7. 歴史制度論の側からの試みは、たとえば Paul Pierson, Politics in Time: History, Institutions, and Social Analysis. Princeton: Princeton University Press. 2004.合理的選択論からの試みは、たとえば、Robert H. Bates, et. al. Analytic Narratives. Princeton: Princeton University Press; Abner Greif and David D. Latin. "A Theory of Endogenous Institutional Change," American Politcal Science Review, vol.98, no.4, pp.633-652. たとえば、新興民主主義国の新憲法制定の分析などは、こうした研究を参照できる可能性がある。
  8. Robert Putnam, Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy. New Jersy: Princeton University Press. 1993; Barry R. Weingast. "The Political Foundations of Democracy and the Rule of Law," American Political Science Review, Vol. 91. No.2, pp.245-263.
  9. こうした問題を扱ったものとして、河野勝「比較政治学の動向(上)(下)」『国際問題』No.528&530、 2005年3月、5月。
  10. そもそものはしりは、Samuel Popkin, The Rational Peasants: The Political Economy of Rural Society in Vietnam, Berkeley: University of California Press, 1979; Robert Bates. Markets and States in Tropical Africa: The Political Basis of Agricultural Policies. Berkeley: University of California Press. 1981.
  11. 例えば、Barbara Geddes, Politician's Dilemma: Building State Capacity in Latin America. Berkeley, University of California Press, 1994.
  12. David D. Laitin. Identity in Formation: The Russian-Speaking populations in the Near Abroad. Ithaca: Cornell University Press. 1998. Barry R. Weingast, "Rational-Choice Institutionalism," op.cit.
  13. David D. Laitin. "Comparative Politics: The State of the Subdiscipline," in Ira Katznelson and Helen V. Milner eds., Political Science: State of the Discipline, New York: W.W. Norton & Company, 2002 .