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海外研究員レポート

モスクワの市場(いちば)事情

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050088

2005年9月

朝鮮民主主義人民共和国の経済改革を課題とする筆者の立場は、同国の経済改革を従前の計画経済からやがて市場経済に向かうもの、すなわち、現在進行中の経済改革を、担当者たちの意図はどうであれ、市場経済化の一過程であると見るものである。そもそも市場経済化を象徴するものとして人々の消費生活の変化とともに市場(いちば)の発達がある。市場経済化の道で先んじているロシアの市場(いちば)事情は朝鮮民主主義人民共和国の経済改革を展望する上で大いに参考になる事例である。また、市場経済化とは別に市場(いちば)そのものに注目した研究の例として、『アジ研ワールドトレンド』1996年9・10月号で途上国の市場に関する特集が組まれ、さらにそれを元に明石書店より鳥居高編『発展途上国の市場とくらし』が1997年に刊行されたことがある。

ロシアの経済は2002年に4.7%、2003年に7.3%、2004年に7.1%の成長を遂げ、さらに2005年には5.8%、 2006年には5.5%の成長が見込まれている。高度成長とそれが続く見込みはロシア人の消費をいっそう拡大させている。また、1990年代は発表された経済指標では惨憺たるロシア経済ではあったが、1990年代半ばにモスクワ勤務の経験を持つジェトロ・モスクワセンターの梅津次長によると、外見的に消費を見る限り、指標とは違った継続的な成長が見られ、1998年の通貨危機のときもむしろ輸入品が国産品に取って代わられるという現象も見られたという。

ロシアの中でもモスクワはもっとも高い消費生活が営まれている場所であるといわれている。実際世界の都市の物価ランキングでもこのところモスクワは上位に位置している。筆者が今回の勤務で日本を離れる前、日本のテレビでロシアの経済成長振りを示す画像としてしばしばノーヴィイ・アルバート通りのネオンや夕方シェレメトエヴォ空港につくとすぐ目にするイケア(スウェーデン系家具店)の大きなネオンが映し出されていた。しかし、モスクワの華やかさを目にすることが出来るのはこうしたケバケバしいネオンだけではない。古くからの商業街であるトヴェルスカヤ通りに立ち並ぶ宝石店や高級ブランドの女性服店もそうだし、地下鉄駅には必ずといってもいいほどある女性の飾り物やお肌などのお手入れの道具を置いているお店にもモスクワの消費生活の向上は象徴されている。筆者としては、宝石とかブランドのお洋服には見る目もなければ値段の感覚もないので、華やかさとはまた別に、消費生活のなかでも食べ物を中心に見るのがせいぜいである。多くの食べ物のみならず衣類などの日用品を供給している市場の情況をここに紹介したい。そして市場とともにスーパーマーケットの情況にも触れることにしよう。

1. モスクワの消費地

モスクワという都市の起源は12世紀に、後のクレムリンとなる砦が作られたことであるが、その後、クレムリンの西側に隣接するキタイ・ゴーロドにクレムリンを相手にする商人や職人が住み位置が立ち始め、16世紀にクレムリンとキタイ・ゴーロドを包んだ城壁が築かれるようになった。また、15世紀末ごろから有力者が住み着き始めたトヴェルスカヤ通りも17世紀には華やかな通りとなったそうである。モスクワの消費地はクレムリンおよびキタイ・ゴーラドからその北側に拡大していったようである。こんにちの市内中心部の繁華街であるトヴェルスカヤ通り、オホートニイ・リャートなどは革命前に定期市が立つなど商業地区としての地位を備えるにいたっていた。ロシア革命ではこれらの商業活動はいったん衰退したが、その後都市そのものは拡大を続けた。1950年代、1960年代には東部のクツーゾフスキイ大通り方面等、1970年代に南方のレーニンスキイ大通り方面等に大規模な住宅建設が行われるようになった。モスクワの消費人口は着実に増加していったのである。そして1980年代のペレストロイカをきっかけに商業活動も後に徐々に息を吹き返すようになっていった。

ロシア革命後の商業については、内戦、ネップ、集団化や大祖国戦争などによる複雑な過程があるが、今日の市場(いちば)にまで直接繋がるものはフルシチョフ時代に奨励されたコルホーズ市場(自由市場)の発展である。コルホーズ市場はペレストロイカ進行中の1987年末でモスクワに30前後あったという。

コルホーズ市場はそもそもコルホーズ(集団農場)に属する農民が自由な耕作を認められた土地で生産した農産物を持ってきて都市住民に販売する市場である。筆者は2005年にゲオツェントル・グロウプ社より刊行された『コンパス・モスクヴィ』という地図に拠って市内の市場(いちば)を一つ一つまわってみた。ます、この地図で確認できる市内中心部のコルホーズ市場はチシンスキイ市場、パラシェフスキイ市場、ツェントラリニイ市場の3箇所である。

まず、チシンスキイ市場は2005年6月1日に訪れたところでは改装工事中であった。現存する建物の中での改装であったようであるが、そのすぐ隣にすでに新たなスーパーマーケットが出来ており、よほどの個性を出さない限り、再開後の市場の存続は危ういと筆者は感じた。

次に、パラシェフスキイ市場はトヴェルスカヤ通りに近いところに位置し、そもそもは水産物の市場であったようである。この市場はもともと小さい面積であるが、その中でも屋根のある部分は小さく、水産物もほとんど売られていない状態であり、屋根の下で若干の野菜が売られている程度のものであり、寂れているというほかない情況であった。市内中心部の住宅街、しかもここには日本大使館員の住宅もあり、少なからぬ消費者がいるはずであるが、市場の周辺の住民は市場の営業時間に買い物に来ることはできないのか、とにかくこの市場は売るほうも買うほうも少ないという印象であった。

ツェントラリニイ市場も改装中であった。そこには屋根のある建物もあり、その建物と敷地の規模からして露店はあまりなかったものと考えられる。この市場の隣にはサーカス場、前の通りは「花の並木道」という名前のついた通りで実際多くの花が植えられた美しい場所であり、繁華街の一つに数えられなくもないが、見た印象では農産物を売るコルホーズ市場としては存続が難しいといった印象であった。 はっきりいって冴えないこうした中心部のコルホーズ市場に比べて活気を持っているのが、主に1950年代および1960年代に開発された地域であるクツーゾフスキイ大通り方面、1970年代に開発された市内南側にあるレーニンスキイ大通り方面のコルホーズ市場である。

地下鉄キエフ駅から徒歩3分で行けるダラガミロヴォ市場はクツーゾフスキイ大通りの近くにある。市場は小店舗が連なった部分と、多くの売り場を中に備えた一つの大きな建物で成り立っている。とくに、大きな屋根の中で肉、魚の売り場と野菜売り場、そして、壁を隔てて衣類、日用品の売り場まで備えている。とくに魚は筆者が訪れたどの市場よりも充実しており、清潔感がある。大きな駐車場も備えている。

市内南方のコルホーズ市場の代表的なものはチェリョムシンスキイ市場とダニロフスキイ市場がある。前者は地下鉄ウニヴェルシチェト駅から南東へ2キロあるいは地下鉄プロフサユズナヤ駅から北西へ2キロほどに位置しているが、ウニヴェルシチェト駅から路面電車で行くほうが便利である。後者は地下鉄シャボロフスカヤ駅から北方150メートルほどに位置する。どちらも大きな建物の中に肉、野菜などの売り場、そして建物の周りに野菜や衣類などの露店がある。ただ、どちらも大きな駐車場はなく、また、空き店舗の存在が気になった。また、市内中心部から少し北方のリガ駅の近くにあるコルホーズ市場のリジスキイ市場も同様であった。日本人として市場に魚が欲しいところであるが、チェリョムシンスキイ市場、ダニロフスキイ市場、リジスキイ市場は魚売り場がないか、あっても、ダラガミロヴォ市場の充実した姿に比べると相当貧弱である。

モスクワ日本人会が編集した『モスクワ生活の手引き2002年度版』では、市場について、果物や野菜が豊富であることを指摘した上で、肉や魚は「衛生上おすすめできない」とか、「スリにあいやすく安全面でも問題があるのでなるべく一人で行かない方がよい」、「行く時はビニール袋を持参する」とあり、モスクワの前述したチェリョムシンスキイ市場、ダニロフスキイ市場、リジスキイ市場、ダラガミロヴォ市場についてわずかな紹介がある。同日本人会のこれは最新号であるが、市場の情況はこの当時からかなり変わってきている。市場の情況は2002年ごろから急に変わりだしたということであり、外見上の変化としては、まず露店ばかりであった市場に大きな建物が建てられたことであったという。屋根がつくというのは食料品を扱うことにおいて、商品の衛生面での大きな改善を意味する。また、筆者が訪れた限りでは、各市場には管理事務所と警備事務所が置かれ、見た目、治安面、衛生面でもまったく問題もなく、いくつか買い物をした限りでは言葉のよくできない外国人だといって不当な値段を吹っかけられることもなかった。筆者はそれぞれの市場でホウレンソウを買ってみたが(ホウレンソウは大きい市場か高級スーパーにしかない)、黒いビニ-ル袋に入れてくれた。

『コンパス・モスクヴィ』にはコルホーズ市場のほかに、「食料品市場」、「物品市場」といったものを多く見かける。ただ、実態は必ずしもこの区分と一致しておらず、地図で「食料品市場」となっていても、一つの市場の中に食料品店舗が固まっている部分、衣類店舗が固まっている部分、工具や建材の店舗が固まっている部分があったりする。また、地図には出ていない市場もある。 『コンパス・モスクヴィ』にでていない市場の例として、キエフ駅に隣接するキテジ市場、地下鉄ウニヴェルシチェト駅に隣接するウニベルシチェット市場、地下鉄ユーゴ・ザーパトナヤ駅に隣接するユーゴ・ザーパ トナヤ市場を挙げることが出来る。これらがなぜ地図の収録から漏れているのかは不明である。これらの市場に共通することは、鉄道駅や地下鉄駅とともにバスやトロリーバス、路面電車などの集中した場所であることである。これらの市場は食料品、衣類などを扱っており、大きな、例えばダラガミロヴァ市場よりも、野菜などの価格が安いことが多い。このなかでもキテジュ市場はお花屋さんや水道、電気関連の部品や工具の店舗が豊富である。 こうした公共交通機関の便がよくないところ、すなわち市内中心部から距離のあるところでは専門化した市場もある。地下鉄ヴィヒモ駅から歩くと20分ぐらいのところにあるジュレビノ市場は『コンパス・モスクヴィ』ではコルホーズ市場となっているが、実際のところは、卸売り中心の加工食品市場である。木造の店舗もあるが、コンテナをそのまま店舗にしたようなものもあり、計200件以上の卸売り店舗の集合体となっている。卸売り市場であれば、客は主に車を持つ人々であり、公共交通機関の便は関係ない。同様に卸売り店舗ばかりの市場として、ドミトロフスコエ市場がある。この市場は地下鉄アルトゥフィエヴォ駅からバスで行かなければならないが、このバスで買い物に来ている客も結構いるほどの市場である。ドミトロフスコエ街道を挟んで東西両側に広がるこの市場は、農産物、食料加工品の店舗が多く集まっているが、農産物を積んだトラックがそのまま市場の中で商売をするほど広い敷地がある。また、この市場のなかに空瓶や缶の廃品回収業者があり、ビール瓶やつぶした缶を集めてどこかに運んでいる風景が見られた。これより小規模であるが、車で入ることができる卸売市場としては、地下鉄カシルスキイ駅からバスで行くことができる加工食品専門市場としてカシルスキイ市場がある。 このほかより専門化した秋葉原的な電子・コンピューター関係の市場としては、地下鉄バルバチオノフスカヤ駅に隣接する電気市場のガルブシュカ市場、これより規模は劣るがリガ駅の向かい側にある電気市場のヤルマカ市場、地下鉄ショッセ・エンツゥジアノフから歩いて5分ぐらいのところに位置してモスクワの古い電子工場の近くにあるコンピューター専門市場ブジェノフスキイ市場がある。これらは徒歩での買い物にも便利であるが、電子パーツの市場としては、地下鉄トゥシンスカヤ駅からバスで行くミチンスキイ・ラジオ市場がある。この市場の場合は大きな駐車場を備えており、多くの電気屋さんや電気職人を支えているようである。衣類の専門市場としては、地下鉄コンコヴァ駅に隣接するコンコヴァ市場がある。また、絨毯やカーテンを扱う店舗が多いペトロフスコ・ラズモフスキイ駅に隣接するペトロフスコ・ラズモフスキイ市場もある。 また、日本人会の手引きにも紹介されている土曜・日曜に開かれる民芸品や特産品の定期市専門市場としてイズマイロフ市場がある。この市場に隣接する大きな市場にアスト市場があるが、この市場の中にはベトナムや中国の人々の店舗が固まっている場所がある。とくに中国人の店舗の中には医療や按摩などのサービス業もある。それから、ベトナム市場として地下鉄ペトロフスコ・ラズモスフカヤ駅からトロリーバスでドミトロフスコエ街道を北上するところにあるクラスナヤ・レカ市場があるが、この市場は店舗で商売をしている人がベトナム人であるということであって、筆者の見たところ商品に関しては単なる衣類市場に過ぎない。 モスクワの市場で注意するべきことは、営業時間が限られており、大体朝10時から夕方9時ごろまでである。 日曜日は開いていないところもあり、また、市場そのものが開いていたとしても店舗のほとんどが閉まったままである。

2. スーパーマーケット、デパート等

ソ連時代からロシアでもっとも有名なデパートは、赤の広場の真向かいにある国営百貨店のグム、それからボリショイ劇場の隣にあるツムであった。今日、グムは巨大なショッピングモールであり、無秩序な配置の西欧ブランド展示場みたいなものである。それに比べるとツムは規模は小さいながらも階ごとに一応の秩序があり、百貨店らしさを持っている。また、ツムと同じペトロフカ通りにあるペトロフスキイ・パッサージも主に西欧ブランドの主に女性服の店舗の集合体となっている。

ロシア人が日本人と同じくブランド好きであったとしても、これを買う人々は収入の面で限られている。地下鉄ウニヴェルシチェト駅からバスで行く百貨店モスクワは中級百貨店の代表であるが、このほかリガ駅の近くにあるクレストフスキー百貨店、地下鉄ドブリニンスカヤ駅のそばのドブリニンスカヤ百貨店、中国系と思われる地下鉄ノボスロボツカヤ駅のそばのドゥルジボといった小規模百貨店があるが、ここで売られている衣類を見るとほとんどが輸入品である。筆者の見る限り最も多い輸入先はイタリアであり、少し特色のあるところでドイツとフランスである。さらに多様化した店には中国、タイ、インドといったところからの輸入品がおかれている。市場で見る安価な服はほとんど中国製である。

着るものはなんとかなったとしても人間生活で最優先されるものは食べ物である。市場のほかにこれを支えるものとしては、ソ連時代からの商店、主に加工食料品を扱うガストロノムという店がある。そこに近年、スーパーマーケットが急成長している。

モスクワでは高級スーパーといえるものにストックマンがある。フィンランド資本のこのスーパーは、そもそもモスクワでは1989年8月末にグムのなかに「カリンカ=ストックマン」という文具屋を出したのが進出の嚆矢であった。その後、外務省の近くの地下鉄スモレンスカヤ駅のそばにスーパーマーケットを開設、今では市内北部と南部にそれぞれ一箇所、計3箇所のスーパーマーケットを出している。モスクワで代表的なまた一つの高級スーパーマーケットはトルコ資本のラムストールである。こちらは 1997年からの進出である。これらの高級スーパーは品揃えがいいことが特徴である。輸入品の果物や野菜があるので、外国人が家庭で料理をする場合に非常に便利である。値段は高めであるといわれているが、実際筆者が同一商品について現地のスーパーや市場と比較してみたが、必ずしも大きな価格差があるとはあるとはいえない。

しかし、モスクワ在住の日本人はこれらの高級スーパーマーケットでも食生活を満たすことが出来ず、地下鉄プロスペクト・ミーラから歩いて3分ぐらいのところにジャプロという日本食品を扱うスーパーマーケットに時々出かける。同じくモスクワ在住の韓国人は、オルリョーナク・ホテルのなかにあるボムルソンという韓国食料品を扱う店に足しげく通っている。今年、韓国人や日本人の駐在員の多くが住む、レーニンスキイ大通りになるアパート、パーク・プレイスの近くに韓国食料品店が開店した。こうした日本人や韓国人よりもモス クワ生活の古参である中国人やベトナム人は前述したアスト市場や市内数箇所に点在する中国食品店がナショナルな食料品を購入する場所になっている。こうした専門食品店にある商品は高価である。ジャプロで売られている日本製品の価格は大体日本で売られている同一のものと比べて4倍ぐらいである。

高級スーパーマーケットに限らず、モスクワでは次第にチェーン式の店も広がってきている。また、アシャーンという倉庫型スーパーも登場している。バブリーなモスクワでは高いほど物が売れるという情況、すなわち値段以外に信頼する尺度に欠けているという情況は続いているが、倉庫型のスーパーに代表されるように良い商品をより安く購入しようとする動きも健在であるといえる。冒頭に、日本のマスコミがロシアの経済発展の象徴として取り上げたケバケバしいネオンの一つであるイケアはスウェーデン資本の家具店であるが、ここで売られている商品は筆者が一生縁のないほど高価なものからそうでない安価なものまで多様であり、どれもその場で購入できるようになっている。

3. 原産地

モスクワの市場やスーパーで売られている食料品の原産地はロシアおよびその他の旧ソ連地域が主であるが、西ヨーロッパや中東そして中国からの輸入品も少なくない。輸入品はモスクワの人々の消費が高まるほど増え ているが、ロシアのお百姓さんたちも国産化の努力をしていることは間違いない。2000年代初頭までモスクワでほとんど見かけることのなかった白菜(ロシア人はキタイスキイ・サラトすなわち「中国のサラダ」と呼んでいる)、モヤシおよび豆モヤシなどは大体国産であるようである。また、ロシアでも「ダイコン」と呼ばれてい る大根も市場で国産品が売られている。もっとも大根はモスクワ近郊に存在しなかったわけではなく、飼料用に栽培されていたという。

ただ、農産物に限らず、国産化の速度は輸入が拡大する速度には追いついていないのが、あらゆる消費財に関していえる。また、国産化が成功したとしてもその生産を拡大して輸出しようという考え方はロシアに今のところあまりないようである。外国から来た駐在員たちにとっては商業・サービス部門の肥大化はうれしいであろうが、しかしロシア経済を長期的に考える者にとっては、これが後に大きな問題を生み出すことになるのではないかという危惧を覚える。