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中国における環境分野での懲罰的損害賠償の導入と生態系保護キャンペーン

Introduction of Punitive Damage and Crack Down Campaign on Violator against Ecosystem Protection

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000018

2023年8月

(5,119字)

懲罰的損害賠償とは何か?

懲罰的損害賠償と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 法律を学ぶ人ならアメリカやイギリスの法律にそんなものがあったかなと思い出すかもしれない。そもそも何のことだろうと疑問符が浮かんだ人も少なくないだろう。それもそのはず、現在の日本では懲罰的損害賠償は認められておらず、多くの人にとっては馴染みがない言葉である。

懲罰的損害賠償とは、加害者に制裁を与えることを目的として課される賠償のことをいう。ここで「そもそも賠償金って制裁じゃないのか」と思う方もいるだろう。もちろん、原告は被告に対する非難や禁止のメッセージを込めて、損害賠償を請求するかもしれない。しかし、日本の法学では、民法における損害賠償の最も重要な役割とは、原告が被った損害を「穴埋め」(填補)することであり、制裁や処罰を与えるのは刑法に任せるという役割分担(民刑峻別)の考え方が主流である。このような考え方に基づけば、制裁を与えることを目的とした損害賠償請求や、実際に生じた損害以上の賠償金の請求は認められないことになる。

その一方で、アメリカやイギリスのように損害賠償と刑罰の役割をそれほど厳しく分けていない国では、懲罰的損害賠償が認められる。加害者が非常に悪質な場合には損害の穴埋めにとどまらず、制裁を与えることを目的として損害賠償を請求することができる。これに加えて、懲罰的損害賠償では填補よりも大きな金額の賠償金を請求することが認められるため、潜在的な被害者による訴訟を後押しする効果もある。こうして多くの人が訴訟を起こすようになれば、潜在的な加害者は多額の損害賠償を請求されることを恐れて、侵害行為を思いとどまるようになるかもしれない。

近代法の受容以降、日本を含む東アジア諸国では懲罰的損害賠償は認められてこなかった。しかし、ここ約20年間で中国、台湾、韓国では消費者、知的財産の保護や不正競争防止などの分野で、懲罰的損害賠償が導入された。中国は2020年に民法典を制定し、そこで新たに環境問題についても懲罰的損害賠償を認めている。これは懲罰的損害賠償が被害者救済や環境問題の解決にどう貢献できるのかを検証するうえで重要な事例であると同時に、企業法務上の新たなリスクでもあることから、法学者や実務家から注目を浴びるはずだった。しかしながら、民法典の制定直前に新型コロナウイルスのパンデミックが始まり、その混乱のなかで大きな話題になることもなく現在に至っている。そこで本稿では、中国で環境問題について懲罰的損害賠償が導入されるに至った経緯を示したうえで、どのような裁判が行われているのかを見ていきたい。

中国の環境問題と懲罰的損害賠償制定の経緯

中国では1980年代から民事法の制定が急速に進んだ。しかし、最初から懲罰的損害賠償を認めていたわけではなく、被害を主張する人が民事訴訟で請求できるのは損害の填補に限られていた。変化のきっかけとなったのは、1997年に定められた消費者権利利益保護法である。当時の中国では、特に模造品や欠陥のある商品が蔓延する問題に対して関心が高まっており、同法ではその問題によって損害を受けた消費者が最大で損害額の三倍の賠償金を請求できると規定された。これを皮切りとして、その後も商標、不正競争防止、製造物責任などいくつかの分野で懲罰的損害賠償が認められるようになった。このように中国ではその時々で社会の関心が高まった問題に対応するべく、分野ごとに懲罰的損害賠償を認める法律が制定されてきた。

環境問題に関連して懲罰的損害賠償が認められたのも、概ね同様の経緯による。環境問題の直接的な原因は企業を中心とする経済活動や急速な都市化だったが、規制の不十分さや事後対応の甘さもまた問題の解決を遅らせ、より一層深刻なものにしていた。2000年代から2010年代にかけての中国では各地で環境をめぐる抗議活動が多発しており、政権の安定を揺るがす要素の1つと見られるようになった。2012年には、北京を筆頭に都市部での深刻な大気汚染に注目が集まり、多くの人々が自らの健康や生活環境についての強い危機感と政府への失望を示していた。こうした社会不安の高まりと政権の存続に関わる危機のなかで、中国共産党・政府は環境問題に積極的に対処する旨のメッセージを繰り返し発し、実際に様々な政策の策定や法律の制定・改正を行ってきた。

これらの取り組みの中心にあったのは事前防止のための制度構築であったが、事後救済のための仕組みを整えることも重点の1つであった。例えば、被害者救済を念頭に置いた不法行為法(侵権責任法、2009年制定)の制定や、訴えの受理に関する制度改革(立案登記制度、2015年導入)、各地の地方裁判所で環境法廷の設置が行われた。さらには、公共利益への侵害や環境そのものの損害について賠償を認めるなど、先進的と呼べる制度も取り入れてきた。民法典の制定に向けた動きが本格化した2014年以降、中国共産党の重要会議ではたびたび損害賠償制度の整備や違法行為への処罰強化が言及されており、これを受けて民法典では環境問題について懲罰的損害賠償を認める規定(1232条)が盛り込まれたと見られる。

しかし、2020年には環境問題への関心の高まりのピークはすでに過ぎ去っており、一見すると懲罰的損害賠償の導入は時期を逃してしまっているようにも映る。なぜなら、2010年代が終わる頃には、大都市での大気汚染はかなりの程度抑えられるようになり、主要河川の水質も大幅に改善するに至っているからだ。ただ、こうした近年の改善はあらゆる環境問題がなくなったことを意味するわけではない。大気に関しては先進諸国の基準に照らせば改善の余地があり、揮発性有機化合物のように見えない汚染が健康へのリスクであり続けている。中国で発行されている専門家向けのニュース誌や判決書からは、今でも中国の各地で廃棄物の投棄による水質や土壌の汚染、鉱山開発業者と周辺住民の対立といった事件が起き続けている様子が見えてくる。さらに、環境影響評価での報告書偽造や環境観測データの改ざんといった規制逃れとの攻防も続いており、決して手を緩めてよい時期に来たとは言えない。懲罰的損害賠償の導入は関心のピークより遅かったとはいえ、環境問題の防止に一定の役割を果たせる場面はまだまだ残されている。

どのような裁判が行われているのか?

懲罰的損害賠償を命じられた業者が販売していた野生動物のひとつ、センザンコウ

懲罰的損害賠償を命じられた業者が販売していた野生動物のひとつ、センザンコウ

いったい誰が、どのような環境問題について訴えを起こし、裁判所はどのような判決を下しているのだろうか? 中国の判決書データベース(Wolters Kluwer Chinese Law & Reference)で、懲罰的損害賠償の根拠規定(民法典1232条)を引いている判決書を探すと約40件が該当する。このうち、環境問題と関連性の低い事件を除外すると37件が残った。しかし、これらの判決書を読んでみると、そのうち25件は懲罰的損害賠償の根拠規定(民法典1232条)こそ引いているものの、主文には単に「被告は損害賠償として○○元を支払え」と書いてあるだけである(図1参照)。これらの判決書では賠償金のうちそれぞれいくらが填補で、懲罰に対応するのか分からない。

図1 民法典1232条を引用している判決書の分類

図1 民法典1232条を引用している判決書の分類

(出所)Wolters Kluwer Chinese Law & Referenceより筆者整理・作成

明示的に懲罰的損害賠償を命じている判決書を絞り込むと、以下の表1にまとめた6件が残る。なお、すべての判決書がデータベースに登録されているわけではない1ため、以下で述べる見解にもその意味で限界があることに留意していただきたい。

表1 懲罰的損害賠償を命じる判決書の概要

表1 懲罰的損害賠償を命じる判決書の概要

(出所)Wolters Kluwer Chinese Law & Referenceより筆者整理・作成

これら6件を環境の要素や資源の類型から分けると、野生動物が3件、森林関係が2件、環境汚染(土壌・水質)が1件である。

まずは、野生動物に関わる事件から見ていこう。事件2では、個体数が十分で、重点的に保護されているわけではない動物(アナグマやウサギなど)を数頭捕らえた人に対して懲罰的損害賠償が命じられている。その一方で、事件1の被告は絶滅危惧種の長江チョウザメを捕らえて食用のために販売していた漁業者で、事件5の被告はセンザンコウ、タイコブラやクマといった保護された野生動物の肉や部位を売買していた業者である。

森林が関わる事件3、4では、無許可で林木を伐採し、材木として販売しようとした者や、村内での諍いから山に火を放って森林を焼失させた者に懲罰的損害賠償が命じられている。唯一、環境汚染が問題となっている事件6では、被告が設備の故障のため処理できなくなった工場廃水を山中に投棄し、飲用水や生活用水の水源が汚染され、多くの人々の生活に影響が出たことが問題視された。なお、懲罰的損害賠償の根拠規定を引用しているだけの判決書全体に広げてみても、環境汚染が問題となっている事件はごくわずかで、ほとんどが生態系や自然資源といったカテゴリーに分類可能な事件である。

生態系保護キャンペーンとの連動

以上のように野生動物や森林に関連した事件が大半を占めているのは偶然ではない。これは、近年中国で生態系や自然資源の保護が強化されつつあることと関係している。特に2021年からは、各地で野生動物、水産資源や生態系の保護に反する行為に対して厳しい取り締まりキャンペーンが繰り広げられている。こうしたキャンペーンを指示する政府の文書には、しばしば「厳打」という言葉が登場する。これは特定の行為について重点的に検挙して重罰を与えることを意味し、「厳打」の号令がかかれば行政機関、公安(警察)、検察さらには裁判所までもが、対象となる行為者を検挙し、厳罰を与えるべく行動することになる。

図2 懲罰的損害賠償を請求した原告類型ごとの合計値

図2 懲罰的損害賠償を請求した原告類型ごとの合計値

(出所)Wolters Kluwer Chinese Law & Referenceより筆者整理・作成

図2から見て取れるように、懲罰的損害賠償を請求している原告の多くは検察である。こうした事件では、先に刑事裁判で有罪判決が下り、そこから民事訴訟で徴罰的損害賠償が請求されるという共通した流れが見られる。中国の検察は犯罪に対する刑事告訴にとどまらず、公共利益の保護のための民事訴訟や行政訴訟も担っており、懲罰的損害賠償の請求もその一環として行われている。一方で、市民が自らの被害について加害者に懲罰的損害賠償を求めた事件は4件確認できているが、すべて原告が敗訴している。同じく懲罰的損害賠償を請求する訴訟でも、消費者問題や知的財産の領域では個人や企業による訴えが目立っているのとは、大きく様相が異なる。厳罰キャンペーンが行われており、しかも検察による訴えが大半を占めていることを考えると、環境問題に関する懲罰的損害賠償は国家による刑罰の延長とでもいうべきだろう。

懲罰的損害賠償の今後

今後、環境問題と懲罰的損害賠償をめぐって何が起きるだろうか。現行のキャンペーンが続く限り野生動物、水産資源、より広くは生態系や自然環境の保護に絡んだケースが大半を占め続けるだろう。しかし、キャンペーンの対象や重点が変わる可能性もある。中国では今年から経済活動が本格的に再開したことで、環境への負荷が上昇しつつあり、再び環境汚染への対策が強化される可能性もある。たとえ、従来のような目に見えやすい形での汚染が生じなくても、政府が現在より高い規制目標を掲げるようになれば、新たなキャンペーンが始まるだろう。そうした場合には、環境汚染に対しても懲罰的損害賠償を請求する事例が増えると見込まれる。この他、法解釈上の問題はあるものの、カーボンニュートラルの実現のために、具体的な規制目標が定められれば、これに違反する企業などに懲罰的損害賠償を請求するような事件が起きる可能性もある。

原告の種類に変化があるかどうかにも目を配りたいところだ。現時点では、検察の独壇場とでも言える状況だが、これが変化する可能性が全くないわけではない。まず、個人による訴えが増えるかどうかである。個人にとって訴えを起こせるような諸条件が整うことが前提ではあるものの、懲罰的損害賠償には不十分なままだった被害者救済を補う可能性がある。もう1つ注視しておくべきなのが環境保護団体の動きだ。上で見てきた事例ではいずれも、検察は公共利益の保護を目的として懲罰的損害賠償を請求している。環境保護団体にも環境に関する公共利益の保護を求める訴えを起こす権利が認められており、理論上は懲罰的損害賠償を請求することも可能だ。こうした個人や環境保護団体による訴訟がどれほど活発かは、環境ガバナンスを構成する主体の多様性を測る1つの指標であり、今後も注視し続けていく必要があるだろう。

政府によるキャンペーンの道具で終わってしまうのか、それとも中国における環境ガバナンスの多様性を支える要素になるのか、懲罰的損害賠償をめぐる展開を見守っていきたい。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • U.S. Fish and Wildlife Service Headquarters(CC BY 2.0
参考文献
  • 大塚健司 2022.「環境問題の解決はどこまでできるのか」川島真・小嶋華津子編『習近平の中国』東京大学出版会、51-65ページ 。
  • 坂口一成 2006.「現代中国における『司法』の構造 (1) : 厳打:なぜ刑事裁判が道具となるのか」『北大法学論集』57巻2号、484-457ページ。
  • 吉村顕真 2017.「懲罰的損害賠償の現代的展開」『私法』79号、151-157ページ。
  • 郎晴 2021.「中国法はなぜ懲罰的損害賠償制度を取り入れるのか」博士(法学)学位論文(北海道大学)。
著者プロフィール

山田浩成(やまだこうせい) アジア経済研究所 新領域研究センター環境・資源研究グループ研究員。修士(法学、環境資源保護法、一橋大学・中国人民大学ダブルディグリー)。専門は中国の環境・法政策で、公益訴訟や環境修復を中心に研究。直近の論考として、「中国における環境修復に関する法制度の概況――原因者負担原則の観点からの評価に向けて」『一橋法学』22巻1号(2023年)207-232ページ。


  1. 中国では、最高人民法院が運営する裁判文書データベース「裁判文書網」で判決書などの公開が進められているものの、政治的理由から判決書が非公開とされる事件があることや、一旦アップロードされたのちに削除された判決書があることが広く知られている。また、年末など特定の時期に大量のアップロードが行われることから、業務上のルーチン化が不十分であると推測され、漏れが生じているとの疑いも持たれている。本稿執筆にあたって用いたWolters Kluwerのような商用データベースも裁判文書網からデータを取得しているため、同様の偏りを抱えている。