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台湾国民党の勝利か?――中国国民党主席選挙における本省人・呉敦義の当選

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2017年7月

はじめに

5月20日、台湾では最大野党、中国国民党(以下、国民党)の主席選挙が行われた。本省人の呉敦義・前副総統が1回目の投票で過半数を制して当選、外省人の洪秀柱党主席(現職、女性)や郝龍斌・前台北市長を下した。8月に就任する予定の呉敦義・次期国民党主席は、まず2018年予定の統一地方選挙にむけて党勢回復を図り、その上で、2020年の次期総統選挙で蔡英文総統と対決し、政権奪還を狙うと思われる。

2016年の総統及び立法委員選挙後、洪秀柱・前立法院副院長が国民党主席に当選し、蔡英文総統及び民進党主席とともに、台湾の二大政党の党首を女性がつとめることになった。しかし、洪秀柱主席は多数派世論に背を向け、統一派寄りの言動が目立ち、2016年総統選挙戦の途中で後任を剥奪された人物である。彼女のもとで、国民党は「1992年コンセンサス」を政策綱領から外し、「一つの中国」だけを掲げたため、二大政党から転落し、「新党(統一派の小政党)化」1が危惧された。洪秀柱は離党しなかったが、新党の前身となった国民党内グループ「新国民党連戦」の一員であった。

呉敦義・前副総統は洪秀柱党主席を批判し、従来の「一つの中国、それぞれが表現」(一中各表)を内容とする「1992年コンセンサス」の堅持と、現状維持を主張した。一方、洪秀柱党主席やその陣営は、呉敦義の出馬表明後、「中国国民党が台湾国民党になってしまう」2「呉敦義は第二の李登輝だ」3、と保守派外省人の警戒心を煽り、国民党内の「省籍矛盾」を再燃させた。郝龍斌の父親である郝柏村も「台湾国民党は不要だ」と述べた4。呉敦義は本省人を中心とする「本土派」や一部の外省人政治家など洪秀柱と対立する勢力の協力を得て当選を果たしたが、もし1回の投票で過半数を下回っていた場合、本省人である彼の当選は危うかった。

呉敦義・次期国民党主席には好意的な意味で同党の台湾本土化や「台湾国民党」へ変身を求める声もある5。しかし、呉敦義自身は「台湾国民党」への変身を否定し6、また「本土派」の呼称も拒み7、むしろ「中国」を冠する国民党の正式名称は資産であると述べた。実際、「中国」の二文字は「中国」への帰属意識が強い保守派外省人との党内融和や、中国との対話のパイプを維持して、民進党との差別化を図る上で有用なツールでもある。

確かに呉敦義・次期国民党主席は馬英九・前総統ほど対中関係へのこだわりを持っていない。次期総統の座を狙う上で、多数派世論の反発を買う言動は避けると思われる。しかし、呉敦義は地方政治家出身で清濁併せ呑むタイプであり、馬英九・前総統のほか、台湾の主体性を重視する李登輝・元総統や蔡英文総統ら学者出身の政治家とは異なる。そして、彼は理念が先行しがちな民進党、蔡英文総統にとって手強い競争相手になる可能性がある。

以下、本稿では、今回の国民党主席選挙の詳細や、争点となった台湾の地位問題および対中政策、それを密接に関係する国民党内の「省籍矛盾」について解説する。

2017年国民党主席選挙の概要

国民党の主席選挙は党費を支払った党員を有権者とする直接投票で行われる。今回の候補者は6人だが、呉敦義・前副総統、洪秀柱党主席(前立法院副院長、外省人、女性)、郝龍斌副主席(前台北市長、外省人)による実質3人の争いとなった。この内、洪秀柱と郝龍斌は保守派外省人の牙城である「黄復興頭部」(後述)票を取り合う形で争った。

当初、党主席選挙の投票は過去の前例から、7月か8月に実施されると見られていた。ところが、洪秀柱率いる党中央は2016年12月19日に急遽、投票日を5月20日に前倒しする方針を打ち出し8、21日の中央常務委員会で強引に承認させた9。これにより、新入党員が投票するには1月20日までに入党手続きを完了する必要が出た。

突然の投票日前倒しは、今回当選した呉敦義陣営の集票や組織固めを妨害する狙いがあったと思われる。洪秀柱や郝龍斌は2016年の早い段階で出馬の意向を示し、保守派外省人の票を固めるため、蔡英文政権が進めようとしていた公務員年金改革や福島第一原発事故を口実にした日本食品に対する輸入規制の緩和に反対する運動を煽り、過激化させていた。その一方で、呉敦義は早くから出馬を期待されながら、表向きは選挙戦を控えていた。また、出馬表明も2017年の旧正月前後に行う意向であると言われていた。不意を突かれた呉敦義は予定を繰り上げ、1月9日に出馬を表明して、選挙戦を開始した。

結果は選挙戦で出遅れたはずの呉敦義が1回目の投票で過半数(得票率52.24%)を得て、当選を決めた。現職の洪秀柱党主席は2位、外省人でもう一人の有力候補とされた郝龍斌・前台北市長は3位にとどまり、落選した(表1)。しかし、こうした表面上の数字とは違い、呉敦義の勝利は実際のところ、際どいものであった。

表1 2017年国民党主席選挙の結果

表1 2017年国民党主席選挙の結果

(出所)「106年本黨主席選舉全國開票一覽表」中国国民党ウェブサイト(http://www.kmt.org.tw/2017/05/106_32.html)。

というのは、1回目投票において首位の得票が過半数に満たない場合、上位2位による決選投票が6月に行われる予定であった。また、結果が発表されるまでは、決選投票の行われる可能性が高いと見られていたからである10。決選投票が呉敦義と、洪秀柱あるいは郝龍斌のいずれか、つまり本省人と外省人との争いになれば、呉敦義が敗北する可能性が高かった。近年の国民党主席選挙では有権者に本省人よりも外省人が多く、外省人候補に有利な状況であった。

また呉敦義と洪秀柱の争いが長引けば、党内の対立が修復困難になる恐れがあった。洪秀柱は多数派世論の反応や党勢回復を顧みず、「終極統一」(いずれは統一する)を主張するとともに、「中国国民党が台湾国民党になってしまう」と中国への帰属意識が強い統一派や保守派外省人の反「本土派」感情を煽った。決選投票になれば、「省籍矛盾」を煽る外省人候補の誹謗中傷はさらに激化していたと思われる。そこで、呉敦義陣営は1回目の投票で過半数を獲得するべく、投票直前まで多数派工作に追われた。

国民党内の「省籍矛盾」:中国国民党VS台湾国民党?
「省籍矛盾」の背景

国民党内での「省籍矛盾」は李登輝時代に激化した後、一度は沈静化した。しかし、2015年以降、洪秀柱は当初、無自覚に、最近は意図的に「省籍矛盾」を再燃させてきた。

国民党は第二次大戦後、中華民国体制とともに中国から台湾に移り、蒋介石の独裁体制を支えた。蒋経国時代には本省人を取り込み、そのなかから李登輝総統が出て、国民党の主席も兼務した。こうした国民党内の本省人の勢力を「国民党本土派」と呼ぶ。李登輝総統の元で民主化と中華民国の「台湾本土化」が進んだ。しかし、外省人には、台湾も中国大陸(中華人民共和国、いわゆる中国)も「中国」に属すると考える統一派や保守派が多い。李登輝路線に反発した急進保守派は「新国民党連線」を結成し、後に離党して、新党を結成した。ただし、李登輝の元にいる政治家や官僚にも、穏健だが保守派の外省人が多く、憲法や国民党のイデオロギーにおける「一つの中国」原則は残された。国民党には中国国民党と「台湾国民党」が同居していると揶揄された。

とはいえ、連戦および馬英九が国民党主席に就いた時期は、李登輝・元総統が離党し、党内の中心にいる穏健保守派を中心にまとまったことで、「省籍矛盾」に類する対立は沈静化した(図1参照)。また、穏健保守派である馬英九・前総統も2008年総統選挙戦では民進党に追随して「本土派」を装い、多数派である本省人票も集めて当選した。2016年総統選挙戦でも、2人目の総統候補である朱立倫党主席が民進党と見紛う選挙運動を展開した。

図1 国民党の主要人物の大まかな思想的立場と省籍

図1 国民党の主要人物の大まかな思想的立場と省籍

(注1)青で囲んだ人物は外省人、緑で囲んだ人物は本省人。ただし、朱立倫は父が外省人、母が本省人。連戦は本省人だが、父親は戦前中国に渡航し、国民党に参加した「半山分子」。
(注2)新国民党連戦は1990年から1993年の間、国民党内に存在した反李登輝グループで、後に離党して新党を結成したが、その一員だった洪秀柱は国民党にとどまった。

「省籍矛盾」の再燃と「黄復興党部」

ところが、2016年選挙11の前半より、かつての「省籍矛盾」が燻り始めていた。選挙戦の開始前、朱立倫党主席は党内「本土派」重鎮である王金平立法院長に出馬を要請したが、馬英九総統は「党が分裂する」と述べ、「黄復興党部」など保守派外省人の離反を示唆して反対した(いずれも当時)。

この「黄復興党部」は中華民族と自負し、「中華民国」を祖国とする理念を掲げており、中華民国の台湾化を進めた李登輝・元総統への反感が強い。国民党員でありながら、李登輝時代に離党した新党や宋楚瑜および親民党を支持する者もいる。また、馬英九政権の対中接近に終止符を打った2014年のひまわり学生運動に歩み寄った王金平・前立法院長など、国民党本土派といわれる本省人政治家への警戒感や不信感も寝強い。

その後、急進保守派の洪秀柱が総統候補に公認され、「一つの中国、同じ表現」(一中同表)や「台湾と中国大陸は国と国の関係ではない。二国論に反対する」など統一派よりの発言を繰り返した。朱立倫党主席は発言の自粛を求めたが、洪秀柱は聞き入れなかった。このため、本土派の中では「換洪」(洪おろし)が叫ばれ、「台湾国民党連線」という政治団体を設立して党分裂を示唆し、朱立倫党主席に洪秀柱の公認を取消すよう迫った。しかし、洪秀柱の公認を取消すと今度は、黄復興党部など保守派外省人が反発して、宋楚瑜親民党主席に票が流出したため、国民党は歴史的大敗を喫した。

統選挙の終了後は朱立倫党主席が引責辞任し、3月の党主席補欠選挙では洪秀柱が当選した。2017年党主席選挙とは違い、呉敦義や郝龍斌が出馬を見送り、有力な対立候補は本省人の黄敏恵国民党主席代理(当時)だけであった。「黄復興党部」の有権者数約9万人12の多くは「統一派」と批判された洪秀柱を支持したとみられる。当時の有権者は約33.7万人で、投票率は41.61%、投票数は約14万人であった。つまり、有権者の多くが外省人であったと考えられる。選挙結果は、洪秀柱の圧勝に終わった(表2)。

表2 2016年国民党主席補欠選挙の結果

表2 2016年国民党主席補欠選挙の結果


(注)得票率は投票数に対するもの。無効票もあるため、各候補者の得票率の合計は100%にならない。
(出所)「中國國民黨105年黨主席補選選舉結果公告」中国国民党ウェブサイト。

洪秀柱党主席は就任後、9月に国民党の政策綱領から従来の「一つの中国、それぞれが表現(解釈)」を内容とする「1992年コンセンサス」を削除した。これで、国民党は「各表」のない、純粋な「一つの中国」原則のみを掲げる政党となった。これには本土派の立法委員だけでなく、一度は彼女の「一中同表」論を擁護した馬英九・前総統も批判したが、洪秀柱は「各表ばかりで、なぜ、統一を追求すると言わないのだ」と批判を突っぱねた13。こうした多数派世論と対立する党主席の下では2018年の統一地方選挙での党勢回復や政権奪還が見込めない。そのため、国民党内では2016年総統選挙戦に続く、2回目の「洪おろし」の機運が高まった。

ただし、「洪おろし」を実現しても、本来、国民党の支持基盤でもある保守派外省人を切り捨てることはできない。保守派外省人の反発を考慮して、王金平・前立法院長14や朱立倫新北市長は立候補を見送った。そのため、本土派にも穏健保守派にも近い呉敦義の出馬が期待されたのである。

洪秀柱党主席の善戦
困難な「黄復興党部」の切り崩し

洪秀柱党主席が2016年選挙で当選したのは、他の有力候補が不在だったためであった。しかし、今回の選挙でも郝龍斌と「黄復興党部」の票を奪い合ったにもかかわらず、善戦した。郝龍斌は郝柏村・元行政院長および元国軍参謀総長を父親に持ち、この父親を通じて保守派外省人の牙城「黄復興党部」に最も太いパイプを持つ政治家であった。そこで、洪秀柱陣営は当初、黄復興党部に圧力をかけ、その組織力を使って集票を試みた15。郝龍斌陣営は洪秀柱陣営の企みに気づき、これを阻んだ16上で、黄復興党部の現役および元幹部を改めて抱き込んだ17。それでも、洪秀柱は黄復興票の分裂を最小限に食い止め、郝龍斌(約4.4万票)を上回る約5.3万票を獲得した。

一方、呉敦義陣営は当初、「黄復興党部」票を多くても2割しか取れないと考えていた18。それでも、呉敦義は2017年1月9日の出馬表明をした際も、孫文や蒋経国の名前を挙げて、「国民党の伝統を継承する」と述べた19。また、呉敦義陣営は退役した軍幹部に積極し、「黄復興党部」党員に対する集票活動を行った20。これには一定の成果があったとも言われるが、詳細は不明な点が多い21

呉敦義が保守派外省人から集票するには、馬英九・前総統の支持が欲しいところであった。しかし、馬英九は洪秀柱が「一中各表」を政策綱領から削除したことを批判したものの、今回の党主席選挙で誰を支持するか明言することを避けた。また、馬英九の支持を欲したのは郝龍斌陣営も同様であった。馬英九はまず、2月郝龍斌陣営の集会に現れ、その後、3月に呉敦義陣営の集会に出向き、「一中同表」を批判する形で洪秀柱への不支持を表明した22。そのため、馬英九は本省人の呉敦義より、同じ外省人の郝龍斌を支持していると見る向きもあった。少なくとも馬英九の曖昧な態度は呉敦義にとって、洪秀柱対策の決定打にはなり得なかったのではないか。

対中関係をめぐる呉敦義と保守派外省人の温度差

さらに、呉敦義陣営にとって厄介であったのは、やはり洪秀柱党主席が統一派寄りの言動を強めたことである。洪秀柱は呉敦義に対して「一つの中国」原則や統一の是非、そして中国人を自称できるのか、問い質した23。呉敦義は「92年コンセンサス」や「一つの中国、それぞれが表現(解釈)」(一個中国、各自表術[一中各表])、「中華民国」に言及し、「中国国民党は、大変良い名前だ」というにとどまった24。従来なら、これで世論の反感を避けた模範解答であった。馬英九・前総統も2008年総統選挙時の候補者討論会で「私は台湾人であり、中華民国の国民でもある」と述べ、「私は中国人である」との回答を避けた25。しかし、洪秀柱に煽られた保守派外省人や統一派にとっては不十分な回答であった。

また、呉敦義による世論への配慮は、保守派外省人の癇に障ることもあった。呉敦義はネットメディアのインタビュー番組で中国との関係について、現状維持を強調し、「独立は不可能」と答えたが、同時に性急な統一論も揶揄した。彼は「(台湾が中国大陸を)統一するのは無理だし、(中国大陸に)統一されることも望まない」「今すぐ統一を実現したいなら、福州か上海にでも行って住めば、統一されたのと同じだ。(台湾に住む)2300万人を巻き込む必要はない」と述べた26

保守派や統一派よりの人々には、この発言「統一を主張するなら、中国に住め」と言ったものと解釈し、反発する声があがった。このため、呉敦義は5月11日に「言論の自由は基本的権利であり、統一や独立の問題もその範疇である。居住の自由も同様であり、大陸に住むか台湾に住むかも自由だ。いずれの自由権も尊重されるべきである」と釈明し、(1)国民党の党名は絶対に変更すべきでない、(2)「92年コンセンサス、一中各表」の立場は不変、(3)台湾独立に反対する立場は終始変わっておらず、今後も堅持すると述べた27。12日には「『統一を主張するなら、中国に住め』などと乱暴なことを言ったことはない」と発言自体を否定し28、保守派外省人をなだめようとした。

ただし、釈明したとはいえ、保守派外省人の呉敦義に対する疑念は払拭されなかった可能性が高い。例えば、選挙とは直接関係のない新党の郁慕銘主席(外省人)は「呉敦義が党名を変えることはないだろう」としながら、「中国国民党という器には精神が宿っているのか?もし、『中国』の部分に精神がないのなら、台湾国民党に改名するべき。代わりに新党が中国国民党を名乗らせてもらう」と揶揄した29

呉敦義陣営によるゲーム・チェンジ
「人頭党員」:新入党員の勧誘と幽霊党員の動員

呉敦義陣営や党内本土派は今後の地方選挙や立法委員、総統などの選挙での勝利を目指している。そのためには、台湾の主体性を重視する多数派世論に従う一方で、自己満足のために統一や中国への帰属を掲げる統一派、急進保守派を振り切る必要がある。そのためには、国民党内選挙におけるゲーム・チェンジを起こす必要があった。

今回の党主席選挙では、2016年の同補欠選挙時(約33万7千人)に比べ、有権者は47.6万人と14万人も増えた。投票者数は27万6千人と前回の約14万人からほぼ倍増した。党副主席でもある郝龍斌は、新入党員や党籍回復者は2016年に1万6700人強だったが、2017年は1月21日までの短期間に約7万人の入党申請30があり、その大半が1月9日つまり呉敦義の出馬表明以降のものだと述べた31。これは、主に呉敦義陣営が新しい党員をリクルートするか、あるいは幽霊党員を復活させて動員した可能性がある。また、党主席選挙と同時に当代表選挙も行われた。この党代表は党中央委員や中央常務委員などを選出するため、呉敦義陣営に限らず、多くの政治家が党員の勧誘や集票活動を行った。こうした集票のために動員された党員は「人頭党員」と呼ばれた。同一の住所を用いて多数の入党や復帰を申請した推薦者の上位が表3である。その多くが呉敦義陣営に属している。ただし、表3は氷山の一角にすぎない。

表3 同一住所を使った入党申請の推薦者上位10位

推薦人数の順位 推薦者 支持する党主席候補 推薦数
1 蔣根煌新北市議長 呉敦義 2225人
2 李宏文(富豪、陳萬添の関係者) 洪秀柱 1380人
3 謝新隆(三大有線電視董事長、鄭汝芬立法委員の夫) 呉敦義 730人
4 馬文君立法委員 呉敦義 727人
5 羅世昌台北市党代表 不明 695人
6 鍾小平台北市議員 呉敦義 644人
7 蔡武宏高雄市議員 不明 643人
8 林益諄(母親は宋瑋莉基隆市議会議長) 呉敦義 577人
9 林金結新北市議員 呉敦義 522人
10 黄秀玲(葉林傳台北市議員の事務所責任者) 呉敦義 410人

(出所)以下の報道などを参照し、筆者作成。
【獨家】黨員大戶名單曝光! 新北議長拔頭籌一口氣拉2225人入黨」2017年3月31日、上報ウェブサイト。

まず、複数の推薦者を動員すれば、その雇い主の名前は出てこない。表3で10位の黄秀玲は最初に露見した事例で、警察官を殺害した犯人を含めて暴力団員を多数動員していた32。黄秀玲自身は葉林傳台北市議員の「服務処」(有権者の要望に対応するための事務所)主任にすぎず、葉林傳は他でも集票していた可能性がある。2位の李宏文は2016年7月に入党したばかりの富豪、陳萬添の代理といわれる。陳萬添は今回、国民党の中枢である中央常務委員会に自身や関係のある政治家を送り込むために1万人の党員を集めたと報道された33。つまり、李宏文以外の代理人がいる可能性が高い。

また、同一の推薦者が多数の入党を申請しても、住所の使い回しを避ければ、表3には含まれない。たとえば、周典論屏東県議会議長(呉敦義支持)は5100人分の入党申請書を4回に分けて提出していた34が、これは表3の誰よりも多い数である。国民党屏東県党部(支部)は新規入党者に民進党員が紛れている可能性があるとして、民進党屏東県党部に検証作業への協力を要請したが、断られた35。おそらく、周典論は選挙運動員や地元の人脈を使い、実在の人物を登録したと思われる。また、投票直前に洪秀柱から呉敦義に寝返った傅崐萁花蓮県長は妻の実家がある桃園市の1000票と合わせ、5000票を持っていると呉敦義に話したと報道されたが、傅崐萁花蓮県長は地元の消防団員を動員したと報道された36

党内本土派の協力

「人頭党員」に党主席選挙で投票させるには、党費だけで一人200元37、14万人分なら2800万元(約1億円)が必要である。他に投票への報酬や飲食の提供等があれば、更に費用が膨らむ。党主席選挙の候補者個人では大きな負担になり、またその手配も困難である。そのため、各地の政治家から協力を取り付ける必要がある。彼ら自身も党内での地位や発言権を得るため、傀儡の党員代表を擁立する必要があり、地元で党員集めをしていた。こうした中南部の本省人政治家の協力を得る上で、その中心人物である王金平・前立法院長との関係は重要であった。

呉敦義は馬英九政権の末期より、本土派/本省人政治家の協力を得るべく、王金平立法院長(当時)に接近していたと見方もある38。2016年11月には、馬英九総統が王金平立法院長の失脚を狙った2013年の「9月政争」について、当時の馬英九総統や江宜樺行政院長に再考を促したが聞き入れられなかったと明かし、「最も不幸な結果を招いた」「私が行政院長を続けていれば、こうはならかなった」と評して39、王金平に秋風を送った。王金平は表向き、呉敦義陣営に加わらなかったが、2016年12月30日に党主席候補としての呉敦義を「最良の人選」を評価する発言をした40。また、呉敦義の当選後も、王金平は「党運営の改革に参加してもよい」と協力する姿勢を示した41

また、表3の6位の鍾小平台北市議のような北部の保守派に近い外省人政治家ですら、今回は呉敦義への支持を表明した。なお、元雲林県長の張栄味は当初、外省人の郝龍斌あるいは泡沫候補の韓国瑜を支持したが、勝ち馬に乗る形で呉敦義支持に回ったという42

このように各地の政治家の協力を得て、「人頭党員」票の大半を確保したことが、呉敦義の勝因であった。ただし、傅崐萁花蓮県長や張栄味・元雲林県長が寝返らなかった場合、呉敦義の勝利は危うかったかもしれない。

今後の見通し

本省人が国民党の主席に就くのは、呉伯雄(在任2007~09年、客家)以来である。彼は馬英九(在任2005~07年、2009~14年)の身代わりであった。馬英九は台北市長時代の特別費(交際費に類似)不正使用容疑で起訴されて党主席を辞任しながら、2008年総統選挙への出馬を表明した。呉伯雄は馬英九を当選させる任務を背負っていた。そのため、2007年の党主席補選は洪秀柱が挑戦したが、呉伯雄が圧勝した43

また、馬英九の前任は本省人だが、「半山」二世の連戦(在任2000~05年)であった。「半山」とは「半分中国人」の意味で、彼の父親は本省人だが、戦時中に中国に渡航し、国民党に参加した。連戦自身も中国人を自認し、2015年には中国の対日戦勝記念式典に出席したほどの親中派である。

今回当選した呉敦義には、保守派から懸念されるだけでなく、党内外の本土派から好意的な意味で、国民党の台湾本土化を期待する声もある。確かに呉敦義は地方政治家44を長年経験し、理念よりも、政局に応じて機敏に動くタイプである45。呉敦義は馬英九が中国とのサービス貿易協定の承認に非協力的な王金平失脚を狙ったことに冷ややかな見方をした。これは呉敦義が馬英九ほど対中関係に思い入れがなく、世論の反応に敏感なためである。

このため、呉敦義は李登輝・元総統以来の本格的な本土派の国民党主席とする解釈も出てくる。ただし、呉敦義の対中路線は、「二国論」に至った李登輝・元総統よりも、「一中各表」と「現状維持」を掲げた馬英九・前総統に近く、今回出馬した外省人の郝龍斌とも大差がない。馬英九・前総統は末期に過剰な対中国接近を試みたが、2008年総統選挙戦では民進党と見紛うほど台湾への帰属意識を訴えていた。呉敦義の「統一されたいなら、中国大陸に住めば良い。2300万人を巻き込む必要はない」との発言も過大評価を避けるべきである。

「中国」を冠する党名だけではなく、中国との対話ルートを持つことも、国民党にとって「足かせ」にも「資産」にもなる。台湾が中国への経済依存を強めていることや、100万人以上友いわれる中国に進出した台湾企業の駐在員や家族がおり、彼らが国民党支持者である可能性が高いからである。呉敦義がこれらの「資産」を放棄する可能性は低い。

中国にとって、将来の統一を強調した洪秀柱の発言は、呉敦義の「一中各表」より聞き心地が良い46。中国が呉敦義に送った当選祝賀には、遅かったことや呉敦義への敬称を欠いたとの指摘もある47。また、洪秀柱は6月30日に党主席を辞任したが、その直前、中国側の「海峽論壇」に出席するため党主席として最後の訪中を行い、中国側は俞正聲政治協商会議主席や張志軍国務院台湾事務弁公室主任が洪秀柱との会談に応じた。しかし、多数派世論に挑戦する洪秀柱主席の元で国民党が二大政党から転落することは、中国にとっても望ましくない。そのため、中国は呉敦義を受け入れざるを得ないはずである。

対日関係においても、呉敦義自身には洪秀柱や郝龍斌のように反日喧伝をする強い動機はないが、やはり過剰な期待はできない。洪秀柱や郝龍斌は2011年以降実施されている日本食品の輸入規制の緩和に強く反対し、特に郝龍斌は選挙戦中「我々は馬鹿ではない。放射能汚染食品を拒否する」と書かれたTシャツを着て、日本のイメージ悪化を図った。台湾の世論も国民党側の執拗な反対もあり、日本食品の安全性に疑心暗鬼になっており、民進党の蔡英文政権ですら規制緩和に及び腰である。

いずれにせよ、呉敦義は政局や時勢に応じて、自らの立ち位置を決め、最も権力に近い勢力に付くタイプの政治家である。悪く言えば、節操がない。それゆえに本省人ながら他の本土派政治家とは違い、穏健保守派の馬英九政権の中枢に食い込み、また同政権に対しても盲目的な追従を避け、敢えて一時的な孤立も辞さなかったことで、今回の党主席の座を射止めたとも言える。次回総統選挙での出馬には、2018年地方統一選挙での勝利あるいは善戦が必須条件となる。また、保守派外省人で元台北県長の周錫瑋を党秘書長に起用し、いずれは新北市か台北市の市長選に出馬させるとの話もある48。呉敦義に大胆な方針転換や現状の変化を期待するのは難しい。

脚注
  1. 李登輝総統の台湾本土化路線に反発した急進保守派は新党を結成したが、二大政党に挟まれて党勢を拡大できず、本省人票を諦め、統一派よりの姿勢を鮮明化した。その結果、さらなる党勢の縮小、所属政治家の離党を繰り返す悪循環に陥り、単独では国政選挙で戦えないほどの弱小政党に転落した。
    2000年総統選挙を機に離党した宋楚瑜・元台湾省長が結成した親民党も同様の経緯と辿ったため、「親民党が『新党』化している」と比喩された。
  2. 人頭黨員後遺症 洪秀柱:地方黨部變台灣國民黨」2017年2月8日、自由時報ウェブサイト。
  3. 例えば、洪秀柱が指名した陳鎮湘党副主席(元立法委員、元陸軍総司令)の発言。
    李登輝第二? 陳鎮湘暗諷吳敦義變色龍」2017年2月23日、蘋果日報ウェブサイト。
  4. 郝柏村:台灣不需要一個台灣國民黨」2017年5月13日、自由時報ウェブサイト。
  5. たとえば、范世平台湾師範大学政治系教授による5月21日のFacebookへの投稿。
  6. 改名台灣國民黨? 吳敦義辦公室痛斥汙衊扭曲」2017年1月11日。
  7. 詹啟賢參選將瓜分本土票? 吳敦義:我不是本土派」2017年1月21日、自由時報ウェブサイト。
  8. 蔡正元:回歸黨章 明年國民黨主席選舉提前」2016年12月19日、自由時報ウェブサイト。
  9. 中央常務委員会は同委員の半数が出席しなければ、開催出来ない。しかし、本土派を中心に26人の委員がボイコットし、出席者は14人だけであった。しかし、ボイコットした委員のうち14人は「欠席届」を出していた。そこで、同委員の総数(40人)から14人を引いた人数の半分以上が出席したと解釈し、同委員会を開催し党主席選挙の倒しを承認した。
    國民黨中常會通過 明年520選黨主席」2016年12月21日、自由時報ウェブサイト。 なお、ボイコットした本土派のうち、偵察のため出席した姚江臨1人が議場で疑義を呈し、その後、出席者のうち姚江臨のほか、郝龍斌、胡志強の3人が途中で退席した。
    中常委串連「缺席」 洪秀柱強硬通過黨務革新方案」2016年12月21日、風傳媒ウェブサイト、
    國民黨中常委集體杯葛// 黨中央硬過黨魁提前選舉案 風暴籠罩」『自由時報』2016年12月22日。
  10. 黨主席選舉二輪投票 洪秀柱勝選機率大?」2017年5月18日、信傳媒ウェブサイト、
    國民黨主席選舉投票》吳敦義:首輪過半!郝龍斌:有信心進第二輪」2017年5月20日、風傳媒ウェブサイト。
    呉敦義自身も当選後のテレビ出演において、第1回投票における自身の得票率が48~52%と予想され、過半数獲得の難易度は高いと考えていたと述べた(「洪秀柱喊話:吳敦義出來面對!國民黨主席交接出火氣?少康戰情室」2017年6月6日、Youtubeウェブサイト)。
  11. 2016年選挙における国民党内の本省人と外省人の対立については、拙稿「2016年台湾総統、立法委員選挙:国民党の大敗と蔡英文次期政権の展望」(2016年2月)を参照。
  12. 9萬黃復興大軍 左右黨魁勝負關鍵」『自由時報』2016年1月24日。
  13. 馬英九籲講一中各表 洪秀柱:怎不講統一」2016年10月24日、聯合報ウェブサイト。
  14. 王金平・前立法院長は「呉敦義が最良である」と発言して呉敦義への支持を示唆した。「下屆黨主席誰接捧 王金平:吳敦義是最好人選」『自由時報』2016年12月31日。
  15. 國民黨主席選舉競爭激烈 中常委爆黃復興要求挺柱」2017年2月8日、自由時報ウェブサイト、
    黃復興黨部蒐集黨魁連署書 被質疑黨務不中立」2017年2月14日、自由時報ウェブサイト。
  16. 『愛黨就不要傷害黨』郝要柱立即制止黃復興」2017年2月15日、自由時報ウェブサイト、
    黃復興急轉彎︰免另繳百人連署書」『自由時報』2017年2月16日。
  17. 前黃復興主委挺郝」『自由時報』2017年2月16日、
    許歷農:以前挺洪 現在支持郝」『自由時報』2017年5月7日。
  18. 挺吳人士:黃復興票 洪郝分食 吳敦義拿二成算不錯」『自由時報』2017年1月14日。
  19. 淚打經國牌 吳敦義宣布選黨魁」『自由時報』2017年1月10日。
  20. 【藍黨魁之爭】策動黃復興票源 吳敦義覓退將操盤輔選」2017年1月11日、鏡週刊ウェブサイト、
    吳敦義密友組奇策盟 黃復興早收囊中」『聯合報』2017年5月30日。
  21. 呉敦義は当選後、黄復興党部の元幹部も含む退役軍人の集会に出席した際、「黄復興でも過半数を取った」と述べた(「深藍活動謝票 吳敦義:黃復興我也過半」2017年6月10日、中央社ウェブサイト)が、これは党内の融和を図るための方弁であると思われる。この発言通りであれば、洪秀柱や郝龍斌の得票数はもっと少なかったはずである。
    なお、会場では呉敦義の到着が遅れたと野次を飛ばし、呉敦義への反感を隠さない出席者もいた(「出手團結深藍?吳敦義駁:黃復興票我拿過半」2017年6月10日、中時電子報ウェブサイト)。
  22. 站郝龍斌台提醒洪秀柱? 馬英九再提一中各表重要性」 2017年2月20日、聯合報ウェブサイト、
    出席吳敦義誓師大會 馬英九暗批洪秀柱一中同表」2017年3月18日、自由時報ウェブサイト。
  23. 不能說自己是中國人 洪秀柱:這是好奇怪的事」2017年3月4日、自由時報ウェブサイト。
  24. 洪秀柱感嘆不能自稱中國人 吳敦義回應:怎麼會呢!」2017年3月4日、自由時報ウェブサイト。
  25. 談認同 馬險口誤:我是『中國…』」2008年2月24日、TVBSウェブサイト。
    なお、この時、馬英九は「私は、中国人」と言い間違えそうになっていた。
  26. NOWnews龍談大小事_」2017年4月27日、YouTubeウェブサイト。
    呉敦義が統一を否定した発言は、17分頃。
  27. 吳敦義聲明:尊重統、獨不同立場是基本公民素養」2017年5月11日、自由時報ウェブサイト。
  28. 否認說過「主張統就去大陸住」 吳敦義:我又不是白癡」2017年5月12日、台灣蘋果日報ウェブサイト。
  29. 新黨主席談國民黨及吳敦義丨環球聚焦 環球東方」2017年5月31日、YouTubeウェブサイト。
    発言は23分頃。
  30. 暴增近10萬「人頭黨員」? 郝龍斌說話了」2017年2月6日、自由時報ウェブサイト。
  31. 人頭黨員影響選舉 郝龍斌:木馬屠城」2017年3月21日、自由時報ウェブサイト。
  32. 國民黨主席選舉╱北市議員葉林傳的主任 介紹殺警嫌犯入黨」『自由時報』2017年2月8日。
  33. 【獨家】股市金主拉上萬人頭黨員挺洪 「萬添黨部」搶攻8席中常委」2017年4月2日、自由時報ウェブサイト。
  34. 介紹5100人加入國民黨 屏縣議長駁非人頭黨員」2017年2月11日、自由時報ウェブサイト。
  35. 屏東爆疑人頭黨員案 國民黨請綠營協助查核」2017年月16日、自由時報ウェブサイト、
    〈南部〉屏東國民黨求助清查雙重黨籍 民進黨退回」『自由時報』2017年2月19日。
  36. 手握6000張黨員票?週刊爆:吳敦義選舉前夕密會他」2017年5月17日、自由時報ウェブサイト。
  37. 年払いの場合。この他に、終身党費(1万元、2017年6月現在)、あるいは低所得者に対する減免、65歳以上もしくは党員歴40年以上の党員への免除がある(「中國國民黨黨員繳納黨費辦法(106年版)」中国国民党ウェブサイト)。
  38. 馬王政爭》吳敦義換邊站 被馬踢出決策圈」2014年3月19日、風傳媒ウェブサイト、
    吳敦義真面目…愛吃麥當勞 馬王政爭槓上馬英九」『聯合報』2017年5月23日。
  39. 馬英九前総統は2013年9月8日に記者会見を開き、検察の電話盗聴記録を証拠に挙げて、王金平立法院長が法務部に口利きを行い、柯建銘立法委員(民進党党団総招集人)に対する刑事訴追を中止させたと暴露した。江宜樺行政院長は検察の盗聴記録の提供時から関与していた。一方、副総統の呉敦義は記者会見直前までこの件を知らず、立法院での予算案審議を控えていることや、王金平立法院長が海外渡航中であることを指摘し、再考を促したが、聞き入れられなかったという。
    吳敦義還原馬王風暴 『記者會前 馬曾猶豫2秒』」2016年11月8日、聯合新聞網ウェブサイト。
  40. 國民黨下屆黨魁 王金平:吳敦義當然是最好人選」2016年12月30日、自由時報ウェブサイト。
  41. 指吳敦義責任重大 王金平︰有需要會參與黨改造」2017年5月21日、自由時報ウェブサイト。
  42. 【藍黨魁之爭】張榮味轉向挺郝 吳敦義告急」2017年2月1日、鏡週刊ウェブサイト、
    【內幕】張榮味、傅崐萁選前倒戈 吳敦義一夕勝出」2017年5月28日、上報ウェブサイト。
    韓国瑜の得票は雲林県で全国平均(5.84%)を大きく上回る16.55%の得票率を記録した。
  43. 詳細は拙共著「2007年の台湾 総統候補の確定と台湾アイデンティティーをめぐる競争」『アジア動向年報 2008年版』を参照。
  44. 呉敦義は南投県出身で台北市議を務めた後、南投県長と(旧)高雄市長を8年ずつ、合計16年間、中南部の地方首長を務めた。その後、南投県選出の立法委員を7年務めた。国民党出身の正副総統やその候補で、これほど長く地方政界を経験した人物は彼と朱立倫(桃園県長を8年、新北市長を7年)だけである。
  45. 吳敦義任秘書長「愛盟」全面掌權」『新台灣新聞周刊』564期、2007年1月。
  46. 國民黨主席選舉》台商透露 中國台辦系統高度關注」『自由時報』2017年5月19日。
  47. 范世平台湾師範大学政治系教授による前掲投稿
  48. 朱立倫、周錫瑋、吳敦義政治恩怨 牽動藍營新北市長布局」2017年6月23日、上報ウェブサイト、
    【獨家】吳敦義邀請 周錫瑋將接下國民黨祕書長」2017年7月10日、上報ウェブサイト。