IDEスクエア
「西側の黄昏」後の東アジア――第二次トランプ政権の成立にあたって
East Asia after the End of the West: A First Look at the Second Trump Administration
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001284
2025年2月
(5,190字)
第二次トランプ政権の成立
アメリカは軍事力、経済力、技術力のいずれをとってみても世界で最も強大な国家である。中国との大国間競争が国際政治の焦点となって久しいが、アメリカの物質的な優位は揺るがない。これに日本や韓国、西欧諸国といった主要同盟国を含めた「西側」全体をみれば、その優勢は明確となる。
それにもかかわらず、アメリカ主導の「リベラルな国際秩序」には黄昏が迫り、その根幹たる西側同盟も大きく揺らいでいる。震源地はアメリカ、とりわけ2025年1月20日に成立した第二次ドナルド・トランプ政権であり、その焦点は米中競争の最前線たる東アジアにほかならない。
第二次トランプ政権発足後の東アジア、すなわち北東アジアから東南アジアにかけての地域秩序は、いかなるものになるのか。この小文では、歴史と理論を手がかりとして考えてみたい。
「ディール」の特徴とは何か、何ではないのか
まず一般にトランプ外交とは何か、検討してみよう。これを理解するための鍵は、トランプ外交に特異な要素とは何か、また何ではないのか、という点にある。その特徴としては、国益重視、価値や倫理の軽視、同盟国への負担分担要求、経済的威圧の行使、多国間交渉への警戒と二国間交渉への傾倒などが直ちに思い浮かぶところだろう。
アメリカ外交の、そしてあらゆる国家の外交政策の根幹は、国益の追求にある。トランプの標榜する「ディール」や「アメリカ第一主義」の本質は国益の重視にある、という言明には意味がない。アメリカは「リベラルな国際秩序」を形成した冷戦期も、単極とよばれた圧倒的な力を誇った冷戦後も、民主党でも共和党でも、常に国益を追求してきたからである。
国益という言葉は多義的であり、その範囲は定義によって伸縮する。そもそもは妥協不能な全面衝突につながりかねない倫理や正義を国際政治から排除し、妥協可能な利益配分に紛争を限定するという近代ヨーロッパの知恵、国家理性論に由来する言葉である。だが冷戦期のアメリカでは、その範囲が民主主義という国内政治体制、自由や人権のような価値、さらには生活様式も含んだものへと拡大した。その行き過ぎを戒め、国益の範囲の限定を図る言説には、封じ込め政策の始祖たるジョージ・ケナン以来の伝統がある。国際政治学リアリズムの大家であったヘンリー・キッシンジャーを擁したリチャード・ニクソン政権に代表されるように、実際に政策として展開されることもあった。国益の範囲の再定義、あるいは価値や倫理の軽視は、トランプの専売特許ではない。
同盟国に対する負担分担の追求は冷戦初期からの伝統的政策であり、とりわけ防衛費をめぐる議論は、日米関係でも北大西洋条約機構(NATO)でも、政策の現場でも学界でも長きにわたる蓄積がある。西側全体の防衛強化を目的とする、ときには経済的手段をも用いた同盟国への要求も、あるいは敵対国に対する経済的な制約も目新しい現象とはいえない。東芝ココム事件や欧州のパイプラインをめぐる紛争に代表されるように、冷戦期には共産圏との輸出入をめぐって西側諸国間で摩擦が絶えなかった。
二国間交渉を好み、マルチラテラルな組織を忌避するというトランプ外交の特徴も、特異なものとはいえない。制度化された国益は強靭で持続的である。だが国際制度への賛同を得るには参加国の発言権と利益を保証しなければならず、また制度に基づく交渉は必然的に多国間交渉となる。国際政治学者ヴィクター・チャが指摘するように、一般に多国間交渉では大国の発言権が制約されるため、アメリカは同盟国への影響力の行使を重視する際には、冷戦期でも二国間での交渉や制度形成を好む傾向があった。
他方で、西側全体の強化を目指した同盟国との負担の分かち合いではなく、同盟の存在自体を一方的な負債とみなす傾向は、トランプ政権の一つの特徴といえるだろう。同盟への警戒はジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソン以来の孤立主義の伝統を継いでいると考えることもできる。だが19世紀のアメリカに同盟国はなく、現在のアメリカが世界から孤立できるわけでもない。注目すべきは、アメリカに短期的かつ物質的な利益をもたらすことを、しかも一方的かつ強圧的な手段を用いて各国に要求しており、とりわけ焦点となっているのが同盟諸国だという事実である。同盟国は、冷戦期以来アメリカが構築してきた国際秩序に最も密接に組み込まれた存在であり、軍事的には制度的な一体化が進み、経済的にも相互依存が高いからであろう。トランプ外交に何らかの独創があるとすれば、それは同盟という制度の存在を前提として、同盟国から可能な限りのリソースを獲得しようとする点にあるといえよう。
「クラシック」な東アジア外交?
とはいえ、拙著『帝国アメリカがゆずるとき──譲歩と圧力の非対称同盟』(岩波書店)で論じたように、アメリカが同盟を維持しようとする限り、トランプ政権であろうとなかろうと、アメリカによる同盟国の操作には論理的な限界がある。
同盟国に何らかの協力を強制しようとするとき、直接の軍事行動という選択肢を除けば、アメリカが同盟国・友好国を動かす手段は、安全保障面では米軍撤退や軍事援助削減などのコミットメントの撤回、また経済面では関税や各種の経済的な規制に限定される。こうした圧力が同盟国に大きなダメージを与えることは間違いないが、これは同時に、同盟国内部からアメリカに対する反発を引き起こす可能性が高い。アメリカは同盟国を支配しているわけではなく、その政策の実現には協力的な親米政権の存在が不可欠である。しかし圧力を行使した結果として親米政権が倒れ、同盟国が離反することになれば本末転倒となってしまう。同盟国の離反を懸念すれば過度な要求を突きつけることはできないのであり、この政治力学を筆者は「提携のディレンマ」とよんでいる。
そして東アジアに関する限り、他の地域とは異なり、トランプ政権は制度化されたアメリカの権力の維持に関心を示している。少なくともそのように主張する有力者が国務長官や安全保障問題担当大統領補佐官といったトランプ政権の中枢を占めていることは疑いない。
その原因は何よりも中国にある。第二次世界大戦勃発以来、アメリカはユーラシア大陸における敵対国による地域的な圧倒的優位、すなわち地域覇権の阻止を追求してきた。中国はアメリカに挑戦する意図と能力を持つ唯一の大国であり、東アジアにこれに対抗し得る国家は存在しない。韓国と東南アジア諸国は、中国を警戒しつつも、これに軍事的・政治的に対抗する意図あるいは能力、もしくはその双方が欠如している。インドはアメリカとの同盟に関心がなく、オーストラリアやヨーロッパ諸国は物理的な軍事力の展開に限界を抱えており、ロシアと北朝鮮は摩擦を抱えながらも中国との連携を深めている。例外といえるのは日本のみ──もしくは存立が脅かされている台湾──だが、アメリカなくして中国に対抗し得る能力はない。さらに中国は対米貿易でも巨額の利益を確保しており、トランプ大統領の掲げる米製造業復活の最大の障害でもある。中国と対峙するという点で、トランプ政権には一定のコンセンサスがあるものと推察される。
以上に加えて、ディールを追求する大統領の方針をふまえれば、日本をはじめとした東アジアの同盟諸国に対するトランプ政権の外交姿勢は、一見したところ極めてクラシックで既視感の強いものになる可能性がある。すなわち「西側」や「自由世界」を守るための軍事的な負担分担と、これを支えるための西側全体の経済力の強化、というロジックに基づく軍事的・経済的負担分担要求である。日米同盟に焦点を当ててみれば、このとき顕在化するのは、中国を見据えた軍事協力の進展であり、あるいは古典的な外交摩擦だろう。1950年代や80年代を彷彿とさせる軍事的・経済的負担分担、あるいは70年代のニクソン・ショックや90年代のジャパン・パッシングのような「頭越し外交」をめぐる対立である。
楽観的観測と悲観的予測の間で
以上のように、こと東アジアに関する限り、アメリカの政策にラディカルな転換が生じる可能性は、現在のところ高いとはいえない。
他方で、筆者は一抹の懸念を拭うことができない。外交を司る米政権高官が中国の地域覇権確立を強く警戒していることは確実だが、トランプ大統領自身やその側近が、ユーラシア大陸において敵対的な覇権国の出現を許容しないという第二次世界大戦以来の戦略構想をどこまで共有しているのか、心許ないからである。少なくとも政権のトップたる大統領は「西側」の結束に関心がなく、またその優先事項は、アメリカの軍事的負担を減らし、経済的利益を拡大して、製造業も含めたアメリカ国民に利益を配分することにある。第一次トランプ政権において、「大人たち」とよばれた熟練の外交・安全保障問題専門家が次々と職を追われたことも記憶に新しい。
何よりも、トランプのグリーンランド、パナマ、カナダへの関心は古風な大陸型のアメリカ帝国主義の趣がある。その先にあるのは、領土拡張によって北米大陸の要地を押さえて単独での米本土防衛を志向する「要塞アメリカ」と、高関税によって米製造業を保護した自律的な経済圏、いわば「ブロック経済」への道であろう。このときアメリカに中国の地域覇権を妨害する理由はない。そしてもしトランプ政権内部において、同盟国からの収奪の誘惑が中国の地域覇権に対する警戒を上回るという事態が生じたならば、そのときアメリカが提携のディレンマに囚われることはなく、その圧力行使の上限は取り去られることとなるだろう。
以上は悲観的予測に過ぎず、現段階では、アメリカの東アジア政策は他地域と比して継続性が高いものとなると楽観したい。とはいえその帰趨は米政権・政策コミュニティ内部でどこまで中国の地域覇権への警戒が共有され続けるかという一点に、すなわち米政府関係者の認識と政権内部の権力関係にかかっており、第二次トランプ政権の4年間、さらにその後の政権を見据えたとき、その行く末を見通すことは難しい。
西側の黄昏と東アジア
冷戦期以来、アメリカは、同盟をはじめとした制度にアメリカの国益を埋め込み、これを長期的に保全するという戦略構想を採用してきた。ワシントンDCの政策コミュニティには国際連合をはじめとした一部の国際組織への違和感は少なくなかったものの、同盟も含めれば、「西側」、あるいは「自由世界」の結束のための制度を重視するという点では一定のコンセンサスがあったといってよい。そして同盟諸国は、アメリカが主導する西側、自由世界、あるいはリベラルな国際秩序に利益を見出し、代替的な制度やシステムを構築するのではなく、むしろこれを活用し、積極的に支えてきた。
だがバイデン政権期以来の日本製鉄によるUSスチール社買収をめぐる混乱に象徴されるように、第一次トランプ政権以降のアメリカは同盟国との共存共栄を図るという発想自体を失い、あるいはあったとしても国内事情によってそれが実現できないという状況に陥っている。同盟国からのリソースの獲得を重視する第二次トランプ政権の成立は、この傾向をさらに加速することとなるだろう。
アメリカとの連携がもたらす安全保障と経済的利益が不透明となり、そのコミットメントも不安定化するとき、同盟・友好諸国の取り得る合理的対策は、アメリカへの働きかけの強化に加えて、これが水泡に帰す可能性を見据えた、安全保障・経済両面における代替手段の模索とならざるをえない。長きにわたって国際政治の要であった「西側」、すなわち安全保障のみならず、自由貿易、国際制度、共通の価値と国内体制で結ばれたアメリカ主導の国際秩序には、トランプのいう「黄金時代」の始まりとともに黄昏が迫っている。
では日本はどうすべきなのか。トランプの動向如何にかかわらず、アメリカが中国を圧倒する国力を誇る世界最大の国家であるという現実は消えない。トランプ政権が敵対国の、とりわけ中国の地域覇権阻止という長年の安全保障戦略を現段階で変更したわけでもなく、その同盟網が直ちに破綻するわけでもない。だが一般に国際情勢が急変するとき、既存の同盟と制度を堅持するのみでは現状を維持することはできない。その変化の深度と速度を見極めて過度な悲観論に陥ることなく、強大化する中国を見据えて、急変するアメリカから可能な限りの協力を引き出し、さらには発言力を増すいわゆるグローバル・サウスも包含した新たな地域秩序を自ら構想すること──日本が現在の安全と繁栄を維持するという最も控えめな目標を達成するためには、そうした新たな秩序を構築する主体となる覚悟と想像力を持つことを追求せざるをえないのである。
写真の出典
- Office of Speaker Mike Johnson(Facebook)(Public Domain)
著者プロフィール
玉置敦彦(たまきのぶひこ) 中央大学法学部准教授(国際政治学)。東京大学法学部卒業、Boston University(フルブライト奨学生)および Yale University(Department of History)留学を経て、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。著書に『帝国アメリカがゆずるとき──譲歩と圧力の非対称同盟』(岩波書店、2024年)、主な論文に“Japan's Quest for a Rules-based International Order: The Japan-US alliance and the decline of US liberal hegemony,” Contemporary Politics, Vol. 26, No. 4, 2020; “Japan and International Organizations,” (with Phillip Y. Lipscy) in Robert J. Pekkanen and Saadia M. Pekkanen eds., The Oxford Handbook of Japanese Politics (Oxford University Press, 2020),「同盟論からみるウクライナ戦争」『思想』第1201号、2024年、など。