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海外研究員レポート

モスクワ住宅事情

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050093

2005年6月

朝鮮民主主義人民共和国の経済改革を課題にするものにとって、社会主義体制から資本主義体制への移行期にあるロシアでの不動産のあり方は、今後の朝鮮経済の動向を考える上で極めて興味深いテーマである。ただし、これまでのところ、ロシアの研究機関で不動産についてまとまった研究成果を見ることができなかったため、当地での経験をもとにモスクワの住宅事情について、暫定的な報告をしたいと思う。したがって、これは一外国人のみた極めて限られたモスクワの不動産事情の紹介にとどまることになる。
住宅探しと居住登録(外国人の注意点)

そもそもソ連が消滅して、1992年に新生ロシア連邦政府がアパートの居住者に対して、面積に関係なくそのまま住んでいるアパートを与えるという政策を打ち出したことがモスクワにおける不動産市場の始まりである。筆者自身お世話になったベアトリックス社は1993年に設立されている。

まず、外国人が住居とするアパートをモスクワで探す場合、気をつけなければならないことは住宅の所有者がどういう人かということである。これは自身の在留資格にも関わる問題である。通常業務で入国する外国人は3カ月ぐらいの査証でいったん入国して、住居を定めてから査証更新手続きに入る。この段階で、所有者に住居の登録手続きをしてもらい、それが完了してから査証更新手続きに入るわけであるが、当該住宅が共同所有である場合が多く、住居契約の当事者が共同所有者全員の委任を取り付けていない場合、居住登録が受け付けられないというトラブルが発生することになる。しかも、とくにモスクワでは多いことだが、共同所有者が外国にいる場合は委任の手続きが遅れるというトラブルも発生することがある。ときには書類の偽造などもあるということで、契約時には十分な注意を要するとのことである。最低限、所有者が示した書類の署名と所有者の居住証(パスポルト)の署名が一致することを確認する必要がある。

筆者自身、希望する物件の所有者が外国に居住しているうえに、夫婦での共同所有であったため、所有者代表である夫に妻からの権限委任の書類が揃ってなかったりして、予定していた契約が遅れたということがあった。また、急遽書類をそろえたものの、所有者が送ってきた書類に不備があり、これも契約を遅らせる原因となった。このため、物件を見て当方がOK を出して契約するまでの間半月以上待たされる羽目になった。所有者側は、契約までただで住んでもいいと言ってくれたが、当方が外国人である以上、居住登録がなければ査証の更新ができず、その場合、査証があっても居住登録がないということで不法滞在になってしまうため、居住登録があるホテルを離れることができないのである。しかも当初の予定よりホテルでの滞在が長引いたため、待たされている間にホテルの予約が切れて、ほかのホテルを探す羽目になった。日本人駐在員の事情をよく知る ホテル関係者によるとこのことは「よくあること」であるそうである。JETRO モスクワセンターでも住居が定まるまで1カ月ぐらいかかることは、モスクワに通じた人でも珍しくないとのことである。

住居契約に関して契約内容を吟味することはどこでも同じであるが、契約書の作成・実際の締結に際して仲介業者の質が問われることになる。仲介料は1 月分が普通であるが、当然のことながら業者の能力には差があり、とにかく契約だけを結ばせようとする業者も多い。モスクワには外国人向けの仲介に手馴れた不動産業者の代表として、筆者が利用したベアトリックスのほかに、ペニーレーン、ブラックウッド、ミアンなどがあり、英語のできる社員がいて、外国人の居住登録についても相当の知識がある。うち、ベアトリックスが最も評判がよいようである。

パークプレイスの例

前述したような業者たちの広告を見ると、物件の分布は市内中心部から南と西のほうに広がっている。これは住宅の開発が市内中心部から南と西へ広がってきたことによるものである。西側のクツーゾフスキー大通り方面は大体1950年代から広がってきた地区であり、南側のレーニンスキー大通方面は1970年代に広がってきた地区であるため、市内中心部と西側は、スターリン式という古い建築物が比較的多く、南側は西洋式の新しい建築物が多い。

とくに南側のレーニンスキー大通り方面には1990年代から建築の時点から外国人を対象としている物件が現れている。その代表的なものの一つがレーニンスキー大通り113番地に位置するパークプレイスである。

この、名前からして豪華なパークプレイスは日本の新聞でも取り上げられたことがある。『産経新聞』2001年6月21日は「在露日本大使館員、破格の住宅手当『特権』を満喫、続々引っ越し」というタイトルであり、内容は大使館員の住宅手当が以上に高く、手当が引き上げられた外交官の6割がその「特権」を教授するために家賃の高いところに引越しをしたとしてそれを非難するものである。その記事の中でパークプレイスがまるでその「特権」享受の代表のように扱われている。

しかし、当該記事にもあるとおりパークプレイスに日本人外交官は当時2世帯しか住んでいない。しかも記事に取り上げられた部屋は3階造りで床面積が総168平米、当時の家賃が5,180米ドルというパークプレイスで最も高いところの一つである。これは当時の日本大使館3等書記官以下の住宅手当4,808米ドルを上回っている。筆者が聞いたところでは、3階造りの部屋の家賃は現在7,000米ドルが相場であり、パークプレイスで最も標準的な2階造り総面積100平米程度の物件の家賃は3,600米ドル程度である。この間の家賃の上昇から見ても、3 階造りの部屋に住んでいる3等書記官以下の日本外交官がいた可能性は低いし、当時住んでいた2世帯も住宅手当上限いっぱいを使って住んでいた可能性も低い。また、記事にある大使館員の引越しについては大使館から緊急時に徒歩30分以内で来ることができることが条件にあったようであり、住宅手当の上限が上がったからといって、大使館から車で40分~1時間かかるパークプレイスに新たに引っ越してきた大使館員世帯がいるとは考えられない。

実際パークプレイスは外観、中身ともに立派な建物であり、何よりも外国人にとって都合がいいのは管理者が外国人との契約や手続き上の問題を熟知している上に、建物の管理や警備が行き届いていることである。また、建物内に食料品店、床屋など生活に必要なものを販売している所や子供の遊び場などがあり、建物内で生活が完結してしまうほど便利であることである。交通の便は、最寄りの地下鉄駅からは15分ぐらいのしかも起伏のある道を歩かなければならないが、レーニンスキー大通りに面していてトロリーバス1本ですぐに日本人学校にも行くことができるぐらいなので悪くはない。しかし、タクシーや自家用車を利用している人が多いためこの交通面での恩恵を受けている人はあまりいないようである。パークプレイスの標準的な部屋は前述のように2階建てであり、1階が厨房と食堂をカウンターで仕切った部屋、2階が3つの個室になっておりアメリカの住宅を意識した構造である。ただ、立地上の欠点として、近所に徒歩10分内のところにスーパーなどの便利な商店、子供の遊び場に適当な公園もなく、さらに面している大通りの交通量が多いため子供の事故には相当気をつける必要があることがある。

パークプレイスには今日も日本人および韓国人世帯が多く住んでいる。日本人世帯は、古くからロシアを相手に仕事をしてきた企業ではなく、むしろ新しく進出してきた企業の家族が多いようである。また、韓国人世帯については、韓国企業の進出が1990年以降に始まったという事情がある。全体的にパークプレイスの住民はモスクワ進出が比較的新しい企業の人々が多いようである。

筆者が住むクツーゾフスキー大通りはブレジネフの住んでいたアパート、現大統領のアパートもある高級住宅地であり、外交官も多く住み、さらに古くから支局を置く朝日新聞社や共同通信社といった日本のマスコミ関係者の事務所、住宅もここにある。住宅は新築もないことはないが、主に1950年代60年代の建築であり、故障が多いのが難点である。筆者のアパートには扉や窓の修繕の広告がしばしば投げ込まれている。交通も地下鉄、トロリーバスがともに近くにあり、30~40分歩けば市内中心部に出られるぐらい、便がいい。

交通機関の便をほとんど考えていない物件も最近現れている。レーニンスキー大通りの方面であるが、ノヴォチェレムンシュキンスカヤにあるガスプロム社が建てた物件は200平米6部屋で6,000米ドルというものであったが、筆者が物件の管理者に交通の便を尋ねると、「みんな車で動くから知らない」とのことであった。しかも周囲は新興オフィス街といった感じのところで、食料品や日用品を売っている店が徒歩でいける範囲にないというものであった。同じ建物にはこれより少し広い部屋で7,000米ドルという物件もあった。ただ、不思議なことに、ロシア最大のガス会社が建てたアパートなのに、部屋にはガスが敷かれておらず、給湯やコンロなどの設備は全て電気によるものであった。

家賃の状況

住宅に関する新聞広告を見ると、アパートはまず部屋数で区分されている。モスクワでは台所を含めて何部屋と表示する。したがって、3部屋と表示されている場合、2DKぐらいの物件であるということになる。

しかし、筆者がベアトリックス社の出している広告を見る限り、家賃を決定している最大の要因は部屋の数ではなく、総面積である。これはアパートの私有が認められた1992~93年に、アパートの価格が総面積で定められるようになったことにその原因があるようである。

では、家賃の地域差はどうだろうか。筆者はベアトリックス社が5月にインターネット上に出していた広告から、市内中心部で比較的物件の多いトヴェルスカヤ地区とチストゥエトプルディ・キタイゴラド地区と西部のクツーゾフスキー大通り地区、南部のレーニンスキー大通り地区の物件に関して、1,000米ドル、1,500米ドル、2,000米ドル、2,500米ドル、3,000米ドル、3,500米ドル、4,000米ドル、4,500米ドル、5,000米ドル、 5,500米ドル、6,000米ドル、6,500米ドル、7,000米ドル、7,500米ドルの物件の総面積の平均値を出してみた。

モスクワ市内のアパートに関する価格別面積表

(2005年5月時)

Total area averaged(m2)
価格(US Dollars) トヴェルスカヤ チストゥエトプルディ・キタイゴラド クツーゾフスキー大通り レーニンスキ ー大通り 左4地区の平均
1,000 45.0 53.0 59.0 51.0 54.3
1,500 58.0 58.9 57.8 65.7 61.4
2,000 68.3 67.8 70.7 84.6 71.0
2,500 77.9 91.3 78.0 83.4 81.8
3,000 100.3 92.3 84.9 100.4 92.2
3,500 91.1 94.3 81.1 112.8 96.3
4,000 111.1 110.6 92.3 125.0 112.0
4,500 113.7 128.3 115.0 106.0 116.7
5,000 132.0 125.5 105.0 124.5 124.7
5,500 132.0 144.7 170.0 148.9
6,000 139.7 148.3 240.0 131.0 146.2
6,500 135.0 120.5 125.3
7,000 124.0 200.0 140.0 152.0
7,500 165.0 160.0 162.5

出所)ベアトリックス社HP に2005 年5 月20 日接近、計算は筆者による。

この数値で見る限り大きな地域差を見出すことはできないが、あえていえばレーニンスキー大通り地区に関して1,500米ドルから4,000米ドルの物件は4地区平均よりも広いことがわかる。すなわち、モスクワの南側の新興住宅地区は他の地区に比べて同一家賃で比較的広い物件を求めやすいということになる。ただそれも極端な地域差と呼べるほどではない。

なお、モスクワでは家賃にガスおよび水道代が含まれるのが普通である。実際、水道とガスにはメーターが なく、居住者数によって定額を所有者が納める仕組みになっている。電気に関しては各戸にメーターがあり、そのメーターを住民が見て自分で電気代を計算し、当局にその計算結果を記した用紙と現金を納めることになっている。

モスクワの中産階級は南側で成長する

2003年にロシア国家統計委員会が発表したところでは2002年のロシアのサラリーマン1人の月給が約141米ドルである。また、平均的な家賃は2001年の時点で30ドル程度だといわれている。だが、近年成長している中産階級はこれをはるかに上回る収入を得る人々である。2003年に同国の経済誌に発表されたロシアの中産階級もモデルは、すでに住宅と自家用車を所有し、1カ月に平均3700 米ドル余りを生活費に当てているとのことである。(ロシアでは共働きが普通であるので、一人毎月1,850米ドルほどの所得があることになる)。もしこのくらいの所得で家賃を支払うとすれば、どのくらいの住宅に住めることになるであろうか。筆者が聞いてみたところ、モスクワでの収入の何割を家賃に当てるという考え方はとくにないようであるが、日本での基準すなわち、収入の3分の1までを家賃に当てることができるという考え方に即してみると、ロシアの中産階級は1,233米ドルぐらいを当てることができるということになる。これを前掲表で見てみると50平米ぐらいのアパートに住むことができるということになる。

筆者が自身の住宅探しを通じて見回ってみたところでは住宅建設は市内南側地区でもっとも盛んである。レーニンスキー大通り地区では上記の中産階級に手ごろな1,000~2,000米ドルの物件の広告が多く現れている。今後、韓国ソウルの江南地区のようにモスクワの南側は新たな中産階級の多く住む町となっていくことは間違いなかろう。